桑原珠月の回想①
僕の故郷には、守り神がいた。
傷を負う度、幼虫からやり直して綺麗な姿で羽化する八脚の蚕蛾を見て、ご先祖様は彼の神を、不滅の神と呼び崇めていた。
機関の暗躍で怪異の数が減ってから、
僕が生まれる、ほんの少し前の出来事だったらしい。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
あの頃の年号は、大正だっただろうか。
僕は明治時代から続く蚕種業で栄えた桑原家の、三男として生まれた。両親は「まるでお月様のように綺麗な子」だと喜んで、僕に
だけど僕の人生は、空に浮かぶ美しい月とは正反対の、這虫のような惨めな物だった。
僕は生まれつき体が弱く、医者には成人するまで生きられないと言われていた。
産声を上げる事もできずに生まれ、心臓は一歳を迎える前に何度も止まった。盲目なうえ、食が細く、自力で床から起き上がる事もできなかった。常に誰かに身の回りの世話をしてもらわないと生きられないから、桑原家に奉公をしてくれていた人達の手を煩わせてばかりだった。
その代わりなのか、僕の耳は屋敷に住む誰もが気付かない気配をはっきりと感じ取っていた。
僕の傍には常にサンが居た。
サンは、自分が何者かすら忘れてしまったか弱い生き物のようで、僕が触れられるような実体すら持っていなかった。
僕の周りにはサンを慕う不思議な生き物たちがいて、彼等はサンと僕の遊び相手をして、文字の読み書きを教え、遠く離れた場所の事を教えてくれた。
七つ歳を取る頃、僕は彼等に力を借りて、僕を助けてくれる皆の役に立ちたいと思い立った。
でも、上手くいかなかった……。
誰も知らない事を知り、サンや不思議な生き物と言葉を交わす僕の事を、屋敷の人間達は気味悪がった。
きっと気が触れてしまったのだと母は嗚咽して、父は僕を腫れ物のように扱った。それまで桑原家に尽くしてくれていた人達でさえ、僕を恐れて逃げ出すようになってしまった。
兄達から『厄病神』と罵られるようになった頃、僕の居場所は庭の隅に建つ離れになった。
父はそんな僕を憐れんで、僕の世話をさせる為だけに、同じ年頃の女の子をどこからか連れて来た。
アイと名乗った彼女は、文句の一つも言わず、寂しい離れに寝泊まりして僕が生きる手伝いをしてくれた。
最初は、申し訳ないと思っていた。
でも僕から逃げない彼女の存在は、いつしか僕の心の支えになった。
ある日、彼女が僕を助けてくれる理由がどうしても気になって、思い切って聞いてみた。
アイは戸惑いながら——自分には見えないはずの物が見えてしまって、不気味がられてここに売られて来たのだと教えてくれた。満足にごはんが食べられて、雨風が凌げる離れでの生活は、想像したこともないほど幸福だと泣いていた。
見えない物を感じてしまう孤独は、痛い程よく分かった。
どうにか彼女の助けになれないかと思ったけれど、僕にできるのは、読み書きを教えることぐらいだった。彼女はとても聡明で、ひと月も経てば手助けも要らず本が読めるようになっていた。
アイとの暮らしは、僕にとっても幸福な日々だった。
今まで誰にも相手にされなかった不思議な話を、彼女は受け入れてくれた。
僕の周りの不思議な生き物達とも、アイは友達になってくれた。
でも彼女は、サンを見る事だけはできないようだった。けれど僕を不気味がらず、僕が話すサンの話を楽しそうに聞いてくれた。
だからだろうか……。僕は彼女と未来を生きたいと、叶うはずもない願いを抱き始めていた。
一年経つと、アイは屋敷の人達にも受け入れられるようになっていた。
そうなるように、僕が望んで周りの生き物達に手引きをさせた。
僕という存在は、彼女の枷にしかならないと分かっていたから……。
離れの外から聞こえてくる楽しそうな声を聞いて、彼女の明るい未来を想像して、僕は安心していた。寂しい気持ちはあったけれど、彼女には幸せになってほしかった。
その頃の僕は、体の端が腐り始めて、虫がたかるようになっていた。
父も母も、兄達も、皆僕を最初からいない子供だと思い込むことにしたらしい。離れには誰も訪ねて来なくなった。
だけど、アイだけは違った。
動けない僕を抱きかかえて、開く力もない口に粥を流し込んでくれた。
屍の匂いを纏う僕に『生きてください。ずっと一緒にいてください』と、毎日泣きながら懇願した。
彼女の願いに応えたくて、僕は初めて神に祈った。
「死にたくない。アイとずっと一緒にいたい」って。
照魔機関の科学者が桑原家に来たのは、そんな時だった。
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