桑原珠月の回想③ 祭神の巫女【見鏡】
目の前に現れたのは、二十代前半位の若い女性だった。長い黒髪を後ろで束ねており、頭には小さな丸鏡が付いた装飾品があった。身に纏った巫女装束の羽織の紋から、彼女が機関の祭神の巫女であると察した。
僕の視線を受けた彼女は、お辞儀をした後正体を明かした。
「ご明察でございます。私は照魔の神に仕える巫女。
胸騒ぎを覚えた僕は、すぐアイがどこにいるのか、彼女はどうなったのかを問い質した。
「やはり科学者達の見解は正しく、委員会に報告された通り、
見鏡は「こちらへ」と僕を同じ施設内の病室に連れて行った。
白い部屋でベッドに横たわり、虚空を見つめ続ける
それがアイだと、僕はとても信じられなかった。
見鏡から、イレイザーの開発中に起きた不幸な事故にアイは巻き込まれたと聞かされた。それが委員会の言い分らしい。
嘘だと直感した。委員会はイレイザーを使って、アイの記憶ごと研究を潰したんだ。
「お気付きかと思いますが、先程あなた様は、辟邪の神様、不滅の神様として羽化されました。しかし、容姿はお変わりありませんね。やはり八脚の蚕蛾様は、珠月様の能力に生存の活路を見出したようでございます」
僕はどんな顔をして見鏡の話を聞いていたんだろう。
頭の中は機関と委員会への憎悪で一杯だったのに、不思議と見鏡の話は理解できた。捜査官として培ったものが、無理やり僕に状況を整理させようとしていたのかもしれない。
「以前の御姿で転生しても、餌が少ない現代では生きられないと、八脚の蚕蛾様は理解されておりました。
願いに反応して、人に祀られた神であった頃の記憶を取り戻してから、暫くは様子を見ておられました。そして珠月様の機関での活躍を目にして、考えを固められました。怪異の正体を暴き捕らえる捜査官の珠月様なら、飢えとは無縁と判断されたのでございます。そのため膨大な時間をかけて、珠月様を神に作り変えてしまわれたのです。
一度は珠月様の体を使って、かつての姿を取り戻そうとしていた為、その御姿も珠月様の中にございます。今の珠月様は、謂わば八脚の蚕蛾の繭でございます。今の御姿では、思うまま辟邪の力を使う事は叶いませんが、八脚の蚕蛾の御姿であれば、かつての力を使い、悪鬼羅刹を滅ぼせると存じます。
八脚の蚕蛾様は、中から繭を壊して外に出たのでは、人の姿に戻ることはできないとお考えになりました。その為、外から繭を解き編み直す役目を担った眷属が必要になったのでございます。それが、アイ様でございます」
説明をする間も彼女の声には抑揚がなく、表情も変化に乏しかった。ただ淡々と、決められた台詞を話しているかのように見えた。
「八脚の蚕蛾様がアイ様を眷属にされたのは、御自身の記憶を呼び起こしたアイ様への恩返しであり、御自身を宿すことになった珠月様を思ってのことでございます」
僕は覚束ない足取りでベッドの傍に膝を付き、アイの手を握った。彼女の手は冷たく、ほとんど骨と皮だけになってしまっていた。
「アイ」と呼びかけると、彼女は虚ろな目で僕を見つめた。
「み、つきさま……?」
「アイ、一人にしてごめんね。僕が君の側にいれば、こんなことにならなかったのに……」
「あ、アアう、い、いたい、うぅ……」
苦しそうに呻いた後、アイは気を失ってしまった。
「ごめんね。全部僕のせいだ。僕が、君をこんなことに巻き込んでしまった……」
頭の中が真っ白になった。
僕はしばらくの間、アイの手を握り絞めて泣いていたように思う。
見鏡が控えめに口を開いて、ようやく僕は我に返った。
「アイ様の事は、本当に残念でございます。立場は違えどアイ様と私は、機関に尽くす霊能者として、分かり合える事も多かったように存じます」
それまで抑揚のなかった見鏡の声に、初めて変化が現れた。
「本当に、残念でございます」
それは憐憫に近いものに思えた。
見鏡の変化を見て少しだけ冷静さを取り戻した僕は、彼女を問い質した。
「あなたは、『珠月を機関の守護神になるよう説得しろ』と、委員会に命じられて来たのでは?」
「左様でございます」
隠そうともせず見鏡はそう言い放ち、指を三つ立てた。
「現在、珠月様に残された選択肢は三つ。一つ目は、機関に隷属してイレイザーの拮抗薬が開発されるのを待つ事。二つ目は、眷属であるアイ様を見捨て、機関を去る事。
珠月様が荒々しい神の姿に変じるには、切り替えの役目を担ったアイ様のような眷属が必要でございます。ですが、一つ目の選択肢についてはご心配なく。今の状態でもアイ様は、珠月様を八脚の蚕蛾の姿に変じさせることが可能と推測されています。
しかし二つ目を選ばれる際は、新たに眷属に迎える人間をよく吟味することをお勧め致します」
僕は深呼吸して怒りを鎮めた。冷静にならなければ、正しい判断はできない。
とはいえ、どちらも頭が痛くなるような選択肢だった。
二つ目は論外だとして、一つ目を選んだ場合、イレイザーの拮抗薬が完成するまでアイの体力がもつか分からない。それに、委員会がアイの記憶を素直に戻してくれるとは思えなかった。
委員会が僕を羽化させたのは、人の心を持つ不滅の神なら、簡単に従えられると思ったからだろう。アイは僕に言う事を聞かせる為の人質だ。簡単に手放すとは思えない。
その時、見鏡が小さく笑った。
「どちらもお気に召さないようご様子。私としても、最初の二つは却下される事をお勧め致します」
「三つ目を選べ、ということか?」
「左様でございます。珠月様とアイ様にとっても、悪い話ではございません」
見鏡はそう言って僕の隣に立ち、呻いた時に乱れたアイの前髪を優しく整えた。
「先ほど申し上げましたように、アイ様と私は、分かり合える事も多かったように存じます。
機関に所属する霊能者の多くは、人の幸福を願いながら、仕える神の正体を暴くような機関の行いに不満を抱いております。
私もまた、この国に住む人間の為に、機関に尽くして参りました。我が神、照魔鏡様が怪異の正体を照らし暴く照魔の神様だったのも幸いし、今まで感じた矛盾と不満を胸に仕舞い、蓋をしてこれたのでございます」
見鏡は表情を曇らせ、次の言葉を続けた。
「我が神のお力は、明治以降緩やかに衰えてしまわれました」
そんな事か、と僕は内心溜息を吐いた。彼女の『分かり合える』とは、機関に期待を裏切られて不満を感じている、その一点だけだ。
「力が衰えるのは当然だ。僕達を見れば分かるだろう? 機関の科学者と委員会は神を道具としか思ってない。祭神への信仰心が足りず、照魔鏡は飢えているんだよ。
そして怪異が秘匿されるようになったから、怪異を恐れお前達に救いを求める人間は消えた。
照魔の神を迎え機関を築いたとは聞いていたけど、まさか巫女の口からそんな愚痴が零れるとは思わなかったな。大方、機関がここまで成果を出すとは思わず、信者獲得を狙って協力したが抜け出せなくなったんだろう。君の先祖は思慮に欠けた選択をしたと言わざるを得ない」
「……ご明察でございます」
見鏡は苦笑した。
「しかし、照魔鏡様を崇め、その名を借りて育った機関だからこそ、照魔鏡様は今も御加護を授け続けておられるのでございます。それにもかかわらず、感謝の一つもないというのは、あんまりでございましょう。
かつては怪異の正体を見破り、変化すら解いてしまわれたというのに、今では、捜査官の皆様が導き出した怪異の正体が、本当に正しい物かどうかを判定するだけの鏡になってしまわれたのです」
見鏡は「あーあ」と溜息を吐いた。そして、後ろで束ねていた髪結いを解くと、頭の飾りを外して近くの棚に置いた。
化けの皮が剥がれた。不思議とその言葉が頭に浮かんだが、その直感は当たっていた。
見鏡は、僕の予想とは全く異なる本性を現した。
「全部当たってるけどぉ。そこまでグサグサ言わなくて良くない!? 機関に不満を持つ者同士、一緒に一矢報いてやろうって誘ってるのにさぁ!」
素を出した見鏡を見た時、やはり怪異が本性を現した時のそれに似ていると思った。
彼女は、僕が思っていたような機関に尽くす冷酷な巫女ではなかった。機関の中枢に置いておくには性格に難があるのでは? とも思えたが……。
しかし、後に現在の祭神の覡の師となるこの巫女、見鏡との出会いは、絶望の淵に立たされていた僕とアイの運命を好転させた。
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