彼女が残した、村に関する存在しない記録

 しばらくして、四辻達を乗せた車はK支部に戻った。


 逢は目を覚ましたものの、まだぼんやりとしていた。

 四辻が「逢さん」と呼びかけても、虚ろな榛色の目が四辻を見上げるばかりで、返事はない。


 四辻はまた逢を抱きかかえると、運転手の中山にお礼を言ってから、あてがわれた部屋に戻った。

 逢をベッドに寝かせると、近くのテーブルにタブレッドを置いて捜査内容をまとめ始めた。



 しかし、捜査に集中しようとしても、昔のことが次々と思い起こされた。


 見鏡の共犯者になると約束した後、計画にはサンの姿が必要だから、逢の繭を解く力の封印を解いて欲しいと、照魔鏡を説得した。

 見鏡を介して話し合った結果、捕食対象の怪異の正体を突き止めて照魔鏡に報告した場合のみ、照魔鏡は繭を解く力の封印を解くと約束してくれた。


 委員会は常に封印が解かれた状態の四辻を手元に置きたいようだったが、照魔鏡の考えを変える事はできなかった。封印状態でも、四辻と回復した逢が成果を出したのもあって、ようやく諦めたようだ。


 逢に捜査官の経験はなかったが、研究部で培った技術は無駄にならず、四辻は逢の分析を頼りにするようになった。


 走り出しは順調に思えた。しかし——。


 逢はまだ、研究の記憶を捧げていない。


 研究の記憶を狙って思い出させる方法を、四辻はまだ見つけられていない。


 その他にも、照魔鏡に頼らず事態を解決する方法を探していたが、上手くいかなかった。


 上尸を駆除する方法や、記憶を思い出させる上尸を作る機関の研究に、四辻は虫を従わせる形で協力しているが、いずれも成果に乏しい。


 委員会が秘密裏に情報を操作しているのかと考えたが、研究は本当に進んでいなかった。


(アイは天才だったんだ。同じ天才は、もう二度と現れないだろう……)


 昔と比べて、照魔鏡の弱体化のせいか、逢は思い出す事が多くなった。

 逢が照魔鏡の加護をすり抜け過去を思い出す事を、四辻は発作と呼んだ。万が一全部を思い出す様なことがあれば、発作は高頻度で繰り返され、連続したイレイザーによる忘却でアイの精神は崩壊するかもしれない。


 賭けに乗ったというのに、四辻は自分が本当に正しい事をしているのか分からなくなっていた。


 だが、諦めた訳ではない。


 捜査官として地方に出向いた時、脳に影響を与える怪異を見つけたら密かに持ち帰って、上尸以外の怪異から拮抗薬が作れないか、試していた。


 怪異を特設寮の研究室に持ち込んだことは、特に咎められなかった。


 特設寮は、その為の施設だったからだ。

 怪異研究を行うのに適した隔絶された場所にあり、寮と呼ばれているものの、研究所や怪異の管理施設として使われている。

 かつて、四辻と逢もそこでサンと眷属になった。寮は何度も改修され、一部区域には立入り制限も設けられている為、建物自体が逢の記憶を呼び起こすことはない。


 今も四辻と逢はそこで管理されていて、任務を与えられた時以外は外に出られない。

 しかし物を取り寄せたり、派遣先から怪異を持ち帰って飼うくらいは見逃されていた。


 四辻は持ち帰った怪異がイレイザーを無効化できるのか、実験を行う時には自分自身を使った。封印さえ解ければ不老不死に近い体、さらには一度サンの姿になると頭の中の上尸を胃の中に収められる事に気付いたからだった。


 あらかじめ、イレイザーを打ち込む前に忘れる内容を紙に書いておいて、イレイザーを打ち込んだ後、怪異に能力を試させる方法で実験を行った。


 でもまだ、活路は見出せていない。

 紙に書いたのが自分の字だから、自分自身が書いたのだと分かるけど、書いたという実感は得られなかった。


 一度、実験を逢に見られたことがあった。

 四辻の実験内容をどこまで逢が覚えているのかは分からなかったが、逢がノートを書くようになったのは、それからだった。


 ノートは逢の心の支えになっているようだ。しかし、そんな経緯があるから、四辻としては複雑だった。


 そして、あのノートはとても厄介だった。


(あの朝の記述も、僕が切り取らなかったら、アイはまたノートを読んで発作を起こしていた)


 四辻は、逢のノートから切り取ったページに目を滑らせた。


(何のことなのか、僕には分からない。でも君は、『みとし村事象についての報告』に含まれていた項目のどれかを読んで、を思い出してこれを書き記した)


 思い出したのが本当の記憶だったから、逢はイレイザーの影響を受けた。照魔鏡は彼女の記憶を封印したが、安定せず、逢は桑原の屋敷にいた頃の記憶まで思い出してしまい、大きな発作が起こった。


 逢が大部分を思い出したため、照魔鏡の記憶封印効果は薄く、安定しなくなっている。これは重大な問題だ。

 しかし、捜査を進めるうえで、四辻を悩ませているのは、もう一つの記憶だった。


 ノートのページを片手に、四辻は『みとし村事象についての報告』に含まれる項目に目を滑らせた。


 囲という因習について。囲により発狂した村人について。みとし村の神の正体。おみとしさまの犠牲者について——。


 スキャナ取り込みされた古い資料も合わせて、1939年から現在までの村の調査記録が、機関のデータベースに保管されている。


 四辻は今回の調査の為、その全てに目を通して記憶していた。

 その時少し気になったのは、1942年から1945年の調査記録が、他の年と比べて明らかに少ないということだった。戦時下の為、調査どころではなかったのだと、四辻は考えていたが……。


(アイ。君が書いたこれは、本当の事なのかい? 『みとし村事象についての報告』に、このことは一言も載ってないよ。でも、もしこれが正しい記録なのだとしたら、機関は——)


 その時、四辻のスマホが鳴動した。


 画面には、「箱上はこがみあみ」の名前が表示されていた。

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