4-7

 カイとキャロルは、艦内のメインストリートとも呼べる幹線通路を歩いていた。

 数々の露店が立ち並び、人々の活気が溢れるその場所は、まるで異世界のようだった。

 しかし、カイはその賑わいに気を向ける余裕がなく、ぼんやりと通路の先を見つめているだけだった。彼の身体は、さっきまでの「ご休憩」で、すっかり消耗してしまっていたのだ。


 心身ともに疲れ切ったカイは、時折キャロルに目をやりながら内心でため息をつく。

 この短時間で彼がどれほどのエネルギーを消費したのかは、彼女にはおそらくわからないだろう。

 キャロルの無邪気な振る舞いが彼の警戒心を和らげる一方で、同時に彼女の一面に対する漠然とした不安が胸に残っていた。


「はぁー……」


 カイは額に手をやり、再び軽くため息をついた。

 キャロルの素直さと愛情は本物だと感じているが、彼女が時折見せる過剰な行動には、未だに馴染めない部分があった。


 それでも、彼女の腕に組まれた瞬間、警戒心が薄れていくのを感じ、自分自身が気づかないうちに受け入れてしまっていることに少し驚いた。

 一方、キャロルは満足したと言わんばかりの顔でカイと腕を組みながら、楽しそうに通路を歩いていた。


「ご主人様、大丈夫? キャロルは休憩できたから、元気いっぱいだよ!」


 彼女の声には一切の疲れが感じられず、むしろ明るさが増している。

 まるでこの艦内の活気と彼女自身のテンションがシンクロしているかのようだった。

 カイは苦笑しながらも、彼女に頷く。


「それは良かった。おかげで、こっちは干からびる寸前だよ」


 キャロルの無邪気な言葉が少しだけ心の重さを軽くしてくれるのを感じた。

 彼女の純粋さに釣られて、ふと肩の力が抜ける瞬間があった。

 

 二人はゆっくりと進み、しばらくしてついにオークション会場の前に到着した。

 広々とした会場の入口には、豪奢な装飾が施された巨大な扉がそびえ立っていた。その威圧感と美しさが、この場所で何が取引されるのかを物語っていた。


「ここが会場かあ。にしても、ちょっと成金趣味すぎないか」


 カイは目の前の扉を見つめながら、言葉を漏らした。

 内心では、これから始まる取引への期待と不安が入り混じっていた。

 手に入れたエクリプス・オパールの欠片をここで出品するという大きな決断をするために、この場に立っている。


 しかし、その一方で、このオークションがどのように進むのか、全てがヴィクセンの掌の上にあるのではないかという疑念も消えない。


「カイ様ですね。ご案内いたします」


 係員が一礼し、カイとキャロルに向けて手で先導するように示した。

 カイは軽く頷き、無言のまま彼らの後を追って歩き出した。会場の賑やかな雰囲気とは打って変わって、通されたのは静かで重厚な内装が施された廊下だった。

 廊下にはいくつかのドアが並んでおり、それぞれに番号が振られている。


「こちらです」


 係員がドアを開けると、そこには個室が広がっていた。

 豪華ではあるが、無駄のないシンプルな内装が施された部屋で、中央には大きなテーブルが置かれている。


 カイは一瞬周囲を見回した後、部屋の中に足を踏み入れた。すると、部屋の奥の椅子に座っていた男が立ち上がり、カイたちに向かって一礼した。


「カイ様ですね。私はオークショナーのシュタインと申します。お会いできて光栄です」


 シュタインと名乗ったその男は、黒いスーツに身を包んだ中年の男性だった。

 整った外見と落ち着いた雰囲気からは、長年このような場に立ち会ってきた経験が伺えた。


「どうぞ、お座りください。今回のオークションの流れを改めてご説明させていただきます」


 カイは軽く頷き、シュタインの示す席に腰を下ろした。

 キャロルもカイの隣に座り、興味深そうにシュタインを見つめている。


「では、簡単にご説明いたします。カイ様の出品物であるエクリプス・オパールは、まず当オークションの目玉商品として取り扱われます。

そのため、特別に設けられた時間帯に出品され、入札が行われます」


 シュタインは書類を取り出し、テーブルの上に広げながら続けた。


「出品手数料として、まず10万クレジットを頂戴いたします。そして、落札時には3割の手数料が差し引かれます。また、今回はヘリオス様からの紹介により、1割の仲介手数料も適用されます」

「えっ、仲介手数料!?」

「はい、今回はヘリオス様からのご紹介という形となります。その為、仲介手数料として落札額の1割が、あちらへと支払われます」


 カイはその言葉を聞いて、椅子に深く腰掛けて天を仰いだ。

 やられた。

 ヴィクセンから提示されたスター・バザールの案内状。思えばあれの対価について、何も言ってこなかったことに疑問を覚えるべきだったのだ。


 あの場できちんと仲介手数料が発生する事を知っていれば、多少はなんとかなったかもしれない。

 だが、あの時は幻の市場からの案内状の前に、そんな冷静さは取り除かれていた。実にヴィクセンらしい巧妙な手腕だといえた。


 そうして、カイは説明を聞きながら、頭の中で簡単な計算をしていた。

 手数料。これについては、仕方がない。

 10万クレジットという額は、ステーションであれば半年ほど滞在可能な額だった。

 しかし、独立パイロットの支出から言えば、そう高い額ではない。

 問題は、差し引かれる額が落札額の4割だということだ。これは大きすぎる。

 うまいことヴィクセンの手の平で踊らされたことに苛立ちを覚えるが、今はそれを飲み込むしかない。

 カイは必死にそれを飲み込むのだった。


「出品物の取引が成立した場合、すぐに振り込みが行われます。問題が発生した場合は、こちらで対応いたしますのでご安心ください」


 シュタインは落ち着いた声で流れを説明し、再びカイを見つめた。

 カイは今での説明に異論はないと言うかのように、小さく頷いた。

 そして、腰のベルトに固定していたケースを外して慎重にシュタインに手渡す。ケースの中には、エクリプス・オパールの欠片が収められていた。


 シュタインはそれを手に取り、最初はいつもの通り落ち着いた様子で中身を確認しようとした。

 だが、ケースの蓋を開けた瞬間、シュタインの表情が一変した。


「これは……!」


 彼の目が大きく見開かれ、驚きの声を漏らした。

 中に収められているエクリプス・オパールの欠片は、まさに伝説の輝きを放っていた。その美しさと希少性は言葉に尽くせないほどで、シュタインの経験豊富な目でさえ、息を呑むような一品だった。


「これほどのものとは……。伝説の鉱石が出品されるとは聞いてはいましたが、実物を見るとまた違いますね」


 シュタインは、まるで宝石そのものに魅了されたかのように一瞬見つめていた。

 が、すぐに我に返り、丁寧にケースを閉じた。そして再び冷静さを取り戻し、微笑みを浮かべた。


「これは間違いなく、今回のオークションの目玉になるでしょう。ご安心ください、カイ様。この宝石は最高の条件で競りにかけられることをお約束します」

「こちらとしても、そうなることを願うよ」


 カイは軽く頷いたが、シュタインの驚きを目の当たりにしたことで、エクリプス・オパールの本当の価値がどれほど大きいのかを再確認した。

 目の肥えたオークショナーでさえも、一瞬にして目を奪われる存在。

 彼は胸の中に、静かな高揚感と不安が入り混じるのを感じた。


「では、カイ様。オークションはまもなく開始されますので、特別席へご案内いたします」


 シュタインはカイとキャロルに先導するように軽く一礼し、ゆっくりと歩き始めた。

 豪華な内装の廊下を歩くたびに、足音が静かに響き渡る。

 カイは周囲の様子を確認しながら、少しだけ不安が胸をよぎった。


 オークションの期待感が膨らむ一方で、果たして本当にこの場で自分の望む結果が得られるのかという疑念が頭の片隅に残っていた。


 廊下を抜け、しばらく進むと、大きな扉の前に辿り着いた。扉の向こう側には、特別席が設けられているエリアが広がっている。

 シュタインが扉を押し開けると、そこには広々とした観覧席が見えた。装飾は無駄なく洗練されており、贅沢な造りがオークション会場の格を示していた。


「こちらが特別席になります」


 カイは一瞬、周囲を見渡す。

 既に多くの富裕層や権力者らしき者たちが席に着いており、それぞれが談笑しながらオークションの開始を待っている。


 彼らの話す内容や姿勢からは、裕福さや影響力がにじみ出ていた。

 カイは特別席の椅子に深く腰掛け、心を落ち着けるためにゆっくりと息を吐いた。

 エクリプス・オパールが競りにかけられるその瞬間を待ちながら、会場全体に漂う独特の緊張感を肌で感じていた。


 

 

 ◇◇◇

 


 

 一方、オベリスクの艦内では、フローラが退屈そうにモニターを眺めていた。

 カイたちがスター・バザールのオークション会場に向かった後、彼女に残された任務は、外部からの脅威を監視することだったが、これまで何も起こる気配はなかった。


「……暇ね」


 フローラはモニターの前で体を少し伸ばしながら、静かな宇宙空間にぼんやりと視線を向けていた。

 数多くの艦が行き交う様子を見ていたが、そのほとんどはただの商船や観光目的の小型船で、特に怪しい動きはなかった。


「こんなことなら、無理やりにでもくっ付いて行くんでしたわ……」


 彼女は小さくため息をつき、ふと目の前のカップに手を伸ばし、コーヒーを一口飲んだ。

 日常的な監視業務には慣れていたが、やはりこうして何もない時間が続くと、退屈さを感じざるを得なかった。

 そんなときだった。

 ふとモニターに映ったある艦が、フローラの目に留まった。

 艦のデザインが他の船とは違い、どこか特別な存在感を放っていたのだ。


「……あれは」


 フローラは画面を凝視し、すぐにその艦に違和感を覚えた。

 その艦の外装は元の艦影が全く分からない程に作り替えられていたが、フローラの目にはそれが何かを隠すように映った。

 すぐにスキャンを始めようとしたが、その手が止まる。


 危ない。ここで迂闊にスキャンしようものなら、付近を警戒する警備隊がすぐに駆け寄ってきてしまう。

 ここは普通の場所ではなく、幻の市場スター・バザールなのだ。


 そこへ集まる人々は古今東西、あらゆる垣根を超えてやってきた選ばれた人々。立場を忘れ、一時の自由を楽しむ場。

 そんな中で、迂闊にスキャニングなどすれば、それは明確な攻撃とみなされる。

 フローラはサブディスプレイに伸ばしかけた手を引っ込め、再び件の艦を注視するにとどめた。

 

「護衛付き……珍しくはないけれど、あの編成は臭うわね」


 周囲には取り囲むように2隻の中型戦闘艦も追随しており、その動きは何かを警戒するようにも見えた。

 一連の動きが、フローラの警戒心を刺激してやまない。


 護衛は2隻のみ、あれでは数が少なすぎる。あからさまな機動編成。それが実にキナ臭いとフローラは感じていた。

 何よりフローラの目を引いたのは、2隻の護衛。

 その艦はこの連邦領では珍しい、帝国製の中型戦闘艦だった。


「スター・バザールですし、貴族が来ること自体は珍しくない。……けれど、わざわざあんな目立つ艦で普通来る?」


 フローラは再び体勢を正し、モニターに映る艦を詳しく調べ始めた。

 退屈だった時間が、急に緊張感を帯びた瞬間だった。


「どうにも臭いますわね」


 彼女は直感的に感じたその予感に従い、さらに艦の情報を掘り下げていくことにした。

 


 

 ◇◇◇


 

 

 ついにオークションが開始された。

 会場の照明が暗くなり、スポットライトがステージを照らし出すと、司会者が登場しオークションの開始を高らかに宣言した。


「本日のオークションは、ここスター・バザールに集まった皆様にとっても特別な機会です! 数々の幻の品々が揃い、素晴らしい取引が繰り広げられることをお約束いたします!」


 会場は一斉に拍手と歓声に包まれ、その高揚感が伝わってくるようだった。

 次々と紹介される珍品、希少な工芸品、手に入れることが不可能とされていた品々がステージに運ばれ、競りにかけられるたびに、目の覚めるような高額が飛び交った。


「5千万クレジット!」

「6千万!」

「8千万だ!」


 その金額のやり取りはまるで異次元のようだった。

 参加者たちは一様に興奮し、富と権力を誇示するかのように次々と手を上げ、入札に応じていく。

 カイは静かにその様子を見守っていた。

 エクリプス・オパールの出番はまだだが、すでに会場は熱気に包まれ、異様な空気が漂っていた。

 彼の心の奥には緊張が芽生えていたが、それを表には出さず、平静を装っていた。

 そして、ついにその瞬間が訪れた。


「さて、次の出品物は……今回のオークション最大の注目商品、エクリプス・オパールの欠片です!」


 司会者が力強い声で紹介すると、会場は一瞬静まり返り、次の瞬間には興奮の声が上がった。

 スクリーンに映し出されたエクリプス・オパールは、まるで命を宿しているかのような美しい輝きを放っていた。

 観客たちの視線がその欠片に集中し、誰もがその希少価値を感じ取っていた。


「このエクリプス・オパールは、過去に類を見ない発見であり、さらにその採掘方法がデータとして付属しております! その価値は計り知れません!」


 会場全体が一瞬で盛り上がり、ざわめきが大きくなる。


「オークションのスタートは……なんと、1億クレジットからです!」


 その言葉が響いた瞬間、カイは内心で息を呑んだ。

 1億クレジットというスタート価格は予想以上のものだった。

 それでも周囲では参加者たちが興奮し、次々に手を上げ始めた。


「1億1千!」

「1億2千だ!」

「1億5千万!」


 入札は瞬く間に加熱し、額が次々と跳ね上がっていく。

 カイは目の前で繰り広げられるその光景に、圧倒されながらも冷静さを保とうとしていた。

 キャロルは隣で驚きの声を上げ、目を輝かせてカイに視線を送る。


「ご主人様、すごい! どんどん値段が上がっていく!」


 キャロルが興奮気味にカイへ声をかける。

 その瞳は期待と興奮で輝いていた。カイは呆気にとられながらも、かろうじて頷いた。


「あ、ああ……」


 会場中が熱気に包まれ、次々とクレジットが積み重なっていく。

 その光景を前に、カイの胸の中には漠然とした不安と期待が交錯していた。このオークションがどこまで進むのか、そしてそれが自分にどんな未来をもたらすのか――その全てが、この瞬間にかかっている。

 カイはただ静かに、スクリーンに表示される数字の変動を見つめ続けた。

 緊張が少しずつ高まる中、心臓が鼓動を早めていくのを感じていた。

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