違和感のある怪異

 大野家の庭は、積み重ねられた石や、松の木が美しい日本庭園だった。


「立派なお庭ですね……わっ」


 四辻は転びかけた逢を支えると、足元に目をやった。


「昼に雨が降ったせいで、地面がぬかるんでいるようだね」

「ぐちゃぐちゃですね……。長靴履いてくればよかったなぁ」


 四辻は庭に怪しいところがないと分かると、札を確認しにいった。窓や裏口に貼り忘れはなさそうだった。


「結界でどのくらい怪異の力を抑え込めるんですか?」


「結界っていうのは、簡単に言えば壁だよ。壁を破ろうとする怪異の力が強ければ強い程結界の効果は弱く、持続時間も短くなる。でも、今回は運がいい」


 四辻は玄関に鍵をさしこむと、得意げに笑った。


「この結界が作られたのは今朝、支部の捜査員達が太田捜査官の遺体を回収した直後だ。霊が空き家で事象を起こしたのは夕方。その間、結界が破られた形跡はない。つまり霊に結界を破るほどの力はなく、今この家の中にはいないということになる。


 霊の力を封じる為に結界を作ったつもりだったけど、外に閉め出せたのは嬉しい誤算だった。中に霊がいなければ、加藤捜査官達のように襲われたりしないはずだよ」


「よかった。少し気が楽になりました」


 逢が安堵の溜息を吐いたのと、四辻が素早く後ろを振り返ったのは同時だった。


「先に中へ」

 いつの間に取り出したのか、四辻は数枚の札を手にしていた。


 逢は素早く中に入ると玄関の電気を付け、外の様子を窺った。

 狐の窓を通しても、明かりが届くところには何も見えない。


 四辻も外を警戒しながら中に入り、ドアを閉めるとその上に札を貼った。

 その時——。


 バンッ。


 見えない何かが、ドアにぶつかった。


 バンッバンバンバンバンバンバン!


 いや、ぶつかったのではない。

 何かがドアを引っ張ってこじ開けようとしている。


「逢さんは僕の後ろへ」

 四辻はドアを睨み、逢を庇うようにして様子を窺っていた。


 ガチャガチャ鳴らされるドアノブが、急に静かになった。


 ——ガリガリガリガリガリガリ


 寝室の窓を何かが引っ搔いた。


 気配は裏口、屋根に移動し、建物やガラスを叩き引っ搔く音が家中に響き渡った。


 声にならない悲鳴を上げる逢の肩を抱き寄せ、四辻は家の周りをグルグル回るモノの気配を追う。


 少しして——。


「……遠ざかる」


 怪異の気配が薄れ、四辻は警戒を解いた。


「諦めたらしいな……あれ?」

「ど、どうしました? 結界、壊されちゃいましたか?」


「結界は無事だよ。でも、ここが住処だとすれば、やけにあっさり引き下がったな、と思ってね。縄張りをこんな形で奪われたら、もっと激しく怒ると思うんだけど……。それに、朝も。結界が張られた時、霊は外で何をしていたんだ?」


「う~ん……遺体を探し回っている内に閉め出されて、何度試しても結界を破ることができなかったから諦めた、とか?」


「バレると困るような秘密が、この家にあるのに?」


 しばらくの間、四辻と逢は困惑した表情で顔を見合わせた。


「考えても分からないね。とりあえず、今はこの家の捜査をはじめようか」


「はい。準備はできてます!」


 逢が測定器を片手に意気込みを見せると、四辻はようやく表情を和らげた。


「頼りにしてるよ」



 大野家は平屋の小さな家だ。玄関から入れば、すぐ目の前に物置が見える。右側に夫婦の寝室があり、壁を隔てて子供部屋がある。廊下の奥に洗面所、風呂、トイレがあり、その向かいに居間、隣に台所と裏口があった。


 大きな家具はそのままにされていたが、荷物が入った段ボールは物置にまとめられていた。大野は着々と引っ越しの準備を進めているらしい。


 太田と加藤が襲われた現場——台所——を見た逢は後退りした。

 角を下にして斜めになった箪笥が置かれていた。箪笥の周りの、大きく割られた床には血痕が付いている。


「霊はただ物を落とすんじゃなくて、天井から勢いよく射出しているみたいだね。それにしても、この大きさの家具を投げてくるなんて凄まじい怪力だ」


 箪笥を観察した四辻が呟くと、逢も箪笥を見上げ、

「これ、天井裏におさまる大きさなんでしょうか?」

 と首を傾げた。


 ざっくりと家の中を見て回ったあと、逢は呻いた。


「5人の遺体を盗んだ理由って、何でしょう。この家で手掛かりを見つけられるといいんですが」


「理由はハッキリと分からない。でも、もしかしたら、8が見つかるかもしれない」

「え?」


「一つ可能性を思いついたんだ。逢さん、僕達がさっき立てた【遺体と怪異の関係】についての仮説を読んでみてくれる?」


 逢はノートの朗読を始めた。


「最初に遺体が盗まれた5人の内、怪異が関わっていそうなのは、交通事故でなくなった3人のみ。5人の共通点は支部が調べた結果、この村の人間ということだけだった。5人が選ばれた理由は、偶然だった? 霊は特定の人間の遺体を集めた訳じゃなくて、遺体なら誰のでもよかったのかもしれない」


 読み終えた逢は視線を四辻に戻した。


「あくまでも、霊の目的は遺体を盗む事だった、ということですね……。でも、どうしてでしょう」


「橋爪さんを使って、足立さんの遺体をバラバラにした悪霊は、穢れを広めておみとしさまを零落させるのが目的だった。でもこの怪異は、遺体を盗んですぐに降らせるんじゃなくて、ひと月も遺体を異界に置いていた」


「それがどうして『8人目の遺体』って発想に繋がるんです?」


「おみとしさまを零落させたいのも、遺体を降らせ続ける、理由の一つになるだろうね。でも始めは違ったのかもしれない。さっき逢さんが、『遺体を隠す』って言ったのを聞いて、霊の動機が分かったんだ。霊は、遺体を盗みたかったんじゃなくて、んだよ」

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