婚約破棄されたばかりの私に、五人の兄たちが求婚してきます〜愛してはいけない確率は五分の一〜

鈴木佐藤

一章 婚約破棄

「テイワズ・オスカリウス」


 呼ばれた名前に振り返った。

 今日は社交界デビュー《デビュタント》の日で、名を呼ばれた金髪のドレスを着た女性は、今まさに今から婚約者であるこの男と踊るところだったのだ。


 豪奢で華やかな王宮の広間。シャンデリアの下。呼ばれた声に異変を感じ、取ろうとした手を止める。

 名前が聞こえて反応した家族の視線を感じた。が、それよりはこの目の前にいる婚約者の硬い面持ちの方が気になる。

 婚約者のダグは彼女と──テイワズと同じ金髪碧眼の男だった。

 今日のテイワズのドレスは、彼が青い服を纏うと聞いていたから、それに合わせた淡い青のドレスを選んだ。

 なのに彼は、緑を基調とした正装をしてた。

(おかしい)

 並べば一枚の絵画のようだと讃えられるほどお似合いだった婚約者だった。手の届く距離にいる。

 なのに。

 もうお互い違う額装の中にいるような違和感を、テイワズは感じた。


「ダグ……?」

「気安く呼ばないでくれ」


 同じ色の青い目を信じて名を呼べば、ピシャリと冷たく放たれた。ダグは一歩引いて、目の前のテイワズを見つめた。

 そして、高らかに、告げた。


「婚約を破棄にしよう、オスカリウス家のテイワズ嬢。僕ときみは、もう婚約者ではない」


 周りがざわついた。

 どうしよう、足元がふらつく。

 立場を揺らがす出来事だった。

(……信じたくない)

 それでもテイワズが立てるのは、今日のために装い仕立てたドレスのおがげであり、なにより女として強靭に鍛えた矜持のおかげだった。


「他に愛する人ができたんだ」


 泣くな、と拳を握る。

 拳に爪が食い込む。泣かないように、心の痛みを誤魔化す。

 ──泣いたら。


「はっ! テメェは俺様の妹に相応しくねぇよ」


 ──泣いたら、大事おおごとになってしまう。


 後ろから硬い体に引き寄せられた。

 背中に正装の上からでもわかる硬い胸板があたって、目の端に銀色の光が輝いた。金髪のテイワズを抱き寄せる銀髪は、赤い目の持ち主。

 犬歯を見せて敵意を露わに細い肩を抱き寄せた、彼女の兄。


「ヘルフィお兄様」


 肩を抱き寄せた兄の手の力の強さに、大事になってしまったな、とテイワズは思う。

 ああやっぱり──。


「こっちから願い下げだぜ」


 ──お兄様たちが、黙ってない。


「その通りですね」


 肩を抱くヘルフィの熱い手を振り払って、いっそう落ち着いた深い声が降ってすぐ、テイワズの腰を抱き寄せた。


「ロタお兄様」


 テイワズが顔を上げて名前を呼ぶと、黒髪の間の眼鏡の奥で、青い瞳を細めた。


「兄さん、ティーの肩にはもっと優しく触れてくださいよ」


「あっ! こら、テメェ!」


「ティー、大丈夫ですか? ……こんな無礼な男、もう気にすることはありませんよ」


 銀髪のヘルフィと、黒髪のロタのやりとりを、剣呑とした声が裂く。


「ほらあ、やめなってば、周りが見てるよお」


 後ろから現れた、揺れる若木色の茶髪。

 蜂蜜と同じ金色の目をした彼女の兄の名は、ルフトクス。


「とはいえ、兄さんたちの言う通りだねぇ……こんな無礼で非礼で欠礼した男なんてー……」


 チラリとその金色の目に、元婚約者となったダグを映した。


「うん、死刑だねえ」


「こら! ルフ兄様! こんなところでそんな物騒な言葉を言ってはいけませんよ!」


 言い諌めらように現れて、その実全然納められてない声の持ち主は、紫色の髪の毛。


「ええ〜? フォルはそう思わないの?」


 紫色の髪の毛の青年が頷いた。


「まあ思いますけどね」


 それから赤い目を細めて、言った。


「安心してください、ティー」


 甘い笑顔で。


「あなたに血生臭いところは見せません……ちゃんと僕たちが見えないところで殺しますので」


 にっこり笑ったフォルティ兄様の笑顔に、元婚約者と同じ引きつった表情をしてしまう。

(いやいやなにその笑顔)

 むしろ彼なんか、私と──四人の兄たちの視線を浴びて青くなってさえいる。

 気持ちがわかってテイワズは肩をすくめる。


 オスカリウス家が誇る五人の兄。

 その兄のうち、四人が勢揃いして──たった一人を見つめている。

 それは、たった一人の妹に不名誉と屈辱を与えた男に。


「さ、さっきっから不敬だぞ!」


 視線を浴びた男は、足の震えを隠せない。ダグはそれでも必死に、青い目を釣り上げた。

 それを嘲笑うように、銀髪をシャンデリアに光らせて、敵意を隠さず長男のヘルフィが犬歯を見せた。


「はっ! 不敬なのはどっちだ!」


「──どっちなのでしょうね」


 それは華やかだが棘だらけの空間に、突然現れた声だった。


「姫、様……!?」


 姫様だわ。と、周囲から聞こえた声がテイワズの疑念を確信に変えた。


「この国の王女、ニコラ様よ……」


 振り向けばそこには、薄桃色の長い髪を華やかにまとめた誰より華やかで美しい女性。

 紫色の瞳の、この国の唯一の姫。

 

 吹き抜けの二階部分から繋がる階段をゆっくりと、光のように降りてきて、同じ高さに立った。

 唖然とする周囲に、召使が尊大に声高に言う。


こうべを垂れよ!」


「よいのです。わたくしが彼らと喋りたいのですから」


 姫様が言うのであれば、と召使が一歩引いた。

(なんで、お姫様が)

 姫はそのまま、テイワズの目の前、ダグの横に立った。


「あなたがダグ様の元婚約者ね」


「ええ、たった今になりましたね」


 美しい声に反応したのはロタだった。慇懃無礼な、冷たい顔と声だった。そんなロタをヘルフィが小突く。


「おい、ロタ」


「お兄様方」


 末の妹のテイワズが小声で言えば、銀髪と黒髪の二人は黙った。

 紫色の目と目が合ったのは一瞬。

 まさか。婚約者は姫様? そう周りがさざめく。

(私が一番聞きたい)

 けれど今は、口が開けないし、目が離せない。

(なんで姫様が)

 その人物は──


「ごめんなさい」


 この場の人物の予想を裏切って、頭を下げた。隣にいるダグがなによりもその行動に目を丸くした。


「ニコラ!?」


(名前で呼ぶ間柄なの!?)

 唾を飲みこんだテイワズに、姫は目を伏せる。


「ごめんなさい。わたくしが、彼を愛してしまったから……」

「ああ、すまない……ぼくが……」

 桃色の髪の姫様と、金髪の元婚約者。姫様とダグが互いの腰を支え合って顔を寄せ合った。

 その様子を待て、茶髪のルフトクスが忌々しいとばかりに目を細めた。


「ちょっとやめてよねえ、こっちが悪者みたいじゃん」


「まあいいよ、悪者になってやるよ」

 鼻を鳴らしたのは、ヘルフィだった。

「謝罪なんていらねぇ、むしろ礼を言ってやるよ」


 赤い目を細めて、寄り添う二人を威嚇するように言う。


「てめぇは俺様の妹にふさわしくねぇ。返してくれてありがとよ!」


 隣のロタも、優しそうな顔を冷たく歪めた。不快感を隠さずそのままに言った。


「俺様の? ヘルフィ。俺様達、の間違いでしょう?」


「うっせぇなあ」


「ロタ兄さんの言う通りだよ、ヘルフィ兄さん。……ティーはおれの可愛い妹だもんねぇ」


「ルフ兄様! ティーは僕の妹でもあるんですからね!」


(フォルお兄様まで!)

 四人の兄が今度は互いに睨み合うので、さすがのテイワズも呆気に取られてばかりではいられない。


「えっと……お兄様方……」


「……と、言うわけで自分たちは帰りますよ」


 黒髪のロタがテイワズの腰を引き寄せた。


「元より妹の社交界デビューを見守りに来ただけですので……雑事に興味はありません」


 銀髪のヘルフィが鼻を鳴らす。


「じゃあな! もう二度と俺様の妹に会うんじゃねーぞ……まあ、そんなことあるわけないがな」


 それから茶髪のルフトクスが目を細める。


「そうだよー、姫様と仲良くねえ」


 最後に笑ったのは、紫髪のフォルティだった。


「では、失礼いたしました」


 テイワズは四人の兄達に背中を押されて、大きな背丈に護られるように。後ろを振り返ってもなにも見えないそのままに、城の広間を後にした。



 オスカリウス家の五人の男子。

(私のお兄様たちは)

 剣に次いで魔術も優れた、侯爵家の子息。


 研ぎ澄ますべきは剣と魔のこの国の名は、ムスペイル。

 魔力においては三大要素があり、それぞれ適性をがある素養を見つけ魔術を使うことができる。

 剣術と魔導が求められるこの国で、公爵家として名高いオスカリウス家にはどちらにも秀でた五人の子息たちがいた。


 長男、ヘルフィ。二十二歳。

 月と同じ銀髪に赤い目。優れた剣士であり、魔術の要素に火を持つ。

 学徒だった頃は、上級生複数人に生意気だと呼び出されたのに、剣を鞘に納めたまま薙ぎ倒し、

『俺様に言うことを聞け』

 と、言い放ち学園内の支配者になったのは卒業した今でも語られている話である。

 尊大で傲慢。だけれどそれを理不尽と思わせない風格。

 今は侯爵である父の後継候補として見習いをしているから大分性格的には牙が丸くなったと思われている、が。


「くっそ。ダグの野郎許せねぇ」


 そう言った口元には尖った犬歯がよく見えた。


「名前を言うのも憚られます。あの野郎、でいいのではないですか、兄さん」


 二男。ロタ。二十歳。

 夜空に似た黒髪に昼空の青い目。眼鏡をくいと上げていつも慇懃な言葉遣いをしている。

 理知的だけれど、理性的ではない。

『言葉一つで許されると思ってるんですか?』

 ヘルフィが許した上級生達を許さず、眼鏡を投げ捨て剣を持ち出して襲いに行った。

 剣の腕も優れてる。単純な武力ならヘルフィよりも強いかもしれない。が、我を忘れやすいので頭に血が昇り一本取られて負けている。

 魔術の要素は水。

 長男であるヘルフィと同じ後継候補……今は補佐をしている。ヘルフィのブレーキ役にとその役目をしているが、実は誰より喧嘩っ早いので適役なのかはわからない。


「ちょっとお、兄さんたちってばさっきっから口汚いなあ」


 そう言ったのは、若木と同じ茶髪に金色の目。

 四男、ルフトクス。十八歳。

(ルフお兄様)

 大地の魔術の素養を持つ、少しマイペースな男子。

 剣の腕は上の兄ほどではないが、学園では随一。しかし体を使うことが好きではないようで、本人は魔術の方が向いていると言う。

『おれはおれのすべてでおれの好きなようにするの〜』

 教師に剣術の授業をサボったのが見つかり、謝ることもなくそう軽々と言ってからはサボってもお咎めを受けていない。それだけ魔術の腕が優れているのか、呆れられているのかはわからない。


「そうですよ、僕だって殺してやりたいって一言を我慢してるんですからね!」


 宝石のような紫の髪に赤い目。魔術の要素は長男と同じ火。

 五男、フォルティ。フォルお兄様。十七歳。

 魔術の成績がずば抜けており、飛び級してルフトクスと同じ最上級生になっている。

 剣の腕も悪くはないが、兄たちほどではない。と、言ってもお兄様たちが規格外なだけ。

『僕がやらねば誰がやるのですか? 求められれば応えて当然です。──正しく答えましょう』

 当時一学年だったが、魔術の発表会で花形であるトリを努めた。誰も操れないほどの大きな炎で鳥を作り空を飛ばせ大成功させ、その素晴らしさにいっきに飛び級したのは有名な話。

 誰より真面目で勤勉。ただ、それ故に癖のあるお兄様方に振り回されている。


「……だいたい、あいつは何してんだよ! あ、い、つ、は!?」


 ヘルフィが拳で机を叩いた。


「せっかくの紅茶が溢れます、兄さん」


「クソ! 紅茶なんか落ち着いて飲んでられっか! むしゃくしゃする!」


「ヘルフィ兄さんはうるさいねえ、ティー?」


「本当ですよ! 一息つきたいですよね? ティー?」


 テイワズは、紫髪のルフトクスと、赤髪のフォルティの真ん中に座らせられている。


「え、ええっと……お兄様方……」


「なんでてめぇらがティーの横座ってんだよー!」


「あなたがうるさいからでしょう、ヘルフィ兄さん」


「なんであいつはデビュタントにも顔を出さねーんだよ」


 言われたヘルフィが睨むが、ロタは涼しい顔で紅茶を啜る。

(エイルお兄様のことね)

 ヘルフィが言っているのは、ここにはいないもう一人の──三番目の兄のことだった。


 四人の兄たちと一人の妹。

 五人の空間に、ノックの音が飛び込んできた。

 あわや話題の人物かと期待はしたが、そんなことはないと皆腹の底でわかっていた。

 扉が開く。


「ああ、おかえり! 可愛い子供達! ……大変だったな、テイワズ!」


「お父様!」


 親父、父様、父さん、お父様、と。口々の呼び名で呟いて立ち上がった。

 現れたのは、現当主である、五人の──もとい、六人の父親だった。

 灰髪の父親はこの空間では唯一の金髪の娘を抱きしめた。


「あの婚姻を受けた儂が間違っていた──すまない、すまなかった、ティー」


「いいんです、お父様」


 もう終わったことだから。

 テイワズは気丈に答える。


「お兄様方がいてくれましたから」


 そう。足元が崩れ落ちると錯覚したあの場所で、立っていられたのは──帰ってこられたのは兄たちがいたからだ。


「元より強引に勧められた婚姻でな……向こうがティーを守りたいという意志も強そうで許したが……まさか……」


「…………もう、終わったことです」


 目を伏せて、言葉をひとつ落とす。落ちた水は戻らない。過ぎた過去には戻れない。

 婚約が決まったのは昨年。

 家族御用達である魔術学園にも行っておらず十六歳を迎えたテイワズを守りたいと、婚約者であるブランドス家が申し出てきたからだった。


(女だから家督の後継でもない。ありがたいとは思った、けれど)

 何より運命を人任せにしてしまった自分に、後悔があった。自分の素養の無さに悔恨があった。


「……もとより私に、魔術の素養がないからで」


「けど、それをわかって婚約を申し込んできたはずですよ?」


 テイワズの言葉を、紫髪のフォルティが無邪気に引き継いだ。彼が言いにくい事実を言葉にできたのは、この中で一番若いからだったのかもしれない。


(なんでかは知らないけれど、)

 テイワズには、魔術の要素がない。

 と言ってもない人間が珍しいわけではない。平民はほとんど魔術要素がない人間で、兄様たちが通った魔術学園に通うこともない。珍しい人種ではない。ただ──貴族、特権階級ではそんな人間はほとんどいない。

 それは貴族の得る税は、その要素がもたらす魔力による恵みを対価に得られるものだからだ。


 雪が積もれば炎で溶かし、荒れた草を燃やし道を切り開くのが火の素養を持つ領主。

 川が荒れれば水の素養を持つ領主が出向き氾濫を抑える。

 枯れた大地であれば大地の素養を持つ領主が触れて蘇らせ、恵を与える。

 その三大要素の福音を民たちに与え治め納められる。そうやって貴族と庶民は与え合う関係。

 故に、その体質は疎まれるべきものでもあった。


「ティーを生涯かけて守るっていうから許したのに、ねえ……」


 ルフトクスが呟いた。

 向いに座る白と黒の兄二人も答えず、父も悲しそうに眉尻を下げた。悲しそうな空間は似合わない。誰より優しい家族たちに──こんな顔をさせていたくない。


「こんなに優しいお兄様方がいて、私、幸せです。だから、いいんです」


 もうそれだけで充分なんです。

 心から言えば父は目頭を抑えて、テイワズの肩に手を置いた。


「こんなに思いやりのある家族になるとは……血の繋がりがあるのは一人だけなのに……」


「は?」

「はい?」

「え?」

「はい?」


 待って。今初めて父の言葉が理解できなかった。

 テイワズは聞き返す。


「お父様、今なんと?」


「ああ、お前と血の繋がりがあるのは兄のうち一人だけで、他の兄らは義理の縁だがまるで本当の家族のように…………ん、んんっ」


 突然父は言った言葉に気がついたようで視線を外して大きく咳払いをした。


「おい、親父、今……」

「今なんと言いましたか……?」

「もう一回言ってー?」

「もう一度お願いします、お父様……」


 固まるテイワズと、椅子から立ち上がって問いただす兄たちに、父親は後退りをする。


「いや、その……ティーが嫁いだら五人揃った時にでも話そうと思って言葉を準備しておいてたんだが」


 父親は目を逸らししどろもどろに言いながら、一歩、また一歩と後ろに引く。


「ティーが嫁いでもお前たちはオスカリウス家の家族だと……一族の縁は堅いと……な……は、は、ははは……」


 固まったままのテイワズとは対照的に、四人の兄たちは父親ににじり寄る。──真実を聞こうと。


「おい、どういうことだ、親父……」

「自分たちは異母兄弟だと聞いていましたが……」

「そうそう、みんな血の繋がりのある兄弟だって……」

「僕たちはティーの本当の兄ではないのですか!?」


「いや、みんなティーの本当の兄だよ? ここまでずっと暮らしてきた、儂らは家族だ。ただ──」


 にじりやられてとうとう、父親の背中が扉についた。四人の青年に囲まれて、中年らしく額に脂汗を浮かせる。


「ティーと血の繋がりがあるのは、一人だけで……」


 聞こえる言葉が、ショックだった。

 私たちの繋がりがあるのは、五人の兄のうち、一人だけ。

(家族じゃないってこと?)

 四人の兄達は、血縁関係のない関係。


「おい。それは誰だよ、答えろよ……」

「そうですよ、言ってください……」

「父さんさあ、なんでそんなこと黙ってたかなあ?」

「答えてもらいましょうか」


 兄たちは父親から聞き出そうとしている。

(やめて)

 聞きたくない。

 大衆の面前で婚約破棄なんてくらった今日。

 ……これ以上、ショックを上乗せさせたくない。

 家族じゃなかった、なんて。今知りたくなかった。

 なんで兄たちが秘密を暴こうとしているのか、テイワズにはわからなかった。

 なんで。

(なんで家族じゃない証明を、聞こうとしているの)


「おい、言えよ、親父」


 赤い目を鋭く光らせて、ヘルフィが言った。


「す、すまなかったああああ!」


「あっ! こら、待ちやがれ!」


 扉を開いて逃げ出した父親を、白銀を光らせてヘルフィが追いかけて、二人が室内から出ていった。

 残された部屋の中で、テイワズは「嘘でしょ」と呟いた。

 ロタが神妙な面持ちで唸った。


「思わぬ事実が出てきましたね」


「まさかねえ、おれたち五人のうち……」


「四人が兄弟じゃないってこと……?」


(私ともう一人が養子なの? それとも、他の四人が養子なの?)

 皆が同じことを考えていた。


 この社会において、貴族階級における養子縁組というのは珍しいことではない。

 魔術の要素が貴族の支持にも関わる社会で、一族で三つの要素を手中に収め、その地を治めるのはむしろ賢い経営戦略だとも言えた。

 だからこそ側室や愛人というのも多少鼻つままれはすれ、子さえできてしまえば勝ちなところはあって。だからこそ──異母兄弟で五人の男子と一人の女子というのは珍しい家族構成ではないし、魔術の素養をすべて揃えているという点では成功でさえもあった。

(もちろん私にも素養があるべきなのが最高なのだが)

 そうではなかった。

 とはいえ。

 物心ついた時には五人の兄とこの屋敷に住んでいたから、いきなり兄じゃないかもしれないなんて言われて、動揺しないわけがなかった。

 血の繋がりがなくとも家族だと大声で言える。たとえそれが誰であっても。

 秘密を暴かないでほしいとさえ思う。

 それなのにこの──


「クッソ、親父に逃げられた……馬乗って逃げやがった……」


「そういうところは、エイル《三男》にそっくりですね」


 兄たちは、今、秘密を暴こうとしている。


「父さんとエイルがそっくりなら、エイルとティーが実の兄妹ってことにならないかなー?」


「そもそも父が誰と同じなのかすら判別がつきませんからね……」


 茶髪のルフトクス言葉に、黒髪のロタが淡々と返した。


「っていうかエイルの野郎はこんな日にもまじで帰ってこねぇのかよ」


 白銀のヘルフィが息切れを整えてから舌打ちをする。


「どこにいるのかすらわからないもんねぇ」


 ルフトクスが首を傾げて、フォルティが考えるように腕を組んだ。


「しかし、ティーと血が繋がっているのは僕たちのうち誰なんでしょうか」


 本当ですね、とロタが頷いて。それから眼鏡をくいと押し込んだ。


「血の繋がりがなければ、結婚してもいいはずですからね」


 ……え?

 呆気に取られるテイワズの前で、彼女がいることすらも忘れたように四人の兄達は言葉を交わし合う。

 ルフトクスの口元は笑っていた。

 

「そうそう、もしかしたらじゃないかもってことでしょー?」


「お兄様方、一番可能性があるのは僕ですよ! なんてったって僕が一番ティーと歳が近いですからね!」


「てめぇアホか。歳が近いからって兄妹ではいと限らねぇだろ、てめぇとティーは一年違うだろ」


「う、うう……!」


「いやー、あんな馬の骨におれたちの可愛いティーを渡したくなかったからねぇ、実のところばんばんざーい」


「自分もです」


 ロタお兄様が言って、兄たちは頷きあう。

(何を言っているの?)

 僅かに入る余地ができたその歓談に、テイワズは恐る恐る言葉を入れる。


「…………あの、お兄様方?」


「ティー」


 名前よりも近い、家族だけの愛称。

 呼んだのはロタだった。青い目を細めてティーを映した。


「あなたは、誰と結婚したいですか?」


 婚約破棄されたばかりなのに、新たにこんな言葉が降りかかると思わなかった。

 テイワズの眼前で、四人の兄たちが笑った。



「この馬鹿息子!」

 家に着いた途端に、ダグは父親から平手打ちをされる。


 あれからダンス会場では、一人の女性に不名誉を被せたことを糾弾されこそはしなかった。

 それは新しい婚約者が──恋人が──王家の一人娘、姫だからということだろう。


「何もわざわざ婚約者がいた男を選ばなくてもねえ」

 多少の悪口はあった。それはわかる。

「王家の振る舞いが悪いから最近天候が荒れたりするんじゃない?」

 とんでもない風評被害だ。


 それに加えて、帰宅したら今度は父親の平手打ちだ。

 ダグは頬を抑えて父親を睨む。その視線を受けて父親が声を上げた。


「あの娘はな、素養なしなんだぞ!」


「なんだよ! わかってるじゃないか! なら無価値だろう!」


 痛む頬を抑えながら言い返せば、ダグの父親にしては些か年のいった初老の父親は深く溜息をついて頭を抑えた。


「そうじゃないんだ……あの家で火と水と大地に守られるあの娘が……古い王に強く求められそれ故になかったものにされた素養を持っているかもしれないのだ……」


 呟きはダグには聞こえない。聞こえても理解ができない。

 何を言ってるんだ? この父親は。


「だからお前をあの家の娘と婚約させたのに! 親に黙って婚約破棄……しかも新しい婚約者に、姫君……!?」


「いいことだろう! 王家の仲間入りだ! 落ちぶれ貴族から抜け出せるんだ!」

「王家に対してこちらから断るなんてできない……ああ!」

 自分の言葉に答えず、頭を抱えて嘆く父親にダグはむっとして言い返す。


「なんだよ、断るなんておかしいだろ! 両手を上げて喜ぶべきだろう! 息子はよくやったって抱きしめこそすれ叩かれる理由はないはずだ!」


「いいやお前は一世一代のチャンスを無駄にした」


 なにより婚約は愛の上だった。たとえ第一に親への愛であっても。それが愛のためなのは嘘ではなかった。

 ──一途な姿を見ていた、なんて姫に声をかけられてこれで父親に褒められると。

 そんなことを言われて、父親が取り付けたオスカリウス家のテイワズとよりも姫の方が、ダグ自身を愛してくれていると思った。

(あの家の兄どもは存在感がありすぎる)

 テイワズを嫌っていたわけではないが、あの五人が義兄になることは気が重かった。

 だから姫に声をかけられて、結婚するなら姫がいいとすぐに決めた。

 その方が、家のためにもなると思った。

(なのになぜ、父様はぼくを責める)


「うまくいけば大きな力を手に入れられたかもしれないチャンスを」


 何かを探し求めて、ろくに資産の増えないままで、ブランドス家の経済状況は悪化している。

 落ちぶれと揶揄されているのは知っている。だから手を打ったのに、なぜこの父親は──。


「魔術の根底を揺るがすほどの、大きな力を……」


 手を打たねばな、と言った父親に、ダグは暗い視線を送った。

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