5-10
その日の作業を終えた作業員たちは次々と帰宅していったが、そのうちの一人がヘルガに声をかけた。
彼女は薄暗い事務所に一人残り、古びたデスクの上に散らばる資料や端末に目を向けていた。
この事務所はメーレスクローネのリゾート施設の管理棟の一角に位置していたが、豪華なリゾート地の表向きのイメージとは対照的に、あちこちにガタがきていた。
壁には色褪せた塗装が剥げかけ、所々に小さな亀裂が走っている。床はかすかに傾いており、長年の使用によってすり減ったタイルが不揃いに並んでいた。
窓枠の金属部分には錆が目立ち、風が吹き込むたびに窓ガラスが小さく振動する音が響く。
誰の目にも限界が訪れようとしているのは明らかだったのに、上はそのような状態でもまだ問題ないといって酷使させていた。
「ヘルガさん、もう遅いですよ。今日はこれで終わりにして帰りませんか?」
彼は疲れた表情で心配そうにヘルガの顔を覗き込む。
だが、ヘルガは無表情のままディスプレイに目を戻し、首を横に振った。
「ありがとう。でも、まだ終わっていない作業があるの。先に上がっちゃって」
ヘルガの声はどこか疲れを含んでいたが、柔らかく、明るさを保っていた。
彼女はあくまで作業員に気を遣わせないように努めているのが明らかだったし、そのことは声を掛けた作業員も気付いていた。
作業員は彼女の言葉に一瞬ためらったが、彼女の柔らかな笑みを見て安心したように軽く頷いた。
「それじゃ、お疲れさまです」
作業員はそう言い、仲間たちと共に事務所を出て行く。扉が閉まると、事務所には再び静寂が訪れ、古びた家具や機材が小さな軋みを立てる。
去り際、作業員たちはふと振り返り、黙々と作業を続けるヘルガの姿を見つめた。
「結局、あの人も俺たち
作業員の一人が、窓越しに事務所の中で作業を続けるヘルガの背中を見ながら呟いた。
彼女の姿は、薄暗い事務所の灯りの中、ディスプレイに向かって黙々と何かを入力している。
「それでも俺たちよりは、マシだよ。あーあ、早く借金返し終わりたいぜ」
仲間が少し肩をすくめて答えた。
彼らの視線はヘルガに向けられていたが、その表情には憧れと諦めが入り混じっている。
奉仕国民として、日々の生活に追われ、働き詰めの彼らにとって、
しかし、そんな
二人は、ため息をつきながらヘルガの背中を最後に見つめ、疲れた足を引きずるようにしてその場を去っていった。
ヘルガはディスプレイの監視カメラ映像を見て、作業員が倉庫施設から立ち去っていくのを確認していた。
何せこれから行う作業は誰にも見られるわけにはいかない。
全ての監視カメラをチェックして、自分以外に倉庫には誰も残っていないことを再度確認したところで、ヘルガは軽く息を吐いて作業を始めるのだった。
「ふぅ、これで作業を始められるわね。えーと、今日はD-1倉庫か……海賊レッドアイ、船長はヴァルガスね」
彼女はディスプレイに映るリストを注意深く確認し、D-1倉庫の中身をチェックし始めた。
リストには、海賊レッドアイが最近奪った略奪品の詳細がびっしりと記載されている。
ヘルガはそれを手際よく仕分けしていく。彼女がディスプレイを操作するだけで、実際には倉庫内の作業機械が動き出し、略奪品は次々とコンテナに詰め込まれていった。
倉庫にある全ての品物が、機械的な手順で無感情に整理されていく。
それらの品々――どれも領民たちから奪われた大切な財産であるにもかかわらず、ヘルガの目には何の感情も浮かばない。
彼女自身もかつて、海賊に親しい人を無残に奪われた。だが、今となってはその過去を忘れたかのように、仕事を淡々とこなしていた。
仕分けされたコンテナは、翌日には何も知らない作業員たちによって貨物シャトルに詰め込まれ、出荷される手筈になっている。
その一連の流れは彼女にとって、もはや日常の一部でしかなかった。
作業に没頭していたヘルガの元に、突然部屋の扉を叩く音が響いた。
彼女はすぐさま警戒を強め、手際よくディスプレイの画面を切り替える。素早く後ろ手にパルスハンドガンを握りしめながら、彼女は扉の隙間から相手を確認した。
そこに立っていたのは、小綺麗な身なりをした見知った男だった。
彼の姿に気づいたヘルガは、ゆっくりと警戒を解き、ハンドガンをそっと隠したまま扉を開けた。
「……入って」
男が中に入ると、手早く外套を脱ぎ、煌びやかな服がヘルガの目に映った。
光沢のある生地と、きらびやかな刺繍が施されたその服装に、ヘルガは軽く頭を押さえ深い溜息を吐いた。
「まさか、その恰好で来たの?」
ヴィルヘルム男爵――この惑星メーレスクローネの統治者であるその男は、肩を竦め、何が問題なのかまるで理解していない様子で答えた。
「ああ、もちろん。何かおかしいかい?」
ヘルガは思わず唇を噛み、頭を抱えたくなる気持ちを必死に抑えた。
この惑星の統治者である男爵が、下々の者たちが働く場所に足を運ぶだけでもそれなりに問題だ。それを夜中に、変装もせず、煌びやかな姿で、一人の女性の元を訪れるとなれば、良からぬ噂が立つのは目に見えている。
しかもその女性が名誉国民であれば、なおさらだ。
「……あなたがここに来ること自体が問題なのよ。しかもその服装で、夜中に一人で。
ヘルガの言葉にヴィルヘルムは一瞬考える素振りを見せたが、すぐに肩をすくめた。
「そんなこと、誰も気にしないさ。私は君に会いたくて来たんだよ、それ以上の理由なんていらないだろ?」
ヴィルヘルムはそう言って、無邪気な笑みを浮かべながらヘルガに近づき、愛を囁き始めた。
「君がいないと、私は生きていけないよ、ヘルガ。いつも君のことを考えている……」
そう言いながら、ヴィルヘルムは彼女を抱きしめようと腕を伸ばしてきた。
だが、ヘルガは一歩後退りし、その動きを軽く躱した。
「……今は仕事中よ、ヴィルヘルム。抱くのは後にして」
「ああ、すまないよ愛しのヘルガ。なにせあまりにも計画が順調だったからね、つい舞い上がってしまってね」
ヴィルヘルムは一瞬、虚空を見つめるように視線をさまよわせた。
彼がこの地位に就いたのは、兄と次兄が相次いで亡くなったためであり、急遽として当主の座に就くことになったのだ。
ヴィルヘルムは男爵家の三男であり、予備の予備として最低限の教育は受けていたものの、朗らかな気質もあって当主には相応しくないと周囲には見られていた。
彼の父、先代の男爵は、二人の期待された息子たちを戦争で失った悲しみから、急速に衰えて亡くなった。
それゆえ、仕方なくヴィルヘルムが家督を継ぐことになった。しかし当初はそれで何の問題もなかった。
彼の平凡な能力がかえって現状維持に貢献し、領内の経済は向上することもなく、落ち込むこともなかったのだ。
だが、ヴィルヘルム自身はその状況を良しとは思っていなかった。
偉大な祖先や尊敬する父、そして亡くなった兄たちを目にして育った彼には、自分もまた血族の一員として名を残さなければならないという強い使命感があった。
そんな中で彼は、ヘルガと知り合った。
「君と出会ってもう5年だよ、ヘルガ。最初は見向きもされなかったけれどね……」
ヴィルヘルムがまだ男爵家の三男で、家督を継ぐことなど想像もしていなかった頃。
惑星メーレスクローネの片隅にある小さな施設でヘルガと出会った。
その施設の名目上の管理者として着任したヴィルヘルムは、まさに一人で全てを支えているかのような姿で働くヘルガに強い興味を抱いた。
強い意志を持ち、常に周囲を指揮しながらも、自ら手を汚すことをいとわない。そんな彼女の姿に、心を奪われた。
ヴィルヘルムは、何度も何度も彼女に接近しようと試みたがヘルガは全く振り向かなかった。
彼の朗らかで無邪気な性格が、当時のヘルガにとっては何も魅力を感じさせなかったのだろう。彼がただの三男であった限り、彼女の興味を引くことはなかった。
だが、運命が彼を男爵の地位へと押し上げた瞬間、状況は一変した。
男爵となった彼に、ヘルガは次第に態度を変えていく。
傍から見れば現金な女だと馬鹿にするだろうが、ヴィルヘルムにとってはどうでも良かった。
初めて愛しいと思う異性が振り向いてくれたという事実、それこそが彼にとっては重要だったのだ。
「密かに君と付き合いだした時、私はやっと君に認められたと思ったよ。まるで夢のようだった」
ヴィルヘルムは甘い蜜月の日々を思い返し、微笑んだ。
それまで手に入らなかった女性が、自分に寄り添い、支えてくれる存在になった。彼にとってヘルガは、ただの相談役や助言者という以上に、自分を認めてくれる唯一の人物だった。
しかし、その蜜月は次第にヘルガが持ちかけた"計画"に変わっていった。
「君から、功績を上げられる計画を聞かされた時、私は天命だと感じたよ。海賊を利用して、星系を救済する英雄になれる――その計画は、私が長年求めていたものだった」
ヴィルヘルムはその時の興奮を思い返しながら、ヘルガの計画がどれほど彼にとって魅力的だったかを改めて感じていた。
「海賊を星系内に誘き寄せ、 経済的復興の立役者として功績を上げる。その考えを聞いた時、私は電流が走ったかのような衝撃を受けた」
ヴィルヘルムは窓の外を見つめながら、計画の全貌を再確認するように、感慨深げに言葉を続けていた。
彼がヘルガから計画を持ちかけられたとき、未来が突然開けたような感覚に襲われた。
平凡な領主としてただ現状を維持していたヴィルヘルムは、どうしても名を残したいという強い欲望を抱いていたが、打開策を見つけられずにいた。しかし、ヘルガの提案がその全てを変えた。
ヴィルヘルムの心には、英雄として称えられる未来が鮮明に映っていた。
星系全体が海賊被害により経済的に困窮する中、自らがその救世主となり、人々から絶大な支持を受ける。
彼の手で、星系の経済を再び立て直すことができれば、父や兄たちのように歴史に名を刻めるだろう。その想いが、彼の内心で渦巻いていた。
だが、この計画には深いリスクが潜んでいることも彼は理解していた。
海賊を誘き寄せ、略奪を助長するという行為は、星系の住民にとって致命的な打撃を与える可能性が高い。
しかし、それこそがヴィルヘルムの英雄譚を築くための土台でもある。破壊があってこそ、復興がある。
混乱が起こらなければ、そこに救いの手を差し伸べる英雄も生まれないのだ。
「まずは、信頼できる海賊に連絡を取る。彼らを通じて星系防衛隊の情報をリークし、安全なルートを教えることで、襲撃を計画的かつ効率的に行わせる。
星系全体の経済は少しずつ荒廃し、困窮する領民は勿論、他惑星の統治者たちも私を頼るしかなくなる。何せ我がメーレスクローネは有数のリゾート地、資金的な余裕は大きいし、広大な海洋資源にも恵まれている」
ヴィルヘルムの脳裏には、未来の光景が広がっていた。
荒廃した集落や貧困に苦しむ領民たちが彼を見上げ、感謝の声を上げる瞬間。略奪によって窮地に追い込まれた人々を救う英雄――それが自分であるという確信が、彼の心を支えていた。
一方、ヘルガは黙々とディスプレイに向かって作業を続けていた。
彼の言葉に頷きはするものの、その表情には特段の感情が浮かんでいない。
かつて海賊に愛する人を奪われた彼女が、今やその同じ海賊たちを操る計画に加担しているというのは、皮肉な運命だった。だが彼女は感傷に浸ることなく、ただ冷静に計画を遂行している。
ヘルガにとって、この計画はもはや感情の問題ではなかった。彼女の役割は、計画が円滑に進行するための歯車に過ぎない。
そしてヴィルヘルムもまた、その歯車の一つだと彼女は認識していた。――それは彼女にとってもまた、自分の生き残りを賭けたゲームだったのだ。
「やがて時期を見計らって、中心の海賊にはご退場頂く。その瞬間、私は全てを掌握し、略奪の脅威を消し去ることができる。人々は私を英雄として称え、星系全体が私の手の中に収まるだろう」
ヴィルヘルムの言葉には、自信と共に焦燥感も感じられた。
彼の声が徐々に高まるにつれて、ヘルガは一度手を止め、彼を一瞥した。
「私たちは成功するだろうか、ヘルガ?」
「まあ、タイミングを間違わなければ成功するでしょうね。バルタザールが拿捕されるなんてことが無い限りは大丈夫よ」
すでに多数の海賊団がやってきているこの状況で、真相を知るバルタザールがピンポイントで発見されるということは、まず考えられない。
それに海賊は見つけ次第撃沈が基本だ。
中には情報収集のため、海賊船を鎮圧して捕縛するという手段を取る場合もあるが、そんなことをするのは星系防衛隊くらいしか居ない。
その防衛隊という脅威も、ヴィルヘルム男爵のアクセス権で行動が筒抜けなのだから心配はない。
では独立パイロットに見つかった場合はどうか。これも心配は要らない。
なぜなら、パイロット連盟から支払われる報奨金は海賊を生け捕りにしても撃沈していても変わらない。
それならば、手っ取り早く攻撃して倒してしまう方が楽というのは当たり前の話だった。
加えて防衛隊のプライドもあって、パイロット連盟には海賊情報の収集という依頼も出ていない。
そのため、バルタザールが見つかった場合、撃沈される可能性が極めて高い。
命乞いに情報を売るような真似はするかもしれないが、そんな場面で聞かされる情報の信憑性など皆無だ。間違いなく聞き入れられずに命を落とす。
そうなれば口封じも出来て、計画が少し早まるだけ。
ヘルガは頭の中で、再三に渡ってバルタザールが発見された場合について想定を重ねてきていた。
しかし、導き出される結果はどれも恐れるに足らないと判断できた。
何も心配は要らない。それはある意味、彼女自身が無意識に自分自身を納得させていたのかもしれない。
そのことに、ヘルガは気付く事は無かった。
「だから、依頼も出ていないのに、わざわざ海賊船を拿捕して情報を得ようなんて奇特な考えを持つ独立パイロットが居ない限りは問題ないわ」
「だけどねぇ、その“奇特な考え”を持つ独立パイロットが、たまたまバルタザールを見つけちゃったのよねー」
突然、部屋の隅から聞き慣れない声が響いた。
軽い調子で陽気に告げられたその言葉に、男爵の顔が硬直し、ヘルガは即座に周囲を見渡し眼差しを鋭く光らせた。
「誰!?」
声の主を探して、ヘルガは身構えた。
しかし、相手の存在が分からないまま、部屋の緊張感が一層高まる。
「奇特な独立パイロットが居て、偶然にもバルタザールを捕まえた。その船からしっかりと情報を入手して、ここまで辿り着いたってわけ。運命ってのは面白いわよねぇ」
陽気な声がさらに続き、その響きはどこか楽しげだが、同時に不気味さも含んでいた。
やがて、扉が唐突に開け放たれた。
鋭い金属音と共に、そこに現れたのは銃を構えたキャロルだった。
「お待たせ。さぁ、答え合わせをする時間よ」
キャロルは無邪気な笑みを浮かべ、銃口を二人に向けたまま、堂々と部屋の中に足を踏み入れた。
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