星守レオの日常

初瀬:冬爾

第1話

 星守レオは、何処かの絵本の中から抜け出してきたような青年だ。さらさらでふわふわの髪は星屑のような銀色だし、肌はゆで卵みたいに白くてまろい。目は灰色とも、焦げ茶ともつかない不思議な色で、顔立ちは全体的にシャープで綺麗な印象を受ける。

 レオは休み時間の途中で学校を抜けだしたり、知らない人から公園で人生相談を受けたり、カッパを探しにいくとかで、川を取っ替え引っ替え行ってみたりする、世間一般で言うところの〈変な子〉だった。

 彼自身は至って大真面目で、むしろとても繊細な性格だったりするのだが、浮世離れした雰囲気は、そんな本人の本質も覆い隠してしまった。何を考えているのか分からないとか、どこまで本気か分からないとか言われ続けること十七年。ふんわり優しいが、友達として付き合うのに相当の胆力と懐の深さがいった。突拍子のない言動ばかりだし、あまり人の気持ちは分からないので本当にひと握りの人としか深く関われないのだ。必然的に友達は少なかった。

星守レオは今までの人生の中で、そのほんの少しの友達のことが一番大切だ。



 


 X県立雪街高等学校。六百名を超える生徒が在籍する、自由な校風が看板の地元校だ。偏差値そこそこ、部活動は運動部のみ練習熱心で、校則も緩め。受験して入ったのは自分だけれど、レオはこの学校のことがあまり好きではなかった。お昼休みは賑やかで、生徒のほとんどが教室か食堂で友達とご飯を食べる。

「ハルー。」

同じクラスの荒井月美あらいつきはるに声を掛ける。野球児みたいな短髪。鋭い目つきに鼻筋が通っていて、雰囲気はまるで、昭和映画の伊達男だ。

「今日も焼きそばパンか?」

ゴソゴソ黒い鞄の中から弁当箱を探しながら尋ねた。

月美は毎日、美人な母ちゃんに弁当を作って貰っている。それがすごく美味しそうで、レオはおかずをちょっとつままさせてもらう。

朝のうちに購買で買っておいたパンを見せた。十七年生きてきて、レオは最近漸く焼きそばパンの美味しさに気付いたのだ。

 

 雪街高校の用務室は一階の、薄暗くて、少し肌寒い廊下の奥の奥にある。閑散とした通路は、ローファーの足音がよく響く。目的の用務室のドアは年季が入っていて、所々ペンキが剥げている。建て付けの悪いドアノブが甲高い音を立てた。全部で六畳ほどの小さな部屋。各々が持ち込んだ家具や装飾品なんかが溢れていた。レオはソファに、月美はパイプ椅子に腰を下ろした。

「昨日の心霊特番見たか?」

「見た。めっちゃヤバかった。俺は何で最後まで見てたのかな…。」

「バカだからじゃねぇか?」

確かにそうだが、明け透けに言い過ぎだ。

購買で買った焼きそばパンの、濃いめのソースがてらてら光る。もちっとした麺の味付けは濃い目で、パンは甘みがあって、どっしりしている。上に掛けられたマヨネーズが甘じょっぱい。夢中でがっついてしまう美味しさだ。

「がっついてんな。」

 月美はいつもレオより先に話を振る。レオは話好きだが、自分から話を振るのが苦手なことを分かっているのだ。行動が目立つからか、銀髪のせいか分からないけど、レオは友達が少ない。それでも一人の親友がいるだけで、学校に来ようという気持ちになる。

「家、大丈夫か。」

「……大丈夫。」

月美が眉を顰めて聞くのは、レオと両親があまり仲良くないのを知っているからだ。十年来の幼馴染は、親のことも勿論知っている。

「何か言われたら、すぐ家に来いよ。お前は悪くないんだから。」

いつもレオの味方でいてくれて、事情も全部知っている上で言うのだ。レオはもう何年も月美の言葉のお陰で何とか生きている。言ったら大袈裟だと言われるだろうけど、本当にそう思っていた。

「ほんと、いつもありがとうね。」

「はいはい。」

レオは変な奴だとよく言われるし、空気が読めなかったりするから、大勢とは仲良くなれない。月美はもっと自分のことを凄いんだと思っていいと思うのだ。



 星守家は、子供がいる家庭の多い住宅街の奥にある。築三十年の二階建ては広くもなく、狭くもない。日当たりだって悪くなく、壁は白いのに何故か暗くて、灰色のイメージが強い。生まれてからずっと住んでいる、レオの家だ。

「……ただいま。」

玄関で取り敢えず言ってみたけれど、返事は無かった。そうだよなぁ、と思う反面、少しだけ寂しい気持ちになる。父と母は仕事でいないからとか、用事で出掛けているからとかで返事出来ないのではない。二人とも家に居るけれど、レオの言葉に反応しないのだ。靴を脱ぎ、リビングに入る。十畳ほどの洋室の、四人掛けのテーブルに座った父は、レオにちらりと視線を向けて、すぐに新聞に戻した。この人は長年の会社出勤から在宅ワークに切り替わって、ずっと家に居るようになった。キッチンで洗い物をしている母は、いつ見ても薄幸そうで、表情が無い。二人がこういう態度なのは自分のせいだし、仕方のないことだと知っているから、レオは反抗したりしない。

 一応帰ってきたことは報告できたので、二階の自分の部屋にせかせか帰った。大きめのベッドにどかっと倒れ込んで、喉の奥から深呼吸する。レオは最近、家に居ると息が浅くなることに気付いた。ベッドサイドの時計は六時だ。晩御飯まであと三十分程ある。

 こんな雰囲気のレオの家だが、晩御飯は毎日家族全員で食べていた。どれだけ酷い喧嘩の後だろうと、気まずかろうとも一緒に食卓を囲む。この習慣が無ければ、家族はとっくに空中分解していたかもしれない。でも最近では、その時間さえ憂鬱に感じるようになってしまった。バッとベッドから立ち上がる。

「ハルの家に行こう。」

 月美の家は工務店で、店主の祖父と、月美の母ちゃんの朱美ちゃんの三人で住んでいる。二人とも今更、レオが突撃してきたところで困ったりしないが、一応メールを送っておいた。幼馴染さまさまだ。

 準備といっても財布とスマホくらいなのだが、レオはそれだけでワクワクした。明日は平日だし、泊まるわけでもないから荷物はこの二つのみだったが。財布を入れたスカスカの大きな横掛けリュックは、修学旅行用に買ったものだ。ピロンと鳴ったスマホを見ると、さっき送ったお伺いのメールに返信が来ていた。

〈母ちゃんが、晩飯ついでに泊まりに来なって〉

レオは月美の母ちゃんのこういう所が大好きだ。急いで着替えやら歯ブラシやらを詰めたかばんに、明日までだと言う課題も押し込んだ。そのまま駆け走って、リビングには寄らずに玄関から外に出た。


 

「さっむいなぁ。」

春とはいえ、四月はまだ冷える。考えなしに着の身着のまま出てきてしまった。レオはこういう所が駄目なのだ。さっきメッセージアプリで母に出かける旨を伝えた。返事はなかったけど、既読はついたから、もういいのだ。

 街灯に蛾がばちばち体当たりしている。はぁ、と吐く息が白い。早く着かないかなぁ。

 今日もきっと工務店「ツキヤ」はあったかい。



 

 

 俺とレオは同じクラスだ。二年一組。クラスはメンツによって当たり外れはあると思うけれど、今年はまだマシな方だと思う。明るい奴も、大人しい奴らも丁度いい塩梅に散らばっている。

 ただ、肝心のレオは今年に入ってあんまり調子が良くないらしく、しょっちゅう学校を休んでいる。

 クラスの奴らもレオの扱いに困っていると言うか、どういう事情なのかと不思議に思っているようで、俺はよくレオについて訊かれる。その度どう答えたものかと思うのだが、なるべく誤解のないよう、あいつの人柄を伝えるようにしている。レオは派手な見た目から、本人の人格から掛け離れた噂を流されがちだからだ。

月美ハルおっはよー!」

 そのレオが、今日は朝から学校に来ている。元気一杯に、ピカピカの笑顔で俺の机に駆け寄ってきた。昨日の夜に、明日は修学旅行の班決めがあるんだぞと伝えておいたからだろう。

「はよ。よかった、起きられたんだな。」

「うん!ありがとうな、言ってくれて!」

 正直レオが一時間目の班決めに間に合うかは一か八かだったが、伝えておいて良かった。

 クラスの皆がざわついている。レアモンスターの星守レオが何の前拍子も無く、弾丸のように教室に突っ込んできたからだ。早速レオの銀髪に当てられて何人かが眉を顰めた。この銀髪だけで、レオの人となりを計れたと思う人間は結構いる。校則違反だし目立つけれど、それはあんまりな事だと思う。

 大人によく言われる事だが、『外見だけで人を判断してはいけない』のだ。レオと一緒にいると、そのことをよくよく実感させられる。


「全員席につけー。」

 朝のホームルームの時間になり、担任の峠郷美とうげさとみが教室に入ってきた。峠は若い男の教諭で、ちょっとした校則違反も見逃してくれない。真面目で融通は効かないが、相談事なんかは真摯に聞いてくれると評判だ。

「そこ、喋るな。」

 峠は少しイライラした様子で眼鏡の位置を直した。

「今日のホームルームでは、言っていた通り修学旅行の班決めをするからな。四、五人で班を組め。」

 それだけ言って、峠は教室の角にある教師用の机で何やら課題の丸つけを始めた。

 一気に教室が騒がしくなった。何とか普段から仲の良いやつと班を組もうと、ほぼ全員が必死の形相だった。

 ガタタッ

「……っと。」

 急いで移動していたらしい女子がぶつかって机が揺れた。向かった先の女子グループはかなりのカースト上位だから、人気なんだろう。

 

月美ハル‼︎」

 ぶつかった机をガタガタ言わせながら、レオがこっちに駆け寄ってきた。

「ね、ね!一緒に組もう!」

 満面の笑みで、俺が断るなんて一切思っていない顔だ。勿論断ったりはしないが。

「あぁ。俺も言おうと思ってた所だ。」

 そう言うと、レオは顔を真っ赤にして本当に嬉しそうに笑った。


「……全員、決まったか?」

 いつの間にか教室の中で団体がいくつか出来ていた。そのほとんどが隅に寄っていて、真ん中はガラガラだった。

 その真ん中に、一人の女子が俯いて立っていた。

「…酒米。誰かと組んだか?」

 ふるふる、と首を振ったその女子は酒米穂花さかめほのか。黒髪ボブカットの大人しい、いつも誰かとつるんでいるタイプではない子だ。

「……すみ、ません。」

 小さな声だが、声を絞り出しているのが分かった。だが今にも泣き出してしまいそうな酒米さんに、峠は追い打ちをかけた。

 

「誰か、酒米を入れてやってくれ。」

 

 俺は峠のこういう所が嫌いだ。真面目なのは結構、堅物なのも勝手だが、時々この人はあまりにも人の心が分からない。

 酒米さんは歯を食いしばって泣くのを耐えていた。彼女の悲鳴が聞こえてくるようだった。

そのときだった。


「はいはいはーい!!俺、酒米さんと組みたいです!」

 レオが思いっきり手を挙げていた。

 

「……星守。」

 はぁ、と峠は溜め息を吐いて言う。

「酒米も女子一人じゃ馴染みづらいだろう。」

その配慮が出来る人間が、何故さっき酒米さんには配慮しなかったのか。

「酒米さん!」

「は、はい!」

 酒米さんはレオにつられたように、しどろもどろながら大きな声で返事をした。レオはずんずん酒米さんに近づいていった。

「俺、酒米さんも一緒の班がいいんだけど、酒米さんはどう思う?」

「えっ……。」

 彼女は戸惑って、おろおろと視線を彷徨わせた。俺はとりあえずレオを止めようと、二人に近づいた。

「あっ、あの…。」

 酒米さんは手をぐっと握りしめて、顔を上げて言った。

「もし、良ければ…なんですけど、私も星守くん達と組みたい、です。」

 酒米さんは泣いていなかった。堪えた涙は目に溜まって、食いしばった口は変な形になっていたけれど。

 レオはにぱっと笑って言った。

「じゃあ、決まり!うちの班は月美と酒米さんと、俺の三人で行こう!」

「!……はいっ!」

 やっと酒米さんは微笑んだ。俺はとてもほっとした。こういう時のレオの行動が、相手も、本人も傷付けてしまうことがあるからだ。

 だけど酒米さんは、レオの行動を受け止めて、笑ってくれる人だった。

 よかった、本当に。

 




 うちのクラスには問題児が居る。何人かいる中でも、飛び抜けてなのは〈星守レオ〉のことだった。最初はなからこの色ですよ、と言うような白々しい銀髪は、何度言っても黒く染めてこないし、遅刻はするわ、学校を脱走するわ、妙な噂ばかり立つわでやりたい放題なのだ。レオの担任の峠郷美とうげさとみ教諭は、このことがとても我慢ならなかった。峠は、本人が真面目な性格で、自分が学生だった時代から不良だとかルールを破る人間のことを冷めた目で見てきた。自分とそいつらのことを同じ人間だなんて思えないで、一切分からないまま教師になった。

 きっちり勉強し、大学を出てそのまま教師になり三年目、大きな壁にぶち当たっていた。

「……星守。ちょっと来い。」

「え、俺、課題出せたと思います。今日は遅刻もしてないです。」

「それとは別件だ。昼休みに、職員室だ。忘れるなよ。」

 少しの会話だけでは分からないだろう。この、星守レオのおかしさは。いつも何かズレていて、論点が噛み合わない。敬語を使っているのが奇跡だとすら思える。昼休みまで、今言ったことを覚えているかどうかも怪しい。

 

「はぁ〜〜〜。」

職員室の自分の椅子で、他に誰も居ないのを良いことに大きなため息を吐いた。深く椅子に座り、眉間を揉む。

「どうしたらいいんだ、あの問題児。」

口を突いて出たのはこの頃の本気の悩みの種だった。本人に自覚が無さそうなのも頂けない。さも、自分は被害者です、みたいな顔をして。

「……駄目だ駄目だ。教師として、担任として、生徒のことを導かねばいかんだろ。」

峠は揺れていた。二十数年生きてきた〈峠郷美〉の経験足は、レオのような人間とは分かり合えないと言っているが、教師歴三年の〈郷美先生〉は、教師として他の生徒と平等に扱うべきだと言う葛藤だ。職員室で会えば軽く話すくらいの同僚はいるが、そこまで仲が良い訳ではない。職場に自分より年下はおらず、ほとんどは年上。祖父母と孫くらい歳が離れている人もいる。

 峠の学校での人間関係は浅かった。ちょっとした仕事の悩みなんかを話せる人がいなかったのだ。学生時代からそうだったが、それがこんな所で仇になるなんて、彼は思いもしていなかった。

「もうどうしろと……。」

「峠先生、大分お困りみたいですね。」

突然後ろから声がして飛び上がった。後ろに立って、のほほんと微笑んでいる。色素の薄い柔らかそうな髪に、細いフレームの眼鏡は楕円形。中肉中背で、いつもジャージ姿の彼は、物腰も柔らかだ。

「驚かさんでくださいよ。大村先生。」

「いやぁ、全然気付かないもんだから、ついね。」

大村洋輔は、まさに峠の職場の先輩だった。経験豊富で、おおらかで生徒達にも慕われている。だが峠は何故か彼のことが気に食わなかった。いつも余裕綽々であなたの事を何でも知っていますよ、と言わんばかりの笑みを浮かべたところがイライラした。

「何か悩み事?」

「あ、……えっと。」

一瞬この人に相談してみようかと思ったが、上から目線のアドバイスなんか貰ったりしたら、峠のプライドが許さなかった。

「いえ…。大丈夫です。もう少し一人で考えてみます。」

「そうですか。」

実際のところ、何も良い考えがなど浮かんでいなかったのだが、峠はもはや意地になっていた。



 何だか最近、クラスの雰囲気が嫌な感じだ。何というか、視線がじっとりしていて腫れ物を見るようなのだ。まだ学級が始まって二ヶ月なのにそんなに嫌われるようなことを何かしてしまったのか、レオは分からなかった。

「峠先生だろ。」

「そうかな…。でも、あの人は真面目な感じがするし、まず先生だろ?」

レオと月美は、視線から逃れることができる用務室で話し合っていた。ここ最近のクラスメイトの、レオへの冷たい態度はあまりにもいきなりで不自然だった。

だが、眉間に皺を寄せて月美は言う。

「いいか、レオ。教職に就いていようとな、その人の人間の好き嫌いってのはあるもんだと俺は思う。」

レオはショックだった。先生というのは生徒の好き嫌いなんて無いと思っていたから。ちなみにレオが気付いていなかっただけで、今までにもそんな事はあった。だけどレオは、〈先生〉だとか〈親〉とかの肩書きに弱い。それだけで全面的な信頼を寄せてしまうのだ。

「俺、どうしたらいいんだ。」

峠先生に嫌われてしまったのは、俺の何が悪かったんだろう。遅刻?課題を忘れたこと?学校を抜け出したこと?いくら考えたところで、レオにはやっぱり他人の気持ちなんて分からなかった。

「いいか、レオ。」

こっちを鋭く光る黒い目でじっと見て、月美は言った。

「俺は峠先生のことは気にしなくていいと思う。仮にも教師なんだから、きっとあの人自身で気付くべきことだ。」

「峠先生が気が付くべきことって、なに。」

月美はそっと目を伏せて言った。

「それは、お前が気付くべきことでもあるんだ。」


「あっ、」

今になって思い出した。レオは昼休みに峠先生に呼び出されていたのだ。忘れたらまた叱られてしまう。

「ちょっと行ってくる!」

座っていたパイプ椅子をガタガタ言わせながら、大急ぎで扉を開けて全速力で走った。お昼休みが終わるまであと十分だ。怒られるだろうか。

「失礼しまーす。」

雪街高校の職員室は縦に広くて、奥の方に校長席がおる。ずらっと並ぶ歴代校長の写真は、左の方に行くと白黒だ。今の時期、石油ストーブがあちこちで部屋を暖めていた。峠先生は腕を組み、貧乏ゆすりをした姿勢で椅子に座って待っていた。

「すみません。忘れてました。」

こういう時は素直に謝るものだとレオは思っている。自分に非がある以上は、責められても仕方が無いのだ。それを見て峠先生は、深い溜め息を吐いた。

 

「お前はどうしてそうなんだ。」

その一言に、レオに対する苛立ちとか嫌悪感とか、鬱憤みたいなものが詰まっていた。黒い目は屈折してこちらを見ていた。レオはあまりの悪意に当てられて、じわりと手のひらに汗をかいた。

 キーンコーンカーンコーン。予鈴の鐘の音が鳴った。昼休みは終わりだ。正直レオはほっとした。これ以上この人と一緒に居たら、一週間はこのしんどい気持ちを引きずることになるからだ。

「……失礼します。」

逃げるようにそうっと峠先生の眼前から去った。

 何で俺は、いつも人に嫌われるのかな。




 


 昼休みに峠に呼び出されたらしいレオの顔色は最悪だった。猫背だし、目に生気は無い。今にも口から魂が抜け出してしまいそうだ。さては峠に何か言われたか。

「…レオ、大丈夫か?」

 肩に手を置いて、覗き込む様にして訊く。

「……大丈夫じゃない。」

 言うと更に猫背になって、手で顔を覆うと、ぐぅと唸り始めた。これはかなり重症だ。

「…よし。」

 俺は覚悟を決めた。何の覚悟かというと、それは〈説教〉される覚悟だ。

「レオ。」

 そろりと目の隙間からレオがこちらを見た。いつもはぱっちり開いている筈の目は荒んでいた。

 俺は力強くレオの腕を掴み、教室を出た。そのまま廊下を進む。昼休みは終わり、もう授業は始まっていて、それぞれの教室は静まりかえっていた。俺とレオの早足の靴音だけが響いた。

 玄関も通り抜け、靴を履き替える。

「裏門から出るぞ。」

 

 学校の裏側にある、正門より小さな門は利用している者も少ない。周りは雑草だらけだし、砂利まみれだ。その分先生の目は少ない。朝立っている先生も居ないし、脱走するには穴場だ。

 門は自分たちの身長より高いが、乗り越えられない程じゃない。俺は先にレオの足裏を持って飛び越えさせた。俺は少し後ろに下がり、勢いをつけて飛び付いた。足の力と腕の力で体を支えて登り、とっ、と下りる。

「〈なかむら〉行くぞ。」

 言うとレオはこっくりと頷いて、俺の後を着いて歩いた。


 〈駄菓子のなかむら〉。

 俺とレオが小学生より小さかった頃からある老舗の駄菓子屋だ。こじんまりした店内には、色とりどりの駄菓子が溢れんばかりあって、子供の頃はここに来るたびワクワクしたものだ。

 店主さんもいい人だった。俺たちが来るたび、昔の遊びを教えてくれたりアイスを奢ってくれたりした。この間、代替わりしてしまったけれど。

 代わりに来た人はお爺さんの娘のおばさん。何度か見た事はあったけど、話した事はなかった。中学生になると、俺はあまり駄菓子屋に行かなくなった。

 次に行った時にお爺さんの姿がなかった時は愕然とした。そして少し後悔した。もっと遊んで貰えば良かったとか、話しておけば良かったなんて思った。

 幸いなことに、おばさんもいい人だった。愛想が良くて、店内で子供がお菓子を見ているのを嬉しそうに見ているのだ。俺も何度か行ったが、高校生もまだ子供判定らしく、オマケして貰えた。

 レオはずっと〈なかむら〉に通っていたようだから、あのおばさんのこともよく知っている。そして俺は、レオがあのおばさんに懐いていることを知っている。


「おばさん。」

 暖簾をくぐって、〈なかむら〉に入る。

「あら、荒井さんとこの!それとレオくんも!」

 おばさんは皺を深めるように微笑んで迎えてくれた。こんな時間に高校生の俺たちが来るなんておかしいと分かっているだろうに。

「おばさん、アイスください。クジ付きのやつ。」

「はいはい、レオくんはソーダ味ね?」

 視線を向けられたレオは、俺の後ろからうん、と頷いた。


 俺とレオは、昔作った〈秘密基地〉に向かった。あそこは誰にも見つからないように作ってあるし、レオも落ち着くだろう。

 さっきからレオはうんともすんとも言わない。俯いたまま俺に手を引かれて歩いている。

「おばさん、いい人だな。」

「……うん。」

「アイス、当たりだといいな。」

「…うん。」

 少しずつ相槌の間隔が短くなってきた。レオは俺に手を引かれずとも着いてくるようになった。

 

 バシュッ。

 透明な袋に入った棒付きアイスを開ける。爽やかなオレンジ味の匂いが鼻をついた。レオとお互い無言でアイスを食べる。

 秘密基地は、俺たちが小学生の時に作った。山の浅い所の林の中でロープを繋いでシートを掛け、テントみたいにしたり、小さい机を持ってきたりして、ちょっとした空間が出来ていた。

「……あ、当たり。」

 レオは食い切ったアイスの棒をこちらに見せてきた。そこには〈アタリ〉と書かれていた。

「よかったな。」

 俺はハズレだった。


「で、お前は峠に何言われたんだ。」

 本題に入ると、ずん、とレオの雰囲気が沈んだ。また唸り始めそうだ。

「……お前はどうしてそうなんだって言われた。」

 その時のことを思い出したのか、ぐうぅと、お腹を抱え始めた。

「それを言ってる時の峠先生の目が何かこう、すっごい嫌な感じだったんだよ。俺のこと、嫌いなんだろうなって。」

「……そうか。」

 俺は丸まったレオの背をゆっくり撫でる。レオは一生懸命に話した。レオは話すのが上手くない。分かりづらい所もあったけれど、うんうんと頷きながら聴く。

「俺、峠先生のこと、苦手だ。」

「そうだな。根本的に合わない所があるんだろうな。」

 全部話し終えた時には、レオは少し顔を上げていた。

月美ハル、俺どうしたらいいんだろう。」

 レオは俺にこの間と同じことを訊いてきた。

 俺は少し考えて言う。

「俺は、峠先生と無理に仲良くしようとしなくていいと思う。

ただ、こちらから何か行動を起こすべきじゃないとも思う。」

「どうしてだ?」

 レオが不思議そうに訊ねる。

「そしたらまた峠先生はお前の行動が気に食わないだろ。状況悪化待った無しだ。」

 今度こそレオは頭を抱えた。今こいつの頭の中ではこの状況を何とかしようと、考えが堂々巡りしていることだろう。

「この前言った、峠先生とお前が気付くべきこと、覚えてるか。」

「うん。」

「お前は気付いたか?」

「……正解かどうか分かんないけど。」

 視線を彷徨わせながら、しどろもどろ話す。

「峠先生にいくら嫌われてようと、俺は俺のこと嫌いじゃないし、月美ハルもいるし、どうって事ないな、と思った。」

 俺はうん、と頷いた。

「それでこそレオだ。」

 いつだって自由奔放で、天真爛漫で、好きな人間からの評価以外どうでもいい、弱い所も多々あるけれど基本的に無敵。それが星守レオだ。

「……そっか。そうだよね。」

 レオはすっくと立ち上がって言った。

「俺が落ち込む事なんて何も無かった!!」

 そしてぱあっと笑って手に持ったアイスの棒を空に掲げた。

月美ハル!当たりのアイス貰いに行こ!」

 

 

  峠はイライラしていた。星守レオについて考えていたからだ。合わない人間というのはいるが、それが生徒だった場合どうすればいいのか。


 

 ――授業が終わり、教室を出て廊下を歩いていると、生徒に話しかけられた。

 

「峠先生。」

「…荒井か。」

 

 荒井月美。硬派な見た目に関わらず、成績優秀、無遅刻・無欠席の優等生だ。…この間、星守レオと学校を脱走したことを除けば。

 

「どうした?」

 

訊くと荒井は少し言いづらそうに言った。

 

「……先生は、レオのことが嫌いですか?」

 

 一瞬頭が真っ白になった。ずっと考えていたことだが、真逆それが生徒に伝わっているとは思わなかったからだ。

 

「………何故そう思った?」

「態度です。先生の態度がクラスにも伝わって、レオ本人にも伝わっています。」


 

 ガンっと殴られたような衝撃だった。クラスの様子には気を付けていた筈だった。それを乱すかも知れない星守レオを警戒はしていたが、自分がそうだったのだ。

 

(俺はなんてことを。)

 

 峠は教師だ。生徒を導き、守り育てるのが仕事だ。峠は自分でその信念を壊していたのだ。

 

「…レオはあなたを嫌ってはいません。ただ、クラスメイトと仲良くしたいだけです。」

 荒井は峠に頭を下げた。

「レオのこと、よろしくお願いします。」

「ああ。………済まなかった。」

 峠も少し、月美に頭を下げた。


 

 

「星守。」

 レオはビクッとした。峠から、聞いたこともないくらい穏やかな声で呼ばれたからだ。

 

「な、何ですか、峠先生。」

 

 俺はまた何かしてしまっただろうか。怒られるのか。この間の脱走の件についてはお咎めはレオだけにして欲しい。

 

「……あとで職員室に来てくれ。」

「え、あ、はい!」

 

 いつもは来い、だったのに来てくれと言われた。それだけで胸がドキドキした。不安だ。

 

「……。」

 無言でハルが隣に立っていた。

 

「ハ、ハル。峠先生、どうしちゃったんだろう?」

「さぁ…。でも、悪い話とかじゃないだろう。」

 とん、と背中を押された。

「ほら、行ってこい。」

「う……ん。」

 レオはまだ少し不安なまま、職員室に向かった。




 

「星守。済まなかった。」

 

 職員室について早々、峠先生に謝られた。いつもは俺が謝る側なのに、今は峠先生のつむじが見えた。

 

「え、え、何ですか?」

 レオは混乱して、目を白黒させながら訊いた。

 

「……荒井から、俺の態度がクラスの雰囲気を悪くしていると聞いた。確かにその通りだった。俺は教師なのにも関わらず、生徒であるお前に俺の都合で不遇を強いた。」

 峠先生は、一段と深く頭を下げた。

「申し訳なかった。」

 

 レオは慌てた。それはもう盛大に。

「い、いや全然、大丈夫です!誰にだって好き嫌いはあって、それで俺は……」

 

 あなたに嫌われていただけで。


 

 言うと峠先生は、苦しそうな顔をして言った。

「……それでも、俺がお前にした事は変わりない。」


 レオは思った。この人は自分が考えていたような酷い人では無いのではないかと。ただ真面目で、不器用過ぎるだけなのではないかと。

 

 それはきっと、レオと同じだ。

 

「…先生。」

 声を掛けると、峠は少し肩を揺らした。

 

「俺、先生に嫌われてるって知ってました。」

(ハルには無理に仲良くしなくていいって言われたけど。)

「でも、出来れば先生と普通に話したいです。」

「…ああ。」

 峠が頭を上げて、やっと目が合った。相変わらずこの黒い目が少し苦手だったが、前より何も思わなくなった。


 

「これから一年間、よろしくお願いします。」

「こちらこそ、宜しく頼む。」

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