桑原珠月の回想④ 共犯の誘い
先代の巫女、見鏡の第一印象はハッキリ言うと最悪だった。
委員会の要望を伝えるだけ伝えた彼女は、仕事は終わったとばかりに正装を解いて本性を現した。そして、まだ気持ちの整理が付かない僕に向かって、機関への不満を盛大にぶちまけたんだ。
「信者を獲得したかったのは事実だけど、私も先代達も、怪異に脅かされない人間の幸せを願ったのは本当よ。私の神様は、そんな私達の願いを聞き入れて機関に協力してくださったの。
照魔鏡様は、今まで機関を助けてきた。それなのに、信仰が潰えかけてるってどういう事よ! 機関の主祭神なのに!」
「君達が力を持ちすぎるのは、機関を運営する委員会にとって都合が悪かったんだろ。愚痴を聞いて貰いたいなら他所を当たってくれ。そんな気分じゃないんだ」
見鏡は、あーともうーとも言えない呻き声を上げた。
「ごめん……。こういう時だけ委員会が助けを求めてくるもんだから、イライラしてて……」
八つ当たりか?
「でも、八つ当たりした訳じゃないのよ。立場上、委員会の要望を伝えない訳にいかなかったの。愚痴の方は……うん。珠月さんとアイさんが大変な事になってるのに配慮が足りなかった。本当にごめんなさい」
配慮が足りないのは最初からだろ、という不満を、僕は呑み込むことにした。
先程の、委員会の意志を伝える冷酷な口調の見鏡と異なり、砕けた調子で話す今の見鏡は本音で話しているのではないか、と僕は考え始めていた。
どうやら彼女は、僕とアイを神とその眷属ではなく——照魔鏡と自分のように機関に利用された同僚——と考えているようだった。
「私も照魔鏡様も、あなた達が人に戻る事を望んでいたのよ。信じてもらえるか分からないけど、先代達の時代から委員会にずっと進言してきた。
委員会がアイさんの研究を援助すると宣言した時は、心の底から喜んだわ。でも本当は、人に戻る可能性を潰す為にアイさんを利用していたのね……」
そうだ。機関は、唯一の方法を潰すことに成功した。アイの研究を援助するという体で、探りを入れていたんだ。
「僕達が人に戻る事を望んだ? ああ、照魔鏡の信者が年々減ってるからか。辟邪神や不滅の神として崇められた強力な神が守護神に迎えられたら、残り少ない信者も主祭神の座も奪われるかもしれないもんな。安心しなよ。君達はこのくだらない機関の象徴だ。主祭神の地位は絶対に揺らがないよ」
「そんな言い方って……いえ、そうよね。子供の頃から機関に洗脳されていたあなた達と違って、委員会のやり方を知っていた私達は、裏の方針に気付けたはずだもんね。本当に、ごめんなさい」
明治時代から秘匿されてきた機関だ。情報操作で身内に隠すのも得意だろう。それに、この頃既に祭神の巫覡の発言力は無いに等しかった。たとえ嘘に気付いたとしても、羽化を止められたとは思えない。
それでも、見鏡は深く頭を下げた。だから僕も、大人の対応をすることにした。
「信者や地位が目的じゃないなら、君達が羽化を止めたかった理由は何? 正直に答えてくれる?」
「道徳に反するから。だって、あまりに可哀想でしょ……。
それともう一つ。私達が、八脚の蚕蛾様を恐れていたから。だって、怪異を喰らう怪異だもの。本当に餌にしているのは、怪異が纏う穢れの方みたいだけどね」
そう言って、見鏡は近くの椅子に座って、僕にも椅子を勧めた。
彼女のペースで話が進められるのは嫌だったけど、僕はチャンスを逃したくなかった。
見鏡が僕に接触した本当の目的は別にあるようだが、彼女はさっきまで委員会の使者として僕に話しかけていた。まだ僕が知らない裏の情報を持っているかもしれないと、その時の僕は思った。
アイを一瞥すると、僕は見鏡と向き合うようにして椅子に座った。
「穢れを纏っていなくても、身の危険を感じるじゃない?」
待っていたとばかりに、見鏡は話を続けた。
「私の神は、あなたの中に溶けた神を恐れてる。先代から聞いた話だけど、あなた達が連れてこられた時から、照魔鏡様は怯えていたのよ。本当は、一刻も早く機関から出て行って欲しかったの」
怯える照魔鏡を宥め、守りたかったのか。
「でもそれが叶わなくなったから、照魔鏡様はアイさんに宿った神の力を封じてしまった」
アイは、僕の姿を切り替える役目を担った眷属だ。
「アイを封じる事で僕の、サンの姿を封じたのか」
「サン?」
「昔、不滅の神がそう名乗ったんだ。魂だけになって僕の体の中にいたから、どんな姿をしているのか分からなかったけど。今思えば、最初から
「そういえば、八脚の蚕蛾様って呼んだのは、普通の蚕蛾より脚が二本多かったから、らしいわね。脚が多いのは、神様の証拠って考えていたとか」
「八脚の蚕蛾は神様だから、【神虫】という美称もあった。先祖は不滅の神と呼んでいたけどね。桑原家の繁栄と養蚕業の発展を祈るのには縁起がいいと思ったんだろう。その不滅の神が転生した先の僕は、兄達に厄病神と呼ばれたけど」
「……えっと。と、とにかく、私の神はあなた達を恐れてアイさんを封じてしまった。つまり今のアイさんは、神に分けられた力を使いこなせていないのよ。使いこなせていれば、弱体化してしまった照魔鏡様の封印は簡単に跳ね除けられていたはずだから」
「つまり、何?」
「アイさんが力を使えないのは、イレイザーのせいだと思う。あの薬のせいで何も思い出せなくなってしまったから、アイさんはあなたの封印を解く以外の事はできなくなってる」
僕を人に戻そうとしたアイが、僕をサンに変える事だけはできるなんて、皮肉な話だ。
きっと巫女だった頃、僕に怪異を食べさせていた記憶を体が覚えているんだ。八脚の蚕蛾を飢えさせれば、僕らは生気を吸われて死んでしまうから。飢えさせないように、彼女の生存本能が力を使わせているんだろう。
「本題はここから」
見鏡がわざとらしく咳払いした。
「照魔鏡様なら、アイさんを助けられるかもしれない」
その言葉に、僕は思わず立ち上がり詰め寄った。
見鏡は「落ち着いて」と僕を宥め、話を続けた。
「イレイザーの対象になったのは、アイさんの研究。だけどイレイザーが開発中の粗悪品だったせいで、芋づる式にサンや珠月さんに関する記憶を全部忘れてしまった。
桑原家に迎えられる前の記憶は、あまりに辛い事があったのか、アイさんは眷属になる過程で忘れてしまったみたい。何十年も昔の子供の頃の記憶だし、無理もない話よね」
少しだけ安心した。辛い記憶ばかり残ったんじや、あまりに辛すぎるから……。
「今残っているのは生活に必要な知識と、科学者として培った知識と技術だけ。そのはず、なんだけど……」
見鏡は少し言い淀んで、
「イレイザーの効果が強すぎて、意識がはっきりしないみたい。ずっと寝たきりになってるの」
と苦しそうに続けた。
「それで。アイはどうやったら助けられる?」
「そのための、第三の選択肢よ。あなた達には、私と照魔鏡様の共犯者になってもらう」
見鏡はそう言って、懐から蓋の付いた注射器を取り出した。
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