桑原珠月の回想⑥ 照魔鏡の力
見鏡は、「イレイザーの特徴を整理するわね」と言って話し始めた。
「イレイザーに使われている上尸は、命じられた記憶だけを消す優秀な式神。でも、記憶を取り除いている訳じゃなくて、思い出させないように蓋をするだけ。
取り憑かれた人が思い出そうとすると、上尸は記憶障害を起こして邪魔するって訳」
見鏡が話しているのは、イレイザーが完成していればの話だ。
アイが注射されたのは、調整が終わっていない粗悪品。広範囲な記憶障害と強い頭痛を起こす。あの頭痛は、調整が完璧ではない上尸が、記憶を隠す際に引き起こしてしまうらしい。
見鏡は「そして」と言葉を続けた。
「注射されると、上尸は脳に入り込んで絶対に体から出ない。でも、注射するときに命令しなければ、脳に入り込むだけで何もしないわ」
「『脳に入り込むだけ』か、物騒に聞こえるのは気のせいか?」
「そう? 上尸なんてどこにでもいるわよ。人間はみんな気付かない内に、上尸どころか中尸と下尸にも寄生されているんだから。今更増えたところで大した事ないわ」
「君が注射器を懐に入れていたのは、無害と考えていたからか……」
命令しなければ無害――彼女のように割り切れる人間は少ないんじゃないだろうか。記憶を消される可能性があるなら、原理を知っていてもあまり触りたくないものだろう。
この時はそう思っていた。
人間というものは不思議で、どんなものでも使い続ければ、それが普通になるらしい。イレイザーは初期の頃こそ、不具合が多くて問題視されていたが、改良を重ねるうちに誰も問題視しなくなった。そして今は、記憶を消す便利な薬として受け入れられている。
「ここまでで、何か聞いておきたい事はある?」
「イレイザーに使われた上尸を死滅させる薬、それか効果を打ち消す拮抗薬はないのか」
「残念だけど、あなたが昏睡状態になる前と変わらず、三尸を駆除する方法は見つかってないの」
「拮抗薬は?」
「アイさんも考えていたようだけど、そこまで手が回らなかったみたい。委員会は、とにかくイレイザーを完成させるように急かしていたから」
無理もないな、と思った。アイはイレイザー開発の他にも仕事を任せられていただろうし、それらと並行してサンの体を作り直す研究を進めていた。
委員会がイレイザーの完成を急かしたのは、アイの研究が成功しかけていたせいだ。
あの研究を潰す兵器を、よりによってアイに作らせるとは……。委員会は、つくづく気持ちの悪い考えをする人間の集まりだと思った。
「だからね、普通はイレイザーを使われたら絶対に記憶を取り戻せないのよ。上尸を駆除する薬も、無効化する薬もないんだから。それに上尸は脳の中から出て来ないから、本当にもう手の打ちようがない。でも……」
「『でも』照魔鏡なら、上尸を駆除できるということか?」
「それができるなら、よかったんだけど……無理よ。サンを宿したあなたにも、できないことでしょ?」
見鏡の言う通り、人の姿をしている時の僕の実力は、《結界が苦手という点を除けば》彼女と同じか少し下位だろう。
サンの姿になったところで、怪異を消滅させるには噛み砕くしかない。対象の怪異が、穢れにおかされていたら話は別だが、イレイザーの上尸はその条件を満たさない。
僕の力じゃ、アイは救えない……。
「でもね」と見鏡は言葉を続けた。
「照魔鏡様は、魔を照らす照魔の神様。だけど反対に、照らされない影を作る事もできるの。アイさんの力を封じて、サンが出て来ないようにしたのはその力。つまり、封印よ」
見鏡は次に、驚くべきことを口にした。
「照魔鏡様のお力で、アイさんの記憶を隠す。思い出を全部なかったことにして、嘘の記憶で塗り替えるの。
そうすれば、アイさんが思い出そうとする度に、それを邪魔する上尸が記憶障害を起こすことはなくなる。思い出す事はできないけど、強すぎる頭痛と意識障害のせいで寝たきりになってしまっている今の状況よりはマシなはずよ」
記憶は戻らない。だけど、放っておけばアイはこのまま衰弱死してしまうかもしれない。
色々な考えが頭の中に浮かんだけど、口にしたのは、
「照魔鏡にそんな事ができるなら、どうしてイレイザーが作られた?」
という疑問だった。
「言ったでしょ。照魔鏡様の力は弱まってるって。それに、照魔鏡様はこの力をあまり使いたがらない」
「どうして?」
「だって、本来の力とは正反対の力だもの。使えば使うだけ、魔を照らし正体を暴く本来の力が失われる。照魔鏡様が怪異の力を封印できることは委員会も知ってるけど、その力が記憶にまで及ぶとは知らないわ。
これは秘密の力なの。照魔鏡様と照魔鏡様に選ばれた巫覡だけが知る秘密」
「だったら、何で上尸の力を封印しないんだ?」
「イレイザーの上尸が強すぎるのよ。確実に記憶を封印する為、かなり能力が強化されてる。眷属になったばかりで力を使いこなせないアイさんと違って、弱体化した今の照魔鏡様じゃ、あの上尸は封じられない」
見鏡はそう言ったあと、
「作戦を提案をしたのは、照魔鏡様よ。ただでさえ弱体化しているのに、力を使うって宣言してくださった。そんな無茶をするほど、照魔鏡様はサンを怖がってるってことだけど」
と苦笑した。
「照魔鏡がサンを恐れていたとして、その力をアイの記憶を封印する為に使う理由は何だ?」
「それだけの利益があるからよ。照魔鏡様は、珠月さんの中にいる神を恐れてる。でも、今その恐ろしい神は、あなたに制御されている。
見つけ次第怪異を捕食するサンと違って、あなたには理性がある。
共犯者になってもらった後も、しばらくは機関に尽くしてもらうけど、怪異を食べるあなたにとって、この機関は最高の餌場でしょ? 機関の象徴や恩人を、考えなしに食い殺したりしないはずよね」
たしかに機関に居れば、何もしなくてもあらゆる怪異の情報が集まってくる。転生前のサンのように、飢えて死ぬことはないだろう。
「照魔鏡様にとって、今の状況はまだ許せるってところかしら。機関がサンを手放さないなら、あなたに助力するのが最適解って訳」
見鏡は得意げに笑った後、少しだけ言いにくそうにしながら人差し指を立てた。
「でも、『力を貸すには、一つ条件がある』とも仰ったわ」
「条件?」
「あなたを人に戻す為にアイさんが始めた研究。その記憶を照魔鏡様に献上すること。それが条件よ」
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