第二話「理不尽な宿題」




 フィーネは正座をしながら自問自答を繰り返す。それは老人についてのことだった。


 初めは脅されたり理不尽な命令を受けたりして反発する気持ちが強かったが、話していくうちに、老人はそこまで酷い人物でないと気づくことがあった。特に、聞いたことには完全ではないが少し答えてくれていること。話が通じるというだけでまともな人間に思えてくる。


 実はあの後、老人に「私の目的のためにお前を作ったが、その理由についてはいずれ話そう」と言われた。そう言われた時、完全に納得はできなかったが、確かに何か裏があるわけではなさそうだった。無駄に警戒し続けるのも疲れる。必要最低限の信頼を置く方が効率的だと、フィーネは判断していた。


 その上で言う。

 何故叱られなければいけないのだろう。


 いや、原因は分かっている。終わったあとに重大なミスがあったのだ。だとしても納得はいかない。今回起こったミスについて色々と考えてみよう。


 まず、売り上げに対して硬貨が少なかったこと。原因は色々考えられる。例えば、誰かが盗んだとか、売り上げの計算が間違っていた、とか。それらの理由の中でも一番多いのは会計の間違いであろう。


 フィーネには心当たりがあった。


 初めに前提を言うとフィーネは文字が読めない。そして、この店の商品には値札が付いており、それを見て会計をする。


 だから文字の読めないフィーネには商品の値段を知る術がなかった。もちろんそれでは仕事にならない。だから老人を呼ぼうとしたがいつの間にかいなくなっている。そんなフィーネを見かけた客は代わりに値札を見て値段を伝えてくれた。


 今思えばそれが間違いだったのだろう。一部の客はきっと間違った値段をわざと伝えていたのだ。少しでもお金をケチるために。


 結果は大損、大赤字だ。


 だが理不尽だろう。ここが日本ならパワハラを訴えられても文句は言えない。これはフィーネの失態ではなく老人の失態だ。全ての原因は説明が雑な老人にあるのだ。


「フィーネ、文字を勉強するんじゃ。一週間以内にある程度はできるようにしなさい。それまで店番は任せられん」

「はぁ、そうですか」


 ……訳が分からない。どうして店番をやることになっているのだろう。文字を勉強し終わったとしてもそんなものはやりたく無い。


 一応、死んだ人間になのに擬似的にとはいえ蘇っているから、感謝をする理由にはなるが、ありがた迷惑という奴だ。安らかに眠っていただろうに無理矢理起こされたのだから不機嫌にもなる。


「私、働きたくないです」


 老人が眉を顰める。


「働かないものに飯はないぞ? まあ、お前に飯は必要ないがの」

「尚更おかしいじゃないですか。勝手に呼ばれて迷惑ですよこんなの」

「言うようになったのう。お前自分の立場が分かっとるのか? いつまでも私が力に訴えないとでも?」

「……脅迫ですか?随分と心の貧しい人ですね」


 売り言葉に買い言葉。正直、フィーネの老人への心象は最悪だった。


「分かった分かった。働いた分だけ欲しいものを与えよう」

「……働かないという手は?」

「それをするならお前を破壊して新しい者を呼ぶかもしれぬ」

「……なるほど」


 本気の目をしている。目的を果たすためには本当に実行しそうだ。内心ビビりながらもフィーネは言葉を続けた。


「というか、まだ説明してもらってないことがあります。この身体のことを教えてください。なんで女性の身体なんですか?」

「もちろん私の目的のためじゃ。その言い方だと生前は男だったみたいじゃの?」

「……まあ、そうですね。嫌がらないんですか?」

「そうじゃな。目的には関係のないことだからの」

「また目的、ですか。……教えてくれないでしょうしそれは置いときます。他にも聞きたいことが色々あるんです。作られた身体なのは理解しましたが、どこが生身の人間と違うんですか? 食事がいらないって言ってましたが……」

「本当に面倒くさいのお」


 老人は立ち上がると一冊の本を手に取る。おそらくは最初に渡され、結局はフィーネが床に落としてしまった書物だった。いつの間にか元の場所に戻していたのだろう。


「そうじゃ、これを褒美としよう。お前が文字を勉強するならこれを渡してやらんこともない」

「それって確かホムンクルスの本ですよね」

「その通り、ちなみに著者は私。この一冊があればお前の知りたいこと全てが分かる」

「素直に教えてくれればいいのでは?」

「それでもいいんじゃが、そんなんじゃ上手くやっていけんぞ? お前は別次元の存在なんじゃろ? そこではお前が平民だったのか坊っちゃんだったのか知らんが、ここでは自分で行動に移せない者は死ぬ。私が全てをお前に与えてればお前は一人で生活できなくなる。そして、そうなっては私の目的は果たせない」


 間を開けて、強調するように言った。


「これはお前のためでもあり、私のためでもある。理解できないのならお前を破壊――」

「――わ、分かりました! やります! 勉強しますよ!」


 フィーネは老人の言葉を頭の中で反芻しながら、本を手に取った。

 重厚な装丁に目を細める。古い紙の独特な匂いが鼻をつき、思わず眉をひそめた。だが、拒絶する余裕はない。


「……文字が読めるようになれば、少しはこの状況を変えられるかも」


 そう考えながらページをめくるが、当然ながら全てが未知の記号にしか見えない。読めないという事実に改めて苛立ちが募る。


「……これ、どうやって覚えればいいんですか?」

「簡単じゃ。まずは基本の形を覚えるんじゃ。そして繰り返し書いて慣れればよい」

「そんな抽象的な……教え方が雑すぎます!」

「私の教え方に文句をつけるとは……まあいい。分からないことがあればその都度聞きに来ればよい。それがお前に与えられた自由じゃよ」


 フィーネは老人の薄ら笑いに内心舌打ちをしながらも、仕方なく本を抱えた。


 すぐ近くにあった硬い椅子に腰掛けたフィーネは、机の上に本を開いて目を凝らした。ペンと紙も渡されていたので、ひたすら文字らしき記号を模写していく。


 本当にこんなやり方で意味があるのか甚だ疑問だった。文字を写すだけなら、もちろん文字は覚える。けれどその文字をなんて読むのか、どういう意味があるのかまでは分からない。よく考えてみれば、そこの部分は絶対に人に聞かなければ分からないものじゃないのか。少なくとも解読のようなことはフィーネにはできない。


 慣れない手の動きに疲労が溜まり、数分と経たないうちに溜息を漏らす。


「……これ、ほんとに一週間で覚えられる?」


 自問自答を繰り返す中、ふと窓から漏れる月明かりに目が留まった。


 その光を見つめると、生前の記憶を不意に考えた。曖昧な断片――自分の名前、家族の顔、そして、確かにそこにあった日常。


「……こんなことをして、何になるんだろう」


 呟きながらも、フィーネは再びペンを握る。ここで諦めたら、老人の思惑に負けるだけだ。それだけは何としても避けたかった。


 とりあえず一つは決めた。明日は文字の意味を教えてくれる人を探そう。


 ひたすらペンを動かし続ける。手は疲れ、目も次第にしょぼついてくる。けれど、何故か眠気が訪れない。不自然な感覚に眉をひそめながらも、集中力を切らさないように必死に書き続けた。


 窓の外から薄明かりが差し込み始め、夜が終わりに近づいていることを知らせる。ふと気づいたフィーネは、手を止めて周囲を見回した。


「……朝、ですか。全然眠くないんですけど」


 フィーネは自分の額に触れてみた。体温は普通だし、特に異常は感じない。けれど明らかに、生身の頃とは違う感覚がそこにはあった。


「……これもこの身体のせい?」


 独り言を呟きながら立ち上がる。眠れないなら無理に横になる必要もない。どこか気味が悪いと感じつつも、別のことをする方が気が紛れそうだと思った。


 フィーネは部屋を出ることを決め、まず老人を探すことにした。一言言うべきだと思った。そして、できれば外の空気を吸いたい。部屋に閉じこもっていると息苦しく感じるからだ。


 廊下を歩き回り、幾つかの部屋を覗いてみたものの、老人の姿はどこにもなかった。


「……あの老人、いなくなるの得意ですね」


 仕方がない、とフィーネは思った。どうせどこかで勝手にしているのだろう。だったら自分も勝手に行動すればいい。


 そう考えて、玄関の扉に向かおうとするが、ふと自分の服装に目を落とした。今身に着けているのは薄い貫頭衣だけで、とても外に出られる格好ではない。


「……これで出たら、流石にまずい」


 渋々戻ろうとしたとき、ふと視線の先に目を引くものがあった。部屋の隅、棚の上にたたまれた衣服が置かれている。それは女性用の服であった。


 ……何気に下着まである。何故持っているのか。


 半ば呆れながらも、その服を手に取る。触り心地は悪くないし、サイズも自分に合いそうだった。


「……まあ、着てみますか」


 フィーネは手早く着替えた。スカートを履くことに羞恥心はあったが、抵抗は存在しない。性自認は男性だが今の自分は女性である、そういった割り切りはできていた。


 ゆったりとしたデザインのブラウスに、ふんわりと広がるスカート。装飾はシンプルながらも、程よく可愛らしいデザインだった。


 鏡はないが、フィーネは袖を広げたり裾を摘んだりして服の動きを確かめた。それから、準備が整ったことを確認して、再び玄関へ向かう。


 扉を開け、外に一歩足を踏み出す。まだ朝の冷たい空気が肌に触れるが、それすらも気持ち良く感じる。


 小さな感動を覚えながら、フィーネは初めて見る外の景色に目を奪われていた。周囲にはまだ人影は少ないが、多少の明かりが見える。


 背後を振り向けばそこには小さい一軒家。他の建物と比べるとスケールが小さく、どこかボロく感じる。それでも客が入るのはあの老人の腕が確かというのもあるのだろう。


 あの人はいったい何をしたいのか。答えの出ない疑問を抱きつつ足を進めた。


 道に迷わないよう、慎重に進む。できるだけ曲がりくねった道は選ばず真っすぐ進む。そうしなければ元の場所を忘れてしまうだろう。


 そして時折耳を澄ましたり、街道沿いにある看板の文字を見たりする。


 この外出には目的がある。それは文字の勉強のためだ。一番いいのは文字を教えてくれる先生を探すことだろう。しかしそれではリスクが高い。ここは知らない世界だ。そんな世界にいる人がどのような常識を持って生活しているか想像ができない。


 ならば、自分で学ぶしかない。老人も自分で行動しろと言っていた。


 道中の建物の文字や、それを読み上げてる人の声を聞けば一歩前進できるはずだ。ただ、一つだけ懸念点があるとすれば――一週間という期間があまりにも短すぎるということだった。


 苦い顔をせざるおえない。それに対する報酬は老人の店に置いてきたホムンクルスの本。逆に罰については触れられなかった。……流石に一度達成できなかっただけで破壊されることはないと信じたい。


 街道を進むにつれて、通行人が増えてくる。屋台の姿もチラホラ見えてきた。串焼きだの生地に包まれた何かだのが見えるか内容は分からない。


 店の前にはメニュー表のようなものが立てかけられている。見覚えのある文字だ。時間をかけて模写をした甲斐があった。


 フィーネは近くの植木のそばに腰掛けた。丁度ここらへんに店が固まっているため、見学しようと思ったのだ。


 だがそう上手くいくものでもない。時間が早すぎたのだろう。人が少なすぎた。屋台に寄る客は未だいない。


 それでも待つ。


 こうするしか無い。フィーネには頼れる人がいない。不貞腐れながら傍観した。


 ……そして、数時間は経っただろうか。未だ進展なし。いや、一人だけ屋台に寄った人がいた。耳を傾ければ、仕込みの話をしていた。


 どうやら、まだどこも準備中だったらしい。それはそうだ、と一人納得をする。今が何時か知らないがこんな早朝からやってるわけがない。


 その事実を知ってからも、もう少しで始まるかなとずっと待っていた。だがそれも限界かも知れない。周りの目が厳しい。どう思われてるか分からないが、仕込み中の店主や通行人から注目を浴びている。


 そして、視線が向くたびにフィーネは下を向き膝に顔を埋めて無関心を貫く。疲労や眠気は感じないが、精神的な蓄積はあった。

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