3-5

 重力異常の波に打たれながら、白鯨号は必死に抗う。

 揺れる船内で、カイはメインディスプレイを凝視していた。

 

 突然、耳元に響いていたフローラの声が途切れた。

 最初は通信が乱れただけだと思い、システムを再起動しようと試みる。

 しかし、何度試しても静寂が返ってくるばかりだった。


「フローラ? 聞こえるか? ……ダメか」


 カイは不安を押し殺しながら呼びかけたが、返事はなかった。

 

 周囲のブラックホールから放たれる重力の影響か、それとも何か他の要因があるのか。

 どちらにせよ、状況は明らかに悪化していた。

 

 次にレオンに連絡を試みる。

 だが、こちらも全く応答がない。

 カイの胸に焦燥感が広がり、鼓動が早まるのを感じた。

 

 フローラも、レオンも、誰の声も届かない。

 カイは宇宙の無限の静寂に飲み込まれたような感覚に襲われた。


「タイミング的にエクリプス・オパールの影響か……」


 カイは思わず呟いた。

 今まで彼を支えてきた仲間たちとの繋がりが突然断たれたことで、カイは一人取り残されたように感じた。

 

 外部との通信が完全に途絶えたことを確認し、カイはコクピット内のスクリーンを睨みつけた。

 周囲の環境がいかに異常であるかが、各種センサーの数値から見て取れた。

 しかし、具体的な原因は不明のままだった。

 

 カイは深く息を吸い込んで、冷静さを取り戻そうと努めた。

 今ここで動揺していては何も解決しない。

 自分にはまだやるべきことがある。

 

 少なくとも、今現在も目の前で採掘に勤しんでいるレオンのルナ・シーカーと、通信を回復させることが第一優先だろう。幸いにもまだカイには手段が残されていた。

 

 有線回線を使って直接接触を試みる――それがカイにとって、最後の頼みの綱だった。

 

 カイは全ての通信が遮断された中で、唯一の希望である有線回線を使うことを決断した。

 ルナ・シーカーと自分の白鯨号の距離はごくわずかだ。

 

 この状況で確実に連絡を取るには、直接ケーブルを繋ぐしかない。

 手早く装置を操作し、ルナ・シーカーへ向け、小型のワイヤーアンカーを射出して有線接続を確立しようと試みる。


「頼む……繋がってくれ……」

 

 距離が近い事もあって、ワイヤーアンカーは外れることなく、ルナ・シーカーの外装にへばりつく。

 カイは自分の声が震えていることに気づいた。

 

 フローラやレオンの声が届かない状況に焦りが募り、冷静さを保つのが難しくなっていた。

 しかし、ここで動揺している場合ではない。

 

 カイは何度もディスプレイに目をやり、接続が成功するのを待ち続けた。

 

 数秒後、接続が確立されたことを示すアイコンがスクリーンに表示された。

 カイは息を呑んだ。

 

「レオン! 聞こえるか!?」


 必死に呼びかけると、ノイズ混じりの音声が返ってきた。


『……カイか?  何とか聞こえる、随分と音質が荒いな。どうした?』


 レオンの声がかすかに聞こえた。

 その声には、まだ冷静さが保たれていたが、緊張感も感じ取れた。

 

 そして、その様子からレオンは採掘に集中していて、全く周囲の状況の変化に気付いていないことも分かった。


「レオン、すぐに撤退だ! 通信が全て断たれてる。このままじゃ何が起きるかわからない!」


 カイは焦燥感を抑えきれず、声が上ずっていた。

 だが、レオンの返事はカイの予想とは違っていた。

 

『撤退? 冗談じゃない。いま、イイところなんだ……オパールがもう少しで手に入る。ここで引くわけにはいかないだろう?』

「でも、危険すぎる! エクリプス・オパールが露出すればするほど、状況が悪化しているんだ! それ以上続ければ、何が起こるか分からない!」


 カイの訴えに対して、レオンは一瞬黙り込んだ。

 しかし、すぐにその声が再び響いた。

 

『だが、ここまで来たんだ。オパールは伝説の鉱石だぞ、今手を引けば一生後悔することになる!』


 カイはその言葉に何も返せなかった。

 レオンの決意がどれだけ強いかを理解していたからだ。

 それでも、カイは今すぐに撤退するべきだと強く感じていた


「……わかった。なら、あと3分だけ待つ。それ以上は無理だ」


 カイはそう言い残し、もう一度状況を確認した。

 ディスプレイには、依然として不穏なデータが表示され続けていた。

 

 レオンがエクリプス・オパールにこだわる理由もわかるが、カイの胸に広がる不安感は増すばかりだった。

 

 まるで、すぐそこに迫る大きな災厄を予感しているかのように。

 

 カイは有線回線を切った後、再びメインディスプレイに目を戻した。

 レオンのルナ・シーカーがエクリプス・オパールの採掘を続けている様子が映し出されている。

 

 オパールがさらに露出し、紫色の輝きが小惑星の裂け目から放たれ始めていた。その光景に一瞬見とれるが、すぐに事態の深刻さを再認識した。

 

 ディスプレイに映し出されるデータは、周囲の異常を示す数値が急速に悪化し、警告が次々と発せられていた。

 

 小惑星の破片が絶え間なく飛来し、その勢いはますます激しさを増している。

 

 カイは再び配電システムに手を伸ばし、幾つかのシステムを停止させることで、シールドに電力を集中させた。


 これにより、減少していたシールド耐久値は徐々に回復していったが、カイにはその回復があまりにも遅く感じられた。


「くそ、これは想像以上に悪化しているな」


 重力異常がさらに激化し、周囲の空間がねじれ始めていた。

 小惑星が不規則な軌道を描きながら動き、互いにぶつかり合って細かな破片を撒き散らす様子は、まるで宇宙そのものが狂気に満ちているかのようだった。

 

 その破片が白鯨号とルナ・シーカーに向かって無情に迫ってくる。

 カイはシールドの耐久値を睨みながら、船体に伝わる激しい衝撃が彼の神経をさらに尖らせる。

 警告音がコクピット内に響き渡り、もう猶予は残されていないと悟る。

 

 再びレオンに接触を試みるが、有線回線にもノイズが混じり始めており、通信が不安定になっていた。

 ディスプレイには、歪んだルナ・シーカーの姿が映し出され、その周囲の空間が奇妙に揺らいでいるのが見て取れた。

 重力異常がピークに達し、もはや限界が近いことは明白だった。


「レオン、今すぐ撤退しろ!」


 カイは叫んだが、返事は途絶えていた。

 

 カイの声は虚空に消え、ただ無機質なノイズだけが響いている。

 彼は焦燥感を抑えきれず、ディスプレイに目を釘付けにした。


 その時、ディスプレイに表示されていたエネルギー反応が急激に増大し始めた。

 次の瞬間、ルナ・シーカーの周囲に猛烈な衝撃が走り、小惑星が激しく崩れ始めた。

 

 カイの胸が一瞬凍りつく。

 彼の目の前で、これまでとは異なる何かが起きているのがはっきりとわかった。

 

 それは、エクリプス・オパールがついにその全貌を現した瞬間だった。

 

 小惑星の岩盤が崩れ落ち、その中から浮かび上がったのは、巨大な球状の宝石――直径100メートルにも及ぶエクリプス・オパールだった。

 

 紫色の輝きが増し、まるで宇宙そのものが宝石に吸い込まれるかのように、周囲の空間が歪み始める。

 カイはその壮大な光景に息を呑んだ。

 

 これほどの大きさと美しさを持つ鉱石を目にしたことは一度もなかった。

 しかし、その神秘的な輝きは同時に、計り知れない危険を孕んでいることを感じさせた。

 

 オパールが姿を現すにつれ、周囲の重力異常はさらに激しさを増し、空間そのものが捻じ曲がり、波打つように揺れ動いていた。

 

「あれが全部!? ……なんて、大きさだ!」


 その壮大な光景は美しさと同時に恐怖を感じさせた。

 オパールが全てを露出したことで、重力異常はさらに激しさを増し、周囲の空間が完全に狂ってしまったかのようだった。

 

 カイは、すでに限界に近づいているシールドを必死に維持しながら、白鯨号を何とか守ろうと懸命に操縦桿を握りしめた。

 

 しかし、次々と飛来する小惑星の破片と、捻じ曲がった空間の影響で、船体は激しく揺れ続け、状況は悪化の一途を辿っていた。


「って感動してる場合じゃない! 幾ら何でも、もう限界だ。レオン!」

 

 カイが叫んだ瞬間、ディスプレイにレオンからの通信が入った。

 緊張した声がカイの耳に響く。


『すまん、待たせた! オパールの採取に成功した、今すぐ脱出だ!』


 カイは一瞬の安堵を感じたが、その喜びも束の間、船体が激しく揺れ、操縦桿に込めた力が無意味なものだと悟った。

 船がまるで見えない鎖に縛られたかのように、全く動かない。


「くそっ、動けない……レオン、そっちはどうだ?」


 カイは叫びながら操縦桿を握り直した。

 しかし、その手にはいつもの自信がなく、微かに震えているのを感じた。


 船体は激しく揺れ続け、まるで巨大な見えない手に掴まれているかのように、白鯨号は全く応答しなかった。


 操縦桿を通じて感じる船体の震動は、カイの全身に伝わり、心臓の鼓動とシンクロするように不安を煽る。

 彼の脳裏には、このままでは脱出できないという恐怖がじわじわと広がっていた。


『こちらも同じだ。ッチ、強力な重力に捕まっている!』


 二人は必死に状況を打開しようと試みるが、どちらの船も強力な重力にがんじがらめにされ、身動き一つ取れなくなっていた。


 ディスプレイには、歪んだ空間と異常なエネルギー反応が次々と表示され、事態がさらに悪化していることを示していた。


 カイは焦燥感に駆られながらも、何とかして脱出する方法を探り続けた。

 必死に脱出の手段を探している中、突然、通信システムにノイズが走り、再び音声が聞こえてきた。

 カイは驚き、ディスプレイに目をやる。


『カイ様、聞こえますか?』


 それはフローラの声だった。




 ◇◇◇

 


 

 フローラは、ディスプレイに映る静寂な画面を凝視していた。

 カイとの通信が突然途絶えたその瞬間、彼女の心は凍りついた。

 

「カイ様……?」


 信じられない思いで再度呼びかけるが、応答はない。

 いつも冷静なフローラの胸に、強烈な不安が押し寄せてきた。まるで自分が暗闇の中に投げ出されたかのような感覚が、彼女を覆っていく。


「どうして……どうして返事をしてくれないのですか?」


 普段は沈着冷静な彼女の声が震えていた。

 手が無意識に操縦桿に伸びるが、すぐにその場で止まった。


 オベリスクを動かすことの危険性が頭をよぎる。もしオベリスクを動かして何か問題が起これば、カイもレオンも帰るべき場所を失ってしまう。それは絶対に避けなければならない。


「……私も……カイ様も……帰る場所が……」


 その瞬間、フローラの脳裏に見覚えのない男の影が浮かんだ。

 ――誰?


 心臓が激しく鼓動し、呼吸が浅くなる。

 見たことのないはずのその顔が、一瞬だけ脳裏に焼き付いた。


 それが何を意味するのか、フローラにはわからなかった。

 だが、その影が浮かび上がるたびに、彼女の心は不安で締め付けられるようだった。


「お願い……カイ様……無事でいてください……」


 フローラの目から、じわりと涙が浮かび始めた。

 

 彼女にとって、カイは唯一のマスターであり、大切な存在だった。

 記憶にない男の影が、カイを失う恐怖と混じり合い、彼女の心をさらに揺さぶる。

 

 オベリスクはカイとレオンが戻ってくるべき母艦であり、それを危険にさらすことはフローラにとって大きな賭けだった。

 

 だが、彼女は決断を迫られていた。このまま何もしなければ、二人を失ってしまうかもしれない。


「もう、これ以上は……耐えられない……」


 気がつくと、彼女の手はスーツのベルトへと伸びていた。

 彼女の指がベルトのスイッチを無意識に押す。

 

 その瞬間、軽く全身に電流が走るかのような感覚が広がった。

 フローラは一瞬、その感覚に驚きながらも、自然と目を閉じた。


「っ……! んッ……ぅ」


 フローラは心の中に不思議な静けさが広がっていくのを感じ取る。

 先ほどまでの不安や恐怖が、まるで霧が晴れるかのように消えていった。全身がじわりと汗ばんでいくのを感じ、徐々に下腹部に熱がこもっていく。

 

 程なくして、フローラはスイッチを切った。

 そこには先ほどまでのフローラと打って変わり、普段通りの冷静さを取り戻した彼女が立っていた。

 

 フローラはすぐに決断を下した。

 カイを救うために、オベリスクを危険宙域へと向ける。

 その一方で、自分の行動がどんな結末を招くのか、それがどんな結果であれ彼女に恐怖心は微塵も無かった。


「カイ様、どうか無事で!」


 船内の警告音が響き渡る中、フローラはオベリスクの操縦桿を手に取った。

 画面には無数の危険信号が表示され、システムは異常事態を知らせ続けている。

 

 それでもフローラは操縦を止めない。彼女の心には、ただカイを救いたいという一念だけが強く刻まれていた。

 

 その意思が反映するかのように、オベリスクはゆっくりと動き始める。

 目指すは、エクリプス・オパールが眠る、重力異常に満ちた危険宙域。

 

 艦体が激しく揺れ始め、彼女の手は操縦桿にしっかりと固定された。

 オベリスクはじわじわと進んでいく。

 

 その先に何が待ち受けているのか、フローラ自身にも分からない。

 しかし、彼女はすでに覚悟を決めていた。

 

 カイをこの手で守るために、どんな危険も乗り越えると。ただ前へと進み続けた。

 


 

 ◇◇◇


 

 

『こちらオベリスク。今、あなた方のすぐ近くまで来ていますわ!』

「フローラ! よくここまで……助かった!」


 フローラの声がカイに安心感を与える。

 そして、それはフローラもまた同様だった。


『カイ様、オベリスクは現在、グラヴィティ・スタビライザーを最大出力で稼働させています。このスタビライザーの効果範囲内に入ることができれば、白鯨号もルナ・シーカーも脱出が可能です。

しかし、こちらから近づくのは難しいので、あなた方が自力でその範囲内に移動する必要がありますわ』


 カイは一瞬考え込んだ。

 自力で移動出来れば、そもそも苦労はしないのだ。

 

 もちろん、オベリスクに一定距離まで近づけさえすれば、何とかなると言うのはありがたい話ではある。

 問題は、今現在の状況を打破する手段だ。

 フローラの言葉を聞いたレオンが、コクピットの中で拳を握りしめた。

 

『くそ、結局どうしようもないのか……!』


 その時、カイの脳裏にひらめきが走った。

 まだ一つだけ、試していない方法があることに気付いたのだった。

 

「いや、オベリスクまでなら何とかなるかもしれない。グラヴィティ・スタビライザーをオーバーロードさせれば、その効果を一時的に高めることができる可能性はあるんじゃないか?」

『そうか、オーバーロード! やってみる価値はあるぞ、カイ!』


 レオンはカイのそのアイデアを聞き、すぐに決断した。

 

『それなら、まずは俺のルナ・シーカーで試してみよう。もし1隻でダメなら、お前が続けてくれ』

「わかった、気をつけてくれ」


 そうして二人はいよいよ脱出へ向け動き出した。

 レオンはルナ・シーカーのシステムを調整し、オベリスクのグラヴィティ・スタビライザーの範囲を可視化させた。

 

 あの範囲までに移動出来れば、ここから安全に脱出できる。レオンは、そう心の中で念じると、深呼吸をして全身の神経を集中させた。


『いくぞ……!』


 レオンが指示を出すと、ルナ・シーカーのエネルギーがスタビライザーに送り込まれ、システムが限界を超えて稼働し始めた。

 

 レオンは、船体が激しく震える中でも冷静に操作を続けた。

 経験豊富な彼は、この程度の揺れでは動じず、次々と計器に目を走らせながら状況を分析していた。

 

 限界を超えて作動するグラビティ・スタビライザーは、まるで悲鳴を上げるかのように稼働音を高めていく。


 その効果はカイの目論見通りに一時的に増幅され、重力に捕らわれていた2隻の船がゆっくりと、しかし確実に動き始めた。


 レオンは計器を注視し、微細な変化も見逃さないように全神経を集中させていた。

 船体の震動が次第に大きくなる中、ルナ・シーカーのエンジンは不安定なエネルギー出力を保ちながらも、オベリスクの方向へと機体を押し進めていく。


「あと少し!」


 レオンの心中でその言葉が繰り返される。

 2隻の船は、じわじわとオベリスクのグラビティ・スタビライザーの効果範囲に向かって進んでいった。


 周囲の空間がわずかに歪んで見える中で、ようやく2隻はオベリスクの安全圏へと入り込んだ。

 

「よし、抜けたぞ!!」


 レオンは安堵の息をついたが、すぐにディスプレイに映る光景に目を奪われた。

 エクリプス・オパールの塊が、重力異常によって引き起こされた時空の歪みに引き寄せられ、徐々にその姿を消していく。


 レオンはその輝きを惜しむように、静かに見つめ続けた。

 その瞳には、一瞬の間、手の届かない夢が消えていくかのような寂しさが宿っていた。


 一方、フローラはディスプレイに映る二隻の船を確認し、胸を撫で下ろした。

 彼女の表情からは緊張が少しずつ解けていくのがわかった。


『……よくやったな、カイ。お前の判断がなければ、今ごろどうなっていたか』


 カイは通信越しにレオンから感謝を述べられ、緊張の中でも思わず顔がほころんだ。

 採掘を担当したのも、エクリプス・オパールの採取に成功したのもレオンだったが、その中で自分も役に立つことが出来たのだと実感していた。


「いや、俺は大したことはしてないよ。フフ、お、俺たち、いいチームだな!」


 そんなぎこちないカイの言葉を聞いて、レオンも静かに笑う。

 二人は互いに労いの言葉を交わし、宇宙の静寂が再び二人を包んだ。

 だが、そんな静寂の中で、レオンはなぜか心の奥底に、説明できない違和感を感じていた。

 彼はルナ・シーカーの操作パネルに目を落とし、しばしの沈黙の後、小さく息をついた。

 カーゴに収めたエクリプス・オパールが、何か重いものを背負っているように思えたが、その正体はわからない。かすかに響く船のエンジン音が、妙に耳に残った。

 何も言わずに、レオンは静かに操縦桿を握る手に力を込め、深く息を吸い込んだ。

 だが、その違和感は消えることなく、レオンの胸に沈殿していた。

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