4-8

 広大なオークション会場は、まるで異世界の祭典のような雰囲気に包まれていた。

 目の前に広がるステージには強烈なライトが照らされ、そこで紹介される出品物が次々と競りにかけられていた。

 天井は高く、競売の様子を監視するドローンが静かに飛び交っていた。

 会場の一部に設けられた特別席には、富裕層や権力者たちが集まり、互いに競り合う様子を冷静に見守っている。

 だが、その表情の奥には、明らかに熱狂と狂気の影が見え隠れしていた。

 彼らの目は、目の前に提示された宝物に釘付けになり、隠しきれない欲望がその顔に浮かんでいた。


「次の出品物は……エクリプス・オパールの欠片です!」


 司会者の声が響くと、会場全体が瞬時に凍りついたかのように静まり返った。

 だが、その静寂はすぐに爆発的な熱気へと変わった。興奮に満ちた歓声が飛び交い、観客たちの視線はスクリーンに映し出されたエクリプス・オパールの輝きに吸い寄せられた。


「これが、あの伝説の……」


 囁きが各所から聞こえてくる。

 会場全体が、まるでエクリプス・オパールそのものに取り憑かれたかのように狂気的な雰囲気に包まれていた。

 人々の瞳はその宝石に焦がれ、欲望の炎が燃え上がっているのが明らかだった。


「さあ、オークションを開始します! スタートは……1億クレジット!」


 その宣言がされた瞬間、会場はまるで火が点いたかのように激しく沸き立った。

 クレジットの桁が次々と上昇し、富と力がぶつかり合う狂気の競り合いが繰り広げられていた。誰もが、自分の手中にエクリプス・オパールを収めることに夢中になり、その場の空気はますます過熱していく。

 カイは、その異様な光景に圧倒されつつ、ただ静かに見つめていた。

 エクリプス・オパールが持つ価値が、これほどまでに人々を狂わせるとは、予想もしていなかったのだ。

 そのあまりの熱狂ぶりと、瞬く間に上がっていく入札額にカイは一時自意識を手放すほどだった。

 

「ご主人様! ついに100億クレジットよ、凄い!」

「え、……うお!」


 キャロルの興奮に満ちた声と、力強く肩を叩かれたことでカイの意識は再び戻る。

 気が付けば入札額は100億クレジットも超え、もう200億にも達しようとする。

 その額はカイが受け継いだ小型巡洋母艦ペレグリンMK.VII型が2隻分。信じられないような高額だ。

 そして、ついに――。


「500億クレジット!」


 司会者の声が場内に響き渡り、会場全体が一瞬静まり返った。

 だが、その後、歓声と拍手が一気に巻き起こった。500億クレジットという金額は、誰もが予想していなかった額だ。

 カイはその瞬間、自分の思考が完全に停止していることに気づいた。

 目の前で繰り広げられる状況が、現実なのかどうかさえも分からなくなっていた。

 気が付けば、オークションは終了の合図を迎えていた。

 スクリーンに大きく映し出された「500億クレジット」という文字が、会場の熱狂を物語っていた。




 ◇◇◇


 

 

 気がつけば、カイは再びオークショナーの部屋に戻っていた。

 エクリプス・オパールが500億クレジットで落札された直後、歓声と熱気に包まれた会場から移動したはずだが、心ここにあらずといった感覚に囚われていた。

 カイはただ、目の前の出来事を理解しようと、ぼんやりとした思考を巡らせていた。


「500億クレジットかあ……一気に大金持ちだなあ」


 その額の大きさは、カイの人生で一度も経験したことのないものだった。

 彼は一瞬、巨大な財産を手にしたという事実に胸が高鳴るのを感じたが、すぐに冷静さを取り戻し、目の前のオークショナーのシュタインに視線を向けた。

 シュタインは、いつもの冷静な態度を崩さず、カイに結果を伝え始めた。


「カイ様、落札額は確かに500億クレジットです。しかし、事前にご説明しました通り、オークションの手数料として3割が差し引かれます。それに加えて、ヘリオス社への仲介手数料としてさらに1割が必要です」


 シュタインは一旦言葉を区切り、カイの反応を窺った。

 カイは思わず考え込むように顎に手をやり、計算を巡らせた。


「あーそうだった。つまり、手元に残るのは300億か……いやそれでも300億!?」


 たとえ手数料が引かれたとしても、カイにとっては驚愕すべき金額だった。

 しかし、彼はまだその現実感を完全に掴むことができていなかった。ただ、シュタインが淡々と説明を続けている間も、その頭の片隅には「本当に自分のものになるのか?」という疑問が浮かんでいた。

 そんなカイにキャロルはその場の雰囲気にそぐわず、ニコニコと微笑みながら肩に手を置いた。


「すごいわ、ご主人様! 本当に大金持ちになっちゃった!」


 カイはキャロルの言葉に対して、わずかに笑みを返したが、内心はどこか落ち着かない感覚が拭えなかった。

 それは、この取引が完了したという確信がまだ得られていないからかもしれない。

 

 しかしその瞬間、部屋の外から微かにざわめきが聞こえてきた。

 キャロルがその異変にいち早く気づき、目を鋭く光らせた。


「ご主人様……外が騒がしいわ。何か起こっているかも」


 カイはキャロルの言葉に耳を傾けつつも、まずは目の前のシュタインに注意を戻す。なにせ大金が手に入るのだ、ここから先は惚けている場合ではない。

 だが、すぐに扉が開き、係員が慌ただしく駆け込んできた。その顔には緊張が走っている。

 係員がシュタインに耳打ちすると、彼の表情は一瞬で強張った。手が微かに震え、深く息を吸い込む姿が目に映った。


「……なんてことだ」


 シュタインはゆっくりとカイの方を向き直り、少しだけ息を吐いた。

 それから重々しい声で伝えたのだった。


「カイ様、非常に申し上げにくいのですが……エクリプス・オパールの欠片が、先ほど強奪されました」


 その言葉がカイの耳に入った瞬間、周囲の空気が一気に変わった。

 先ほどまでの巨大な成功と栄光は、まるで霧が晴れるように消え去り、胸に冷たい現実が突き刺さった。


「え、ちょ……はあ!? 強奪? このタイミングで!?」


 シュタインから聞かされた言葉を、一瞬だけカイは理解するのを拒んだ。

 まるで何を言っているのか分からない。そう感じ取ったものの、彼の僅かな困惑の表情を見て、それが真実だと理解した。

 だが理解したからといって、そう簡単に飲み込めるような出来事ではない。


「落ち着いて、ご主人様。……シュタインさん、このような場合、こちらへの支払いはどうなるのでしょうか」


 慌てふためくカイを他所に、キャロルは冷静に物事を捉えていた。

 出品物が強奪されてしまった。これは大問題ではあるが、今大事なのはその支払いがどうなるかだ。

 物が奪われたから、支払いは出来ない。それでは、筋が通らない。

 場合によっては血であがなって貰う。そんな気迫がキャロルから発せられていた。

 キャロルの鬼気迫る雰囲気を前にしたシュタインであったが、その表情に一切の怯えなどなく、堂々とした振る舞いで応答する。

 それは長年、海千山千の商人たちを相手にしてきた彼が培った接客術の賜物だった。

 

「この場合、カイさまに一切の落ち度はございません。全て、こちらの不手際となります。大変申し訳ございません。

お支払い額についてですが、まず慰謝料として5000万クレジットを即時お支払い致します」


 その答えを聞いて、思わずキャロルの全身に力が入る。

 こちらには何の落ち度もないのに、勝手に盗まれた挙句、支払いは1割にも満たない額。到底、納得のいく値ではない。

 キャロルが暗にそれを示したのを見て、すかさずシュタインが言葉を続けて、彼女の動きを制した。


「お怒りはごもっとも。しかし、これは一時金となります。我々としてもこのような蛮行を許すつもりは毛頭ございません。

すでに追跡チームが犯人を追っております。犯人が捕まった段階で全てお支払い致します」

「それは、エクリプス・オパールが見つからなくともお支払い頂けるのですか?」

「はい、勿論でございます」

「逆に言えば捕まらなかったら、結局支払われない? 盗まれておきながら、随分と身勝手ではありませんか?」


 キャロルが睨む。

 彼女の指摘は正論だった。それは、シュタイン自身も思う所ではあったが、彼の立場上それを認めるわけにはいかなかった。

 

「ご指摘はごもっともでございます。また、この事件自体が茶番劇であると、お疑いもあることでしょう。予めお断りしておきます。断じてそのようなことはありません。

幸いにしてカイ様は独立パイロット。もし、ご自身の手で犯人を捕まえられた場合には、我々はその生死を問わず、落札額の倍額をお支払いすると約束致します」


 その言葉に機敏に反応したのはカイだった。

 自分の手で摑まえる事が出来れば、倍額。それは全長1kmクラスの大型母艦さえ購入可能な額だ。

 仮にそのような母艦が入手出来れば、会社を立ち上げ、本格的な輸送業や傭兵業も可能となって来る。

 そうなれば、独立パイロット同盟からエリートランクのお墨付きを貰う事も夢ではない。

 カイの瞳には、見る見るうちにやる気が灯っていっていた。

 そうとなれば、時は金なり。


「分かりました。すぐにでも犯人を追いかけたい。犯人の情報、犯行時の映像など提供頂けますよね?」

「えぇ、勿論でございます。すぐ手配し、カイ様の端末へ送信致します」

「それともう1つ。今回の件で、自分達は一方的な損を被ったわけです。こう、クレジット以外で、もう少し誠実さ……みたいなものが欲しいなあって」

「は、はあ……」


 ここでカイはさらなる要求を相手に求めた。

 なぜならば自分たちは一方的な被害者、何も悪くないのに貴重なエクリプス・オパールを奪われた。それがもたらす巨額の富を奪われた。

 なのに、慰謝料は5000万のみ。元々は500億もの価値がありながらだ。

 ならばもう少しだけ、欲を出しても良いのではないか。

 そんな思いがカイの中で渦巻いていた。

 

「具体的に何をお望みでしょうか。クレジット以外ですと……」

「率直に言って船です。相手を追うにしても、肝心の航宙艦が不足しているんですよ」


 ここでカイは素直に、今もっとも自分が欲している物を要求した。

 先のチャンを撃破する際、長年親しんできた白鯨号を囮に使ったため、今のカイには手軽に使える船がない。

 護衛として雇っているキャロルの艦を使う事も、手ではあるが、小型戦闘艦ということで色々と使い勝手が限られてしまう。

 そのため、カイが最も欲するのは使い勝手の良い船だった。

 

「船……でございますか。少々お待ちを」


 シュタインはカイからの要求を聞くと、直ぐに手元の端末に指を走らせた。

 大量のデータを一瞬のうちに目を通し、選別していく。

 

「生憎と私共の在庫は全て売約済み。今回、出店されている店舗での取り扱いでも、カイ様のご希望に沿うレベルの船は見当たりませんね……」

「あー、正式な航宙艦ではなく、後付けのハイパードライブ搭載の船なんかでも良かったりするんですが……」


 シュタインは何とかカイの要望を叶えようと、端末に表示された情報を捲っていく。

 しかし、やはり結果は同じ。新規の航宙艦は全て売約。残ったのも、ハイパードライブの付いていないタイプの船だけだった。

 だが、カイの一言で状況は変わる。

 

「あ、中古の船でも大丈夫です! 勿論、問題なく動くって前提は有りますけども……」


 その言葉を聞いたシュタインは、再び端末を操作して探していく。

 そして、ようやく条件に見合う船を探し当てた。


「中古でも構わない。という事であれば1隻だけ条件に見合う船がございます」


 そういってシュタインがカイに見せたのは、1隻の小型船。

 小型船とはいえ、全長51メートル、幅20メートル、高さ9メートルという同クラスの中では最大ともいえる大きさだった。

 ハードポイントこそ小型が2基のみとなっているが、中型艦と同程度のカーゴ容量、充実した船内設備。最大乗員数も10名までと多い。

 シュタインが提示した船、それは小型商船に分類されるゼニス・サントス社製、バレーナだった。

 

「商船か……」

「はい。こちらは私共が、お客様をお運びする際に使用している商船となっております。内部は最高級グレード、各種モジュールも軍用のクラスAとなっております」


 スペックを見る限り全く問題はなく、戦闘こそやや不満は残るが、それ以外は満天とも言える船だった。

 なにより、カイが気に入ったのは、その名前だった。

 

「バレーナ……古語でクジラを意味するんだっけか」


 カイは船の名前を口に出した瞬間、かつての「白鯨号」の記憶が脳裏に蘇った。

 あの船は、共に幾多の危機を乗り越えてきた盟友だった。破壊され、宇宙の塵となって漂っている姿を思い出すと、胸の奥に鈍い痛みが走った。

 それでも、時間と共に過ぎ去ったその痛みは、今では新たな決意を抱くための原動力に変わっていた。

 静かに呟きながら、カイは新たな船を見つめた。

 この出会いは偶然ではない。失われた「白鯨号」の名を継ぐにふさわしいと感じた。

 カイは、今まで自分を支えてくれた船と同じように、この新たな船と共に歩む未来を思い描いた。


「この船にします!」


 カイの声には、かすかに決意と感謝が混じっていた。

 シュタインはカイの言葉に静かに頷き、すぐに手続きを進めた。


「ありがとうございます。カイ様に使って頂けるとのこと、光栄に思います。整備はすでに完了しておりますので、すぐにでもご利用頂けます」


 シュタインの言葉にはプロとしての自信が滲んでいた。

 艦は万全の状態、各種消耗品類の交換も済み、新品同様で利用できることを約束してくれた。

 小一時間で手続きを済ませたシュタインの手腕に、カイはただただ感嘆するだけだった。

 こうして新たな船を手に入れたことで、カイまずはオベリスクに戻ることを決めた。

 フローラが待つ艦へ向かい、彼女と共に次の行動方針を決定するためだ。

 そして、今度はそこへキャロルも加わることはカイは何となく予感していた。

 理由は定かではないが、自分へ執着している彼女に護衛依頼の終わりを告げても、きっと艦から降りる事はないだろう。

 同時に、一度といえども肌を重ねてしまった以上は、カイ自身もキャロルを突き放すという気はすでになかった。

 カイはそう思うと、小さく溜息を吐いた。


「よし、フローラのところへ戻るぞ。キャロル」

「はい、ご主人様!」


 そうして二人は早速ドッキング・ベイへと向かうのだった。

 部屋から足早に出ていくカイに対し、シュタインへ頭を下げて見送ったのだった。

 そして、カイが立ち去った後、静かに溜息をついた。


「はあ……」


 彼にとっての本当の戦いは、これからだった。

 次は500億クレジットもの高額で落札した落札者との交渉が待っている。商品が強奪されてしまった今、何とかして彼らを納得させる必要があった。


「これからが本当の勝負だ……」


 シュタインは自分の胸の中で重々しくその言葉を反芻した。

 500億クレジットという莫大な金額が動いた今、責任の重さがじわじわと彼の肩にのしかかる。落札者との交渉、強奪されたエクリプス・オパールの件をどう取り繕うか。

 すべてが完璧でなければ、彼自身のキャリアさえも危うくなるかもしれない。

 手続きが済んだとはいえ、この仕事は終わったわけではない。むしろ、これからが本番だった。

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