二章-1 フォルティとの一日
「おはよう、ティー。……いい朝だね」
布団の中で目覚めると、見知った茶髪。半開きの金色の目に、目を大きく見開いた自分が映って、テイワズは悲鳴をあげた。
「る、ルフお兄様ー!?」
ふわあ、とルフトクスは大きなあくびをして、テイワズを見て満足げに目を細めた。
叫び声がこだましてすぐに、部屋の扉が勢いよく開く。
「どうしました!?」
「どうしましたか!?」
同時に飛び込んできた色は二色。黒髪のロタと、紫髪のフォルティだった。
「おはよう、ロタ兄さん、フォル……ふわあ、あ……」
「なんでお前が同じベッドで寝てんだ!」
「ロタ兄さん、朝から怒りすぎー。いつもの口調が抜けてるよー」
ルフは面白がるように言ってそれから、布団を被り直した。……赤くなって固まったままのテイワズも入っている同じ布団を。
「ルフトクス!」
「なんで布団の中戻ってるんですか! 出てきてください!」
ロタとフォルティが布団をひっくり返すと、丸くなったルフトクスはまだ眠りを惜しそうに目を細めた。
固まっていた真隣のテイワズが、おずおずと口を開く。
「あの、ルフお兄様……」
「なあにぃ? おれの可愛いティー」
テイワズの囁きに、甘く、とろけそうな──瞳と同じ蜂蜜のような響きで答えた。
深い蜂蜜の中に捉えられて、テイワズはまた頬を赤くする。なんで。
なんで、こんなに、甘く。
今までこんなこと、なかったのに。
今までよりはるかに甘ったるい、知らなかった声と、溢れたばかりの朝日に煌めく瞳。
動揺した。
目覚めて世界が変わってしまったのを知った。
婚約破棄と、突然の家族の真実。
「……ドキドキした?」
微笑まれて、胸が高鳴る。
なんで。この人に。兄なのに。
見つめ合って蜂蜜は琥珀になりうると知る。
テイワズが胸元を抑えたところで、ロタがたまらず舌打ちをした。
「いい加減に出ろ! ルフトクス!」
ロタがルフトクスの首元を掴んで、乱暴にベッドから引き摺り落とした。
「いててー……乱暴だなあ」
「あなたが悪いんですよ! ルフ兄様!」
真面目で規則正しいフォルティは、寝巻きのテイワズやルフトクスと反した外用の服を既に着ていた。
規則正しい生活を心がけているロタも、既に寝巻きではないが、髪型のセットがまだ甘い。髪を抑えて乱暴に整えて、ルフトクスを責めるようにいった。
「なんでこんなふざけたことをしたのか、教えてもらいましょうかねえ……」
「わからないの?」
返事は一言。聞いた二人の兄は固まった。
わからない。
ルフトクスの言葉の意味は、妹のテイワズにはわからない。
「わからないわけ、ないよねぇ?」
けれど、その言葉を向けられる二人の兄は、まるでその言葉に思い当たることがあるような顔をした。
「ティーと結婚できるチャンスができたんだよ?」
(昨日の話は、本気だったの?)
テイワズは口を開けない。
ルフトクスは淡々と告げる。
「……男として意識してもらうために、モーションかけるのは…………当たり前でしょ?」
(なんで)
テイワズは思う。黙る二人の兄に。
(馬鹿なことを、と怒らないの?)
なんで笑い飛ばしもしないのかと、黙る二人の兄に対して思った。
*
「ばっかじゃねぇのか?」
朝食の場に、一番最後に現れたヘルフィはそう言って片眉を釣り上げた。
「ですよね! 兄様!」
フォルティが嬉しそうに顔を上げる。
「いーや、ルフだけじゃなくてテメェら全員だ、ぜーいん」
そう言って人一倍バターを塗り込んだパンを口に入れ朝食を食べ始めた。
他の兄たちは憮然としながらも黙って、テイワズも食事の続きをした。
結局、昨夜は父親が逃げてしまったことにより血縁にまつわる話を聞くことができなかった。
昨日逃げ出した父親は、ヘルフィによるとそのまま馬車に乗り視察に出てしまい数日帰ってこないそうだ。
テイワズ自身もどっと疲れており、五人で話し合う気力もなく早々に寝室に下がった。
(眠れないかと思ったけれど、やっぱり疲れてたのね、よく眠れた)
けれど目覚めは鮮烈だった。
ルフトクスのせいで朝から大騒動だった。
身支度を整え三人の兄と食卓につき、一番最後に眠そうな顔をしながら現れたヘルフィが言った。
「馬鹿とは心外ですね。責められるべきはルフ兄様でしょう!」
「先手を取っただけだよ。ねー、ティー。どう、ドキドキした?」
フォルティの言葉を浴びても、ルフトクスは余裕とばかりの笑みでテイワズに笑いかける。
(いやいや、そりゃあドキドキしたけれど!)
それは。
恋とかそういうのじゃなくて。
「目覚めてすぐ布団の中に人がいたら誰だってドキドキします!」
「ちぇー。なんだよー、おれだからドキドキしたって言ってほしいのにさぁ」
残念。そう言ったルフトクスは、言葉とは裏腹の顔でコーヒーを啜った。
「ま、とりあえずちょっとは意識してもらえた? おれは本気だよー」
「ルフお兄様!」
兄弟の中で一番真面目なフォルティが肩を上げる。
「フォルだって一緒にティーと寝たいんでしょ? ここはおれに怒るんじゃなくてティーを誘う場面じゃない?」
「一緒に寝るなんてそんなはしたない!」
煽るルフトクスと、それに乗ってしっかり怒るフォルティ。忙しなく揺れる茶色と紫色の髪にテイワズは何も言えない。
「けど、確かにルフ兄様に抜け駆けされた分……誘いたくはありますね」
フォルティが考えるように一度腕を組んで、それから。
「ティー。今日は僕と……」
「フォルティ! 抜け駆けはやめてください!」
フォルティの言葉をロタが遮った。
(ぬ、抜け駆けって?)
ロタが言葉を続けようと息を吸い込んだそのとき、
「だからテメェらさあ」
誰より低く、低血圧の朝の気だるさそのままに、ヘルフィが低く、それでも大きく言い放った。
「一緒に寝たいだの抜け駆けだの、全員馬鹿かっつってんだよ。よくわかんねぇ親父の言葉一つでいきなりさぁ」
おい、と言われただけなのに、テイワズは自分のことを呼んだのだとわかる。
往々にして口の悪い兄。それでも優しい、オスカリウス家の長男。だから、乱暴な口調も怖くない。
「テメェも嫌だったら嫌ってちゃんと言え。俺様たちがテメェの言うこと聞かねぇわけねぇだろ」
「ごめんなさ……」
そうよね、と思い口を開いた。
(私がちゃんと言わなきゃね)
だからちゃんと、戸惑ってることを言おうとした。息を吸い込んだ。
「じゃあおれがまずちゃんと思ってることを言うね」
それを、ルフトクスが遮った。
兄弟一の甘い顔で、甘い声で。真剣に。
「ずっと妹だと思ってたけど、妹じゃない可能性があるなら、おれはティーが大好きだから結婚したいよ」
なんで。なんで他の兄弟は黙って聞いてるの?
まっすぐな金色の視線に、テイワズは目を背けられない。
「実の兄じゃない確率は五分の四でしょ? そんなの、賭けるに決まってる。おれはきみに選ばれたい。だから」
「ルフトクス、朝からずるいですよ」
割って入った声は、ロタの声。
眼鏡をくいと押し上げて、青い瞳でロタを制した。
「自分だって、同じ気持ちです。ティー」
「え、ロタお兄様……?」
さすがに戸惑いを隠せなかった。
青い瞳が燃える様子に、テイワズは思い出す。
一番理知的に見えて、けれど理性的じゃない──この二番目の兄のことを。
「ティーが妹じゃなければと思ったことは、自分だってあります。それが本当になるとは思いませんでした」
ロタが息を吸い込む。
「オレがもしも本当の兄じゃなかったら──」
「ちょ、ちょっとロタ兄様も止まってください!」
ロタの言葉を、フォルティが慌てて止めた。
「ちぇー、いいところで止めないでよー」
「兄様方、抜け駆けが早すぎます! 僕だってティーに言いたいことがあるんですからね!」
え。先ほどからの目まぐるしい言葉と、紅茶よりも甘い言葉の連続に、テイワズはもう眩暈がしそうだった。
(ど、どうすればいいの!?)
混乱するテイワズと兄たちの間に、降った声は長男の声だった。
「テメェらさぁ」
ヘルフィは乱暴に口を拭う。
「とりあえず朝飯食べたら? 俺様はもう食べ終わるぞ」
そう言われて、三人の兄とテイワズは、慌てて食事を食べ終えた。
*
「ちょっと部屋にいます」
食事を終えてすぐ、テイワズは四人の兄にそう言って部屋に下がった。
(一人になりたい。一人で考えたい)
一人になった部屋で、自分の呼吸の音だけを聞けば早鐘を打っていた鼓動が少し落ち着いた。
(お兄様たちは、本気なの?)
本気だとわかっている。
だって、冗談を言うような兄たちではなかった。
今までずっと、大切にされてきた。
物心つく時には五人の兄とずっと一緒にいた。
それより幼い赤子の時の記憶なぞ朧げだが、自分の原初の記憶は、間違いなくこの家と兄たちだ。
(それが、まさか揺らぐなんて)
ベッドに寝転び考える。寝転んだ羽毛の中には、もう誰との温もりは残っていなかった。
(……
どうすればいいのかわからない。
身の振り方が、この身の置き場がわからない。
途方に暮れる気持ちになる。
(一人になりたくない)
一人になりたかったのに、こうして一人の部屋にいると考えてしまう。
ベッドに身も沈め込むテイワズの耳に、優しいノックの音が届いた。
「僕です」
慌てて身を起こして、返事をする。
「フォルお兄様」
テイワズがすぐに扉を開くと、フォルティは部屋の外に優しく微笑んで立っていた。
「気分転換に、観劇でも行きませんか? ……身支度ができたら、降りてきてください。下で馬車を用意しておきます」
有無を言わさない強引さは、彼にしては珍しい。
「お兄様方はいません」
え、と驚くテイワズに、フォルティは赤い目を細めていたずらっぽく笑った。
「僕と二人っきりです」
*
「わざわざ着替えてくれたんですか」
玄関に停められた馬車の前で、フォルティは降りてきたテイワズの姿を見て目を見開いた。
テイワズが着替えたドレスは、フォルティの紫の髪色に合う色のドレスだった。
「だって、フォルお兄様が劇場に誘ってくださったから……」
それを聞いたフォルティは、テイワズの両の手を硬く握る。そして真っ直ぐに、青い色の瞳を見て言った。
「可愛いです、ティー。あなたはとっても可憐です」
「お、お兄様……」
今までだって、ずいぶん妹に甘い兄だった。
誰けれど随分と様子が違う。
(今までなら)
テイワズは手を引かれて馬車に乗り込んでそれから、想像する。
今までのフォルティであれば『なんて可愛いのでしょう! やっぱり僕の妹は世界一です!』と言って抱きしめてくるはずだった。
(先程の態度や、視線は)
間違いなく、女に対するものだった、とテイワズは思う。
──今黙って浴びている、フォルティの視線でさえ。
今までとはまったく違う。
「どうしましたか?」
「い、いえ!」
慌てて視線を外したテイワズに、フォルティは優しく微笑んだ。
(やっぱり、今までと全然違う)
この胸の高鳴りはなんだろう、緊張のせいだ。疲れのせいだ。
俯いたままのテイワズを、フォルティはずっと見つめていた。
*
「着きましたよ」
太陽がいちばん高く昇った頃に着いた場所は、この街一番の劇場だった。
「ここしばらく、あなたとこういうところは来てなかったですね」
「そうですね」
上の兄たちはそれぞれ仕事。下の兄のルフトクスとフォルティも学校で忙しい。しかも二人は優秀で、休みの日は学園の手伝いなどで出かけることも多かった。
ここ数年、家族と出かける機会なんてあまりなかった、とテイワズは思い返す。
理解していても、寂しかった、と思う。
(だからダグ《元婚約者》と結婚したら寂しくなくなるかもって思ってた)
「婚約者に遠慮することももうないですしね……」
「お兄様?」
聞き取れなかったフォルティの呟きに、テイワズが首を傾げる。
「なんでもありません。さあ、参りましょうか」
フォルティは微笑んで、手を差し出す。
「エスコートさせてください、ティー」
テイワズが差し出した手を自分の腕に絡ませて、二人は劇場の中に入った。
劇の内容は、魔術の素養が二つある主人公だとか、「火」「水」「地」以外の第四の素養が出てくるとか、そんな冒険活劇だった。
よくある流行りの「こんなことがあったらいいな」という願望の見えるストーリーだったが、希望に満ちた明るい舞台だった。
そんな姿に、どこか憧れた。運命を人任せにせず、切り開く姿。
(それができるから、主人公なのよね)
婚約破棄で未来が閉ざされた気がした。
(それでも、私にはお兄様たちがいる)
テイワズはバレないようにフォルティの横顔を見た。
(……大事な、私の、お兄様たち)
昨日とはなにか違う。それでも確かに、兄の存在はテイワズに安心感を与えた。
劇場の外に出てテイワズはぐいと背筋を伸ばし、少し高いところにある兄の顔に笑いかけた。
「素晴らしい劇でしたね」
観劇も久しぶりだった。
「フォルお兄様、連れてきてくれてありがとう」
「よかった」
そう言って、フォルティは口元を綻ばせる。
「あなたの笑顔が見れました」
慈愛というには、甘ったるい笑顔だった。
そんな目に見つめられると、恥ずかしい。
目を背けたい。
けれど、惹かれて目が離せない。
フォルティはテイワズをエスコートしながら話を続ける。
「昨日から色んなことがあって、考え込んでしまうと思ったので……暗いことを考えてほしくなく、楽しんでもらいたいと思って連れてきました」
馬車の前に来て、立ち止まる。
「ちょっと強引でしたが、僕はティーの笑顔が見られて幸せです」
「フォルお兄様……」
「むろん、一番の理由は」
馬車の扉が音を立てて開かれる。
恭しく開いた扉の中は、最後の二人きりの空間。
「僕がティーと二人きりになりたかっただけなんですけどね」
帰りましょうか、とフォルティが言った。
「お兄様方に怒られないうちに」
それから馬車の中で、今日見た劇の話をして、馬車から見える景色を博識のフォルティが説明して──そうやって、昨日のことには一切触れずに家に帰った。
(敢えて楽しい空気にしてくれてる)
ありがとう、お兄様。
宝石のような紫の髪を持つ兄に、テイワズは目を細めた。
*
「おっかえりー」
ルフトクスが出迎えた。
「ちゃんと帰ってくるなんて偉いねぇ、フォル」
「当たり前ですよ」
「遅かったじゃないですか」
「ちゃんと夕食前に帰ってきましたよ!」
眼鏡を押し上げて現れたロタの言葉に、フォルティが言い返す。
楽しかったかと二人に聞かれて、テイワズは頷く。
「ええ、とても」
その言葉を聞いたフォルティは少し得意げだった。
夕食が始まる前に、ヘルフィが帰ってきた。
「お帰りなさい」
テイワズが声をかけると、おう、とヘルフィは返事をする。それからテイワズの顔をじっと見た。
「いい気分転換に…………なったみてぇだな」
微笑んで、テイワズの頭に手を置いた。
夕食はいつも通りの歓談となった。
話題は今日の劇や、ヘルフィとロタの仕事の話。
誰も血縁のことには触れず、また、
(気を遣ってくれてるのね)
テイワズはそう思う。
不自然なほど、話題に触れないのは、兄たちの優しさだと気付いた。
ならば自分から言うことではない。
「はい、ティー、あーん」
「やめなさい、ルフ」
「えー、ロタ兄さん、嫉妬ぉー?」
……みんなちょっと、今までよりも私には甘いけれど。
とはいえ言うことではないわ、とテイワズは一昨日の話題には触れなかった。
「明日は自分と出かけませんか」
テイワズを真っ直ぐに見つめて言ったのはロタだった。
テイワズが戸惑いの声を上げるより先に、ルフトクスが口を尖らせた。
「え、ずるいよ兄さん」
「ずるいのはあなたでしょう。ティーと同じ布団に入ったくせに」
そのやり取りに、テイワズはロタの顔を見つめてしまった。
(え、ロタお兄様まで)
そんなことを言うなんて。
「よろしくお願いしますね、ティー」
「え、あ……はい」
テイワズの頷きを、ヘルフィだけは見ていなかった。
それからテイワズが眠ってから、食事をした部屋の明かりが再び灯った。
ヘルフィが指先から炎を出し蝋燭に火をつける。
「ティーももう寝たみたいですね」
眼鏡を持ち上げて、ロタが言った。
「ロタ兄さん、覗いたのー?」
「あなたみたいに勝手に部屋に入るわけないでしょう。部屋の前で耳を澄ませただけですよ」
はいはーいと雑に返事をしたルフトクスに、ロタは言葉を続ける。
「しかしルフもしばらく学校を休んで平気なんですか? フォルはともかく」
「なんでフォルはともかくなのさあ」
「僕ほどの優等生は大丈夫に決まってるからですよ」
ヘルティと同じように、指先から灯した火で燭台に灯りをつけてからフォルティが椅子に座った。
フォルティは優れた魔術の成績により、飛び級してルフトクスと同じ最上級の学年になっている。かといってルフトクスが人より劣っているわけではなく、フォルティの魔術の才が非常に優れているだけだ。
なにより、真面目な態度により教師から好感度が高いこともある。そう言った面でも優等生だからだ。
「ティーに辛いこと思い出させないように遊びに連れて行く作戦を決行したら戻りますよー」
ルフトクスもフォルティも、テイワズをそばで励ましたくて──心配で数日学校を休むことにしていた。
そんな三人の様子を見て、ヘルティが言う。
「ロタこそ、今日は仕事がろくに手につかなかっただろーが」
「うっ」
言われたロタは言葉に詰まった。
ヘルフィが犬歯を見せて追撃する。
「弟たち《ルフとフォル》に先手を取られた……どこに連れて行こうかな……って呟いてただろテメェ」
「ヘルフィ、そういうことは言わないでください!」
二人の長兄の様子を見て、ルフトクスが笑う。
「はっはーん、やっぱり兄さんも内心、婚約破棄が──……血の繋がりがないかもしれなくて、自分にも可能性ができたことが嬉しいんだー?」
「うるさいですよ」
「うっせぇぞ、ルフ」
白銀の兄と宵闇の兄に睨まれて、はいはーいと軽く肩を竦める。
「ヘルフィ兄様、エイルお兄様にはこのことは伝えたのですか?」
フォルティが言った名前は、この場にいない三男の名前。このこととは、婚約破棄のことと血縁のこと。
「まだ伝えてねぇ」
ヘルフィは額にシワを寄せながら答える。
「そもそも、あの日来いよって連絡にさえ返事はねぇし姿は見えねぇし」
困ったものですね、とロタが返事をする。
「あの人は自由人にも程がありすぎますよね」
弟二人は、二人の兄の困った様子とは対照的だった。
「ふーん。まあ、いいんじゃない?」
「ライバルは少ない方がいいですからね」
その顔に、ヘルフィは片眉を釣り上げる。
「ライバルって……テメェら本気なのかよ?」
「逆にヘルフィ兄さんは本気じゃないわけ?」
ルフトクスは金色の目を鋭く細めた。
ヘルフィが答える。
「妹だろ。アイツは……家族だろ」
蝋燭の炎が、部屋の中で揺れる。
「突然血縁じゃないかもしれないなんて言われても……俺様はだてに長男じゃねぇぞ」
炎が揺れて、四人の影が揺れる。
「けど」
ルフトクスの声は真っ直ぐだった。
「状況も言い方も不快だったけど──……婚約破棄自体は、正直、嬉しいでしょ?」
ルフトクスの言葉に、三人は返事をしない。
「おれは嬉しかったよ。おれは五分の四にベットして……その中から選ばれたいよ」
ルフトクスの告白に答えたのは、フォルティだった。
「僕もです。ブランドス家と婚約が決まった時は妹だからと応援することができましたが」
フォルティの赤い瞳が、火のように煌めく。
「血の繋がりがないとわかれば、僕も遠慮しません」
ルフトクスが愉快そうに微笑んでフォルティを見た。目があったフォルティが鼻を鳴らす。
答えない兄たちを見て、ルフトクスが言う。
「……っていうか誰も覚えてたりしないわけぇ? ってことは、エイル兄さんが濃厚ってこと?」
「そういうわけではないと思いますが……」
「まったくわからねぇな」
答えた兄二人に、ルフトクスが鼻を鳴らす。
「なーんだ、喋れるじゃん」
甘く笑って、そして立ち上がる。
「宣戦ふーこく。負けないからね。じゃ、おやすみー」
ルフトクスが手を振って軽く部屋を出ていったところで、フォルティが立ち上がった。
「僕も譲りませんからね、お兄様方」
では、おやすみなさいませ。
そう続けて、フォルティと部屋を出ていった。
部屋には、長男と二男二人きりになる。
「なあ、どう思う? ロタ」
「わかりません」
長男に聞かれた二男は首を振った。
それから少し間があった。
「けど《オレ》も…………ティーを譲りたくないとは、思う」
眼鏡を外して髪を撫で付けて、続けた。
「子どもの頃から、一番大切な女の子だったから」
「……それは、俺様もだ」
感情は愛というラベリングがされている。
そこからどんな種類に仕分けるかは、まだわからなかった。
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