魔法使いの解放者

尾生多久

第1話 灯る希望、消えぬ炎

 夜の帳が降りた九州の片田舎。かつては栄えていたであろうこの町は、今や人影を感じられないゴーストタウンと化していた。

街路灯は既に壊れ、風が吹き抜けるたびに空き家の窓や錆びた看板が不気味な音を立てる。猫すらいないその通りには、かつての賑わいを思わせる痕跡だけが虚しく残っていた。

「また狩りか……。」

 朝倉ミナト───かつて、秋月種文と名乗っていた男は、廃工場を改装した自らの作業場で煙草に火をつけ、遠くの空を見上げていた。

青白い、流れ星のような光が夜空を切り裂く。それは、警察の魔導機が発する光だった。

 ミナトは無意識に煙草を深く吸い込む。喉を焼くような煙が、重く沈む気持ちを少しだけ和らげた。

「ったく、好き勝手やりやがって……。」

 ポケットから取り出した古びた懐中時計を開く。祖父から譲り受けたというその時計は、もう時間を刻むことはない。それでも、なぜか捨てられず、肌身離さず持ち歩いている。

 この土地に住む者は多くない。だが、それでも迫害を逃れて潜む魔法使いたちにとって、こうした「狩り」は死を意味していた。

 ミナトの視線は、作業台の上に転がる分解途中の魔導具へと移る。

「……こんなところか。」

 彼が手にしていたのは、依頼を受けた改造品だった。

 魔法使いの力を抑える抑制具を基に、その機能を一時的に解除し、力を制御する装置に変えたものだ。

 本来は管理のための装置だが、彼の手によって自由への手段に作り替えられる。

 見掛け上は単なる制御装置であり、魔術デバイスであるのを見抜くのはかなり難しい。

「……少しでも、あいつらの役に立てばいいが。」

 多くの魔法使いは力を持ちながら、それを扱う術を学ぶ機会を奪われている。

ミナトの仕事は、そんな彼らを少しでも助けるためのものであり、自分の贖罪でもあった。

 作業を終えると、ミナトは机に頬杖をついて一息ついた。

「俺にできるのは、これくらいだ。」

 自嘲するように呟くその声は、夜の闇に溶けていった。


 その頃、一人の少女が息を切らしながら廃墟の間を走っていた。

 篠塚涼、15歳。Bランクの魔法使いとして登録されている少女だ。

 だが、その「登録」によって得られた身分は、彼女に何の自由も与えなかった。家族は抑制具の影響で体調を崩し、治療の名目で収容所に送られた。涼は1人逃げ延び、迫害を恐れ、他の魔法使い達と共に潜伏していた。

 涼の足は止まらない。呼吸が荒れ、胸は苦しいほどに締めつけられる。

「捕まれば、また……。」

彼女の脳裏に浮かぶのは、収容所の光景だった。

 白いコンクリートで囲まれた無機質な空間。並ぶのは抑制具を付けられた魔法使いたち。

 彼女たちは皆、心を折られた人形のようだった。

 監視者たちは無表情で、無機質な声で命令を繰り返す。

「50-427B、こちらへ来なさい。」

 その声に逆らうことは許されない。

 涼は恐怖と怒りを押し殺し、命令に従った。

 だが、それでも彼女の家族は「体調不良」を理由に別の施設へ送られ、戻ることはなかった。

 夜には隣の部屋から聞こえる悲鳴。

 何が行われているのか、涼には知る術がなかった。ただ、その悲鳴がいつ自分に向けられるかという恐怖が心を蝕んでいった。

『……お願い、もう嫌……!』

 何度、そう心で叫んだのだろう。

 ある日、涼は小さな隙をついて収容所を抜け出した。監視の目をかいくぐり、街道を走った。

 そして、潜伏者たちの手を借りながら、ここまで逃げ延びたのだ。

 だが、それも長くは続かなかった。潜伏者たちの隠れ家が次々に警察に見つかり、機動隊が動員され、仲間は次々に捕らえられた。

「……また、私だけ……。」

 涼の足は止まりそうになる。それでも、震える身体に鞭を打って走り続けた。

廃屋の影に身を隠し、周囲を見渡す。魔導機の青白い光が遠くに見える。それはまるで死神の目のようだった。

「目標発見。こっちだ!」

 近づいてくる警官たちの声が耳に飛び込む。息を整える間もなく、涼は再び走り出した。

 涼は考える。ここで捕まったらどうなるのだろう。

きっと、また収容所に連れ戻される。そして、あの終わりのない日々が続くのだ。

「……そんなの、もう嫌……!」

 胸が痛いほどに張り裂けそうだった。自分がただ生きたいと願うことが、どうしてこれほど罪になるのだろうか。魔法使いだから?生まれつき持っている力が、彼女にとっての十字架なのだろうか。

 足元に転がる瓦礫につまずき、涼は派手に転んだ。膝から血が流れるのが分かる。それでも、彼女は涙を拭って立ち上がった。

「……まだ、終わらない……!」

 涼は心の中でそう叫びながら、最後の望みをかけて廃工場へと向かった。そこには、潜伏者たちから教えられた「頼れる職人」がいると聞いていた。


 廃工場の扉が乱暴に叩かれた。

 ミナトは煙草を消し、警戒するように立ち上がる。

「こんな時間に……誰だ?」

 扉を開けると、そこにはボロボロの服をまとい、怯えた瞳の少女が立っていた。

「助けて……お願いです!」

 涼の声は震えていたが、その目にはどこか捨てきれない希望の光があった。

 ミナトは一瞬だけ少女を見つめ、その手首に光る抑制具と傷だらけの膝に気づいた。

 目をそらせば、彼女を見捨てることは簡単だった。しかし、その絶望に染まる目の奥に、かつて自分が持っていたものを見たような気がした。

「中に入れ。」

 短くそう告げると、涼の手を引いて扉を閉め、鍵をかけた。

「ここじゃ危ない。何があった?」

 ミナトが涼に問いかけると、彼女は震える声で答えた。

「追われてるんです……魔導機に……!私……もう、どこにも行けなくて……!」

 言葉を紡ぐほどに、涼の目から涙が溢れる。それを見たミナトは無言で近くの椅子を引き寄せた。

「泣いてる暇はねぇぞ。座れ、少し落ち着け。」

 ミナトは棚の奥から古びた包帯を取り出し、傷ついた涼の膝を手早く巻き始める。

「自分でここまで逃げ延びたんだろう。大した根性じゃないか。」

「でも……皆、捕まって……私だけ……。」

 涼の声が途切れる。言葉にできない感情が胸に渦巻いているのが、彼女の震える肩で伝わった。

 涼の話を聞きながら、ミナトの脳裏には自分の過去がよぎる。

 非人道的な実験、仲間たちが「兵器」として使い捨てられていく光景。そして、自分の行動が引き起こした惨劇――その全てが彼を苦しめてきた。

「……仕方ない。」

 ミナトは棚から改造した魔導具を取り出し、それを涼の手に押し付けた。

「これを持っていけ。抑制具を一時的に無効化できる。ただし、長くは持たないし、使いすぎると暴走する。あくまでも護身用だ。」

 涼は驚きの表情を浮かべながら、それを握りしめる。

「で、でも、私にこんなもの……」

「お前が使わなきゃ、誰が使うんだ。」

 ミナトは冷静な声で言い放つ。

「だが、約束しろ。無駄に力を使うな。生き延びるためだけに使え。」

 涼は涙を拭い、小さく頷いた。

「……わかりました。」

 突然、遠くで低い轟音が響く。涼が恐怖に顔を引きつらせるのを見て、ミナトはすぐに状況を察した。

「特機大隊か……。思ったより早いな。」

 廃工場の外に出ると、魔導機の青白い光が霧の中でぼんやりと揺れているのが見えた。


「投降しろ、魔法使い。」

 特機大隊の指揮官の冷たい声が廃工場内に響き渡る。その背後には、警察任務用魔導機――雷光が青白い光を放ちながら構えていた。

「俺はただの機械屋さんだ。無関係だよ。」

 ミナトは肩をすくめながら両手を挙げ、指揮官に軽口を叩く。だが、その態度にお構いなく、警官の一人が銃口を涼に向ける。

「その少女を引き渡せ。」

「引き渡したところで……俺が無事だって保証は?」

「……それとこれとは別の話だ。」

 ミナトは短く息を吐き、冷たく笑った。

「それで誰が、言いなりになるかよっ!」

 その叫びと共に、彼は懐から球状の魔導具を取り出し、起動させる。

「眩しいぞ、目ぇつぶれ!」

 眩い光と高周波の音が周囲を覆い、警官たちは思わず顔を背ける。

 だが、その後ろに控えていた魔導機は、その攪乱すら意に介さず、即座に攻撃態勢に入った。

 銃口が光り、銃身を囲むように魔法陣が展開される。

 術式が発現されるその瞬間――。

 突如として、光線が雷光の肩部を貫いた。

 二射、三射と続き、鋼鉄の巨体はバランスを崩して倒れ込む。

「……魔導機か!?」

 混乱する警官たちの声を聞きながら、ミナトは嘲笑を浮かべる。

「気づくのが遅いんじゃないのか?」

 彼の虹彩が紅く輝いていた。血のようなその光は、魔法使いが魔術を行使していることの何よりの証拠だった。

「ここからずっとまっすぐ後ろに走れ。あとで拾う。今は逃げろ。」

「でもっ……」

「走れ!」

 ミナトの言葉に、気圧された涼は有無を言わさず走り去る。

 涼が走り去るのとすれ違うように、廃工場の中から巨大な人型が現れる。

全高5メートルを超えるゴーレムのような巨人――現代魔法社会が生み出した兵器、魔導機だ。

 ミナトの乗る旧式機体は、その巨体の前では明らかに見劣りしていた。

「これは……とんでもないババを引かされたか……!」

 どこからか警官の呟きが聞こえたが、それはすぐに魔導機の轟音に掻き消された。

霞切かざぎりの民生型だ!狼狽えるな!」

「魔導機以外は後退しろ!」

 混乱する警官たちを尻目に、霞切と呼ばれた魔導機に乗り込む。

 全高5メートルのその姿は、雷切に似たシルエットを持ちながら、どこか荒削りで未完成な印象を与える。

「旧式に見えるが……動きが普通じゃないぞ。」

 雷光のセンサーが霞切をロックオンし、銃口が輝きを放つ。

 魔力弾が廃墟の壁を貫き、瓦礫が飛び散る。だが、霞切はその攻撃を軽々とかわし、雷光の懐へと滑り込む。

「どうした、現行機はこんなもんか?」

 ミナトは操縦桿を巧みに操作し、霞切を狭い廃墟の中で自在に操る。その動きは、旧型機の範疇を明らかに超えていた。

「これ以上は、バレるか……?」

 ミナトがコックピット内のスイッチを操作すると、霞切の装甲から微かな赤い光が漏れ始める。通常の霞切では到底出せない魔力出力だ。

 次の瞬間、瞬く間に間合いを詰めると同時に霞切の腕部に内蔵された魔術剣が展開され、雷光の右肩を正確に貫いた。

『なんだと……!?旧型の性能じゃない!』

 向こうの回線がこっちに混線して伝わってくる。

 霞切はさらに加速し、廃墟の狭い通路を利用して雷光の攻撃を封じ込める。

「お前らのデータにない動きだろ?」

 ミナトは冷笑を浮かべながら、雷光の脚部を切り裂く。雷光が膝を折り、バランスを崩した隙に、霞切は次の攻撃態勢に入る。

 だが、突如として霞切の出力がカットされる。一瞬もすればまた魔力供給が再開されたが、その一瞬は、間違いなく明確な隙になった。

 もう一機の雷光がこちらに迫る。雷光の特殊警棒と霞切の魔術剣の鍔迫り合い。機体の各所が悲鳴を上げているのが手に取るようにわかる。

 押しのけるようにして距離を取ると、雷光は盾を構え、こちらを牽制している。

 互いに間合いを計っていると、突如として雷光は制圧を断念して後退を始めた。

「ふぅ……さすがにキツいな。」

 

 ミナトと涼は廃工場から少し離れた隠れ家にたどり着いた。そこはゴーストタウンにある小さな地下室で、緊急避難用にミナトが改装していた場所だ。

「ここならしばらく安全だ。」

 ミナトが扉を閉め、周囲を確認する。涼は息を切らしながらその場にへたり込んだ。

「……ごめんなさい。私のせいで……。」

 涼は小さく呟きながら顔を伏せる。その手首には抑制具の跡が赤く残り、かすかに震えていた。

「謝ることじゃない。お前がどうこうできる話じゃないからな。」

 ミナトは短く言い放つと、壁際に寄りかかり、懐から煙草を取り出す。火をつけ、一息吸い込むと、薄暗い空間に煙が漂った。

 煙草の火がわずかな明かりを灯す中、涼はぽつりと口を開いた。

「……でも、どうして私たちだけ、こんな目に。魔法使いってだけで……。」

 その言葉に、ミナトはしばらく黙って煙をくゆらせていた。やがて、煙草の灰を軽く払うと、静かに話し始めた。

「たとえば、普通の人間は生まれたとしても素手だ。何も持ってない。俺たちは違う。生まれたときから銃を持ってて、しかもその銃の引き金に指をかけたままなんだ。」

「銃……?」

「その銃がいつ暴発するか分からない――そう思う奴がいたら、どうする?そいつらにとっちゃ、俺たちみたいな魔法使いは脅威でしかない。」

 涼は驚いた顔をして、ミナトを見つめた。

「……でも、私は何もしてないのに。」

「何もしなくても、銃はそこにあるんだ。誰かを傷つける意志がなくてもな。」

 ミナトの言葉には、どこか諦めに似た冷たさが滲んでいた。

「だからって、その銃を壊していい理由にはならねぇ。」

 ミナトは棚の中から工具を取り出すと、涼の手首にある抑制具を指差した。

「これ、貸してみろ。」

「でも……これを外したら……」

 涼は戸惑った表情を浮かべる。

「もう十分苦しんだだろう。それに、俺はこういうのを外すのが仕事だ。」

 ミナトは手際よく抑制具を分解し始める。慎重に工具を動かし、内部の魔法陣を解除する。

「よし、これでもう後戻りは出来ないぞ。抑制具の故意による破壊は特定魔法能力者保護法により厳重に禁じられてるからな。」

 抑制具が外れると、涼はわずかに魔力が戻ってくる感覚を覚えた。

「……ありがとう。」

 彼女は小さく呟きながら手首をさすった。その瞳には、少しだけ光が宿っていた。

 涼は沈黙の中、自分の手を見つめていたが、やがて口を開いた。

「……私、もう逃げるのは嫌です。」

ミナトは一瞬目を細めた。

「……ほう?」

「今まではただ生き延びることだけ考えてました。でも、もう逃げるだけじゃ駄目だって分かったんです。自分から何かをしなきゃ、きっとまた……誰かを失ってしまう。」

 涼の声には、怯えながらもどこか覚悟が感じられた。ミナトは煙草の火を灰皿で消し、短く息を吐いた。

「そうか。」

 その言葉だけを残し、棚にある古びた地図を取り出した。

「さて……もうここは危ない。次の隠れ家を探すとするか。」

 ミナトが地図を広げながらぼそりと呟く。

「……これから、どうする?」

 彼の問いに、涼は小さく震えながらもはっきりと答えた。

「……もう逃げるのは嫌です。」

 その言葉に、ミナトは短く息を吐き、微かに笑みを浮かべた。

「だったら、足掻いてみるんだな。」




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