ホムンクルスとして目覚めた俺が、主人の策略により曇らせ包囲網を勝手に作られる話
@aroraito
第一話「看板娘は突然に」
深い、微睡みの中。
全身に浮遊感を感じ佇む。周囲にははっきりと見えるわけではないが、これまた夢に出てきそうな謎の光の球体が浮いており空中を彷徨う。
そう、これはきっと夢なのだろう。
真っ暗闇の空間も、無数の光の球も、現実ではありえない。そもそもの話、自身は何の変哲もない一般男性だ。確実にこれは夢の中、そう確信した。
たしか、夢だと分かる夢を明晰夢と呼ぶ。そんな当たり前のことが思い浮かんだ。
しかし、思考もそこまで。そうならば起きた直後にはこの内容は忘れてしまうのだろう。それが夢というものだ。
ならば考える必要もない。この浮遊感に身を任せる。
だが、突如空間が明滅する。穏やかだったこの場にとって、その現象は乱暴すぎた。それに合わせて思考もシェイクされる感覚を覚える。吐き気や目眩、そんなものはない。あるのはただの不快感。
これに対してできることは何もない。ただ過ぎ去るのを待つのみ。
やがて――光が見えた。
視界が開ける。酷い頭痛と胸の中の気持ち悪さに呻きながら目線を変えた。
戻ってきた、いつもの現実に。質素な天井に壁、机に椅子、そしてビーカー……フラスコ?
そこで違和感を覚える。違う、ここは知らない場所だ、と。よく見れば布団を掛けていないし、寝ている場所はベッドでもなかった。
「……ぅ!」
身体が起こせない。首も傾けられないし、これ以上なんの確認もできない。四苦八苦しているとそこに――
「おお、おお……! 成功したぞ! ついに上手くいったか!」
上方より老人の声が聞こえてくる。問いただそうと口を動かすが音は出てこない。代わりとばかりに、横に回ってきた高齢と言える見た目の男性を睨みつけた。
その男はハゲ散らかったボサボサの髪に、分厚いゴーグルを付けローブを着ている。マッドサイエンティスト、そんな言葉が頭をよぎった。
「異常はなし、その様子じゃ意識もハッキリしとるみたいじゃの」
男はペタペタと触診をしてくる。小声で何か呟いているが、動かせない首も相まって見ることは叶わない。最中、男は言った。
「お前の名前はフィーネじゃ。そう"思い込む"んじゃぞ」
違う、俺は――だ。心の中で叫びたかった。だが、肝心な名前が浮かんでこない。
「どうして、名前を……」
発せないと思い込んでいたそれ、口から声が出る。そこでようやく身体の機能が戻っていることに気づけた。
急いで上体を起こし台座から降りる。周囲を確認し老人から一番遠いであろう場所に移動した。
自身――フィーネの髪が靡く。身体の前面に回ってきたそれを見て驚くも、身体は警戒態勢を解かなかった。近くにあった護身に役立ちそうなものに手を伸ばす。
「"止まれ"」
瞬時に身体が硬直した。全身が石になったかのようだった。不安定な体勢で止まったその身体は、前方に倒れ込み床に激突する。フィーネは受け身を取ることもできなかった。しかし、不思議と痛みは感じない。
老人がその様を見て顎に手を当てた。
「なるほど、単純な命令は避けたほうがいいみたいじゃの。全身が止まるために倒れこんでしまうのか」
――声が出ない、呼吸さえも出来ていない。フィーネ自身の全ての活動が停止してしまっているようだった。先ほどまで高鳴っていた心臓の鼓動も……!
「"動いてよい"」
「……っ!」
フィーネの身体に自由が戻る。倒れていた姿勢から両手を床につくと肩で息をした。生きた心地がしなかったのだ。だが――
「苦しくなかった……」
呼吸ができないことに、フィーネは何の苦痛も感じていなかった。こうして今呻いているのも、フィーネの勘違いに過ぎなかったのだ。
そうやって息を整えてる間に、肩から長い銀髪が垂れてくる。今更になってフィーネは自身の身体を見下ろした。
貫頭衣のような簡素な服に、胸元の膨らみ。いつもとは違う白い肌、華奢な身体。
全てがフィーネにおかしいと告げていた。
「なん、なんだよ……! 俺に何をした!?」
老人を睨みつける。精一杯の虚勢だったが、それは老人に通じずつまらなそうな顔をさせただけだった。
「俺、か。その容姿にはちと合わんな。お前の中の"清楚な女性の喋り方で話しなさい"」
また老人がフィーネに命令をした。それは喋り方を強制するものだった。老人自体に動きはない。ただ言葉を発しただけだ。今までならば何を言って、とバカにするところだが、先程の経験からフィーネは半ば信じ、息を呑んだ。
「ぉ、あ……!」
いつもの男口調で話そうとする。やはり言葉が出てこない。無理やり発しようすれば痛みも走ってくる。外傷などではない、命の危機を感じるような内部の痛みだ。
それもあってフィーネは声を出すのをすぐにやめた。それからおっかなびっくりと一つ一つ間違いがないか確認するように声を出す。
「……ぁ、貴方は、何者ですか」
「私はお前の創造主じゃよ。ふむ、お前と呼ぶのも寂しいか。ここは孫を呼ぶかのようにフィーネちゃんとでも呼ぼうかの?」
「茶化さないで下さい……!私の名前はフィーネでもありませんし、貴方に作られた記憶もない!」
「ほお」
顎を擦りながら老人は歩く。ゆっくりと、フィーネの目の前まで歩んだ。高齢だろうに背筋が真っすぐとしていて堂々とした歩き方だった。
しかし所詮はただの老いぼれ。怖がるはずはないのに、気圧されるフィーネがいた。
「フィーネ、お前は紛れもないフィーネ本人じゃ。それとも別の名を言えるのか? しかもお前は私の命令に従っているではないか。それは私のことを創造主として認めている証拠ではないかの?」
確かに自身の名が思い浮かばないのは事実だ。だがフィーネには確固たる過去の記憶がある。例え肉体が見知らぬ人物であり、名を忘れても、アイデンティティを失う証明にはならないのだ。
身を引きながら、投げやりに声をぶつけた。
「それら含めて全て、貴方が私に何か変なことをしたからでしょう……!? お、大声で叫びますよ、いいんですか?」
「意思が固いのお。別に私はお前に危害を加えてはおらんじゃないか? こうも抵抗されるとこちらも困るのでな、しばらく静かにしてもらうぞ」
予感がした。また、例の命令がくることが。
「……っ! 誰か――――」
「"そこで静かにしていなさい"」
開いた口はそのまま、また声が出なくなる。足も動かなくなっていた。だが先程とは違い全身が硬直しているわけではない。上半身だけなら辛うじて動くことができた。
老人がこちらを見つめてくる。ゴーグル越しに、感情のないような暗い瞳に見つめられ身が竦んだ。
警報が頭の中で鳴り響いている。人を人として見ていないその瞳が恐ろしくてたまらない。息が荒くなり視界がチカチカとしだす。一体何をされてしまうのか――
「まあ、頭を冷やしておくんじゃの」
――想像とは裏腹に、老人はあっさりとその場をあとにした。木製の扉を開け姿が見えなくなった。
「……?」
肩透かしを食らって拍子抜けする。
安堵からか座り込みたい気分だったが、命令のせいでそれは叶わない。歯噛みしながら己の足を見るが、それに伴って自身の身体も見えてくる。
やはり、知らない身体だ。性別も女になっている。
静寂が訪れ、ようやくゆっくりと考えられる時間がきた。老人がいなくなったことにより、沸騰するような頭の熱も冷めて少し冷静になる。
「……っ!」
『ふざけるなよ』と言葉を口にしようとするが、声は出なかった。命令はまだ続いていた。
本当に必要なのは悪態をつくことより、現状について考察することだろう。だが考えた側から思考を放棄してしまっている。何故なら答えがでてこないからだ。
全てが常識に当てはまらない。老人の使った"命令"も、変わった肉体も。理解するなら老人に聞くしかない。そのことを強く理解していた。
フィーネの心にあったのは、とりあえずこの場を凌ぐ、その一点だった。
ただ待つ。ひたすら待つ。立ち尽くしたままで。そうしてどれくらい経っただろう。フィーネは自身の足が疲労していないことに気づいた。
思えば――老人に呼吸を止められたときも、フィーネ自身が地面に衝突したときも、全て痛みや苦しみを感じていない。
――まるで人間でないみたいだ。
ある考えに背筋がゾッとした。ありえないことではなかった。このふざけた場所ならなんだって起こりえそうだったからだ。
「少しは落ち着いたか?」
扉が開いた。老人が部屋に帰ってくる。空いた隙間からは日光が一瞬だけ見えた。
「……! ……!」
言葉を返したい。だが声が出ない。それを訴えるように口をパクパクさせた。
「おお、そういえばそうだったの。普通にして良いぞ。聞きたいこともあるじゃろ?」
「ぁ、喋れる……」
それだけではない。足も動くようになっていた。老人はフィーネを一瞥すると近くの椅子を引っ張ってそこに座る。まるで余裕だった。
「どうした? 何もないのか?」
「あ、あります……! ここは何処ですか!? 私は、何者なんですか!?」
「ここは私のアトリエじゃ。そしてお前はホムンクルスという存在じゃな」
「アトリエ……? ホムンクルス?」
「なんじゃ、知らんのか? ならこれでも読んでおけ、説明すると長くなるからの」
一冊の分厚い本が投げ飛ばされる。それをフィーネは危うくキャッチした。表紙をマジマジと見つめる。その言語はフィーネの記憶の中のどの言語にも当てはまらなかった。
「よ、読めません」
「む? お前貧民の生まれだったのか。そりゃ困ったの」
「いや……そういうわけでは」
話がどこか噛み合っていない。この認識の違いに違和感を感じていた。老人も同じ感覚だったのだろう。首を捻っては顎を撫でている。
「お前の生まれは?」
「……日本ですけど」
「ふーむ、そういうことか」
「は、はぁ?」
老人はため息をつくと告げた。
「別の次元からお前を呼んでしまったみたいじゃ。まあどっちにしろ死んでおったし感謝するんじゃぞ」
フィーネは呆ける。何を言っているのか分からなかった。次元とはいったい、そもそも――
「死んでいた……?」
「その通り、私は死した魂を呼んだだけ。悪いことはなーんもしとらん。それとも極悪非道の殺人鬼にでも見えたか?」
「…………」
衝撃はあまりなかった。何せ実感がないのだ。今こうして生きている。それだけで十分に思えてしまった。
「私は錬金術師、お前は……生きてる人形と言えばいいのか。ともかく、文字通りその身体は私が作った。これで分かるじゃろ?」
「……はい、その、ありがとうございます?」
警戒心が少し解ける。完全にではないが、なんとなくこの老人が危害を加えてくる人ではないのが理解できた。
去りゆく老人の背中に手を伸ばす。
「待ってください! 私を呼んだ理由は?」
「そうじゃのう、今に限っていうならば――私の店の可愛い看板娘になってもらうことじゃの」
そう言って、老人が扉を開いた。フィーネが見えた光景、それは様々な道具の置かれたお店だった。店内には誰もいない。
が、そのタイミングで丁度良く入り口の扉が開かれる。
「さあ、接客は任せたぞい。なあに、値札の通りに会計するだけじゃ」
「ええ……?」
導かれるままに扉をくぐる。場所はカウンターの内側だった。周囲の引き出しにはよく分からない道具が色々入っているが、一部の引き出しにたくさんの硬貨が並んでいた。きっとこれがお金なのだろう。
「あの、いきなり言われても困ります。お金の単位が分かりません」
「かあー……面倒くさいのう。お前を引いたのは失敗じゃったな」
分かりやすく落胆しながら老人はこちらへ向かって来た。
「この次元での通貨単位はルミナじゃ。これが一ルミナ、これが十ルミナ、これが百、これが千じゃ。これだけ分かれば十分じゃろ」
それだけ言うと去っていく。とてつもなく雑な説明だった。しかしこの情報があれば会計の仕事くらいはできる……はずだ。
そうして、突如として始まった初仕事は数時間続いた。
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