第6話 焔の記憶

「ミナトじゃない……秋月種文。」

 その名が、静かな夜の空気を切り裂いた。

 焚火の揺れる光が、二人の間に微かな影を落とす。

 ミナトは無言で絢香を見つめていた。その視線は鋭く冷たいが、その奥に一瞬だけ動揺がよぎる。彼女の目には揺るぎない信念が宿っていた。

「久しぶりね。ここまで隠し通せる人間はそういないわ。」

 絢香の言葉には皮肉が混じっていたが、その奥には懐かしさが滲んでいた。

「あなたに会いに来たのよ。」

 絢香の口調は穏やかだが、その視線は真剣そのものだった。

「俺にできることなんて何もない。」

 冷たい声でミナトが答える。「レジスタンスか? 財団の命令か?それとも、協会として、国の秩序の為か?」ミナトが冷笑を浮かべると、絢香は首を横に振った。

「違うわ。私はあなた自身に会いに来たの。」

 ミナトは焚火に視線を落とし、短く鼻を鳴らす。

「俺に会って何になる。俺はもう戦うことも、誰かを救うこともできない。そういう人間だ。」

 絢香は一歩前に進み、焚火を挟んでミナトに向き合った。

「それでも、あの子を助けたじゃない。」

「涼のことか。」

 ミナトが焚火を見つめたまま呟く。「放っておけば死んでいただけだ。それ以上でも以下でもない。」

 絢香は目を細める。彼の言葉は冷たいが、そこに込められた微かな温もりを見逃さなかった。

「本当にそれだけかしら?」

 絢香は焚火の前に腰を下ろし、静かに言葉を紡ぎ始める。

「覚えてる?昭南の戦い……特戦局が何の価値もない駒として捨てられたあの日を。」

 ミナトは無言のまま目を閉じ、焚火の光が彼の横顔を照らす。やがて重い声で答えた。

「あの日、俺たちは戦うための兵器にされた。指揮系統も途絶え、仲間が次々と倒れていった中で、俺は霞切を限界まで引き出して……。」

 彼の声が震えたように途切れる。

「霞切が覚醒した瞬間、敵も味方も関係なく、戦場が焼け野原になった。それがなければ、俺は生き残れなかった。」

 絢香が小さく頷く。「でも、それが特戦局の終わりの始まりだった。」


 熱帯の湿気が重く纏わりつく昭南市街。崩れかけたビルの中をミナトは、霞切を操り駆け抜けていた。彼の魔力に反応して荒れ狂うように動き、周囲の敵影を薙ぎ払っていく。

 通信機から響く仲間の声は混乱していた。

『増援はまだか!?敵の魔導機が突破してくる!』

『無理だ!撤退ルートが塞がれてる!』

『指示を仰げ!このままじゃ全滅だ!』

 だが、上官からの指令は沈黙を保ったままだった―――後から分かったことだが、その時すでに、彼らの上官だった人間は拘束されていたのだった―――その時、ミナトは振り返り、後ろにいたはずの味方部隊が炎に包まれているのを目撃する。敵の魔導機により、無慈悲に一掃されていた。

「くそっ!」

 咄嗟に霞切を操作して突撃を図るが、魔力が限界に近づいていることに気付く。魔導炉の過負荷警告が赤く点滅し、コックピットに鋭いアラーム音が響く。

 ミナトのコックピット内は警告音と煙に包まれていた。

「……このままじゃ、ここで死ぬ。」

 思考が冷たく、重く響く。視界には、倒れた仲間たちの姿が映る。その全てが彼の無力さを責めるようだった。

「ふざけるな……こんなところで死んでたまるか!」

 彼は拳を強く握りしめ、霞切に魔力を送り込む。だが、警告音は更に激しく響き渡る。

 その瞬間、彼の心の中に一つの思いが浮かんだ。

『生き延びたい……!』

 その願いが機体に伝わったのか、霞切が突如として光を放つ。装甲が震え、エネルギーが全身にみなぎる感覚がミナトを包み込んだ。

「……応えてくれたのか。」

 彼はその感覚を言葉にできなかった。ただ、命のために戦う決意だけがそこにあった。


「……俺たちは捨て駒だった。」

 現実に引き戻されるように、ミナトが低い声で呟いた。

 絢香もまた記憶を共有するように言葉を重ねた。

「特戦局には、普通の軍にはないものがあった。」

 彼らの指揮官は戦闘の合間にいつも語っていた。『俺たち特戦局は道具じゃない。俺たちの力は、この国の未来を変える可能性を持っている。』

 彼は笑みを浮かべながらも、その瞳には確固たる信念が宿っていた。

「いつか、魔法使いが自分の力を自分のために使える日が来る。そのために、俺たちは戦う。」

 その言葉は、一見理想論に過ぎないようだった。しかし、特戦局の隊員たちはそれを支えに戦っていた。

 ミナトもまた、その言葉を心のどこかで信じていた。だが、昭南の戦いで全てが崩れ去った。

「あの人の言葉が本気だったとしても、現実はそれを許さなかった。」

 ミナトの言葉は、痛みと無力感を伴っていた。

「あの人は、他の誰とも違っていた。」

 ミナトの声に少しだけ熱がこもる。「魔法使いを単なる兵器として見ていなかった。俺たちが戦場で得た力を、自由のために使えると言っていた。」

「魔法使いが国家の道具じゃなくなる日が来る、と信じていたのよね。」

 絢香が目を伏せ、焚火を見つめる。

「……あの人の言葉がどれだけ本気だったのか、今でもわからない。だけど、俺たちはそれにすがるしかなかった。」

 ミナトの口調は少し荒れていた。「けど、昭南の戦いの後、あの人はどうなった?局は解体され、俺たちは捨てられた。」

「それでも、彼は最後まで私たちを守ろうとした。」

 絢香の声が少し震える。「だからこそ、局の最後に彼がどれだけ孤独だったかを思うと、私は……。」

 特戦局の隊員たちは、互いに深い信頼を持っていた。戦闘の合間には冗談を言い合い、勝利の後には簡素な食事を囲んで笑い合う時間もあった。

 『俺たちは、ただの兵士じゃない。家族みたいなものだ。』ある夜、指揮官がぽつりと呟いた。その言葉に誰も反応しなかったが、隊員たちはその場の空気に込められた意味を理解していた。

「その家族が……昭南で壊れた。」

 ミナトの声が震える。「あれ以来、俺は誰かと家族を築くことが怖くなった。」

 絢香は静かに彼を見つめ、同じ痛みを共有しているかのように頷いた。

「けれど、あれはただの失敗じゃない。もっと深い意図があった。」

 ミナトの視線が彼女を捉える。「どういうことだ?」

「昭南の戦いは、特殊技術研究所が仕組んだものだったのよ。」

 絢香は唇を噛みしめ、続ける。

「あの戦いは、特戦局が国家にとって必要ないことを証明し、特技研に予算と権限を集中させるための布石だったの。」

「茶番だと?」

 ミナトの声には怒りが込められていた。

「ええ。そしてあなたは、その後特技研に送り込まれた。霞切の覚醒現象を研究するために。」

 ミナトは短く鼻を鳴らす。「それで焔か。」

「焔はただの研究機じゃなかった。」

 ミナトは自嘲するように笑う。「俺が暴走させた時、あれは完全に制御不能になった。天破ノ黎あまやぶりのれい――そう呼ばれる現象が起きた瞬間、俺はもう戦場から逃げられないと悟った。」

「財団に拾われた後も同じだった。俺に求められるのは戦うことだけ。」

 絢香が静かに問いかける。「それで、あなたはまた焔を暴走させて逃げたのね。」

「……あれは俺の意思じゃない。」

 ミナトの声にはわずかな苦しみが混じる。「あの機体は俺を操るように応えたんだ。俺の中の恐怖、怒り――全部が焔に流れ込んでいった。」

「天破ノ黎は、俺自身の暴走だったのかもしれない。」

 彼の手が無意識に拳を握りしめる。「焔は俺を拒絶した。もう暴走はしない。そして俺は……もう戦場に戻れない。」

 「どこに行っても俺は駒だ。自由なんて幻想だ。」

 ミナトは焚火を見つめながら、拳を握り締めた。

「だから俺は……もう誰のためにも戦わないと決めた。」

「でも、それがあの子を助けた理由なの?」

 絢香の問いかけに、ミナトは答えを濁したように視線を逸らす。

 絢香は焚火の炎越しに彼を見つめる。


 隠れ家の中で、涼は薄く目を開けた。聞き慣れたミナトの低い声が外から聞こえてくる。

 彼女は起き上がり、そっと窓の隙間から外を覗き込んだ。焚火の光に照らされるミナトと、見知らぬ女性の姿が目に入る。

 耳を澄ますと、二人の会話の断片が聞こえてきた。

「……あいつが、昔の俺に似てたからだ。」

 ミナトの言葉に涼の心が微かに揺れる。自分について話していることを直感的に悟った。

 彼の口調は冷静だが、どこか遠い記憶を引きずっているようにも聞こえた。

「無力で、ただ命令に従うしかない。けど、あいつは違う。」

 彼の言葉が続く。

「俺よりも、強い心を持っている。」

 涼は彼の言葉の意味を理解しきれず、ただ焚火の揺れる光を見つめていた。涼は静かに布団に戻り、目を閉じた。だが、ミナトの言葉が頭の中で繰り返される。

『あいつが、昔の俺に似てたからだ。』

 彼の言葉には、自分に期待するものが含まれているように感じた。だが、それにどう応えればいいのか、涼にはわからなかった。

「……私は、どうしたらいいんだろう。」

 涼の胸に、抑制具の冷たい感触の記憶が蘇る。自由を奪われ、ただ命令に従うだけの日々。それが「普通」だと思い込んでいた自分。

 けれど今、ミナトの言葉が胸に刺さる。

「自分で選ぶこと……。」

 その考えが、涼の中で微かな炎として燃え始めていた。

「私も、生き延びたい。」 

 涼は手を握りしめた。「生き延びるだけじゃ、きっと意味がない。」

 抑制具の記憶が再び蘇る。その感覚は、ただ命令を受け入れる自分の象徴だった。けれど今、自由を得るという考えが、彼女の中で初めて明確な形を取り始めていた。

「自分のために……。」

 その思いが、焚火の明かりと共に心の中に灯された。


 絢香の瞳が微かに潤んだ。「そうね、あなたはずっと自分に課した過去の枷を解こうとしているのかもしれない。」

「あの頃、あなたの戦い方にはいつも感心していたわ。無鉄砲だけど、誰よりも仲間を守ろうとしていた。」

 絢香の言葉に、ミナトは短く鼻を鳴らす。

「皮肉だな。結局守れなかった。」

「それでも、私はあなたに期待している。あの頃から、ずっと。」

「……お前の言いたいことはわかった。でも俺は、もう誰のためにも戦うつもりはない。」

 ミナトが立ち上がり、焚火に背を向ける。

「生き延びるだけが俺の目的だ。」

 絢香が微笑む。「なら、それでいい。でも、覚えておいて。あなたがその炎を消さない限り、誰かがあなたを必要としている。」

 焚火の明かりが揺れ、竹林の中に影を作る。夜は深まり、どこかでかすかに燃える炎の音が響いていた。それは、終わることのない戦いの炎でもあった。


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