3-6

 オベリスクのグラヴィティ・スタビライザーが最大稼働し、白鯨号とルナ・シーカーは重力異常が蔓延る危険宙域から無事に離脱することができた。

 カイは操縦席で大きく息を吐き出し、一瞬だけ緊張が解けた気がした。


「ふう、なんとか抜け出せたな。しかし、一時はどうなるかと焦ったわ」

 

 あのままフローラが来てくれなかったら、今頃、自分たちはきっと死んでいただろう。

 カイはそう思い返しながらも、こうして無事に帰ってこれたことに一安心していた。

 肝心のエクリプス・オパールという最大級のお宝も回収でき、結果は上々と言えた。

 

 しかし、その安堵も束の間だった。

 オベリスクのセンサーが何らかの異常を検知し、アラート音を響かせた。

 

 フローラはコンソールに目を向けた瞬間、モニターに映し出された異常な数値に息を呑んだ。

 彼女の指が即座に動き、データを確認する。


『カイ様、緊急事態です! 重力異常が再び発生していますわ!』


 彼女の声は冷静だったが、その裏には明らかな緊張感が隠されていた。

 モニターには、再び発生した強力な重力異常のデータが映し出されている。

 

 一体なぜ急にこんな現象が発生したのか。

 フローラはその原因を探るべく、オベリスクの高感度センサーで周囲一帯をスキャンした。

 

 その結果、重力異常の発生源がルナ・シーカーであることが判明した。

 折角オベリスクと合流を果たした白鯨号とルナ・シーカーであったが、重力異常により再び2隻の足は鈍化していた。

 

 その事に気付いたフローラは、すぐさまオベリスクを停止させようとするも叶わなかった。

 

『カイ様、いま、急制動を掛けてますが、質量の差でそちらと距離が開いてしまっています! 間もなく2隻とも、オベリスクのグラビティ・スタビライザー範囲から出ます!』


 カイは報告を受け、すぐにメインモニターに目をやった。

 そこには、オベリスクのセンサーが捉えた異常なエネルギー波動が表示されていた。

 一体、何が起きているのか。カイの胸には不安が再び広がり始めた。

 

 モニターには、ルナ・シーカーが時空の歪みに飲み込まれそうになっている様子が映し出されている。

 その瞬間、ルナ・シーカーから通信が入り、レオンの緊張した声が響いた。


『カイ! 妙な力に引きずられている! スラスターを全開にしているんだが、動かん!』


 カイはその声にすぐに反応し、即座に行動に移った。

 

 オベリスクとルナ・シーカーに向けて、それぞれにワイヤーアンカーを発射し、ルナ・シーカーが時空の歪みに飲み込まれるのを阻止しようと試みた。

 

 アンカーは見事にルナ・シーカーの船体に食い込み、しっかりと固定された。しかし、重力の異常な力は依然として強力で、船体が引きずり込まれる危機はまだ去っていなかった。


「レオン、しっかり持ちこたえてくれ! 今、何とかする!」


 カイはモニターに映るルナ・シーカーと、異常な数値を示すセンサーのデータを見つめながら、ふと直感的に感じた。

 

 重力異常の原因は、レオンが回収したエクリプス・オパールに違いない。

 あの宝石が、何かしらの影響を引き起こしているのだ。

 そんな確信に近い予感が、カイにはあった。


「エクリプス・オパールを捨てるんだ! あれが重力異常の原因だ!」


 しかし、レオンの声が返ってきた時、その拒絶の強さがカイの胸に重く響いた。


『冗談じゃない! あのオパールは俺の夢だ、絶対に手放すわけにはいかない!』


 レオンの決意が固いことを感じ取ったカイは、なんとか説得しようと試みたが、レオンはすでに次の行動に移っていた。

 

 彼はルナ・シーカーのグラヴィティ・スタビライザーに再び過負荷を与え、オーバーロード状態にして、船体を引き戻そうとしていた。


「レオン、ダメだ! 危険すぎる!」


 レオンの意志は揺らがなかった。

 ルナ・シーカーは激しく揺れながらも、少しずつオベリスクの方へと動き出した。

 

 しかし、グラヴィティ・スタビライザーの限界はすぐに訪れた。

 すでに1度オーバーロードで駆動させていたのだ。システムが限界を超え、完全に破損してしまう。

 

 重要な重力対抗ユニットを喪失したルナ・シーカーは、強力な重力異常に船体が悲鳴を上げるように激しく振動し、急激に時空の歪みへと引きずり込まれ始めた。

 

 その勢いは凄まじく、ワイヤーで何とか牽引しようとしていた白鯨号も、逆にルナ・シーカーに引きずられる形で身動きが取れなくなってしまった。


「くそっ!」


 カイは操縦桿を握りしめ、状況を打開する方法を必死に考えた。

 残された手段は限られている。

 

 カイは咄嗟に白鯨号のグラヴィティ・スタビライザーを最大出力にして、ルナ・シーカーを引き戻そうと試みた。

 しかし、その時、レオンの声が静かに響く。


『カイ……付き合ってくれてありがとう。おかげで、エクリプス・オパールを手に入れることができた。俺はそれだけで満足だ』

「レオン、何を言っているんだ! 諦めるには早いだろ、助かる方法はまだある!」


 カイは叫んだが、レオンの声にはどこか決意がこもっていた。


『もう遅い。お前にはあの小型巡洋母艦ハンガークルーザーを譲る。それが俺からの報酬だ……だから、もう俺を追うな』


 その言葉に、カイは愕然とした。

 カイは、どうしてもレオンを助けたい気持ちと、彼の決意を尊重すべきかという思いが交錯した。

 しかし、憧れの人を見捨てることはできなかった。


「諦めるな! あんた、エースランクだろ!」


 カイは喉が裂けるように叫んだ。その声は、絶望と怒りが混じり合ったものだった。

 レオンの沈黙が一瞬続いたが、次に返ってきた声は、どこか優しさと覚悟が混じったものだった。


『カイ……気持ちは嬉しい。俺はエクリプス・オパールを手に入れた。これを捨てることなんて出来ない。それで満足だ。これが俺の選んだ道なんだ』


 しかし、カイはその言葉を受け入れられなかった。

 カイは操縦桿を握りしめた。絶対に見捨てない、そう決めた瞬間、彼の心に再び希望の火が灯った。


「まだ終わってない! あんたを引き戻してやる!」


 カイはルナ・シーカーを強引に牽引しようと、白鯨号のスラスターの出力を最大に引き上げた。

 エンジンが唸りを上げ、船体が震える。

 しかし、強力な重力に引っ張られているルナ・シーカーはびくともしない。

 カイは歯を食いしばりながら、スラスターをさらに押し上げた。

 

 エンジンはすでに過負荷状態に陥り、熱暴走が始まっていた。モジュールの一部が機能停止し、アラート音が船内に響き渡る。

 メインディスプレイには、異常な温度上昇を示す警告が赤く点滅していた。

 

「くそ、ダメか! なら、こいつはどうだ!!」

 

 それでもカイは諦めることなく、最後の手段としてグラビティ・スタビライザーをオーバーロードさせる操作を始めた。

 

 彼は必死にモジュールを再構成し、スタビライザーの限界を超えて出力を引き上げようとする。

 

 一方、レオンはルナ・シーカーを牽引しようと藻掻く白鯨号の姿を見て、決心を固めた。

 静かに息を吐き、カイに最後の別れを告げる。

 

 彼の手は、まるで長年使い慣れた楽器を操るように、ルナ・シーカーの操縦桿をしっかりと握りしめた。

 瞳には、これまでの航海で経験してきた数々の冒険と、その先に見える夢の欠片が映し出されていた。


『カイ、ありがとう。ここまで付き合ってくれて感謝してる。でも、もうこれ以上無理をさせるわけにはいかない』


 その言葉と共に、レオンはルナ・シーカーの採掘レーザーを展開した。

 紫色の光が鋭く放たれ、まるで断ち切る運命を象徴するかのように、白鯨号と繋がっていたワイヤーに狙いを定めた。

 

 カイはその光景を目の当たりにし、何かが胸の中で崩れ落ちるような感覚を覚えた。


「レオン、やめろ……!」


 カイの声は虚しくも宇宙空間に消え、レーザーは冷酷にもワイヤーを切断した。

 火花が散り、鋼鉄が焼ける音が虚無の中に響き渡る。切り離されたルナ・シーカーは、自由を得たかのようにゆっくりと時空の歪みへと引き込まれていく。

 

 カイはその光景を見つめた。手を伸ばしたが、空虚を掴むばかりだった。その瞬間、彼の心は冷たい絶望に包まれた。

 無力感が全身を襲い、重く沈むような静寂がカイの心を包み込んだ。


「レオン……!」


 カイは叫んだが、その声はただ虚空に響くだけだった。

 ルナ・シーカーは、最後の輝きを放ちながら、時空の歪みに完全に飲み込まれ、その姿を消していった。

 

 まるで夢の中の幻影が、現実の手をすり抜けるかのように、レオンの姿は永遠に失われた。

 カイの瞳に映るのは、無限に広がる暗黒の宇宙と、虚無だけだった。

 

『……周辺の重力異常の正常化を確認。ルナ・シーカーの信号……ロスト』

 

 フローラの冷静な声が、白鯨号のコクピットに響く。

 ルナ・シーカーが時空の歪みに完全に飲み込まれた瞬間、全ての空間異常が急速に収まっていった。

 

 宇宙は再び静寂を取り戻し、あとには白鯨号とオベリスクだけが残された。かつての仲間がいた場所は、今や暗黒の宇宙に溶け込んでしまったかのようだった。

 

 カイは操縦席に座りながら、レオンの最後の言葉を思い返していた。

 彼はオベリスクをレオンの遺言として受け継いだものの、その重みを感じつつ、無力感に打ちひしがれていた。


 その時、ふとコクピットのコンソールに表示されたカーゴのステータスに異常なエネルギー反応があることに気づいた。

 カイは眉をひそめ、慎重にそのデータを確認した。


「エネルギー反応が……カーゴから?」


 カイはコクピットのコンソールに異常なエネルギー反応が表示されたのを見て、すぐにカーゴへと向かった。

 慎重にハッチを開け、中を探っていると、暗がりの中で微かに輝くものを発見した。


「これは……」


 カイはその光に引き寄せられるように歩み寄り、手を伸ばした。

 そして、その正体を見た瞬間、心臓が一瞬止まるかのように感じた。

 カーゴの片隅に、エクリプス・オパールの欠片が転がっていたのだ。

 それは、こぶし大ほどの大きさであり、紫色の美しい輝きを放っていた。

 

 ゆっくりとその欠片を拾い上げる。予想以上に重く、冷たい感触が手のひらに伝わってきた。その重さは、物理的なものだけでなく、レオンの夢と命の重みをも象徴しているかのようだった。

 

 カイはしばらくの間、その欠片をじっと見つめ続けた。

 

 エクリプス・オパールは、レオンが命をかけて追い求めた伝説の鉱石だ。その一部がここにあるという事実が、カイの胸に複雑な思いを呼び起こしていた。

 

 たった一つの欠片であっても、その価値は計り知れない。

 宇宙の数多の冒険者が夢見た宝石、その実在を証明するものが、今、自分の手の中にあるのだ。

 

 カイの心は揺れていた。

 レオンの夢の欠片を手に入れたことの喜びと、彼を失った悲しみが交錯する。

 

 カイは、この欠片をどうすべきか悩んでいた。これを手元に置いておくべきなのか、それともレオンの意志を継いで、別の方法でその価値を活かすべきなのか。

 

 カイはその問いの答えを見つけることができず、ただ無限の宇宙を見つめ続けた。

 白鯨号には、彼の浅い呼吸音だけが響いていた。その中で、カイは一人、深く思索に沈んでいった。

 この欠片が、これから彼の人生に何をもたらすのか――その答えはまだ、彼の手の中にはなかった。

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