イレイザー
【10月15日12時40分 六敷商事エントランス】
エントランスまで戻ると、四辻は横目で逢を観察した。
逢から僅かに祭神の気配がする。
(封印された、か。常に解かれていれば、と思ってしまうけど。あの薬のせいで負担にしかならないから、この方が安全か)
逢は視線に気づかず、
「中に入ってから、あまり時間が経ってませんね」
と、 時計を見て首を傾げた。
「彼が作り出した異界は、時間の流れが緩やかだったようだね」
四辻はそう言って、よくあることだよ、と笑った。
「いくつかわからない事があります」
「何?」
「どうして橋爪さんだけが泥まみれになったんでしょうか。それに、足を洗う事と犯人逮捕の関連って何だったんですか?」
「たぶん『横領という犯罪から足を洗う為に、殺人をして手を汚した奴がいるって』洒落の効いた告発だったんじゃないかな」
「えぇ……」
「足立さんらしいです」
二人が振り向くと、夏目が深く頭を下げた。
「ありがとうございました。橋爪さんのことは許せませんが、足立さんが満足そうに消えていったのを見て、少し心が晴れました。きっと足立さんは、私に不正を見つけて欲しかったんだと思います。でも、できなかった……。
神無さんと日暮さんが不正を暴いてくれたから、足立さんは未練が晴れて、成仏してくれたんだと思います。本当に、ありがとうございました」
「大切な人を思う強い気持ちは、故人に安らぎをもたらすそうです。あなたの祈りは、きっと足立さんの魂を救うでしょう」
「はいっ……」
四辻の言葉に夏目はくぐもった声で答えた。顔を上げた彼女は、涙に濡れて赤くなった目を押さえていた。
何度も頭を下げる夏目に見送られながら、二人はエントランスを出た。
「足立さんが成仏できてよかったですが、四辻さんはよかったんですか?」
逢がそう聞くと、四辻は苦笑いした。
「今はまだ、リスクが大きいって言ったじゃないか。それに彼は、怒りから穢れを取り込んで妖怪変化の類になりかけていたけど、最後は穢れを手放して自分自身を取り戻した。だから僕が出る幕はなかったんだよ。お腹はちょっと空いてるけどね」
「≪羽化しても
四辻は足を止めた。逢の様子を窺うと、彼女は片手で頭を押さえていた。
「あたし、今何か変なこと言いませんでした?」
「……何も。でも、早く問題を解決して、寮に戻りたいね」
「まだ先は長そうですけどね。橋爪さんは、さっき『遺体を山に埋めた』と言いました。とても遺体損壊を指示する共犯者がいたように聞こえませんし、調べるのはこれからですが、多重人格障害を患っている可能性も低いように思います」
「となると、やっぱり足立さんの霊が自分の遺体を発見させる為に移動させたと考えていいのかな」
「もしそうだとしたら、足立さんの遺体をバラバラにさせたのは、一体何の意志なんですか? やっぱり、おみとし様とその使いでしょうか……」
「答えを出す前に、まずは本当に埋めたのかどうか、話を聞いてみようじゃないか」
「神無捜査官! 日暮捜査官!」
声を張り上げて杉浦がやってきた。
「怪異が依り代にしていた左足の回収が終わりました。それにしても、まさか怪異を使って殺人犯を炙り出すとは……」
「偶然そうなってしまいましたが、大足の怪異を除霊するには、この方法しかなかったんです」
「疑っていた訳じゃありませんが、無事に解決できてよかったですよ」
杉浦は苦笑いすると、「では、後の事は任せてください」と言葉を続けた。
「情報部から怪異と神隠しを体験した社員に、イレイザーを使用するよう指示がありました。既に二人には実施しましたが、残りの社員はまだエントランス内ですか?」
イレイザーと聞いた逢が頭を押さえるのを見て、四辻は素早く報告を済ませた。
「はい。大足の事象を目撃した社員は全員、エントランス内に留まってもらっています」
「了解しました。メディアやSNSの方も、情報部が対策済だそうです。お疲れ様でした」
「ご協力ありがとうございました。では、僕達は取り調べに向かいます」
「杉浦さん、ありがとうござい——わっ」
四辻に引っ張られるようにして逢は歩き出した。
人混みを抜け、現場から離れた駐車場まで行くと、四辻はようやく逢の手首から手を放した。
「……何ですか」
逢は痺れる手首をプラプラと揺らしながら、恨めしそうに四辻を見上げ、息を呑んだ。
いつも優美な雰囲気を纏う彼が、今は暗い影のような、触れるのを躊躇うような憂いを帯びている。
「四辻さん……大丈夫ですか?」
逢の呼びかけに、四辻は力なく微笑んだ。
「僕は大丈夫。でも、悲しいよね。せっかく足立さんとお別れができたのに、夏目さん、さっきのこと忘れちゃうんだよ……」
「……悲しいとは思います。でもあの場合はイレイザーを使用しないと、怪異を秘匿できな――」
突然、逢は苦しそうに頭を押さえた。
「怪異から多くの人を救うには、必要な事だと割り切るしかないじゃないですか。……だって、≪あれはその為に、作らされたんですから≫」
四辻は虚ろな逢の目を見つめた。
「知ってるよ、アイ。だから僕はイレイザーが嫌いなんだ。機関にとって不都合な事は全部、それで消されてしまうから」
目に光が戻った逢は、自分を見つめる四辻を不思議そうに眺めた。さっきの会話は、何も覚えていないようだった。
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