1-5
カイたちがイトー軌道ステーションを出てから、既に二日が経過していた。
15回を予定していたジャンプ回数も、残るは4回と片手に収まるまでになっていた。
最初は帝国軍は勿論のこと、連邦軍からも追手が掛かり大変な目に遭うのではと危惧していたカイだったが、特にそういう事は発生する事無く旅は順調そのものだった。
これもヴィクセンから言われた幸運と言う事なのだろうか。
そんなことを考えながらカイは極彩色に煌めく
トンネルの中は星々が伸び、まるで流れ星の川の中を航行しているかのように見える。
虹色の渦巻きや光の粒子が四方八方から現れ、船体を撫でるように流れていく。
現実の物理法則を超越し、時間と空間をねじ曲げる神秘のトンネル。それが
おまけにこのトンネルでの移動中は、外部とは隔絶されている為に直接的な攻撃や接触を受ける事はない。
そのため、移動が終わるまでの間は基本的に自由時間となる。
白鯨号には旧式ながらもオートパイロットシステムが備わっている為、実際の所カイがコクピットに座って観測する必要はない。
しかし、自室へ戻った所で特に何かすることもない。むしろ隣をフローラの部屋にしてしまった為、落ち着かないと言う理由でコクピットに居た。
「娯楽施設でもあればなあ。ま、金も無けりゃそんなスペースも無いけど」
カイがボヤくのも仕方ない事だ。なにせ白鯨号は実際に小さな艦艇だ。
全長25メートル、全幅9メートル、高さ15メートルの小型漁船。
船体は流線型で、その見た目は地上で稀に運用される飛行船に近く、そうした見た目と相まって鯨の名を冠する「白鯨」という名前が付けられていた。
船体の5割は荷運びに使うカーゴが占有しており、小型の割には多くの荷物を運ぶことが出来た。
元々は海洋資源が豊富な惑星で捕れた新鮮な魚介類を各地に運んで卸していた船で、カイが手に入れた当時は色々手直しが必要な状態だった。
それでも修理すれば問題なく飛べる程度だったので、カイはすぐさま購入を決意して手に入れる事が出来た。
ちなみに、買った値段は非常識ともいえる程に廉価だった。
そこから色々と修理や調整をして今に至るわけだが、この白鯨号には一つ重大な欠点があった。
それは攻撃力がほぼないと言う点だ。
カイの独立パイロットと言う職業柄、あらゆる状況に対応できるように船を整えるのが常だったが、その中でも重要な対艦戦闘を白鯨号はほぼ行う事が出来なかった。
何故ならそれは偏にカイの資金力が原因だった。
まず、カイ自身は戦闘と言う行為を極力避けたいと言う考えを持っていた。
その為、この白鯨号を修復するにあたって対艦兵装の整備は最後に回され、一通り装備を整えた段階で貯蓄はほとんど底をついていた。。
結果、白鯨号に存在する兵装はピンポイントレーザー砲しかない。それも1門のみ。
さらにこのレーザー砲は、正確には対艦兵器ではなく対空兵装となる。
飛来してくるミサイルや魚雷と言ったものを迎撃する使い方が本来の用途だ。
そのため、威力は低く装甲を貫くような攻撃力と言うものは全く持ち合わせていない。
そのような理由から、カイがこの白鯨号で対艦戦闘を行う事はほぼ無い。
そして、なるべくそういう状況に陥らないように立ち回ってきたのだった。
「けど、今回の依頼を達成させられれば割と馬鹿にならない報酬が手に入るよなあ。
1200万クレジット、これだけありゃ白鯨号は随分と強化出来る。船を下取りに出して、貯金と合わせれば船の買い替えも視野に入って来るな」
ヴィクセンから提示された護送依頼の報酬額は1200万と破格だった。
何せ場所は3000LYと遠く離れた地であり、護送対象の実験犬アインは広大な銀河を支配する3大国家の内2つが着け狙う存在だ。
カイのような木っ端の独立パイロットに舞い込んでくる話としては大きすぎるとも言えた。
この任務を紹介したヴィクセンは、そのことをカイの運の良さと表現していたが、実際のところ半々と言ったところだった。
勿論、カイ自身がヴィクセンの前に現れたタイミングは非常に良かった。
しかしそれだけでカイに護送を依頼したわけではない。
もうひとつの理由、それはフローラと言う非常に強力な存在が理由だった。
こと対人戦においてフローラに勝てる存在は非常に稀だと言えた。
勿論、圧倒的な人数や複数のパワーアーマーで囲めば倒す事は可能だが、逆に言うとそこまでしなければフローラを殺す事は難しい。それほど彼女が持つ戦闘力は高かった。
そして、そんな彼女のマスターであるカイは実質的に高い戦力を保有していると言う事になる。
唯一の懸念だった貧弱な船である白鯨号も、軍用ハイパードライブへの換装で多少なりとも目的地まで早く付けるように手配をして改善を試みた。
と、ヴィクセンが今回の依頼を託すのには、ここまで計算しての事だった。
しかし、これはヴィクセンも失念していた事だったが全く別の問題を有していたのだった。
丁度、カイが白鯨号の強化案として装甲カタログを眺めていた時の事。
不意にコクピットの扉が開いたので、そちらを向いて入って来た相手を見た時、思わず目を見開き絶句した。
そこには全裸で汗だくのフローラがゆらゆらと立っていた。
幾ら人目が無い船内とは言え、全裸で歩き回るのは非常識そのものだ。
「お、おま! ……なんでえ」
カイは一瞬目を見開きフローラに何かを言おうとするも、即座にその気力を失った。
きっと言っても伝わらないし、治る事もないのだろうから。
そんな諦めの境地がカイを落ち着かせた。
そうなると後に残るのは、なぜ全裸で歩き回ってるのかと言う疑問だった。
「……ティッシュが、切れましたの。いつもの……ふぅ。場所にありませんでしたので、何処かご存知無いかと」
「ごめん。急ぎだったから、まだ補充してないんだ。カーゴの中だわ」
「分かりましたわ……わたくしが、補充して……おきますわ」
そう言ってフローラはふらふらとコクピットから出て、カーゴへと向かって行った。
カイはその後姿をただ黙って見ているしかなかった。
そして、フローラの足取りを示すかのように廊下に点々と続く水滴の跡を見て頭を抱えるのだった。
◇◇◇
カイたちが出発して早三日。
ついに、目的地のHIP96455星系へと辿り着いた。
ここまで来れば流石にもう追手の心配は無いと言えた。
カイはシートに座ったまま伸びをして、肩の荷が少し降りた気がした。
そして、航路を最終目的地である小惑星基地レミーロックに設定したところでオートパイロットを起動させ席を立った。
コクピットの後ろにある扉から狭い船内の廊下を通り、フローラの部屋へ歩みを進めていくと、何やら微かに声が聞こえてくる。
「……ォ! ……ああッ!」
それは案の定、フローラの部屋の中ら漏れでた声だった。
カイは激しい頭痛を覚えながらも、気を振り絞って部屋の扉にあるタッチパネルでフローラを呼んでみた。
暫く反応が無かったが、何やら慌ただしく物音がしてからフローラが通話に出てくる。
『は、はい! 何の御用でしょうか。ちょっと、今……その、手が離せなくて』
「あー、まだ時間は大丈夫。あと10分も掛からずにレミーロックに到着するから、降りれる準備だけしといて」
『……んっ、りょ、了解しましたわ。……あと5分は繋がってられますわね』
カイは最後の言葉を忘れるように努め、自分も船を降りる準備を始めたのだった。
◇◇◇
「なんか、会った時より野生化してない?」
カイの目の前で激しく唸り声を上げるのは、何を隠そう実験犬アインだった。
初めて会った時には理性的な佇まいで確かな知性を感じさせていたアインだったが、今カイの目の前にいるのは本能全開な一匹の雄犬だった。
そこには元人間であるかのような理性的な振る舞いなど一切感じられず、完全な犬そのものだった。
一瞬カイは何か気に障るような事でもしたのかと、自分を問い質したが全く身に覚えはなかった。
それもそのはず、アインは白鯨号に乗船してからこの三日間。ずっとフローラの部屋の中で生活をしていたからだ。
カイと触れ合う時間など全くなく、かと言ってその事が原因とはとても思えなかった。
では原因は何か。
それは三日三晩、アインと共に過ごしていたフローラならば良く分かる事だろう。
カイは言葉に出さずに睨むと、フローラは居心地悪そうに目線を反らした。
「す、ストレスではありませんの? 三日間も狭い船の中でしたし、きっと運動不足なのですわ」
「いーや、違うね! 運動なら十分してたよなァ!? 三日間ずっと」
「え、えっと……アレは運動ではなくてぇ……ストレス発散も兼ねたストレッチと言いましょうか」
「そのストレッチの所為で、完璧に獣の本能呼び覚ましたじゃんかこれ! 犬としての本能が勝っちゃってるよ!」
アインの深刻な野生化は明らかにフローラが原因だった。
三日三晩、部屋に籠ってフローラのストレッチに付き合わされた結果、アインは人間としての立ち居振る舞いを忘れ、本能に及ぶがままとなってしまった。
そして、動物としての直感でカイとフローラの関係を察知し、自分の雌を支配している別の雄の存在に嫉妬しているのだ。
「どうするんだ、これ……。いや、止めなかった俺も悪いよ? あー負担が減って助かるなあって」
体力の化け物であるフローラと付き合うのは並大抵の事ではない。
それこそ獣の如き無尽蔵な体力でもなければ。
カイはこの三日間、穏やかな日々を送る事が出来たが、それは偏にアインの犠牲の上でもあったのだった。
結果、アインは獣の本能を呼び覚まされ、完全な犬となってしまったのだ。
「どうにかして元に戻って貰わないと……」
あの一見して穏やかなヴィクセンがキレる。
そう想像しただけで小物のカイは震えあがった。
一方のフローラは、カイの様子を見て全く別の考えをしていた。
(カイ様、もしかして……嫉妬してらっしゃる? ふふ、犬相手に本気になるわけないじゃないですの。全く)
そしてカイもフローラも全く気付いていないが、アインは犬に戻っているわけではなかった。
彼はごく単純に怒っていたのだ。三日三晩フローラの我儘に付き合わされたと言う事に。
おまけに変な薬を使われ、無理やり元気な状態にされたことは実に彼の尊厳を踏みにじった。
そして、それを唯一制止できたはずのカイは自分の安寧の為に敢えて見過ごしていたと言う事もアインは理解していた。
だから、アインはカイに対して怒りを見せていた。そんな単純な話だった。
そんな三者三様な状況の中、不意に警告音が鳴り響き、異常な振動が白鯨号を襲う。
カイは直ぐに頭を切り替え、モニターを見て警告音の原因を即座に把握した。
「不味い!
カイはすぐさまオートパイロットを中止して、手動操縦へ切り替え対応を始める。
その様子を見てフローラも急ぎ準備を整える為に自室へと急いだ。
一体何が起こっているのか分からないアインは、一先ず自分の怒りを収めて状況を注視するのだった。
カイは操縦桿を握りしめ必死にもがく。
誰かが白鯨号を
目の前のスクリーンには、赤く輝く敵船のシルエットが浮かび上がっていた。
「やはり海賊か、なんて迷惑な連中だ!」
カイは軽く舌打ちした。
スクリーン上のターゲットリングを必死に追いかけ、何とか敵の
しかし敵船は巧みに動き、白鯨号を通常空間に引きずり出そうとしていた。
「くっ! ダメだ……フローラ!! 準備してくれ!」
カイは船内通信で喚いてフローラを急がせる。
そして、ついに敵の巧妙な動きに対抗しきれず、白鯨号は
船体が激しく揺れ、次の瞬間、目の前には敵船が現れた。
カイは即座に白鯨号を戦闘モードに切り替え、シールドを最大出力に強化した。
「ここまで来て、失敗して堪るか!!」
カイは決意を新たにし、敵船に向けて武器を構えて抵抗の意思を示す。
白鯨号の前面にある一部から唯一の武器であるピンポイントレーザー砲が迫り出し、敵船に向け指向した。
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