4-5
無数の星々が遠くに輝く静寂の宇宙。
オベリスクは、その深遠な闇を切り裂くように航行していた。
今や目的地であるスター・バザールまでの航路は、最後のナビゲーションビーコンを残すのみ。
これまで順調に進んでいるように見えたが、漂う静けさにはどこか不穏なものを感じさせる。
フローラはコクピットで、航路図を確認しながら、微かに眉をひそめた。
心の中では、チャンという新たな同行者に対する疑念が消えずに残っていた。宇宙は広大だが、裏切りは常に隣にある。
特に、価値のある目的が絡んでいる場合はなおさらだ。
周囲に異常がないことを確認し、フローラはふとディスプレイ越しに楽し気にチャンと話すカイを見た。
カイは積極的にチャンと交流を深めようと努力し、その結果、こうしてお互いに他愛のない話が出来るようにまでなっていた。
「ところで、チャン。俺が案内状を持っているって情報、高かった? 手に入れるのにどんな苦労をした?」
チャンは一瞬間を置いてから、苦笑いを浮かべ、軽く肩をすくめた。
彼の目は鋭く、どこか計算高い雰囲気を醸し出している。
『まあ、確かに高かったさ。とんでもない額を払ったぜ。でも、確実な情報だ。だから、お前に会えたしな。……ああ、心配するな。
他に追跡者が現れる心配はない。情報源には手を打っておいたからな』
チャンの言葉は自信に満ちていたが、どこか冷たさも感じさせる。
カイはその返答を聞きながら、心の中でチャンの本心を探る。しかし、それ以上深く追及することはしなかった。今はまだその時ではないと判断したからだ。
「へえ、そいつはいいね」
『俺としても、横取りされるのは困るからな。さて、残るビーコンも1つだ、気合い入れて行こうぜ』
カイは短く答え、再び航路図に視線を戻す。
残るビーコンはあと一つ。すべてのピースが揃うその瞬間、チャンが何をしでかすか、カイは直感的にそれを感じ取っていた。
次の行動が重要だ。最後のビーコンで、すべてが決まるかもしれない。
「最後の座標だ。次はそこに向かう」
カイはディスプレイに映る航路の最終地点をチャンに伝え、オベリスクのハイパードライブを起動した。
次元を越える航行が始まり、艦内に緊張感が走る。そして、オベリスクは光と闇の狭間へと消えていった。
◇◇◇
チャンは最後のナビゲーションビーコンにアクセスし、ディスプレイに目を走らせていた。
まるで待っていたかのように、短い通知音と共に1通のメールが届く。彼は指を軽く動かし、メールを開いた。
その瞬間、目に飛び込んできたのは、ついに手にしたスター・バザールの開催座標だった。長く追い求めていた答えが、ついに彼の手元に届いたのだ。
「よし、これでいい」
メールの内容を確認し終えた彼の口元には、不敵な笑みが広がっていた。多少の計画に変更はあったが、概ね順調だといえた。
チャンは慎重に追跡していたが、思ったより早く目を付けられてしまった。そこは彼にとって誤算だった。
だが、カイという甘い男は金を支払う事で同行を許すといってきた。それはチャンにとって、実に好都合だった。
250万という金を支払うハメになったが、結局は奪い返せばいいだけのこと。
道中の詰まらないカイとの話にも付き合い続け、ついにはスター・バザールの座標情報を手に入れる事ができた。
残るは、目障りなカイとその仲間をどう始末するか、それだけだ。
危険なのはキャロルとかいう女が乗るILCだけであり、あの小型戦闘艦さえ叩いてしまえば、あとは図体だけデカいだけの小型母艦1隻。
このフェンホワであれば、機動力で翻弄して問題なく撃破できる。なんであれば、無力化して艦を強奪するのも悪くない。小型母艦はさぞや高値で売れる事だろう。
そんなことを考えていたチャンは薄い笑みを浮かべ、タイミングを見計らっていた。
チャンが駆るフェンホワは、キャロルが駆るナイトフォールことILCと同じ艦種の戦闘艦に該当する。しかし、彼女の艦よりも一回り以上大きい。
ゼノン・パラダイム社製、中型戦闘艦エペ・ノワール。これがフェンホワの正式名称となる。
中型ハードポイントを4基、さらに大型ハードポイントを1基という非常に攻撃的なパワーシップだ。
チャンは静かに操縦桿を握り、行動を開始する。
艦内のシステムにささやかな指示を出し、フェンホワをゆっくりと操縦する。
その動きは計算されたものだった。ディスプレイ越しにカイと軽い会話を交わしながらも、意識の半分は次の手に集中していた。
「やれやれ、なかなかの長旅だったな、カイ。だが、ようやく終わりが見えてきた。あと少しだ」
カイが返す笑みは疲労を隠せないものの、油断する様子はない。
それでも、チャンは自分の優位を確信していた。カイの作戦はすでに読み切っていたのだ。
『そうだな、最後のビーコンも終わりだ。だが、まだ会場まで距離はある。それまで気は抜けないさ』
カイの言葉に一瞬だけ戸惑いを覚えたが、それもすぐに消え去った。
チャンは手をフェンホワの武装システムにかけ、深呼吸を一つつく。視界の端に映るオベリスクを一瞥し、微笑んだ。
「そうだな……だが、今度はお前が気を抜いているぞ、カイ!」
『なにッ!?』
フェンホワのスラスターが静かに唸りを上げ、瞬時にその音は爆発的な轟音へと変わった。
艦体は180度反転し、虚空に向かってレーザー砲とパルスレーザーが乱射される。
鮮烈な光の束が暗黒の宇宙を引き裂き、空間がゆがむように響いた。
「そこだ! キャロル、お前だろう!」
チャンは虚空に焦点を合わせ、バーストレーザーの照準をさらに狭めた。
狙いを定めた瞬間、見事にレーザーの閃光が捉えたのは、目に見えない存在、
「はッ! 馬鹿の一つ覚えが。お前の手の内はすべて読んでいるんだよォ」
ディスプレイには無残にもバラバラに吹き飛んだ残骸が映し出されていた。
チャンは瞬間的に勝利を確信し、その目には狡猾さと冷酷さが宿っていた。
だが、チャンは違和感を覚える。
なにか、そう……何か重大なことを見落としている。そんな気がしたのだ。
焦りにも似た感情がチャンの中で芽生え、急いでディスプレイに映し出された残骸を再び確認する。
そこに映し出されていたのは、キャロルのナイトフォールとは全く異なるカラーリングをした残骸だった。
「しまった、囮か!」
『当たり! けど、反応が遅いわ』
チャンは思わず歯を食いしばった。
フェンホワのディスプレイに映し出された虚空には、期待していたキャロルのナイトフォールはなく、別の船の残骸が漂っていた。
彼は舌打ちをしながら状況を整理しようとするが、焦りが頭を掻き乱す。
その瞬間、警告音が艦内に響き渡った。
直後にフェンホワのシールドが激しい衝撃を受け、緊張感が一気に高まる。彼は咄嗟に手元の操作パネルを確認し、シールドの減衰速度を目の当たりにする。
フェンホワはのシールドクラスはクラス4。さらに軍用グレードを装備しており、強力なシールドを搭載している。
そう簡単には傷一つつかないはずだ。それなのに、シールドが削られたどころか、艦体にまでダメージを与えるほどの攻撃力。
チャンはすぐに原因を探るべく、ディスプレイを睨んだ。
「くそ、レールガン! さらに特殊弾頭まで詰めてやがる!」
ディスプレイにはナイトフォールの姿が鮮明に映し出され、その艦から放たれたレールガンがフェンホワを正確に捉えている。
チャンは思わず喉を鳴らし、汗が額に浮かんだ。想像以上の火力に加え、精度が尋常ではない。
「軍用シールドだぞ!?」
彼は必死にシールドの減衰率をチェックし続けた。
まだ致命的なダメージではないが、時間の問題だった。徐々にシールドが無力化され、フェンホワの艦体がむき出しになるのは明らかだった。
「まずい……!」
フェンホワは回避行動を取るべくスラスターを最大出力で稼働させ、急速に旋回した。
チャンは経験豊富なパイロットであり、これまでも数多の戦闘を切り抜けてきた。しかし、この状況はそれとは異なる。キャロルのナイトフォールは、彼の予想を遥かに超える動きで追尾してくる。
「くそっ、振り切れん!」
警告音がさらに激しく鳴り響き、ナイトフォールのレーザー砲がフェンホワに精確に当たり続ける。
まるで獲物を捕らえた鷹のように、ナイトフォールはフェンホワの逃げ場を許さなかった。シールドのエネルギーが一気に減衰し、ついにはシールドが完全に消失した。
「し、しまった!」
チャンの声は、焦りと怒りが混ざったものだった。
完全に無防備となったフェンホワに、ナイトフォールのレールガンが再び撃ち込まれる。
その一撃で、艦内の複数のモジュールが爆発音と共に破壊された。
「くそ……まだだ……!」
チャンは必死に操作を試みるが、フェンホワの応答は鈍くなっていた。
配電システムに異常が発生し、機動力が急激に低下していた。艦は虚空の中で無力に漂うのみとなったのだった。
その時、さらに大きな警告音が響き渡る。
ディスプレイに映し出されたのは、オベリスクのヒュージマルチキャノンからのロックオン警告だった。巨大な3つの砲身がチャンに向けられていた。
放たれた質量弾が、次々にフェンホワに直撃していく。凄まじい衝撃が艦を襲い、艦体は一瞬にして崩壊し始めた。
「ッ!」
チャンの目に映ったのは、絶望的なほど巨大な破壊の光。
歯を食いしばるが、すべてが遅かった。最後の悲鳴を上げることもなく、宇宙の闇に飲み込まれ、粉々に爆散した。
◇◇◇
チャンのフェンホワが爆散するのを、カイは無表情に見つめていた。
深い宇宙に漂う無数の破片が、徐々に闇に溶け込んでいく。その目は一瞬も動かず、虚無を映しているようだった。
彼は確実に裏切るだろう。そんな確信めいた予感が、当初からあった。
ふと視線を移すと、そこにはもう一つの残骸が漂っていた。かつて『白鯨号』として知られていた船の無残な姿だ。
フェンホワを騙すための囮として使われた白鯨号は、今や粉々に砕かれていた。
「……すまないな」
カイはぽつりと呟いた。
白鯨号は長年の相棒であり、数々の冒険を共にしてきた。しかし、今となってはカイにとっても必要以上に傷んだ船だった。すでに限界に達していたその船を、最終的に囮として使うしかなかったのだ。
彼は物悲しげに、漂う残骸をじっと見つめ続けた。
全ては自分が生き延びるため、そして確実にチャンを倒すための策だった。感情を押し殺して選んだその道は、最も冷酷で効果的な方法だった。
フローラが少し後ろに立ち、カイをじっと見守っていた。
彼女は慰めの言葉をかけようとしたが、何も言わずにそのまま口を閉ざした。彼が今、自らの選択と向き合っていることを知っていたからだ。
そんな中、ふと、コクピット内に通知音が響いた。
「カイ様、キャロルからの着艦申請が来ました」
フローラの冷静な声が、カイの思考を現実に引き戻した。
その声には、彼女特有の落ち着きがあり、今までの緊張感を少し和らげるような不思議な力があった。
カイは、一瞬だけ目を閉じ、疲れた息をゆっくりと吐き出した。
「了解。収容してくれ」
カイの声には、決断を終えた後の静かな落ち着きが戻っていた。
しかし、心の中では白鯨号を囮として使った後味の悪さがわずかに残っている。長い間共に冒険してきた船が、無惨に散っていく様子が脳裏にちらつく。
だが、今は感傷に浸る時ではない。カイは自らの手でその思いを断ち切り、前を向くことを選んだ。
オベリスクの格納庫に、小型の戦闘艦ナイトフォールが静かに戻ってきた。
モニターに映るその姿は、どこか安心感を与えるものであったが、キャロルの執着を思い出すと、同時に不安な影も頭を過ぎる。
彼女の忠誠は強いが、その愛情は時折暴走する。今の所、命令には素直に従ってくれているが……。
カイはキャロルという爆弾をうまく使いこなせるか。自分自身に問いかけるも、その答えはすぐには見つからなかった。
「……まあ、今はキャロルのことを気にしている場合じゃないか」
カイは小さくそう呟き、自分の考えを切り替えようとした。
スター・バザール――その名だけで多くの者が富と名誉を夢見た場所だ。目の前に控えているこの機会を逃すわけにはいかない。
「カイ様、全ての準備が整いました。いつでもジャンプ可能です」
フローラの穏やかな声が、カイの緊張をほぐしてくれた。
彼女の的確なサポートがあってこそ、今まで数々の危機を乗り越えてきたことを思い出し、カイは短く頷いた。
「よし、スター・バザールの開催地へジャンプだ」
ハイパードライブが静かに唸りを上げ始めた。
オベリスクの艦体が微かに揺れ、その周囲の空間が緩やかに歪む。カイは深く息を吐き、ディスプレイに映し出されたスター・バザールの座標を見つめた。
瞬く間に、星々が細い線へと引き伸ばされ、次元を越えるような感覚が艦内を包み込む。
そして、オベリスクは一気に光速を超えてその先へと消えていった。
虚空には、白鯨号の残骸が静かに漂っていた。長年カイと共に冒険を重ねたその船は、今や宇宙の闇に溶け込む無数の破片となっている。
その破片は星々の微かな光を反射し、一瞬だけ輝きを放つ。しかし、すぐに闇に消えていくその様子は、どこか寂しげだった。
深い静寂の中、ただ時間だけが静かに流れていく。白鯨号の残骸は何も語らず、宇宙の一部として漂い続けていた。
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