第4話 交錯の中、灯火の未来

 夜が明ける少し前、九州の片田舎にぽつんと立つコンビニに、一台の黒いクラシックセダンが停車する。背後には小型トレーラーが静かに揺れていた。カバーの下には霞切が隠されている。薄暗い蛍光灯の光が店内から漏れ、駐車場にはほかの車の姿はなかった。

「……こんな時間でも営業してるんですね。」

 助手席から降りた涼が、小さな声で呟く。冷えた朝の空気が彼女の頬を刺し、少し身を縮めた。

「田舎のコンビニは便利だな。こういう場所にこそ生き残る理由がある。」

 ミナトは短くそう言いながら車のドアを閉めた。

「お前は中で待ってろ。必要なものは俺が買ってくる。」

「……でも、何か手伝えることがあれば。」

「顔を見られるな。それが一番だ。」

 涼は少し口を噤み、駐車場に立ち尽くした。トレーラーのカバーを直すふりをしながら周囲を警戒している。

 コンビニの自動ドアが静かに開き、ミナトが中に入る。店内は閑散としており、棚には最小限の商品だけが並んでいた。深夜番の店員がカウンターに座り、スマートフォンをいじっている。顔を上げることもなく「いらっしゃいませ」とだけ呟いた。

 ミナトは水や保存食、乾電池などの必需品を手に取りながら店内を見渡す。すると、レジ横に置かれた新聞が目に入る。

『九州北部で魔法使いによる騒乱発生』

 ミナトは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに商品をカゴに入れ、レジへ向かった。店員がのろのろと対応しながら話しかけてくる。

「……お兄さん、どこから来たんです?」

「通りすがりだ。」

「変なこと聞いてすみませんね。最近、この辺も物騒でね。魔法使いだとか何だとか、テレビでもやってるでしょう?」

「ああ。」

 それ以上の会話を避けるように、ミナトは料金を払い、さっさと外に出た。

 車に戻ると、涼が駐車場の端で待っていた。トレーラーのカバーを引っ張る彼女の手が少し震えているのに気づく。

「何かあったのか?」

「……いえ、ただなんだか落ち着かなくて。」

 ミナトは袋を助手席に放り込み、車に乗り込むよう促した。

「気持ちはわかるが、ここで立ち止まってる場合じゃない。」

 涼は小さく頷き、助手席に乗り込む。車がエンジン音を響かせながら静かに動き出した。


 車内の空気はどこか張り詰めていた。ミナトがハンドルを握り、夜明けの空の下、セダンは未舗装の道路をトレーラーを引いて進んでいく。霞切を覆うカバーは埃をまとい、その存在感を隠そうとしている。

 助手席の涼が視線を窓の外に向けたまま、ぽつりと呟いた。「……さっきのコンビニ、普通に商品が並んでましたね。」

 ミナトは無表情のまま短く答える。「あそこは地方の中でもまだ人が住んでる地域だ。都会ほどじゃないが、少しずつ物流も復旧してる。」

「でも……普通の生活みたいで、なんだか不思議でした。」

 涼は手首の抑制具の跡をなぞりながら言った。「私たちだけ、こんなに追われてるのに……。」

「普通じゃないから追われてるんだ。」

 ミナトの声には冷淡さが混ざっていたが、その視線は鋭い。


 昼近く、車は山間部に入り、道は次第に狭く険しくなっていった。道端にぽつぽつと現れる古びた家々や畑。そんな景色の中、涼がふと尋ねる。

「……こんな場所にも、魔法使いの人たちが住んでるんでしょうか?」

「住んでるかもしれないし、もう出て行ったかもしれない。」

「それでも、こういう場所なら安全ですか?」

「安全というより、目立たないだけだ。」

 そのとき、前方の道端に数人の人影が見えた。彼らは何かを話しながら車の方を見ている。ミナトは速度を落とし、彼らの様子を探る。

「止まるぞ。」

 ミナトが短く告げると、セダンはスムーズに停車した。トレーラーが軋む音が静寂の中に響く。涼は身を硬くし、周囲を窺った。

 やがて、道の先から三人の人影が現れた。年配の男性、若い女性、そして10歳ほどの少年だった。全員が怯えたような表情をしている。女性が両手を挙げてこちらに歩み寄る。

「どうか、撃たないでください。私たちは……ただ、隠れる場所を探しているだけです。」


 焚火の周りに集まった五人。ミナトと涼、そして新たに出会った三人が、警戒しながらも少しずつ互いの情報を共有していた。三人は長崎から逃れてきたと言い、政府の抑圧を逃れるために移動を続けているのだという。

「……でも、魔法使いみんなが反体制派ってわけじゃない。」

 先頭の男が言った。その言葉に涼は驚いた表情を浮かべる。

「どういうことですか?」

「低ランクの魔法使いは、政府に従うことで普通の生活をしてる。警察に入って魔法を使ってる奴らもいる。」

「同じ魔法使いなのに……。」

 涼が呟くと、ミナトが冷静な口調で続けた。

「政府に従えば表向きは安全だ。だが、それだけでは本当の自由は得られない。」

 涼は黙り込み、焚火の炎を見つめた。その目には新たな葛藤が浮かんでいるようだった。

 そのとき、後方から別の車両が現れた。黒いSUVで、側面に目立たない形で「Polaris Foundation」と書かれたロゴが貼られている。SUVから降りてきたのは黒いジャケットにバッジを付けた若い男性だった。

「あなたたち、魔法使いですね?」

 男が近寄り、落ち着いた声で言った。「私はポラリス財団の者です。彼らの避難を手助けしていました。」

「ポラリス財団……。」

 ミナトの目つきが鋭くなり、軽く舌打ちをした。

「あんたら、まだこんな危ない真似をしてるのか。」

「私たちの使命です。」男は穏やかに答えた。

「魔法使いを守るために、リスクを負うのは当然だと思っています。」

 ミナトは短く鼻を鳴らしたが、それ以上何も言わずに周囲を見渡した。

「ここで立ち止まるのは危険だ。早く移動したほうがいい。」

 避難者たちに飲み物や軽食を配りながら、財団の支援者たちは手際よく次のルートを確認していた。彼らの手元には、小型の魔導端末があり、それを使って政府の監視区域をリアルタイムで把握しているようだった。

「この辺りはまだ安全です。ただ、北西の区域で治安部隊が動いている情報があります。気をつけてください。」

 涼は興味深そうにその様子を見ていた。

「どうしてそこまでして魔法使いを助けるんですか?」

「魔法使いは社会から追いやられています。それを放置すれば、さらに多くの命が失われるし、社会全体の治安も悪くなるからです。」

 男は柔らかな笑顔で答えた。

「私たち財団は、魔法使いが『普通の人間』として生きられる未来を目指しています。もちろん、それは簡単な道ではありませんが。」

 その声には、単なる理想論を超えた、現実に対する覚悟が感じられた。

「私たちが少しでも力になれるなら、それでいいんです。」

 ミナトは車の横で腕を組み、冷たく言った。

「それで命を落とすようじゃ、笑えない話だがな。」

 その瞳には一瞬だけ、かつての仲間を思い出したような影が過ぎったが、すぐにいつもの冷たい視線に戻る。

「理想で人を救えるなら、こんな苦労はしちゃいない。」

 男はミナトを見つめ、真剣な眼差しで言った。

「あなたのような人の力が必要なんです。どうか私たちと……」「断る。」

 ミナトは即座に言い放ち、車に戻った。

「お前らの理想に付き合うつもりはない。少なくとも、今は。」


 荒涼とした風景が広がる山間の未舗装路を、黒いクラシックセダンが静かに進む。背後のトレーラーはほのかに軋む音を立てているが、それ以外の音はほとんどしない。丸一日の長旅を経て、ようやく目的地へとたどり着こうとしていた。

「ここか……」

 ミナトがブレーキを踏み、車を停める。目の前にはかつて作業場として使われていたらしい古びた建物が立っていた。周囲を竹林が囲み、日差しを遮るようにしている。建物の窓には板が打ち付けられ、一見して人が住んでいないように見える。

涼は窓越しに建物を見上げ、小さな声で呟いた。

「……こんな場所、本当に安全なんですか?」

 ミナトは車から降り、トレーラーを確認しながら淡々と答えた。

「安全かどうかはこれから確かめる。少なくとも、人目には付かない場所だ。」

 彼が車の後部から工具箱を取り出し、錆びついた鍵をこじ開けると、内部には古びた設備が散乱していた。埃っぽい空気が鼻をつき、涼は思わず鼻を手で覆った。

「……何もないですね。」

「それでいいんだ。余計なものがあると、逆に目立つ。」

 ミナトは短く答え、建物内を見回した。壁際にはまだ使えそうな古い発電機が置かれ、屋根には多少の雨漏りが見えるが、修繕すれば十分な拠点となりそうだ。

 彼はふと立ち止まり、涼の方を振り返る。

「修繕ついでに、魔法を使う練習をしてみるか?」

「えっ?」

 驚いた顔をする涼に、ミナトは簡単な説明を加えた。

「お前も自分で動けるようにならなきゃいけない。安全な場所……いわゆる工房を作るのは、魔法使いとしての本来あるべき基本だ。」

 涼は戸惑いながらも頷き、ミナトの指示を受けて手を動かし始めた。彼女の手のひらから微かな光が生まれ、次第に形を持つようになる。床板の一部がゆっくりと修復され、ひび割れた壁の表面が滑らかになっていく。

「……すごい、これ、私がやってるんですか?」

「お前が持つ魔力を材料として流してるだけだ。理屈を覚えるより、まずは手を動かせ。」

「……私が、こんなことできるなんて。」涼の心に、かつて抑制具に縛られていた日々が蘇る。

 無力で、ただ命令に従うだけの日々。だが今、彼女の手の中にある光は、自分の意思で放たれている。

「これが……私の力……。」

 涼はひとりごちるように呟き、その光景を見つめる瞳にはわずかな希望の色が宿った。

 ミナト自身も壁際に古びた魔導具を設置し、それを軽く手で触れた。装置が静かに起動し、かすかな振動音と共に空間に微かな防御魔法の波動が広がった。

「これでしばらくは外からの追跡を妨害できる。あとは中の居住性を整えればいい。」

 涼は少しずつ魔法の感覚を掴んでいき、傷んだ屋根を補修したり、部屋の埃を消し去るような小技を繰り返した。その動作に、初めて何かに没頭する楽しさを覚え始めている様子が見て取れる。

「どうだ、やってみると案外悪くないだろ?」

 ミナトの問いに、涼は額の汗を拭いながら、小さく笑った。

「……少しだけ、役に立ててる気がします。」

 外では風が竹林を揺らし、かすかな葉擦れの音が聞こえている。二人が汗をかきながらも作業を終える頃、建物は新たな命を吹き込まれたように少しずつ形を変えていった。

 涼の胸には、自分ができることへの小さな自信が芽生え始めていた。外の竹林を揺らす風が、建物の中まで涼やかな音を運んでくる。修繕された壁の隙間から、夜の星明かりが微かに差し込んだ。

「これで、一歩進めた。」

 涼は自分に言い聞かせるように呟いた。その声を聞いたミナトは、工具箱を片付けながら短く返した。

「次の一歩を忘れるな。それが生き延びるってことだ。」

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