5-3
オベリスクは星空に浮かぶ巨大な影のように、ある惑星の周回軌道を静かに巡っていた。
現在地はヴァルデック侯爵星系の第4惑星カーグヴェルト。
艦内では、自律制御されたベルトコンベアや作業用アームといった機械が絶え間なく動作しており、繁忙な空気が漂っていた。
そんな中、白鯨号がオベリスクの第1ハンガーに着艦してきた。
ドッキングするや否や、一息つく暇も無く、開放されたカーゴに荷物が次々と機械たちの手で積み込まれていく。
コクピットで操縦桿を握ったまま、カイは通信でフローラに話しかける。
彼の声は普段よりも少し疲れた響きを帯びていた。
『お、お願いフローラ。少し休ませて……。さすがに限界、15時間連続は辛い!』
カイがこの惑星で物資輸送を始めてからというもの、すでに16時間に突入しようとしていた。
カーグヴェルトへ到着してから、カイはオベリスクの艦内には戻っておらず、ずっと白鯨号のコクピットに軟禁状態だった。
そんな状態なのだから、ついぽろっと弱音を吐いてしまう。
しかし、フローラの応答は冷静かつ毅然としており、その裏にはわずかな厳しさが覗く。
「カイ様、今はそんなことを言っている場合ではありませんわ。次の目的地は既に設定済みです。さあ、行ってらっしゃいませ」
フローラの声には、予定通りに物事を進めるという確固たる意志がこもっていた。
スケジュールは完璧に組まれており、その一分一秒の狂いも許さないかのようだった。
カイはその冷徹さに眉をひそめたが、反論する気力もなく、死んだ魚の目でサブディスプレイ操作し目的地の設定を入力する。
彼の疲れ切った表情は、フローラとの長年の相棒としての信頼がありながらも、時に自分の体力がそれに追いつかないという現実を物語っていた。
そうしてカイの白鯨号は音も無くオベリスクから発艦し、惑星の裏側へと駆けていった。
白鯨号が出発して間もなく、再びオベリスクにドッキングしてきたのはキャロルのナイトフォールだった。
キャロルは休憩しようと艦から降りようとした瞬間、すぐに目を細めて不満そうに顔をしかめる。
『はあ、ご主人様とすれ違っちゃったか……タイミングが悪いな』
彼女もまた、随分と長時間勤務を強いられていた。
しかし、その顔にはカイと違って然程疲労感は漂っておらず、体力の違いがはっきりと見て取れた。
だが、休憩の期待はすぐに打ち砕かれる。
ブリッジにいるフローラからの通信が、彼女の動きを止めた。
「キャロル、索敵範囲内に海賊が現れましたわ。すぐに出撃して頂戴」
『えー、またー? ……ほんと、こっちの休む暇なんてないんだから』
キャロルは不満を漏らしつつも、フローラの迅速な対応に感心する部分もあった。
彼女が既にナイトフォールの弾薬と燃料補給を完了させている様子は、さすがの手際の良さだった。
キャロルは不服そうな顔をしながらも、再びナイトフォールへと戻り、そのまま出撃していった。
オベリスクは、大量の物資を積んでいることから、宇宙を漂う獲物のように海賊たちの標的にされていた。
キャロルはひっきりなしに迎撃に追われ、休む暇などなかった。
しかし、その一方で、カイたちもオベリスクの輸送業務に追われ続けていた。
彼らの疲れは日に日に増していくが、仕事は終わる気配を見せなかった。宇宙の静寂とは対照的に、彼らの日々は慌ただしく、休息の時間など夢のまた夢であるかのようだった。
◇◇◇
「終わったああぁーー! もうダメ、動けない!」
カイは白鯨号のコクピットのシートに深くもたれ、オベリスクの外部カメラを通して映し出されたカーグヴェルトの風景をぼんやりと眺めていた。
オベリスクは惑星軌道上を静かに周回しており、赤茶けた大地が視界に広がっている。
カイの目に映るカーグヴェルトは、荒涼とした土地が延々と続き、緑の気配はほとんどない。
かつてテラフォーミングが行われたが、緑地化には適さず、わずかに育つ作物も限られた種類にすぎなかった。赤茶色の大地がどこまでも広がり、生命の存在を感じさせないこの景色はすぐに飽き飽きとしてしまったものだ。
外部カメラの映像には、惑星各地に設置された大気生成プラントが点々と映し出されている。
それらのプラントがこの惑星でのわずかながらも人類の生活を支えており、大気を生成して人が住める環境を維持していた。
けれど、そこには活気や希望といったものは見当たらず、工業製品の生産と採掘が繰り返されるだけの無機質な世界だった。
「資源採掘ばかりで、ここに住む人たちは大変だろうなあ……」
カイはそんなことを考えながら、視界に映る無数の採掘現場と工場群を見つめた。
採掘された鉱石やレアメタルは、各地へと輸出され、この惑星は経済的には重要な役割を果たしている。しかし、ここで暮らす人々にとっては、過酷な環境の中で生き抜くために日々を過ごすだけの場所でしかない。
カイは深いため息をつき、映像に映る荒れ果てた惑星の風景をぼんやりと眺め続けた。
「各地に配送したけど、その度に喜ばれたもんなあ。娯楽施設も無いみたいだし、ここの惑星領主は領民のことを作業機械程度にしか思ってないのかもな……」
そんなことを考えながら、カイはシートから身を起こして白鯨号を降りていく。
この惑星での仕事は厳しく、そして終わりの見えない労働に追われるばかりだった。
だが、今は違う。
ついに自分は成し遂げたのだ。全ての配送を終え、地獄のような緻密な運送ダイヤから解放された。
カイは20時間ぶりに、漸く自由な時間というものを手に入れたのだった。
まず最初に向かうべきはオベリスクの艦内浴場。
疲れが重くのしかかる身体ではあったが、浴場へ向かう足取りは自然と軽くなる。
白鯨号にもバスユニットはあるが、小型船ゆえにやや窮屈なものだ――それでも元商船なだけあって、同型等の船よりは遥かに豪華なつくりではあるが。
一方のオベリスクは母艦なだけあって、広々とした浴場が備え付けられている。
そこで、ようやく休息を得られるという期待がカイの胸に湧き上がる。
扉を開けた瞬間、温かな蒸気が彼を包み込んだ。
大きくゆとりのある浴場に、柔らかく立ち込める湯気が漂い、空間全体が静かで落ち着いた雰囲気に包まれていた。
カイはその場で立ち止まり、一瞬だけ深呼吸をした。湿気を含んだ空気が肺の中に入ってくると、身体全体がじわりと解きほぐされるような感覚に襲われた。
「これだよ、これ! 風呂はこうでなくちゃ……」
彼は独り言のように呟きながら服を脱ぎ、ささっと身体を洗うと、次はゆっくりと湯船へと体を沈めていった。
温かい湯が全身に行き渡り、ついさっきまでの疲労感がじわじわと薄れていく。湯に浸かった瞬間、カイの表情は明らかに緩み、重く感じていた肩も次第にほぐれていくようだった。
「ふう……」
カイは湯船の中で目を閉じ、少しずつ心地よさが体に満ちていくのを感じながら、自然と息が深くなっていく。
この広い浴場と、静けさに包まれた時間が、どれほど癒してくれるのか。そんなことを考えながら、まるで全ての重みが水の中に溶けていくような感覚に、心が静かに沈んでいった。
この瞬間、カイはふと、自分の中に息づいている何か古い感覚に気づいた。
湯に浸かることで得られる安堵感は、自分の身体の奥深く、遺伝子に刻まれた感覚なのだろうか。何世代も前に、自分の祖先たちが慣れ親しんだ文化――すでに歴史の彼方に消え去ったもの――その影響が今も自分に息づいているのかもしれない。
そんなことを考えながら、至福の時を満喫していた。
しかし、その静寂は突然破られた。
浴場の扉が開く音が、カイの耳に届いた。誰も来るはずがないと思い込んでいたため、思わず身体が反射的に硬直した。
急いで目を開け、湯船の縁に手をかけながら、振り返る。
「え……誰だ?」
目の前に立っていたのは、フローラだった。
彼女はいつもの不遜な笑みを浮かべた面持ちで、まるで何事もないかのようにカイを見つめている。
その姿を見た瞬間、カイは一瞬固まってしまい、口を開くのもためらうほど驚いていた。
「フ、フローラ!? え、オベリスクのコントロールやってたんじゃ……」
言葉が上手く出てこない。カイの脳裏には、混乱と驚きが渦巻いていた。
浴場で一人、静かに過ごしていたはずの時間が、突然の訪問者によって揺さぶられる。
フローラはカイの驚きをよそに、ゆったりとした足取りで浴場へと入ってくる。その動作は、まるでこの状況を楽しんでいるかのような落ち着きがあった。
「そんなに驚かないでくださいませ、カイ様」
フローラの声は柔らかく、どこか微笑を含んでいた。カイは言葉を失いながらも、彼女の静かな歩みを見つめるしかなかった。
彼女はゆったりとした足取りでカイの隣へとやってくると、小さく安堵の声を漏らす。
「ふう……」
その仕草に、さすがのフローラも疲労感を覚えていたのだとカイは気づいた。
20時間にわたる配送業務の重圧が、彼女にさえ影響を与えていたのだろう。
フローラは最高効率のルートを設定し、カイと白鯨号を馬車馬のように使いながら、惑星各所への物資を次々と届けさせていた。
しかし、配送ダイヤの管理だけではない。
オベリスクが抱えている大量の貨物を狙って現れる海賊たちにも目を光らせ、その度にキャロルを出撃させるというオペレーションも彼女の肩にかかっていた。
常に神経を研ぎ澄ませていなければならない業務だったのだ。
「へえ、フローラでも疲れることってあるんだ」
カイはぽつりと呟いた。
体力お化けのフローラに少しの疲れが見えるのが、少し意外だったのだ。
フローラはその言葉に小さく笑みを浮かべながら、肩をすくめる。
「確かに、少し疲れましたわ。体力的には問題ありませんが、気疲れですわね……ふう」
その声はいつものように落ち着いていたが、どこか柔らかさが感じられた。
カイは目を細め、湯に浸かりながら、これまでの作業の様子を振り返った。
「お疲れさま。……しかしさあ、キャロルの出撃回数。ちょっと多すぎない?」
カイは、湯船で体をほぐしながら、ふと仕事の最中にキャロルと顔を合わせなかったことを思い出した。
彼女はいつも、隙あらばカイの周りにいることが多かったが、今回の配送では彼女の姿を見ることがなかった。それは、キャロルが何度も出撃していたという証拠でもあった。
カイは眉をひそめながら、頭の中でその事実を整理していた。
ヴァルデック侯爵星系は
だが、今回の配送ではやたらと海賊が現れ、キャロルは頻繁に出撃を余儀なくされていた。
「ちなみにキャロルって、何回出撃したんだ?」
「正確には……12回ですわ」
「12回!? え、本気?」
カイは驚きを隠せなかった。
防衛がしっかりしているはずのこの星系で、これほど多くの海賊が現れるなど、考えられないことだった。
まるで防衛隊が機能していないかのような状況だ。彼の中で、疑念がますます深まっていく。
「防衛隊が何かしらの理由で機能していない……? いや、それは考えにくいな。なら他の理由は……」
カイは疑念に思いを巡らせていたが、その思考はすぐに中断された。
フローラがゆっくりとカイに身を寄せてきたのだ。温かな湯に浸かっていた彼の腕に、柔らかな感触が伝わる。
驚いて彼女の方を振り向いたカイの目に映ったのは、いつもの冷静で優雅なフローラではなかった。
そこにいたのは、まるで狩りの準備をする肉食獣のような鋭い目をしたフローラだった。
この目は、実にマズイ。
カイの本能がそう叫んでいた。
「カイ様……さすがに20時間も働けば、ストレスも溜まるものですわ。それは、カイ様も同じですわよね……」
フローラの言葉は甘美で、しかしその内に隠された強い欲求が滲み出ていた。
カイは背筋が凍るような感覚を覚え、危険を察知した。
やっとのことで、作業から解放されたというのに、再び激しい肉体労働など絶対に避けたい。
「な、なに言ってるんだ!? 冗談だよな!」
なんとかこの状況を回避しようと、カイは慌てて湯舟から飛び出し、体を拭く余裕もなく浴室を抜け出そうとした。
しかし、次の瞬間、彼はフローラに素早く腕を捕まれた。
「ねえ、カイ様……少しだけ。少しだけですから、ね?」
その言葉と同時に、フローラは驚くほど手際よくカイを引き戻し、浴場の床に敷かれたマットの上に押し倒した。
抵抗するカイだったが、フローラの力は強く、彼の動きはすぐに封じられてしまった。
「く、くそ……! 相変わらずなんて力だ! ええい、離せ……離してえぇ!」
必死にもがくカイだったが、フローラはその上に優雅に覆いかぶさり、動きを封じ込めた。
全身にフローラの柔らかな肌と、程よい重さと熱い体温が感じられた。
湯気に包まれた浴場の中で、カイの小さな悲鳴が虚しく響く。
「や、やめてぇ……」
「ふふ、天井のシミを数えていれば、すぐに終わりますわ……」
オベリスクの高度な清掃システムは住み済みまで行き届いており、天井にはシミひとつ無かった。
カイはそんな天井を眺め、静かに己の運命を悟った。一時間くらいで終わってくれることを強く願うのだった。
その後、カイはまるで絞り取られるように、二時間もの間フローラの執拗な"発散"に耐え続けた。
全てが終わった頃、カイはマットの上でぐったりと倒れ込み、密かに涙を流していた。
一方、フローラは心地よさそうに伸びをし、軽く息を整えてから優雅に立ち上がった。
彼女の顔には満足気な笑みが浮かび、仕事で溜まっていた疲れやストレスを完璧に発散できた様子だった。
タオルで体を拭きながら浴場を後にしたフローラが、ちょうど入り口に差し掛かった時、偶然にもキャロルと出くわす。
キャロルは軽く汗をかいており、彼女の目がフローラに向けられると、少しばかり鋭い光が宿った。
「……ご主人様は?」
その声は、いくらかの威圧感が籠っていた。
しかし、フローラはそんなものどこ吹く風とばかりに気にすることなかった。
むしろキャロルに挑発的な笑みを浮かべ、少し肩をすくめる余裕があった。
「まだ中で休んでいますわ。ふふ……お先に頂きましたわ。ごめんなさいね」
キャロルはその言葉に苛立ちを隠せず、舌打ちをした。
この為にフローラは自分に哨戒任務を出し、出撃させていたのか。
思わずキャロルの拳に力が入る。
「ッチ……先に手を出されたか……」
フローラはそんなキャロルの反応を楽しむように満足気に微笑む。
ポッと出の女にカイとの逢瀬は邪魔させない。
ただ、自分もそこまで狭量な女ではない。自分が楽しんだ後の残飯程度は漁っても良い。
そんな思いでフローラはキャロルに相対していた。
「3発くらいは余裕があるはずですわ。どうぞ頑張って」
その言葉を聞いたキャロルは、即座に無言で立ち去っていった。
そうして、勢いよく浴場の扉を開け放ち、足早に中へ駆け込んでいく。
そこには、マットの上でぐったりと倒れ込んでいるカイの姿があった。
「……あぁ、ご主人様。そんな……」
「きゃ、キャロル……水……助けてぇ」
キャロルはあられもない姿で横たわるカイを見て、一瞬だけ苛立ちを覚える。
自分が最も愛する存在に別の雌が手を出したのだ。実に腹正しい。
しかし、力なく横たわる姿を見て、直ぐにその気持ちは掻き消え、別の異なる感情が芽生える。普段と違って、弱弱しく横たわるカイの姿は、キャロルが初めて出会った頃のカイを彷彿とさせた。
思わず舌なめずりをし、カイの元へと歩み寄った。
そうして、優しい声をかけるものの、その瞳にはフローラと同じような危険な光が宿っていた。
「もう大丈夫だからね、ご主人様。ゆっくり、私が癒してあげる……」
「ま、待ってキャロル……これ以上は無理! 無理なの!」
そして、再び浴場にはカイの悲鳴が響き渡ることになる。
彼の静かな休息が訪れる日は、まだ遠そうだった。
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