第2話 迫害の影、揺れる灯火

 朝日が廃工場の瓦礫の隙間から差し込み、埃っぽい空気の中にわずかな光を投げかける。静寂に包まれた工場内では、昨日の余波を感じさせる疲労感が漂っていた。

椅子にもたれかかった朝倉ミナトは、眠気を振り払いながら煙草に火をつける。深く吸い込んだ煙が喉を通り、わずかに気持ちを落ち着けた。

「……とんだ厄ネタを拾っちまった。」

 視線の先には、毛布に包まって眠る少女――篠塚涼がいた。彼女の顔には疲れと恐怖がまだ残っている。

 工場近くの隠れ家へ逃げた後、疲れからか意識を失った彼女を介抱するために、結局また工場へと戻ってきたのだ。

 ミナトは煙草を消すと、工具棚に向かい、持ち出すべき物をまとめ始めた。工具一式、分解された魔導具、そして予備の魔術デバイス――どれも彼の「仕事」に必要不可欠な道具だ。

「ここも、もう長くは持たないな……。」

彼は自嘲気味に呟きながら荷物を詰め込んでいく。

「……ここ、どこですか?」

 目を覚ました涼が、ぼんやりとした目で辺りを見回しながら呟く。

「俺の作業場だ。昨夜、ここに転がり込んできたのは覚えてるか?」

 ミナトは荷物を整理しながら振り返る。涼は小さく頷きながら、床に視線を落とした。

「助けてくれて、ありがとうございます……でも、どうして私なんかを?」

 その問いに、ミナトは短く息を吐いた。

「俺にとっちゃ、ただの延長戦だ。それ以上でも、それ以下でもない。」

 ミナトは工具棚を閉めると、工場の奥に向かった。そこで彼が手を止めたのは、一台の古いセダンだった。

「動いてくれるといいが……。」

 彼はボンネットを開け、エンジンの状態を確認する。整備道具を手に取り、簡単なメンテナンスを始めた。

「これ、ミナトさんの車ですか?」

 涼が興味深そうに近づいてくる。ミナトは肩越しに彼女を振り返り、軽く頷いた。

「古い車だが、まだまだ走れる。これでも一応、自動車整備もやっててな。魔導具だけじゃ食えねぇし、こいつみたいな旧式車をいじるのが好きなんだ。」

「……なんだか意外です。」

「意外かもな。でも、こういう古いもんの方が、最近の車より性に合ってる。」

 エンジンが軽快な音を響かせると、ミナトは満足そうにボンネットを閉めた。

「準備は整った。お前も乗れ、街に行くぞ。」

 セダンは砂利道を滑るように走り出した。エンジン音は静かで心地よい振動を伴っている。


 涼は助手席で、窓の外を流れる景色を見つめていた。廃墟の街並みが続き、時折、朽ち果てた看板や放置された車が目に入る。

「こんな場所にも人が住んでたんですか?」

「昔はな。栄えてた時期もあった。でも、少子化と過疎化が進んで、今じゃこのザマだ。」

 ミナトの答えに、涼は眉をひそめた。

「どうして、こんな風になってしまったんでしょうか……。」

「簡単な話だよ。人が減りゃ街も死ぬ。それに……魔法使いの存在も一因だ。」

「……私たちが?」

「そうだ。魔法使いが規制される理由の一つは、社会全体がリスクを恐れてるからだ。お前たちが暴発するかもしれない――それだけで、人間社会からはじき出される。」

 その言葉に、涼は再び唇を噛み締めた。

 セダンは砂利道を抜け、徐々に舗装された道路へと入る。眼前に広がるのは、普通の町並み。古びた商店街にはいくつかの個人商店が軒を連ね、通りには地元住民と思しき人々が行き交っていた。

「普通の人もいる……」

 涼は、車窓から覗く光景に目を見張った。自分が潜伏していた場所とは違い、人々の生活感が色濃く漂う。

 「当たり前だ。全員が魔法使いの世界じゃない。」ミナトは素っ気なく答えた。「お前が思ってる以上に、普通の奴らは俺たちに興味なんてないさ。」

しかし、通りを歩く人々の目はどこか落ち着きがなく、視線を交わすことも控えめだ。街全体に張り詰めた空気が漂っているようだった。

「……本当に、普通に見えないです。」涼が小声で呟く。

 ミナトは鼻を鳴らしながら車を停める。「余計なことを言うな。静かにしてろ。」

涼はその異様な空気に戸惑い、ミナトの隣を歩きながら周囲を伺っていた。

 「人の目を気にしろ。妙に浮くと、あっという間に目を付けられる。」ミナトが釘を刺す。

 涼は頷き、ミナトの背後に隠れるように歩いた。

「この辺りの連中は賢いんだ。余計なことに関わらない。それだけだ。」

 ミナトの言葉には、冷ややかな現実が込められていた。


 二人は小さな道具屋に足を踏み入れた。店内には古びた工具や部品が所狭しと並べられており、長年放置されたような埃っぽさが漂っている。

「おや、ミナトさんじゃないですか。最近じゃ見かけなかったけど、何の用です?」

 店主は初老の男性で、油に汚れた作業服を着ていた。その目には長年商売をしてきた者特有の鋭さが宿っている。

「部品が少し足りない。それから……噂も。」

 ミナトが答えると、店主は薄く笑い、軽く肩をすくめた。

「噂話なら、腐るほどある。どれから聞きたい?」

「昨夜の件だ。特機大隊の動き、それと他の場所での状況を教えろ。」

 ミナトの声には微かに険があった。それを聞いた店主は少しだけ声を潜める。

「特機大隊が全国規模で動いてるのは知ってるだろう?あんたが言う昨夜の件だが、 どうやら九州北部だけじゃなく、関東圏でも大きな作戦が展開されてたらしい。」

「関東圏?」

 ミナトの眉間に皺が寄る。全国で同時多発的に作戦を展開しているとなれば、政府の意図は明白だった。

「不法魔法使いを一掃するつもりだな。」

 店主は肩をすくめる。

「ま、そんなところだ。だが、逆に言えばそれだけ焦ってるってことじゃないか?」

 その言葉に、ミナトは短く鼻を鳴らした。

「焦ってる?」

 店主は周囲を見渡し、一瞬だけ店の奥をちらりと見やる。その動きに、ミナトは鋭い視線を送る。

「最近になってだな……全国各地で魔法使いが集まり始めてるらしい。戦うために、だ。」

「集まる?」

 ミナトの声には興味というよりも、呆れが滲んでいた。だが、涼はその話を聞き、目を輝かせる。

「それって……解放軍みたいなものなんですか?」

「解放軍って呼ぶかどうかは分からねぇ。だが、噂じゃ東京、関西、そしてこの九州のどこかに拠点があるって話だ。政府はその動きを徹底的に潰そうとしてるってわけさ。」

「……無謀だな。」

 ミナトはそう吐き捨てるように言った。その冷たい声に、涼は少し驚く。

「でも、それって……!」

「甘い幻想を抱くな。」

 ミナトは涼を一瞥し、さらに店主に問いかけた。

「他には?」

 店主は短く笑い、頭を振った。

「とにかく、大規模な掃討作戦は始まってる。北九州もそうだが、全国的に動いてる以上、な。」

 ミナトは言葉を返さず、少し考え込むように沈黙した。


 情報交換を終えると、ミナトは店の棚をざっと見渡し、部品を選び始めた。その隣で涼が不安げな顔で佇んでいる。

「おい、ただ立ってるな。」ミナトが手招きする。「お前にも必要なものを揃えるぞ。」

 「私に?」涼は驚いたような表情を浮かべる。

「その服じゃ目立つ。街で動きやすい服が要るし、道中で使う小物も揃える。」

 ミナトは店主に話しかけた。「どこか近くで服や日用品を扱ってる店は?」

「この裏手に雑貨屋があるよ。服は新品じゃないが、着替えくらいは見繕えるはずだ。」

 案内された雑貨屋は、古びた商店街の隅にひっそりと建っていた。店内は薄暗く、古着や日用品が所狭しと並べられている。

 「ほら、適当に選べ。動きやすいのがいい。」ミナトは涼に声をかける。

 涼は少し戸惑いながらも、服の棚を見て回った。普段は服を選ぶ余裕などなく、こんな店に入ることすら初めてだった。

「……これとかどうですか?」

 涼が恐る恐る手に取ったのは、シンプルなジャケットとパンツだった。それを見たミナトは頷く。

「良いな。それと、靴も選べ。今履いてるのはもうダメだろ。」

 ミナトは自分でもいくつかの小物を選びながら、涼が選んだ服を確認していく。最終的に、涼は動きやすそうなスニーカーと、傷んでいないリュックサックを手に取った。

 会計を済ませ、店を出た二人は路地裏で涼の着替えを済ませる。

「どうだ、少しはマシになったか?」

 ミナトの言葉に、涼は照れ臭そうに頷いた。「……ありがとうございます。」

「礼を言うほどのことじゃない。お前が目立たなくなれば、俺も余計な手間が省ける。」

 涼はその冷たい言葉の裏に、どこか優しさを感じていた。


 店を出た少し先で、特機大隊の警官が通行人を尋問している光景が目に入った。魔導機雷光が路上に鎮座し、その青白い光が通り全体を支配している。人々はその威圧感を避けるように遠巻きに歩き、誰も近づこうとしない。

「……あれが、警察の魔導機?」

 涼が小声で尋ねる。ミナトは目線を向けたまま答えた。

「ああ。雷光らいこうだ。こういうときは威嚇目的だな。あれ一機で群衆を黙らせるには十分だ。」

 涼は喉が渇くような感覚に襲われた。昨夜、ミナトが操縦していた霞切とは違い、雷光は最新型の装備であり、力の差は明らかだった。

 そのとき、警官の一人がこちらに視線を向けた。鋭い目が、まるで警戒区域内に紛れ込んだ異物を見つけたかのようだった。

「……俺を見るな。下を向け。」

 ミナトは涼の肩を軽く叩き、顔を隠すように促した。彼女はぎこちなく視線を下げ、歩調を合わせる。

 商店街を抜けると、二人は裏路地に足を踏み入れた。狭い路地にはゴミ袋や壊れた家具が無造作に放置され、異臭が漂っている。

「ここで少し休もう。」

 ミナトが足を止め、周囲を確認する。

「どうして街全体があんなに……。みんな怯えてるみたいでした。」

 涼が言葉を紡ぐと、ミナトは壁に寄りかかりながら答えた。

「怯える理由があるからだ。あそこにいた連中は、昨日の騒ぎを知ってるか、それを隠そうとしてるだけだ。」

 涼は眉を寄せ、唇を噛みしめた。

「……私のせいですか?」

「違う。これはお前の問題じゃない。魔法使いってだけで『危険』だと決めつけられる世の中が悪いんだ。」

 そのとき、遠くから低い機械音が響いてきた。ミナトはすぐに反応し、涼を壁際に押しやった。

「静かにしろ。」

 ミナトが小声でそう言うと、涼の肩を軽く押し、壁際に身を寄せさせた。

路地の奥に、青白い光が揺れるのが見えた。雷光が巡回している。その光は狭い通路をなめるように移動し、壁の影を鋭く浮かび上がらせる。

 涼はその場で固まった。全身が震え、頭の中では「見つかったら終わりだ」という声が鳴り響いていた。

「息をしろ。」

 ミナトの低い声が耳元で囁かれる。

「深呼吸しろ。俺の真似をしろ。」

 彼の落ち着いた声に、涼は震える息を整えようと努めた。だが、目の前の光がますます近づいてくるのを見て、恐怖が喉を詰まらせる。

 雷光のセンサーが周囲をなめるように動き、僅かな物音にも反応するように見える。

「……こっちに来る?」

 涼が小さな声で尋ねると、ミナトは首を振った。

「いや、ただの巡回だ。気づかれなければ問題ない。」

 そう言いながら、ミナトは壁の隙間から慎重に外の様子をうかがう。だが、少しでも気を抜けば、あのセンサーが二人を見つけるかもしれない。

「でも、もし見つかったら……?」

 涼の声には、絶望の影が滲んでいた。

「そのときは全力で逃げる。それが嫌なら、最初からこういう場所に来るな。」

 ミナトの冷静な言葉が、涼の胸に重く響く。

 涼は言葉を詰まらせたが、ミナトの冷静さに少しだけ安心を覚えた。

 二人の心境はよそに雷光は何もなかったかのように通りすぎていく。

 涼はおずおずと尋ねた。「あの人たち……普通の人たちも、魔法使いのことを嫌ってるんですか?」

 ミナトは壁に寄りかかり、答えた。「嫌ってるというより、巻き込まれるのを恐れてるんだ。特機大隊がうろついてる街で、俺たちの存在が知られたらどうなると思う?」

 涼は黙り込む。ミナトはしばらく涼の様子を見てから、ため息をついた。「だが、どこに行っても似たようなもんだ。俺たちが何かしら目立つ限り、こいつは続く。」

 ミナトは最後にもう一軒の店に立ち寄った。そこは古びた電器屋のような場所で、工具や小型の装置が並んでいる。

 ミナトは棚から小さな通信装置を手に取り、簡単にチェックする。「役に立つんだよ。いざというときの連絡手段が要る。お前も持っとけ。」

 ミナトは二つの通信装置を購入すると、涼に一つ手渡した。

「使い方は後で教える。こいつで何があっても連絡を取れ。」

 涼はその装置を手にしながら、目を見開いてミナトを見つめた。

「私のためにこんなに……。」

「大袈裟だな。生き延びるために必要なものを揃えてるだけだ。」


 街を後にしたセダンの車内には、静寂が漂っていた。エンジンの低い唸りが、緊張感を和らげるどころか、かえって二人の間の空気を重くしているようだった。

 涼は窓の外をじっと見つめていた。通り過ぎていく建物や畑、朽ちた工場跡地が彼女の目に映る。しかし、その景色が彼女の心を慰めることはなかった。

「普通の人たちの中でも、きっと……魔法使いを助けたい人もいますよね?」

 ふいに彼女が口を開いた。その声は小さく、確信よりも願いに近い響きを持っていた。

 ミナトはハンドルを握る手を少しだけ強くしてから、視線を前方の道路に固定したまま答えた。

「いないとは言わない。」

 言葉を切り、彼は少し考え込むように間を置いた。

「ただ、そういう奴らも、あまり長くは持たない。魔法使いを庇うってのは、政府に喧嘩を売るってことだ。勇気があっても、それだけじゃどうにもならないのが現実だ。」

 涼は目を伏せた。手首に触れた抑制具の跡が、じんわりと痛む気がした。

「でも、それじゃあ……何も変わらないじゃないですか。」

 彼女の声には、悲しみとも怒りとも取れる感情が混ざっていた。それを聞いたミナトは、短く鼻で笑った。

「変えられる奴もいるさ。だが、それには代償がいる。命を張るか、自由を捨てるか――どっちにしろ、簡単な話じゃない。」

 彼の声には、どこか諦めの色が滲んでいた。

「……あなたも、そうだったんですか?」

 その問いに、ミナトは一瞬だけ表情を曇らせた。しかし、すぐに口角をわずかに持ち上げて答える。

「俺はただの職人だ。世界を変えるなんて大それたことは考えたこともない。」

 その言葉にはどこか含みがあったが、涼はそれ以上問い詰めることができなかった。ただ、彼の横顔に深い疲れと傷が刻まれているように見えた。

 車はやがて廃工場に戻る道へと入った。日が傾き、薄暗くなった風景の中で、ミナトはぽつりと呟いた。

「だが、今のままでいいとは思っちゃいない。」

涼はその言葉を聞き、驚いたように顔を上げる。

「どういうことですか?」

「俺のやり方で、できる範囲のことをする。それだけだ。」

 彼の声は淡々としていたが、その奥にある微かな決意を涼は感じ取った。


 廃工場に戻った二人。涼は車を降りると、辺りを見渡した。昨夜の戦いの痕跡が生々しく残る中で、彼女は恐る恐る問いかける。

「ここから……どこか別の場所に行くんですか?」

 ミナトは工具バッグを肩に掛けながら答えた。

「そうだ。ここに留まれば、あの連中がまた来るだけだ。俺は面倒事を増やしたくない。」

「それなら、私も……。」

 涼が言いかけたそのとき、ミナトは彼女を遮るように言った。

「まずは生き延びろ。それが何より優先だ。」

 涼はその言葉にうなずきながら、ぎゅっと拳を握った。

「でも、私はもう逃げるだけじゃ嫌です。何かをしなきゃ……何かを変えなきゃって思うんです。」

 その言葉に、ミナトは少しだけ眉を上げた。そして、短く息を吐きながら、微かに笑みを浮かべた。


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