第4話、なりたい自分は

ひとしさん、ちょっといーい?」


 荷解きが終わり、近所のスーパーで買い物もするようになり、すこし落ち着いたころ。


「優子さんに手、合わせたいんだけどいいかな?」

「ああ……いいですよ。ありがとうございます」


 そうか。牙狼がろうは優子伯母さんとは仲が良かったみたいだ。単に大家で管理人というだけでなく。


 よいしょと牙狼は玄関を上がった。ひとしが本棚の上の小さな箱に案内すると、その前に立って静かに手を合わせる。骨の多くは墓に入れるため実家にあるのだが、ノドボトケだけはずっと住んでいたところがいいだろうと父から預かったのだ。そういえば俺は伯母のことをよく知らないなと仁は思った。


「ありがとう。……もしよければ、コーヒーでも飲んでいきます?」

「いいの? ありがとー」

「うん、今出すから……」


 仁はインスタントコーヒーをとってきて、コーヒーをいれる。ポットのお湯はギリギリ足りそうだ。コーヒーには牛乳を入れないと仁は飲めないが、牙狼はどうだろうか。


「オレも牛乳入れてー。砂糖はなしで」


 牛乳が入ってちょっとぬるくなったコーヒーに口をつける。牙狼は猫舌だそうだ。熱いカフェオレではなくコーヒーの牛乳割りがいいんだって。俺も牛乳をいちいち温めるのは面倒だったのでちょうど良かった。


「あの、牙狼さん。伯母さんって……どんな人だったんですか?」

「ん? 仁さんはずっと会ってなかったんだもんねえ。うん、いい人だったよ」


 いい人……仁の記憶はおぼろげで、その言葉からあまり想像がつかない。昔、絵本を読んでもらったような記憶がある。声を張り上げたり、妙に芝居がかった読みかたではなく、淡々としているのに物語の深いところに連れて行ってくれるような。そんな読みかただった気がするが、どこまで正確な記憶なのかわからなくなっている。


「あ、お面だね。なんだろ、カラス?」


 何気なく部屋を見まわした牙狼が気づいたのは、壁にかけられた仮面だった。カラスのようなクチバシのある仮面。黒地に細かい焔のような文様を彫り込んで朱をさしている。裏には組紐が結び付けられていて、顔につけられるようになっていた。


 仮面作りは仁の趣味だ。小さい頃、図鑑で世界の仮面を見て、憧れて作り始めた。ほとんど自分で調べただけの自己流で、土台から全てひとりで作った。実家の自分の部屋にはいくつもの仮面が置かれている。いくつかの仮面は特に気に入っていたのでここに持ってきたわけだ。


「う、うん……俺が作ったんだけど……」

「へえ! 仁さんが?」

「そう……それは張子と軽量樹脂粘土の……あとウレタン塗料を吹いて……」

「すごいね!」

 

 仁の説明を理解したわけではなさそうだが、牙狼は「すごい」と言った。仮面作家の仮面はすごいものなのに、写真集を人に見せたら「なんだか不気味……」と言われてしまった。だから仮面を作っているなんて、家族以外の誰にも言ったことはなかった。


「そ、そうかな?」


 牙狼は仮面をじっと見てにこにことしている。


「きれいだねえ、かっこいいねえ、すごいねえ」


 そうだ、仁はかっこいいものを作りたかった。怖くて優しくて美しくて強くてかっこいいものを。自分にはないものだから、自分の理想のそれを作り出したかったのかもしれない。


「お面いいよね。なりたいものになれるって優子さん言ってた。それは神さまをおろすことだって」

「……そうなんだ」




 ピンポーン。


「あ、はーい! 今出ます!」

ひとしさん、ちょっと今、いいですか? あ、ガル夫さんも」

「あ、ヴィック! どしたの?」


 101号を訪れたのはフランケンシュタインの怪物ことヴィックだ。身長は二メートルを越え、窮屈そうに身をかがめて玄関に入ってきた。部屋の中でも猫背気味である。でないと電灯に頭がついてしまいそうだ。


「ちょっと人間のかたに見ていただきたいものがありまして……」

「はい、なんでしょう」


 大きな体でかしこまって「人間に」と言われると、とまどってしまう。このアパート「あわい荘」には人間ではないものが住んでいる。牙狼やヴィックもそうだ。ヴィックは死体の寄せ集めなのだという。そういえば左右の手の皮膚の色も指の長さも太さも違う……気がする。


「ここ、これなんですけどね……」


 出してきたのはプロフィールと印刷された紙。……プロフィール?


【名前 : ヴィック・フランケンシュタイン】

【性別 : 男性】

【年齢 : 205歳くらい】


「……なんですか、これ」

「婚活クラブに出すプロフィールです。どうですかね、人間から見ておかしいところはありませんか?」


【自己紹介文 : はじめまして。人生を共に歩めるパートナーを見つけたく入会いたしました。欲しいものを手に入れるためには手段を選びませんが、できれば穏当な方法で知り合いたいと思っています。気になることは積極的に取り組んでいく性格です。】

【仕事内容 : 翻訳業と作家をしています。内容はホラーや復讐ものが多いと思います。おどろおどしい雰囲気に評判があります。家にいて仕事をすることが多いので理解してくださる女性が嬉しいです。】

【趣味 : 読書や映画鑑賞が好きですが、旅行や登山も好きです。出かけるのは苦になりません。】

【理想の結婚像 : お互いに支え合えるようになりたいと思っています。相手の存在を否定せず、尊敬できる女性と共に歩んでいきたいです。】


「……ごめんなさい。俺、こう言うのはよくわかんなくて。お相手は女性ですよね。なら女性に聞いた方がいいと思うんですけど」

「それがですね、雪子さんと由羅ゆらさんに聞いてみたんですが……」




「婚活サイトのプロフ?」


 黒髪の雪子はこのアパートに住む半雪女であり、赤髪で片目を隠した由羅ゆらは鬼だ。小柄な雪子は白い着物に水色のフレアスカートを合わせ、黒の羽織と和洋折衷の格好。一方の由羅は背が高く、ニッカボッカーズに虎柄の上着を腰に巻いていた。


「出会いさえあれば上手くいくと思ったんだが……」

「ねえ、ヴィック。もっと先に書くことあるんじゃない?」


 紙を見た雪子が凍った表情で言った。由羅も片目でそれを覗きこみ、ぎゅっと渋い顔をする。雪子は、はあっとこれみよがしにため息をついてみせた。


「まず、人じゃないクソでかいやつって言っとかないと」

「人だとか人じゃないとか、真実の愛を求めるには不必要な情報では? 雪子さんだって……」

「一般論よ、一般論! ニンゲンの常識!」


 雪子が怒鳴った。真実の愛とかいう前に、少しは信頼が必要だろうに。


「スミマセン。……いや、むしろこのギャップに萌え萌えキュンなのではと思ったんですが」

「萌えや恋愛はともかく、結婚にギャップはなくていいの」


 雪子は雑に吐き捨てた。ヴィックは首をかしげる。


「そういうものですか……? 由羅さんはどう思いますか?」


 ええと……と由羅は言いにくそうにしながらも、紙を指さしながら説明し始めた。


「まず最初から【プロフ見てくれてありがとう♡】はやめましょう。軽薄すぎます。ハートもちょっと……」

「そ、そうですか……できれば気軽に話しかけて欲しいと思って」

「あと写真が全体的に暗いです。陰気に見えます。実際はどうあれ、きれいに見せないとダメです」

「座高が合わなくて証明写真機使えないんですよ……」

「【すぐにでも会いたいです】、これはとりあえず会いたいだけのヤバい男と思われます」

「率直な気持ちを書いたのですが……」

「【容姿はまったく気にしません】、いちいちこういうこと言わないほうがいいですね」

「なんというか、もう、ダメな例として載ってそうなんだよなあ……」


 雪子がもう一度ため息をつく。このヴィックはいつもは知的な雰囲気であるし、実際理性的であるのだが、「運命の相手」とやらの話になるとどうにもおかしくなるようだ。


「一応、文章書く仕事なんだからしっかりしなさいよ……」




「――って言われて、直したんですが」

「難しいねえ」


 牙狼がたいして興味なさそうにつぶやいた。


「まあ、それはそう……うーん、やっぱり身長のこととか書いたほうがいいんじゃないかな」

「身長ですかあ……この前、高身長が条件のかたがいらっしゃって……」


 ヴィックはこの間一緒に食事をすることになった女性を思い出す。


 立っていると待ち合わせの目印にされるヴィック。まさかあなたじゃないよね? という雰囲気を感じるヴィック。自己紹介した瞬間、驚かれるヴィック。レストランのドアに、オシャレな照明に頭をぶつけそうになるヴィック。立っても座っても身長に差がありすぎて話しにくい。雨が降ってきてヴィックが傘を持ったら、隙間から雨粒が入ってきて濡れちゃったお相手。……うん、気まずいね。ダメだこれ。


「結局、『家に入らない』って断られました。家電ですか!」

「自販機よりデカいからねえ……」


 うんうんと頷く牙狼。たしかに常に見上げることになれば、首が疲れてしまうだろう。


「出会いさえあればって思ったんですが、結局見た目じゃないですか!?」

「ま、まあ、ヴィックさん、大きいから威圧感あるよね……」


 どうフォローすればいいかわからず、しどろもどろになる仁。


「見た目に決まってんじゃん。ヒトはだいたいのものは目で判断するんだから」

「そんな……」


 その時、ヴィックのスマホから音がなった。


「あ、会いたいって来てます! 『今度の休日にでもどうですか』ですって!」

「そ、それは、よかったですね!」

「ちゃんと消臭して行くんだよー」


 しかしヴィックは体を小さくして、申し訳なさそうに頼んできた。


「あの、もうひとつお願いが……」




 二人の待ち合わせは、この地方都市にしてはちょっと小洒落た個人のカフェだ。


「ドキドキするなあ……」


 ヴィックの格好はスーツ。一張羅で、彼の体格に合わせて彼自身が作ったものだ。特にここ日本では、市販の服は彼に全く合わない。よって型紙から作るしかないのだが、おかげで彼のミシンの腕前はめきめきと上がってしまった。そのうち靴も作り始めるかもしれない。足の大きさや形が左右で違うので。


「こういうのってレストランとかじゃないんですね」

「お相手が堅苦しいのはって……。まずは気楽に話したいと」

「なるほど。じゃあ、そろそろ……」

「ああ、お願いします。逃げないでくださいよ」


 帽子を深くかぶった仁と、牙狼はこそこそと近くのテーブルに移った。ヴィックについてきて欲しいと頼まれたのだ。ついていったからといって何ができるわけでもないのだが。ちらちらとヴィックのテーブルを見ながらカフェオレを口に運ぶ。牙狼はリンゴジュースだ。


「ところで、ヴィックさんの好みのタイプって……?」

「うん、おっぱいの大きい人だよ」

「……それ、結局、見た目じゃねえかな?」




 少しして、ひとりの女性が入ってきた。きょろきょろと店内を見まわした後、テーブルに近づいてくる。ヴィックが気づいて手をあげる。


「あなたがヴィック・フランケンシュタインさんかしら?」

「は、はい。私がヴィックです」

「こんにちは、ラヴァンドラです。今日はよろしくお願いしますね」


 来た女性は優しそうに微笑み、挨拶をした。


「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

「私もコーヒーを。……ええと、ヴィックさん、ご職業はなんでしたっけ?」

「翻訳と、あと執筆のほうも少し……。ラ、ラヴァンドラさんは……」

「私は店員……接客業です。ね、どんなものを書いてらっしゃるの?」


 話は和やかに進んでいるようだ。……ちょっと女性からの距離が近い気もする。あ、ボディタッチ。されたヴィックはというと見てわかるほどドギマギして、かといって自分から距離を詰めることもなくカチコチになっていた。


 なんだろう……結婚詐欺とかじゃないかな、あれ……。仁は少し心配になる。


「そう、ステキね。……ねえ、また会ってくれますか?」

「え、ええ、ええ、もちろんですとも」

「じゃあ、約束にキスしてくれる……?」




「一応、オレたちのまえではやめときなよー」


 いつのまにか女性の後ろに立っていた牙狼が、彼女の肩を押さえていた。


「あら? 人前ではキスをすべきではないなんて、あなた、固い考えなのね?」

「違うよ。サキュバスの『食事』でしょ?」

「飲食店で食事をしちゃダメなんてことがあるかしら?」

「持ち込みは禁止されてますー」

「私が持ち込んだんじゃないわ。向こうからホイホイ来たんだもの」

「ええっと……?」


 状況がよくわかっていない仁に、牙狼は注意する。


「仁さん。こいつサキュバスだから、気をつけてね」

「ええ!?」


 驚いたのはヴィックだった。大きな体がイスの上で飛びあがる。


「気づいてなかったの?」

「はあ、まあ……」


 本当に気づいていなかったのだろう、ヴィックが頭を掻く。


「あの、サキュバスって……?」

「精気を吸い取るやつ。人間の精気を吸って、女王のいる城に持ち帰るの。精気ってのは、うーん……全てのものがもつエネルギー? まだヒトはよくわかってないって言ってるけど。こいつは働きサキュバスだよ」

「失礼な。いまさら女王になんて仕えないわよ」

「なんだ。じゃあ、はぐれか」


 スライム? あの経験値が多いアレ?


「私だって女の子のほうが好きなんだけど。男のほうがよく釣れるんだから仕方ないじゃない」

「精気を吸われるとダメなの?」

「精気を吸い取られると、気分が落ち込んだり疲れやすくなったりするね。多く吸われると動く気力がなくなるんだ」

「でも、ちょっとくらいなら、いいじゃないの」


 ラヴァンドラは開き直って妖艶な口元で笑った。


「そうですよ!」


 突如、ヴィックが叫んだ。周囲のテーブルから視線が飛んでくる。ラヴァンドラにコーヒーを出そうとした店員さんが一瞬固まって、しかし動揺を見せないように提供した。プロだ。しかし、ああ、またやっかいなことに……。


「真実の愛の前にはサキュバスであることなど関係ない!」

「ただのエサってことだよ……」

「ほらあ、本人がこう言ってることだしいー」


 ラヴァンドラがヴィックに唇を近づけたと思ったが、彼女はとっさに顔を背けた。おいしそうなハンバーグに嫌いなニンジンが紛れ込んでいたかのような反応だった。ぎょっととびずさり、鼻を押さえる。


「あんた、人間じゃないじゃない!」

「はあ、そうですね、ヒトじゃないですよ」

「生きてるものじゃないと美味しくないのよ!」

「生きているか生きていないかなど重要なことですか?」

「……いいわ、バイバイね。もう連絡しないで」


 ラヴァンドラは熱々のコーヒーを一気飲みすると、テーブルを去ろうとする。


「あの、ラヴァンドラさん、最後に聞いてもいいですか?」

「……なによ」

「私のプロフィール、どこがいいと思いました?」

「簡単に引っかかりそうなとこ!」


 彼女はヒールを荒々しく鳴らすと行ってしまった。残されたヴィックがぼやく。


「やっぱり死体というのはモテないんですかねえ……」

「精気とられなくてよかったじゃん。取られすぎると本当に死んじゃうよ?」

「あ、ヴィックさんのぶんもお会計していってくれたんだ……」


 精気狙いのくせに妙なところで律儀な人(?)だなあと、仁は変なところに感心していた。




「やっぱり、運命の相手を求めるというのは困難なことなんですね! だからこそ出会えたことは素晴らしいのでしょう……!」

「……そういう問題ではなかったと思うけど」


 ここは103号室、ヴィックの部屋。普通に売っている布団だと足りないらしく、でかいマットを引いているのだという。掛け布団もダブルサイズのものを斜めにして使っているらしい。……背が高いのも大変だなあ。


「運命のことならメアリーに聞いてみたらどうだィ? あいつ、占いもやってるっていうからよ」


 ここにいるのは仁、牙狼、ヴィックにゾンビのロム。ロムがゲームをしながら言った。回避からのカウンターを決める。素材集めに忙しいらしい。ゲームを、特にアクションゲームをあまりしない仁にはわからないが大変そうだ。


「メアリーって、この間の魔女の……」

「そうそう、『嘉月庵かげつあん』っていう店をやってるんだ。アロマとか、薬草茶とか、クラフトジンとか、占いとか……まあ、怪しい魔女の店だよ。チョーうさんくさい、ね」

「へえ……」


 そういうことで数日後、麓山はやま地区の「嘉月庵」に来た。ヴィックに、仁と牙狼、そしてロム。小さいが古風な店だ。古民家を直したものみたいだ。なかはやや薄暗く、クラシカルな雰囲気が落ち着きを感じさせる。ヴィックは入り口にもはりにも頭をぶつけそうになっていた。


「いらっしゃいませ。ご予約のかたですか?」


 出てきたのは黒のロングワンピースに白いエプロンの、いわゆるメイドさんである。ミニスカなどの萌えメイドさんではなく、クラシカルなメイドさんだ。メガネをかけた落ち着いた雰囲気で、仁たちを見ると丁寧に挨拶をした。


「こないだのサキュバスじゃん!」


 仰々しく頭を下げた女性に牙狼が叫んだ。女性――ラヴァンドラが険しい顔をして慌てて牙狼の口を押さえる。服装と髪型、メイクが変わったせいか仁は気づかなかったが、本当にラヴァンドラであるらしい。


「どうしてわかったのよ!?」

「そりゃ、匂いで……痛いよー」


 ラヴァンドラは牙狼にぎゅっと裸絞をかけた。


「あの、こないだヴィックさんと会っていたかたですよね? ええと、ラヴァンドラさんがなんでここに……」

「そりゃ、ここの店員だからに決まってるでしょ?」

「ああ、そっか。ここでキスサービスして精気もとろうっていう……」

「しないわよ」


 心底バカにする目でラヴァンドラが牙狼に言った。


「メイドさんはそんなことしない」


 はっきりきっぱりと否定する。彼女の中で確固たる「メイドさん」像があるのだろう。


「じゃあ、なんでメイドさんなの?」


 仁が思わず聞いた。精気を吸うためじゃないとすれば、どうしてわざわざメイドさんの格好を……?


「メイドさんが好きだからよ! 『食事』は別! はい、メアリーさんを呼んできます!」


 ラヴァンドラはどすどすと大股で奥に行こうとする。


「メイドさんなんだからそんな叫ばないで」

「……く。おとなしくお待ちしやがれください」




 ヴィックは身をかがめ、一応、ロムに聞いた。


「ロム、わかってて来たんだな?」

「当然」

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