■■の巫女 ②

  逢が自分の隣に移動してくるのを見た四辻は、コーヒーを注ぐとテーブルの上に置いた。


「頭痛はどう?」

「もう大丈夫です。ありがとうございます、■■様」 


 四辻はコーヒーカップに伸ばした手を止めた。

 

 逢は揺れる琥珀色の目を見て、首を傾げた。


「あれ? 今あたし何て……。すみません。さっきお屋敷にいた頃の夢を見たせいで、混乱してしまって——」 


 『お屋敷にいた頃の夢』自分がなぜそう口にしたのか、逢には分からなかった。しかし、夢の内容を伝えようとして口を開いた瞬間、頭の中で何かがゴトリと動いたような気がした。途端に酷い頭痛に襲われ、逢は頭を押さえて蹲った。


 四辻はマグカップを机の上に置くと、逢の肩に手を置いて、支えるようにして様子を窺った。ほどなくして顔を上げた逢は、不思議そうな顔をして四辻の顔を見つめた。


「おはようございます?」

「……おはよう、逢さん。屋敷に居た頃の夢を見たって聞いたけど、何か思い出せたのかな」


「あたしが?」 

 思い出そうとした逢は、頭痛を感じてこめかみを押さえた。


 その様子を見て、四辻は目を伏せた。


「変な事を聞いてごめんね。それより、どうしよう。コーヒーはやめて、ハーブティーを淹れ直そうか。カモミールとか、レモンバームには、リラックス効果があるらしいよ。少しはその頭痛にも効くかもしれない」


「コーヒー? あ、四辻さんコーヒー淹れてくださったんですね。いただきます」


「逢さん。また記憶が」 

 消えた、と言いかけて、四辻は思い直し、「熱いから気を付けてね」とカップを逢に手渡した。


 カップを口に運び、逢は顔を綻ばせた。


「美味しいです。頭の中がスッキリしてきました」

「気に入ってもらえてよかった。小規模な農園で作ってるらしくて、あまり流通してないんだって」


「えぇっ。そんな希少なコーヒー、貰っちゃってよかったんですか!?」

「だって、独り占めするのも気が引けるし。話したら、興味を持ってくれたから」


 逢は四辻の横顔を見つめた。彼は嬉しそうに笑っているが、どうして今自分が彼とコーヒーを飲んでいるのか、逢は思い出せなくなっていた。


「すみません、四辻さん。あたし、また記憶が飛んだみたいで……」


 きっかけは何だったのか、逢は自分の過去を思い出せなくなった。それどころか、現在の記憶も満足に構築できないようになっていた。検査の結果、彼女が所属する機関は、記憶障害の原因は不明であり治療困難と説明した。


「記憶が飛ぶ前のあたしが、コーヒーを強請ったんじゃないかと不安になりました。四辻さんにご迷惑をかけてないといいんですが……」


「大丈夫だよ。誘ったのは僕だったから。だからそんな、この世の終わりみたいな顔しなくても……」 

 四辻は苦笑した。

「本当に気にしなくていいんだよ。困った時に助け合ってこそのバディじゃないか」


 その言葉通り、逢が記憶を失くして心細い時、傍にはいつも四辻がいた。いつから一緒にいるのか、どうして自分を気遣ってくれるのかも、逢には思い出せない。しかし逢は、四辻を信頼していた。故に、彼に負い目を感じていた。


 ドアがノックされ、施設係が顔を出した。


「失礼します。巫女様」 

 部屋の中に四辻の姿を見つけた施設係は、その場で深く頭を下げた。

「ご一緒でしたか」


「おはよう。何かあったのかな?」

 四辻が聞くと、施設係は頭を下げたまま報告をした。

「二十分後、お迎えのヘリコプターが到着します」

「もうそんな時間か。教えてくれてありがとう。悪いけど、後でここの片づけを頼んでもいいかな」


 施設係は少しだけ顔を上げて机の上のコーヒーセットを見ると、

「承知致しました」

 そう言って部屋を出て行った。


 部屋の外からは、ペタペタと遠ざかる施設係の足音が聞こえてくる。その足音は次第に、ガサガサバタバタという異音に変わっていった。

 異様な現象だが、この施設には彼女のような異質な施設係が他にも勤務していた為、逢と四辻が気に留めることはなかった。


「迎えって? 今日、何かありましたっけ?」

「早朝、K支部への派遣が決まったんだよ。出発まで暇だから、君をコーヒーに誘ったんだ」

 

 二人は顔を見合わせた後、名残惜しそうにマグカップを空にした。


「美味しかったです」

「よかった。仕事が片付いたらまた淹れるよ」


 四辻はマグカップを置いて立ち上がった。


「また後でね」


 ドアに向かって歩き始めた四辻の後ろ姿に、逢は何かを思い出しそうな気がした。

 遠い昔、どこかわからない屋敷の奥、その襖の向こうで、彼女は彼を見た。逃げ出したいほど恐ろしいような、胸が張り裂けそうなほど悲しいような、忘れてはいけない光景。


 それは、自分自身の運命を決めた瞬間だったはずだ。


「逢さん?」


 四辻に呼びかけられ、逢は我に返り頭を押さえた。

 また頭痛が戻ってきた。

 痛みに気を取られた一瞬で、何か大事なものを忘れたような気がしたが、何を思い出そうとしたのかも、わからなくなっていた。


「本当に大丈夫?」

「はい。平気です。いつものことなので」


 逢は微笑んで、不安げな顔をする四辻を送り出した。しかし部屋に誰もいなくなると、逢は両手で顔を覆ってしゃがみ込んだ。


「……記憶障害を抱えた捜査官なんて、使い物にならないでしょ」


 それでも機関は、逢に捜査官を続けるよう要請した。四辻が、逢以外と組まないからだ。


「四辻さん。どうして、あたしを見捨ててくれないんですか。あたしは、何も思い出せないのに……」


 忘れてしまった何かを思い出そうとすると、いつも酷い頭痛が走る。その後は直前の記憶が欠落していたり、反対に過去の記憶が混在したりする。


 なぜこうなったのかは、やはり思い出せない。だけど一つ確かなのは、この痛みの中に、忘れてしまった大切な何かが隠されているということだった。



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 【■■■■ 事象】


 ■■■が初めて■■を確認した時、■■■は、守り神の■護が及ばぬ■■顕現し、■■を食らっ■■■。その■■たるや■■■く、中■■■は朝に■■、■に■■百の■■■■を飲■■していた■■■される。

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