粗悪品

【日暮逢 退出後 取調室にて】


「神無捜査官、いくらイレイザーで処理するといっても、あまり機関のことを話されるのはどうかと思います」


 逢を部屋から出した四辻が振り向くと、情報部の担当者が困ったような表情を浮かべていた。彼はまだ両手で橋爪を取り押さえていた。


 四辻は内心舌打ちした。


「あなた方情報部が、機関と怪異の秘匿処理を仕事にしているのは分かっています。怪異が今より力を増してしまわないようにするには、それが必要だということも……。ですが、僕は思うんです。秘匿は、人の記憶を消してまで行うことなのかと」


「……さっきのは当て付けですか?」

「そう思いたければ、どうぞご勝手に」


「神無捜査官は誤解されています。たしかにでした。社会復帰も困難になったケースもありました。


 しかし、今は違います。改良されたイレイザーが狙う記憶の精度は上がり、副作用も対象の記憶を思い出そうとすると頭に霧がかかるような感覚がある程度です。投与される人間の負担は軽減したんです」


 援護するように、もう一人の情報部職員が口を開いた。


「この薬は秘匿の為にも使われますが、今彼に使ったように、対象者を守る為にも使えるんです。彼の錯乱の原因は、怪異の意志に触れたことを思い出した為に起こりました。でも次に目を覚ませば、それを忘れて正気を取り戻していることでしょう」


「彼は被害者を山に埋め、遺体は悲劇的にも野生動物に食い荒らされてバラバラになってしまった。そのように終わらせた方が、平和に解決できると思いませんか?」


 四辻は溜息を吐いた。


 そもそも、論点が違うのだ。

 クワバラの秘密を守るためにも、真実を話す訳にはいかない。


「……申し訳ございませんでした。捜査官の僕が口を出す事じゃありませんでしたね。後のことはお任せします」


 これが情報部の正しい姿勢だと、頭では理解しているが、受け入れるのは難しかった。


 仮面のような微笑を貼り付けると、四辻は深く頭を下げて部屋を出た。


 部屋の外では、逢がノートを広げたまま佇んでいた。


 四辻は同じ作り笑いを貼り付けたまま、逢に話しかけた。


「さっきはごめんね。橋爪さんが暴れると危ないから、逢さんには先に外に出てもらったんだ。気を悪くしないでね」


 四辻の顔を見上げた逢は、酷く困惑した様子でノートを見せた。


 ♢♢♢♢♢♢♢♢

 ≪イレイザーのせいだ。思い出そうとすると気分が悪くなる≫


 ≪この頭痛は、開発中の粗悪品を注射されたせいだ≫


 ≪機関はあたしの研究を潰して珠月様を利用している≫


 ≪思い出せ、珠月様からサンを引き離す方法≫


 ≪そのためには、あの報告書が邪魔だ≫


 ≪神無四辻事象。あの虚偽のレポートで隠されている≫


 ≪思い出す程遠ざかる≫

 ♢♢♢♢♢♢♢♢


 四辻の顔から笑みが剥がれ落ちた。


「逢さん、これは……」


「あたしの字です。だから、たぶん……あたしが書いたんです。でも、何の事なのかわからなくて……。思い出そうとすると頭が痛くなるんです。でも、でも……忘れちゃいけないことだったはずなんです。痛い、いたい、いたぃ」


 逢の頬を涙が伝った。


「≪ごめんなさい。ごめんなさい。あたしは、あなたを助けたくて……人間に戻したかっただけなのに……。こんな事になってしまって、ごめんなさい≫」

 虚ろな榛色の目が、四辻を見つめた。

「≪珠月様……≫」


 逢の体がぐらっと傾いた。


 床に倒れる寸前、四辻は逢を抱き留めた。

 腕に抱えた逢は、痛みで気を失って完全に脱力していた。


「ごめんね。アイ……」


 両手で強く抱きしめた後、四辻は逢の手からノートを抜き取った。

 そして——。


 イレイザーと珠月に関する記述をぐちゃぐちゃにペンで塗り潰した。



「同席させるべきじゃなかった。彼等がイレイザーを使用するのは、分かっていたことだったのに」

 冷静さを欠いていた。後悔しても遅いけれど……。

 四辻は深呼吸すると、立ち上がった。


 この事件において、自分達がやるべきことは全て終えた。そう判断した四辻は、逢に上着を被せて抱きかかえると車に戻った。

 運転手は逢を抱きかかえて現れた四辻に怪訝な目を向けたが、特に言及する事もなく車を発進させた。


 後部座席で揺られながら、四辻は視線を隣に向けた。

 気を失った逢の横顔は、数十年前から変わらず、時が止まったままだ。


 そして自分自身も、一向に歳を取る気配がない。


 四辻は後悔していた。自分自身の運命に、彼女を巻き込んでしまったことを。


 逢の言葉が頭から離れない。

『あたしは、あなたを助けたくて……人間に戻したかっただけなのに……』


 逢の言葉は、四辻がまだ珠月と名乗っていた遠い昔の記憶を呼び起こした。

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