第5話 呼びかける名の裏に

 竹林に囲まれた隠れ家での日々が、静かに流れ始めていた。

 朝、ミナトは修繕した隠れ家の一角でコーヒーを淹れていた。古びた湯沸かし器が小さな音を立て、湯気が微かに上がる。

「……朝ご飯、これだけでいいんですか?」

 涼が手に持ったパンの袋を見つめながら尋ねる。

「慣れるしかない。生き延びるには仕方ない。」

 ミナトが短く答え、コーヒーをすすった。

「これ、少し直せば使えるんじゃないですか?」

 涼が隅に転がった椅子を指差す。

「新しいものを探す方が早い。」

 ミナトは手を止めずに答えた。

 それでも涼は小さく呟く。「……でも、ここにいる間くらい、少しでも快適にできたら。」

 彼女の指先が光を纏い、壊れた脚をゆっくりと修復し始める。

 不格好ではあるが、一先ず実用に耐えうる物にはなった。

「……これは中々。」

 つい先日まで、抑制具により碌に魔法を使えなかったというのに、その順応のペースに思わずミナトは感嘆した。


 その後、二人は竹林に隣接する開けたスペースで訓練を始めた。

「今日は魔力の制御練習だ。」

 ミナトが木の枝を拾い、涼に向けて投げ渡す。

「枝を使うんですか?」

「魔力を通す感覚を掴むのにはちょうどいい。無駄に派手なことをする必要はない。」

 涼はミナトの指示に従い、枝を両手で握った。息を整えながら、手のひらから魔力を流そうとするが、何度やってもうまくいかない。

「……難しいです。」

「力を入れすぎるな。お前はまだ魔力の流れに自分を合わせる段階だ。」

 ミナトが近寄り、涼の手を優しく触れる。

「ほら、もっとこうだ。」

 ミナトが実演するように手のひらを広げると、細い枝の先端に微かな光が宿った。

 涼が再び試みると、枝が淡く光り始めた。その瞬間、彼女の顔に小さな驚きと喜びの表情が浮かぶ。

「できた……!」

「浮かれるな。それが基本中の基本だ。」

 ミナトは冷静に言ったが、その声にはどこか柔らかさが感じられた。


 隠れ家から少し離れた廃村。木造の家々が崩れかけ、草に覆われた小道が人の手を離れた年月を物語っている。涼とミナトは資材や物資を求め、家々を一つずつ回っていた。

「……この村、本当に誰も住んでないんですね。」

 涼が崩れた柱に触れながら呟く。家の中には古びた家具や割れた窓ガラスが散乱している。

「住んでないからいいんだ。人がいる場所は、余計な目も多い。」

 ミナトは床に落ちていた錆びついたナイフを拾い上げ、それをポケットに突っ込んだ。

「でも……なんだか寂しいですね。」

 涼は朽ちた畳の上に置かれた古いポスターに目を留める。それには、「特殊魔法能力者保護法に基づく通報のお願い」と書かれた文字と、魔法使いを監視対象とする内容が記されていた。

 涼が崩れた机の上から、一冊の古い冊子を取り上げた。

「魔法協会……?これ、登録キャンペーン?」

 表紙には、「魔法使いの未来のために――登録を!」と書かれている。

「これって……魔法使いを守るためのものだったんじゃないんですか?」

 涼の問いに、ミナトは短く笑った。「守るためじゃない。管理するためだ。」

「でも、協会の人たちは魔法使いですよね?どうして同じ魔法使いを――」

「監視することで支配が成立するんだ。」

 ミナトが淡々と答え、ポスターを丸めてゴミの山に放る。その仕草は冷たく、どこか感情を押し殺しているようだった。

「でも、普通の人たちは、こんな風に監視されてないですよね?」

「普通じゃないからな、俺たちは。」

 ミナトの声には冷淡な響きがあったが、その言葉の奥には真実が隠されていた。

 涼は再び周囲を見渡し、古いアルバムを手に取った。その中には、かつての住民たちが畑を耕す写真や子供たちが遊ぶ姿が写っていた。

「……こんな普通の生活が、どうして壊れてしまったんでしょう。」

 彼女の問いに、ミナトは答えなかった。ただ無言で次の家へ向かうよう促した。


 一方、隠れ家から数キロ離れた地点では、魔法庁直属の捜査機関、『対魔四課』が捜査を進めていた。草木に覆われた廃道沿いに黒い車両が停まり、数人の隊員が魔法反応を探知する装置を手にして動き回っている。

「毎回こうだ。通報ばかりで、実際には何もない。」

 職員の一人が苛立ったように地面を蹴る。

「こんなところで時間を使っている間に、他の本命が逃げてるんじゃないのか?」

「通報がどれだけ本物か、それを判断するのが俺たちの仕事だ。」

 リーダーである黒田が冷静に職員をたしなめる。

「微弱な魔力痕跡を確認。……長時間滞在した形跡はなし。」

 隊員の一人が報告すると、黒田が短く頷く。

「魔力残留のパターンを解析しろ。使用された術式の可能性を洗い出す。」

 黒田の冷静な指示が飛ぶ。

 その後方では、一人の女性が冷静に状況を見つめていた。彼女は魔法協会の人間として、魔法庁の視察という名目で同行していたが、実際には対魔四課の監視下にも置かれている状態だった。

「この程度の痕跡では、隠れ家の存在を特定するには不十分です。」

 職員の言葉に、彼女は穏やかな口調で答えた。

「些細な兆候を軽視してはならないわ。特に、この地域では魔法使いが隠れる場所は限られている。」

 黒田は一瞬だけ彼女を睨むように見たが、すぐに部下たちに次の指示を出した。

「半径3キロ以内を徹底的に調べる。民間人の通報があれば即座に対応する。」

 黒田は部下たちに的確な指示を与えながら、絢香を一瞥する。

「視察とは言うが、あなたがここにいる理由が理解できない。」

 彼女は微笑みながら返す。

「私はこの国の未来を案じているだけよ。」

 黒田の眉がわずかに動く。彼はその存在を疎ましく思いながらも、その背後にある力を恐れていた。

 リーダーである黒田が彼女の隣に座り、地図を指し示しながら言う。

「北西の反応は小規模ですが、念のため調査を進めます。」

「ええ、お願いします。」

 彼女はそう答えるが、心の中では別のことを考えていた。

『彼がいる可能性がある……。』


 隠れ家の周囲に広がる廃村。朽ちた木造の家々がぽつぽつと点在し、竹林に飲み込まれかけた道が静寂を支配している。

 涼は古びた井戸の周りで、壊れたバケツを手にしていた。井戸の中から引き上げた水をバケツにためようとするが、穴だらけのバケツではうまくいかない。

「……やっぱりダメですね。」

 彼女はため息をつきながら井戸の縁に腰掛けた。

「ダメなら考えろ。魔法を使えば何とかなるだろう。」

 少し離れたところからミナトの声が飛んでくる。彼は廃材を運び、隠れ家の補修作業をしていた。

「……魔法で水を汲むって、どうやるんですか?」

「スライムってわかるか?糊とホウ砂で作るあれだ。あれみたいな感じで、水を引っ張る感覚を掴め。魔力を水に馴染ませて、自分の方に引き寄せるだけだ。」

「言葉では簡単そうですけど……。」

 涼は手を井戸の中に伸ばし、魔力を集中させる。水面がわずかに揺れ、涼の手に向かって細い流れが生まれるが、すぐに途切れてしまった。

「……ダメだ、難しい。」

「力を入れすぎだ。もっと自然に流せ。」

 ミナトが井戸の傍まで歩み寄り、涼の手を軽く掴む。

「ほら、こうやって流れを意識するんだ。」

 彼の手の下で涼の手が再び動き、魔力が水面を撫でるように揺れる。次の瞬間、井戸から水がゆっくりと浮き上がり、涼の手元まで届いた。

「できた……!」

 涼の顔に喜びが浮かぶ。

「できたなら次だ。水を溜める器を自分で作るんだ。」

 ミナトは簡単にそう言うが、涼にとってはまた新たな挑戦だった。


 夕暮れ時、隠れ家の中でミナトは霞切の調整を続けていた。

 涼は彼の隣で、井戸の水を汲む練習を続けている。ふと、隠れ家に設置された簡易通信機が突然ノイズを発し、音声が流れ始めた。

「……これは自由を求めるすべての魔法使いへの呼びかけだ。我々は支配に抗い、真の自由を取り戻すために戦い続けている……」

 涼は驚いて通信機を見つめる。

「これ……レジスタンスの放送?」

「くだらない煽動だ。」

 放送の声は続けていた。「我々はただの過激派ではない。何人もの仲間が犠牲になりながら、支配の手から逃れるために戦っている。」

 涼は通信機を見つめ、震える声で呟く。「……犠牲って、本当にそれでいいんでしょうか?」

「いいわけがない。」

 ミナトの声が鋭く響く。「だが、理想を追う奴らはいつだって他人を駒にする。それが現実だ。」

 涼は反論しようとしたが、その言葉を飲み込む。彼女の中で、理想と現実の間に揺れる葛藤が膨らんでいた。

 ミナトが冷静に通信機を切る。

「でも、こんな放送を聞いて、本気で動く人もいるんですよね?」

 涼が口を開くが、ミナトは淡々と答える。

「その結果、死ぬ奴の方が多い。理想を叫ぶ奴の代償を払うのはいつだってその他大勢だ。」

 涼は反論できず、通信機を見つめたまま口を閉じる。彼女の心には新たな疑問が浮かんでいた――自分たちはどこに向かうべきなのか、と。


 夜。焚火の明かりが揺らめく中、竹林の中で一人の女性が立ち止まり、息を整える。

『あの頃と同じだわ……彼は変わらない。』

 彼女の脳裏に浮かぶのは、かつて共に過ごした日々だった。ミナトは無愛想で孤独を好んでいたが、その腕は誰よりも確かだった。

「……久しぶりね。」

 声をかけた瞬間、彼女の心は微かに震えた。

 ミナトが振り返り、その女性の姿を認めた瞬間、その目に僅かな動揺が浮かぶ。しかし、すぐに冷たく鋭い視線に戻る。

「……何のつもりだ?」

 彼の声には冷たさが滲んでいたが、その奥には抑えきれない懐かしさも感じられた。


 涼が眠りについた後。ミナトは隠れ家の外で焚火を見つめていた。竹林を揺らす風の音が静かに響く中、一人の影が現れる。

「初めましてと言った方がいいかしら。朝倉ミナトさん。」

 その声にミナトは振り返り、眉をひそめる。

「……京都絢香。」

 黒いコートに身を包み、穏やかな表情を浮かべながらも、その目には真剣な光が宿っている女性。

 京都絢香。日本魔法協会の魔法使いであり、対外的には秩序派と呼ばれる派閥内で特に大きな存在感を示すS魔法使いだ。

「あなたをずっと探していたわ。」

「ただのCランク魔法使いに、一体何の用だ?」

 絢香は焚火の向こうに立ち、ミナトをじっと見つめる。

「あなたがここにいると聞いたとき、私は確信したの。この国の未来を変えられるのは、あなたのような人間だけだって。」

「……戯言だな。」

 ミナトは冷たく言い放つ。

「私は本気よ。あなたの実力なら。」

 絢香の言葉にミナトは短く鼻を鳴らす。

「実力だと? 俺のことを知っているからか?」

「ええ、私はあなたのすべてを知っているわ。共に戦った仲間なのだから。」

 ミナトの顔に一瞬だけ険しい表情が浮かぶが、すぐに冷静を取り戻す。

「今さら俺をどうするつもりだ?」

「あなたと協力したいの。魔法使いの未来のために。」

 絢香の真剣な瞳が、ミナトを見据えていた。そして、最後に彼の名前を呼ぶ。

「ミナトじゃない……秋月種文。」

 その名が、静かな夜の空気を切り裂いた。

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