4-6

 虚無に包まれた星系に到達したオベリスクは、周囲に広がる暗黒の宇宙空間をじっと見つめていた。

 星々の光がほとんど届かない場所に、カイたちは案内状に記された座標に従って進んでいた。

 しかし、何も見えないその虚空に、スター・バザールの痕跡は一切見当たらない。


「え、本当にここで間違いないんだよな?」


 カイはフローラに問いかけながら、ディスプレイに映し出された座標を再確認する。

 彼女も首を傾げながら操作を続けた。


「確かに、指定された場所ですわ。ですが、会場のようなものは何も見えませんわね……」


 その時、不意に遠方にある巨大な影が現れた。

 それは、まるで宇宙の闇から徐々に姿を現すように、圧倒的な存在感を持って浮かび上がってきた。

 カイはその姿を一目見るなり、息を呑んだ。


「な、なんだあれは……?」


 遠くに見えたのは、大型母艦だった。

 だが、カイたちが知る母艦とは次元が違う。その巨大さは、あまりに圧倒的だった。

 星々の光を反射し、無数の発光パネルが艦全体を照らしている。艦の構造は複雑で、あらゆる方向に伸びる層が交錯していた。


「まさか、あれが……スター・バザールなのか?」


 カイの問いに、フローラは驚いた表情を浮かべたまま、無言で頷いた。

 キャロルもディスプレイに映し出された光景を見て、目を輝かせた。


「すごい! ご主人様、こんな場所が会場なんて!」


 カイたちは、スター・バザールがどこかの惑星や宇宙ステーションで開催されると予想していた。

 しかし、実際にそこにあったのは、宇宙そのものを支配するかのような巨大な大型母艦だった。

 驚愕に支配されていたカイだったが、大型母艦の外観を眺めていると、ふと気付く。同じものをどこかで見た記憶があったのだ。

 そのことに気付いた直後、カイはその正体を思い出した。

 

「スターライト級……」


 目の前の大型母艦の外観は、幻の戦略航宙母艦スターライト・ヴォヤージュと酷似していた。

 細部こそ異なる部分はあるが、その大きさはリアを乗せて旅立った艦と全く同じだった。

 

「まさか、スターライト級の二番艦が存在するだなんて……。ということは、スター・バザールの運営の中には連邦軍と繋がっていると見るべきですわね」


 一般的にはスターライト・ヴォヤージュに二番艦が存在していたという事実はない。

 一番艦の喪失事件があってから、すぐに建造は中止され、代わって現在主流の巡洋戦艦が建造されていった。

 それ以来、最大級の母艦は全長2キロメートル前後となっている。

 しかし、目の前の大型母艦は明らかにスターライト級を彷彿とするもので、事実としてそこに存在していた。


「とにかく、通信を繋いでみよう」


 一先ずスターライト級に二番艦が存在していたかは置いておき、カイは素早く通信機を操作し、母艦に接触を図る。


「こちらオベリスクのカイだ。スター・バザールの案内状を受け取っている。着艦許可を求む」


 しばらくの静寂が続いた後、ディスプレイに無機質なオペレーターが映し出された。

 背後には、母艦内部の構造が一部見え隠れしていた。


『案内状を確認しました。着艦を許可します。しかし、オベリスクは規定サイズを超えているため、直接の着艦は不可能です。小型艦での着艦をお願いします』


 カイは通信を切り、肩をすくめた。

 やはり、オベリスクのサイズではこの母艦に着艦することは難しいようだ。

 となると、手段は一つしかない。


「キャロル、ナイトフォールの準備をしてくれ。俺たちはあれで行く」

「うーん、出すのは構わないんだけど、みんなで乗っていくとその間、ここは誰が管理するの?」


 キャロルの当然の疑問にカイは少し考え込んだ。

 小型戦闘艦とはいえ、3人で乗っていくのは問題ないだろう。

 しかし、その間、このオベリスクは無人となってしまう。

 高度な防衛システムを持っているとはいえ、基本的には管理者がいなければ、その機能も十分に発揮することは出来ない。

 ここが宇宙ステーションといった治安が確立されている場所であれば、無人のままでも問題はないのだが、そうはいかないだろう。

 つまり、オベリスクには一人が必ず居残る必要があるということになる。

 

「キャロル、あなたが残りなさいな。ナイトフォールには私とカイ様の二人が乗っていきますわ」


 戦端を開いたのはフローラだった。

 それが当然の選択と言わんばかりに自身に満ち溢れた彼女は、元隊長とその部下という立場を利用してキャロルに命令する。

 しかし、それは昔のこと。

 キャロルはそのフローラの命令に対してハッキリとNOを突きつけた。

 

「ナイトフォールはキャロルの艦よ。それに操縦経験という観点からも、キャロルが適任なのは疑いの余地はないわ。

逆に言うと、お姉様はこのオベリスクの管理に一日の長があるわよね。キャロルが残るより、よほど的確に管理できるはずだわ」

「ぐぬぬ……」


 これには流石のフローラも言い返す言葉が出てこなかった。

 キャロルの言葉は正論であり、フローラもそれは分かっていた。

 咄嗟にうまく言いくるめる言葉を探すも、それが出てくることはなく、フローラは泣く泣くキャロルの言葉に従うのだった。

 

「はあ、仕方ないですわね。オベリスクには私が残ります。キャロル、カイ様のことくれぐれもね」

「はぁーい! 任せてよ、お姉様。ご主人様はキャロルが護るから!」


 一方、なりゆきを見守っていたカイだったが、カイ自身はフローラが付いて来てくれることを願っていた。

 今のところはキャロルの行動に不審な点はない。

 しかし、依然としてカイはキャロルに対して不信感を抱いていた。

 なにせ、初対面で『ご主人様』呼ばわりしてきた相手だ。それからも、自分をつけ回してくるのだから恐怖しかない。

 

 ただ、そんな彼女と、この数日間を共にして分かったことはある。

 意外と素直なのだ。

 キャロルはカイの指示に対しては素直に従うし、距離感がバグっている以外は至って真面だった。

 フローラのような、ある方向に対して奔放ということもない。

 そのことが逆にカイを混乱させる。

 結果、良く分からない女という評価となっていた。

 

「あー、それじゃ……行くか」

「はい、ご主人様!」


 そんな良く分からない女と共に、カイはスター・バザールへ向かうことに多少の不安を覚える。

 だが、他に選択肢はない。

 そんな思いを秘めて、カイはエクリプス・オパールの欠片が入ったケースを手に第2ハンガーへと向かった。

 


 

 ◇◇◇

 


 

 ナイトフォールがドッキング・ベイに到着すると、巨大なアームが静かに艦を掴み、固定した。

 そのままベイ全体が滑らかに移動を始め、ゆっくりと格納庫内へと運ばれていく。振動もほとんど感じられず、まるで空間そのものがナイトフォールを包み込むかのような滑らかな動作だった。

 そうして格納庫へと、移動したカイは少し懐かしさを覚えた。かつて同じ型の母艦に乗船したことがあったからだ。

 艦内の広大さや機能美は知っているが、いざこうして再び足を踏み入れると、その圧倒的なスケールに心のどこかで感嘆を禁じ得なかった。


「思った通りの規模だな、やはり同型艦で間違いないか……」


 カイは短く言い、ナイトフォールの中からスター・バザールの艦内を見渡していた。

 その光景は照明や、人の多さなどの違いはあれど、かつて探索したスターライト・ヴォヤージュと同じだった。


「ご主人様、やっぱりすごい! 見て、あんなに広くて綺麗! 露店まであるよ!」


 キャロルの声はいつも以上に弾んでいる。

 彼女にとってこの場所は、単なる市場ではなく、一種の祭典のように映っているのだろう。

 カイは彼女のその純粋な反応に少しだけ微笑みを浮かべたが、すぐにその表情を引き締め、通信機を手に取った。


「こちらオベリスクのカイだ。スター・バザールの案内状を受け取っている。着艦完了、次の指示を頼む」


 しばらくして管制官からの淡々とした声が返ってくる。


『着艦を確認いたしました。ようこそ、スター・バザールへ。

お客様はオークションへのご出品を予定されているとのことで、承っております。指定された時刻までにオークション会場へ商品をご持参いただきますようお願い申し上げます。

会場に到着されましたら、係員がご案内いたしますので、そちらに従ってください』


 カイは管制官からの指示を受け、手元のデータ端末に視線を落とした。

 時間を確認すると、オークションの開催までにはまだ3時間ほどの余裕があった。


「……あと3時間か」


 思った以上に時間があることに、カイは少しだけ眉をひそめた。

 これほど余裕があれば、何かトラブルが起こる可能性も高まる。そんな思いが頭をよぎったが、すぐにキャロルの期待に満ちた視線が自分に向けられていることに気づく。

 彼女の目は輝いていた。

 カイの内心の緊張とは対照的に、キャロルはこの状況を楽しんでいた。何もかもが新鮮で、特別な冒険の一部だと感じているのだろう。


「ご主人様、せっかくだから露店を見て回りましょうよ! こんな場所に来る機会、二度とないかもしれないし!」


 その言葉には子供のような純粋さがあり、カイは彼女のその無邪気な姿を見て、少しだけ肩の力を抜いた。

 ふと、カイの表情に小さな笑みが浮かんだ。


「……まあ、時間もあるし。少しだけだぞ」

「やった!」


 キャロルは弾んだ声で喜びを表し、ナイトフォールのハッチを開けると軽快な足取りで外へ飛び出していった。

 カイはその後に続き、露店が並ぶ通路へと足を踏み入れる。


 艦内は無機質な構造とは裏腹に、賑やかで活気に溢れていた。

 まるで大型ステーションの市場にいるかのような錯覚を覚えるほど、人々は慌ただしく動き回り、あちこちで取引や雑談が行われている。

 異国情緒あふれる香りが漂い、どこからともなく聞こえる声が耳に響く。


「こんなに賑やかだとは思わなかったな」


 カイは静かに周囲を見渡し、さまざまな人々の姿を目にした。

 各露店には珍しい品物が並べられ、それぞれの文化や背景が違う者たちがここに集まっているのだろう。

 物資の取引や交渉が行われる中、隅々まで目を光らせる保安要員の姿も見え、カイは再び心を引き締めた。


「ご主人様、あっちの露店、見て! すごく面白そう!」


 キャロルは目を輝かせ、カイに促すように指をさした。

 彼女の指す先には、装飾品や珍しい道具が並ぶ露店があった。カイは一瞬、周囲を警戒するように見渡したが、彼女の期待に応えることにした。


「あー……少しだけな。時間を無駄にしない範囲でだぞ」


 キャロルは笑顔で頷き、軽やかにその露店へと向かっていった。

 カイは少し遅れてその後を追いながら、母艦内の異様な活気と、自分の胸に重くのしかかる警戒心の狭間に身を置いていた。

 このひと時が、静かな嵐の前のわずかな休息だと、カイは無意識のうちに感じ取っていた。


「ご主人様、見て! このネックレス、すごく綺麗!」


 キャロルが指差した先には、露店商が並べた美しいネックレスが輝いていた。

 カイはそのネックレスを一瞥し、しばらく考え込んだ。彼女への報酬はまだ渡していないということもあり、これをその一部として与えるのは悪くないと思ったのだ。

 幸いにして値段は……ぎりぎり許容できる範囲だった。


「……これ、1つください」


 カイは短く答えると、露天商からネックレスを購入し、キャロルに手渡した。

 彼女は満面の笑顔で受け取り、カイの目をじっと見つめながらこう言った。


「ご主人様が付けてくれない?」


 キャロルの期待に満ちた瞳を見て、カイは小さくため息をつきながら、ネックレスを手に取ってキャロルの首にそっとかけた。

 この時のカイは、すっかり彼女の純粋さの前に警戒心を解いていた。

 きっとフローラが傍にいたならば、注意をしたことだろう。しかし、肝心の彼女はオベリスクで留守番をしていた。

 ネックレスがキャロルの首元にきらめくと、カイが軽く引くほど喜んだ。


「うふ! ふふふ……ありがとうね、ご主人様!」


 キャロルは大喜びで飛び跳ね、カイもその無邪気さに釣られて自然と微笑んでしまった。

 しかし、その瞬間、キャロルの態度が一変した。


「ご主人様……もう、いいよね」


 キャロルの声が急に低くなると、彼女はカイの手を強引に掴み、引っ張り始めた。

 カイは驚いて一瞬抵抗しようとしたが、あまりに突然のことに対応が遅れた。

 キャロルはそのままカイを引っ張り、露天商が立ち並ぶ通路から一本外れた小道へと進んでいく。


「ちょっ! 待て、キャロル!」


 カイが戸惑いながら言葉を発したが、彼女は聞く耳を持たず、力強くカイを引き続ける。

 やがて、二人が辿り着いたのは、薄暗い通路の先に並ぶ小さな個室群だった。

 "休憩所"と書かれた看板が掲げられていたが、その雰囲気からは本来の休憩目的とは少し違う用途が想像できる場所だった。

 カイはそこでようやく事態の深刻さに気づいた。


「くそ、これは……まずい!」


 そう思った時にはすでに遅く、キャロルの力強い手に引かれたまま、カイは一室の扉を開けさせられ、その中へと連れ込まれてしまった。

 部屋の中はさほど大きくはないものの、清潔そうなベッドと小さな机。身体を休めるには十分な設備が整っていた。

 薄暗い照明の中で、カイはなんとか逃げ出そうと考えるも、唯一の出口となる扉の前にはキャロルがいた。

 小さく電子音が聞こえたかと思うと、扉が施錠されたことを示す赤い点灯がカイの目を引いた。

 逃げ場はもうどこにもなかった。

 

「ふふ、やっと二人きり。ずっと、この時が来るのを待ってたの……」


 キャロルの声はそれまでとは打って変わって一段低い。

 今まで見せていた愛らしい態度と一転し、捕食者のような目をした彼女の姿がそこにあった。

 首元のスイッチを押すと、キャロルが身に着けていたパイロットスーツのインナーが外れ、そのまま重力に従い床へと落ちる。

 キャロルの裸体があらわとなり、カイは思わず顔を背けた。

 そんなカイの顔を優しくキャロルの両手が包んだかと思うと、腕力に物を言わせて無理やり顔を胸元へと向けさせた。

 

「よく見て、ご主人様。なにか……思い出さない?」


 今度の声は先ほどまた打って変り、何か必死さを感じさせる声色だった。

 その変化にカイは困惑を覚えつつも、眼前に迫った彼女の豊かな肢体を見てそれどころではなかった。

 だが、その姿は不思議とどこか見覚えがあるのも確かだ。

 遠い記憶の中で、微かに同じような光景を見たことがある。

 カイの女性経験は決して多くは無い。むしろ、フローラとの思い出しかない。

 だが、それでもカイは朧気なその記憶の正体を思い出すことは出来なかった。


「お、落ち着け、キャロル。思い出すもなにも、ちょ、ちょっと早くない?」 

「そう、やっぱりまだダメなのね。……けど、いいわ。今度は誰も私たちを邪魔しないもの」


 悲し気にそう囁いたキャロルは、そのままカイの顔を抱きしめる。

 相変わらずキャロルの行動に困惑を覚えるカイ。

 頬に金属のような硬い何かが当たるのを感じながらも、同時にキャロルの女性らしい胸の柔らかさも感じ取っていた。


「ゆっくり、思い出してくれるのを待つわ。けど……その前に、上書きしなくちゃ。ご主人様、お姉様の臭いがするんですもの……臭いったらないわ」

「ま、待って! 待ってキャロル、お願い! 話を聞いて!!」

「大丈夫……。あんなデブより、私の方が気持ち良くしてあげられるわ」


 キャロルの優し気な声とは裏腹に、カイはその細腕から信じられない力で顔を固定されたまま、ベッドへと引きずり込まれていった。

 カイとキャロルが休憩室から出て来たのは、それから2時間後のことだった。

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