虚無の酒

@neko_3

第1話 ピンクの檻

薄明かりの部屋に、時計の秒針だけが響いている。

ぬいぐるみは整然とベッドに並べられ、ラグは今日も埃ひとつない。レースのカーテン越しに見える街灯は、見慣れたぼやけた光。加奈子はベッドの端に腰を下ろし、部屋全体をぼんやりと眺めた。自分で選んだはずの可愛い空間に、もう何も感じない。


手には冷蔵庫から取り出したばかりのストロングゼロ。今日はグレープフルーツ味だ。缶の冷たさを掌で感じながら、プルタブを開ける。ぷしゅ、と小さな音が響く瞬間だけが、今日一日の唯一の変化だ。


「いただきます、かな」


自分でも何を言っているのかわからない。缶の縁に口をつけ、一口飲む。アルコールの刺激が喉を通り過ぎ、胸の奥に沈んでいく。しばらくしても、何も変わらない。それが当たり前だと知っているのに、期待してしまう自分が滑稽だ。


可愛い部屋。

友人が羨むほど綺麗で統一感がある。写真を撮れば、それなりに「いいね」をもらえる空間。けれど、そのどこにも自分はいない。小花柄のクッションも、ふわふわのぬいぐるみも、ただそこに置かれているだけ。彼女の生活の重さも、孤独も、どこにも吸収されない。


「部屋の中身は私の外側だけど、私の中身って、どこにあるんだろうね」


言葉が宙に溶ける。答えが返ってくることを望んだわけでもない。ただ、缶に残る9%のアルコールが、彼女の存在を辛うじて繋ぎ止めている。


時計の針は止まらない。冷たかった缶は、飲み終わる頃にはぬるくなっている。指先で空き缶を転がしながら、加奈子はテーブルを見た。そこには積み上げられたストロングゼロの塔。昨日も、先週も、その前も同じように積み重ねた記憶がある。徒労の証が、そのまま目の前にある。


「こんなこと、いつまで続くのかな」


自分の部屋、自分の空間。けれど、そこにあるのは彼女の虚しさそのものだった。部屋の隅に目を向けると、昨日の空き缶がひっそりと立っている。それを片付ける気力もない。片付けても、どうせまた積み上がるだけだ。


加奈子は再びベッドの端に腰を下ろす。可愛い花柄の布団が背中に触れるが、温かさは感じない。視線を落とすと、床に転がる空き缶の銀色が月明かりを反射している。それだけが、彼女の今日を照らしていた。

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