異界内部

【10月15日 異界内部】


「四辻さんの予想通り、現れたのは大足の怪異でしたね」

 逢はタブレッドを操作して、あらかじめダウンロードしておいたレポートを表示した。


 ♢♢♢♢♢♢♢♢


【大足】


『本所七不思議 足洗邸』で知られるこの怪異は、天井を突き破って現れる。

 足洗邸に類話があるように、怪異の正体は一つではないが、対処方法は常に足を洗うことである。


 ♢♢♢♢♢♢♢♢


 その他、機関が記録した大足についての調査・捜査内容が書かれたレポートの要約に目を通した後、逢は四辻にタブレッドを向けた。


「この大足に類似した怪異は、機関でも複数体記録されています。怪異の正体はその時によって異なるようですが、この個体は——」


 四辻がそっと口の前で人差し指を立てるのを見て、逢は口を閉じた。

 足立の名前を出すな、ということらしい。


「すみません」と、近くにいた社員が寄ってきた「外はどうなっているかわかりますか? 近くのマンションに妻と子供がいるんです。避難できたかわかりませんか!?」


「どういう意味でしょうか?」

 四辻が首を傾げると、社員は四辻の肩を掴んだ。


「どういう意味って……何をとぼけた事言ってるんですか! あの巨人にマンションが潰されてないか教えてくださいよ!」

 その様子に、周りからも不安の声が上がり始める。

「こんな巨人が街の中に現われたんじゃ、街中、いや日本中がパニックだろうな」


 周りの反応を見て、ようやく四辻は納得した。


「皆さん、どうか落ち着いて聞いてください。あの大足には、ふくらはぎから上はありません」


 どよめきの中、四辻は説明を続けた。


「大足の正体は、その時によって変わります。持て成しを求める山の神であったり、狸であったりするようですが、この度のこれは、そのどちらでもありません。そして襲われたのは、この部屋にいる皆さんだけです」


「あたし達は外の様子を見てここに来ましたが、あの怪異に踏み壊されたのはこの部屋の天井だけです。証拠の動画もあります。このビルの騒ぎは、外ではガス漏れと報道されています」


 逢があらかじめ保存しておいた、野次馬がSNSに上げた動画を見せると、そこに映り込んだマンションの無事を確認した社員は、僅かに落ち着きを取り戻した。


「何で俺達だけ……」

「あんたらさっき、助けに来たって言ってたよな? 早くあの化物、何とかしてくれよ!」


「お待ちを。僕達は実力行使であれを取り除くとは、一言も申し上げておりません」

「除霊には、皆さんの協力が必要です。どうか力を貸してください」


「何だよそれ! ふざけんな!」

 一人が癇癪を起したように椅子を振り上げ、窓を叩き割ろうとした。


 そのとき、大足が足を踏み鳴らした。

 オフィスは激しい揺れに襲われ、そこら中から悲鳴が上がった。


「おっと。これはいけない」


 四辻が数枚の札を大足に向かって投げつけた。札は空中で糸のように解け、縄のように大足に絡みついた。


 揺れが収まった後、複数のデスクを縫うように通された縄と、その先に続く縛られた大足を見た全員は、期待と畏怖の眼差しを四辻に向けた。


「所詮は時間稼ぎです。このまま放置すれば、泥はこの部屋どころか建物全体を満たしてしまいます。ご協力お願いします」


 今度は、みんな静かに頷いた。


「怪異の出現には、必ず理由があります。当然、このビルに現れたあの大足にも、何か訳があるのでしょう。たとえば——死者の未練がそうさせた、とか」


『未練』と口にしたとき、あからさまに動揺した三人を、四辻は見逃さなかった。


 目を逸らした三人——総務経理の川尻、夏目、橋爪——を真っすぐに見た四辻は、

「心当たりがあるようですね?」

 と、三人に問いかけた。


「はぁ? ある訳ないでしょ!」

 川尻が怒鳴り声を上げた。


「冗談はよしてくれ」

 橋爪は溜息を吐いた。


 夏目は何も言わず、下を向いた。


「理由が知りたいなら、あの足に聞いてみたらいいじゃないの」

 そう言って、川尻が挑発的に笑った。しかし、


「おや。あの足は何か喋ったんでしょうか?」


 そう聞く四辻の美貌に見惚れてしまい、川尻の挑発的な姿勢は崩れた。

「あ……足を洗えと一言」

 下を向いて、彼女は小さな声で答えた。


「足を洗え、ですか……」四辻は三人を観察するように見た後、フッと笑った。


「なるほど。やっぱり足を洗うしかないようですね」


 四辻と逢はリュックを下ろし、中に入っていた白い雑巾と2Lの水が入ったペットボトル、折り畳み式バケツを取り出すと、部屋にいる全員を集めた。


 雑巾を配り終えた逢は、社員の様子を観察していた四辻を捕まえて小声で話しかけた。


「想定通りの展開ですね。雑巾の枚数もピッタリでした。あとは、大足の怪異になってしまった足立さんが、足を洗い終えるまで大人しくしていてくれたらいいんですが……」


「本当にね。もし少しでも身じろぎされたら、僕の出した縄が何の意味もないってバレてしまう」

「……え?」


「あんな細い縄じゃ、大足は封じられないよ。簡単に引き千切られてしまう」


「でも、さっき止まってくれたじゃないですか!」

「あれは大足になった足立さんが止まってくれただけだよ。僕達が足を洗わせに来たんだって、認識していたようだからね」


「怪異が空気を読んだってことですか!? それじゃあ、もし足立さんが考えを改めたら?」


「僕達含めた全員が踏みつぶされる。それか泥に埋もれる。その前に、僕が取り除いてしまってもいいんだけど……」

 四辻はジッと逢を見つめた。

「できればやりたくない。今は、リスクが大きすぎる」


「そんな……」

「落ち着いて。僕達がしくじらなければいいだけだから。とにかく、足立さんがじっとしているうちに、足立さんを殺した犯人を捕まえよう。それでこの事象は解決する」


「さっきは犯人を警戒させない為に、名前を伏せたんですね。足を洗う事と犯人を捕まえる事の関連が、いまいち見えてこないんですが……わかりました」


 逢はリュックから検死の報告書を取り出すと、ある情報を確認し直した。それから四辻に視線を戻し、


「任せてください」


 と、力強く答えた。

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