㊥:カリムとロクレス
「へっへっへ……ほらよ!」背中を蹴りつけられ、おれは船倉に押し込められた。「捕虜同士、仲良くな!」ざらついた床に顔を摺りつけて、健康になったばかりだというのに口の中に血の味が広がる。
ドアが閉まり、施錠の電子音が鳴った。
「貴様――!」
なんとか立ち上がろうとしたのと同時に、横っ腹にタックルを食らって再び地面に引き倒される。正直へろへろで反抗する力もなく、おれは為されるがままだった。叫びながらおれを倒した人物は、おれの上に馬乗りになっていた。船倉の薄暗い照明を後頭部に受けながら、その人物はおれに向かって嫌な顔をしていた。目は剥き出して、鼻の穴は膨らんでいて、歯を食いしばっていた。それが憤怒を意味していないのだとすれば、進化はどこかで何かを間違えたに違いない。
「貴様が、貴様がぁ」
「やめろ、ロクレス」
もう一つの声がして、おれの上から重みがなくなる。
「なんなんだよ」おれは呟いた。「誰かそろそろ、お茶の一杯でも飲ませてくれていいんじゃないか。こちとら、虚無空間を一ヶ月近く漂流してたんだ」
船倉は個人用小型船タイプの設計だった。横幅三メートル、奥行二メートルほど。貨物は一切なく、コンクリート風の荒らし加工がされたタイルで覆われている。すこし珍しいほどクラシックな加工だが、嫌いではなかった。
そこに二人の人間が座っていた。一人は縮れた金髪の優男で、頬が赤く上気しており、今にも泣き出しそうな顔をしている。もう一人は肩幅の広い黒髪で、肌は浅黒く薄闇に消えかかって見えた。
「茶だと」金髪が部屋の隅に顔をそむけながら吐き捨てた。「一杯の茶など目ではないほどの幸運を賜っておきながら、茶だと。まだ足りぬと言うのか!」
「茶が飲みたいって言っただけじゃないか。それともあんたは喉が渇かないのかよ」
おれは扉に凭れかかり、深いため息を吐いた。皮肉なことだが、こうやって閉じ込められてはじめて、久々に気持ちが安らいでいる自分がいた。
胸元に手を遣って、不揮発性メモリの感触を感じる。はやいところ、こいつに体を見繕ってやりたいところだが。
「おれはシロー。あんたたちは?」
「カリム」大男が影の中から言った。「こっちはロクレス」
「こんにちは、カリムにロクレス」おれは丁寧にそう言ったが、二人ともつんとしていた。ロクレスは息を荒げながら、部屋の壁に額をくっつけている。大丈夫か、こいつ。「その……ふたりはどういう経緯でこの船に?」
「きみこそ何者だ? ワープスキーヤーなのか?」
カリムの声は低く落ち着いていた。
ワープスキーヤーとは、
おれは身体のあちこちを揉みほぐしながら、ゆっくりと答える。「海賊から何を聞いたのかは知らないが、
「田舎者か」ロクレスはくるりとおれの方を向いた。「幼い文明の生まれほど、旅人などと言って宇宙を無分別に飛び回る。蠅のように見苦しく、蠅ほどの生産性もない。マラリアをまき散らす蚊だ」
「こいつ黙らせてくれませんか?」
「なぜこの宙域に?」カリムは話の先を促すことを優先した。
「もともとユスターフェに用があった。例のブラックホール港が目当てでな」おれは目頭を揉んだ。
そう言うと、ふたりはにわかに憐れむような眼でおれを見つめた。おれはそれを感じてしまい、目頭を揉む手を止められなかった。だいたい憐れまれる筋合いはない。おれのような奴は銀河中に数えきれないほどいるのに。
たまらなくなっておれは続ける。「
「妙なことだって?」ロクレスが甲高い声で言う。
当時のことを想い返す。光の幕を通り抜け、青い惑星ユスターフェの周回軌道を回る、銀色のヤジロベエのような構造物へ近づいていったことを。それは収容人数・百万人規模の宇宙港で、更に離着陸ベイの増築作業が行われているところだった。
だが――。
「ユスターフェの支配勢力が数日裡に塗り替わった、とかで……門港に新政府の正規軍がなだれ込んできたんだ」
白い平行四辺形を基調とする数種類の艦からなる陣営。それはユスターフェの星域軍に配備されている巡洋艦、駆逐艦そっくりの見た目をしていたが、中身はもっとずっと進歩した代物だった。どこから支援を受けていたのかはわからないが、潤沢な資金があったのは間違いない。
離着陸ベイの誘導に不備があってもたついていたら、大型船用のゲートからぞろぞろと艦隊が出てきたのだからびっくりしたものだ。
「やつらはハッチアウトと同時に、次々とゲートを破壊していった。おそらく、流行りの鎖国主義蜂起ってやつだろう」
主要な
おれは肩を竦めた。
「そのまま門港に残ってたら、外星人であるおれがどんな目に遭うかわかったもんじゃないだろ? だから、急いで引き返したんだ」
「貴様、同胞を見捨てて逃げ出したというのか⁉」ロクレスが不快感を言葉に乗せて立ち上がった。そのとき気がついたが、おれはもちろんのこと、ふたりも手錠や足枷のようなものはつけられていなかった。
おれは彼を無視して話を続けた。「だが、軍の無人機が追ってきて、超空間の中で撃ち落とされた。おれの船はオーバースピードで超空間の壁にぶつかって、そのまま〝フリック〟さ。それで、偶然この宙域に流れてきた」
「なるほどな」カリムは呟いた。「この辺りには、超空間に関する特別な誘引力がある。それが理由だろう」
このことについて素直に訊いてみてもよかったが――無暗に余計なことを知ると、何か良くない展開に巻き込まれる可能性がある。ここはひとまず様子見だな。
「さあ――、次はあんたたちの番だ」
おれがそう言うと、ロクレスは汗ばんだ額を押さえ首を左右に振った。
「貴様のような不忠節者に語る言葉は無い」
その言い草にはむっとしてしまう。
「おれだけに話をさせておいて、だんまりか? どっちが不忠節なんだよ」
「貴様ぁ‼」
「うえぇ⁉」
ちょっとした軽口のつもりが思いっきり髪を掴まれて、おれは面食らってしまった。そういえば最初もタックルされたな。優男っぽい見た目とは裏腹に、すぐ手が出てしまう性分らしい。
「やめんか、ロクレス。腹が立つのだとしても、騎士ならば礼儀正しくしていろ」カリムは無感情に言った。
ロクレスはおれの頭を勢い付けて離すと、喉の奥で卑猥な言葉を唸ってふたたび壁と向き合った。「た……助かったよ」おれはカリムの方を向いた。
「言っておくが、おれも不快感を感じてはいる」彼は冷たく言い放った。おれは唇を尖らせた。「仲間を見捨てて一人だけで逃げ、それによって賞賛を受けるのは崇高な使命を帯びたものだけだ」
一人だけで逃げたなんて一言も言ってないんだが、この分じゃもう訂正できそうにない。おれは髪の生え際を優しく撫でながら思った。今じゃ、おれを労わってくれるのはおれだけだ。
「わかったよ」おれはいじけて言った。「武装勢力が怖くて逃げたら撃ち落とされてフリックし、誰も通りかからない宇宙のど真ん中で一ヶ月、壊れかかった元素生成器から僅かな酸素を吸って生きながらえ、ようやく助けが来たと思ったら海賊船だった。それでも一縷の望みにかけて、船舶用の
「ああ、仕方ない」ロクレスが呟いた。「そのどこかで死んでいれば、貴様は誰にも迷惑をかけなかったのだ」
「お茶が飲みたいって言っただけで、そんなに嫌うことないだろ」
「それはどうでもいい!」彼は心外な様子でがなった。「わたしはお前の全生命を憎んでいる。それだけだ」
「ああ……そお……」
おれは頬をひくつかせたが、もう何も言うことは無かった。なぜここまで嫌われているのか本当に理解できないし、怒りよりも困惑の方が強かった。
初対面の人間から全生命を憎むと言われるほどのことを、本当におれはしているだろうか? そうは思えないね。
「われわれはグラファリンの生存者だ」カリムがおもむろに口を開いた。
「グラファリン?」
「聞き覚えは?」
そう訊ね返されて、おれはしばらく黙りこむ。確かに聞き覚えはあるようだ。どこで聞いたのだったか。
おれは不安を誤魔化すように、その思考に没頭した。超空間移動中の暇つぶしに読んだ、ユスターフェの歴史書のことが、唐突に想起された。
グラファリン。大昔に、ユスターフェを統治していた王族の保養地として開発が始まった巨大な衛星で、次第に政治権力の中枢として機能するが――、『ヴェンタ』の超新星爆発がきっかけで、文明は星間航行力を喪失。千年規模の技術力退化に見舞われた。ユスターフェ本星では月の王国は滅亡したと考えられ、貴族による連合政権がその後の歴史を動かしてゆくのだが、実のところグラファリンの王族は気密された退避壕で生きのびており、電磁波障害で本星と連絡を取れないだけだった。その後、グラファリン人は大気の剥がれた地表面で活動するために外骨格を用いるようになり、最終的には星間航行レベルのエンジンまでも造り出すようになるが、ヴェンタの最接近期間中は真空の殻を破れず、第二の星間文明期は、彼ら自身の手では訪れなかった。約三百年前の
「つまり、きみらは王族か?」
おれがそう訊くと、カリムは深いため息を吐いた。「王家に携わる者だ。おれは嫡男ではないために騎士の座にある。ロクレスは平民からの仕官だ。そして、こにはいないが……」
「シュナ」おれは言った。
「貴様!」ロクレスは叫んだ。そして、「敬称を付けろ!」拳で壁を叩き恫喝する。「
「さま」おれは矛盾した命令に応じた。
「我らが魂を捧げるおかた。姉君であるサハシュリヤ姫も凄まじいお方だが、それに勝るほどの慈愛をお持ちになられるおかただ」カリムがどこか忌々しそうにも言った。
「そうだ、おれたちはあと一歩でこの船から脱出するところだったんだ!」ロクレスが顔面を掌で覆い、苦しげに叫んだ。「ひそかに脱出艇に乗り込み、悟られずに発進した。あとはスイッチを押すだけでこの場から逃げ出せた!」
「なら、なぜ逃げなかったんだ?」おれは首をひねった。
「なぜ、だと⁉」ロクレスは身をよじった。「お前が転移してきたせいだ! 姫は死にかかっているお前を拾い上げ、ただちに治療を始めなければなければ生命に係わると見抜かれた。そこで、船に引き返すよう命じられ――お前のしみったれた生命活動のために、グラファリンの神器であるラビカの場所を売り渡したんだ!」
突然自分のことが話に登場したので、おれは混乱して膝立ちになった。「ラビカってのは?」
「王族のほか、見たものは誰もいないという国宝の名だ。正当な王位と血統の証明であり、継承儀式の祭具でもある。神官であれば、一目と見ればそれとわかる、偉大なる紋章が刻まれているという。それが海賊どもの狙いなのだ」
「な――」おれは信じられず苦笑した。「なんだそれ。なんでおれなんかのために、国宝を売るなんて話になる⁉ どっちが大切かなんて明白だろう!」
「そうだ。大切なのは、おまえの命だ」カリムが言った。
おれは言葉に詰まった。「なんで……?」
「そういうおかたなのだ」カリムはため息をこらえているように見えた。「姉君を海賊たちから逃がすため、自らが囮になられる。一人の生命のために国宝を売る。慈悲に生きるおかただ」
そう言われては、これ以上オカシイオカシイと言い続けることもできない。
だって、そういう人なんだから。
おれはただただ混乱して、呆けてしまった。海賊に一泡噴かせることや、自分自身と仲間が逃げおおせること、それによってもたらされる名声や、家族との再会や、故郷の復興を手伝うこと、そんなものを投げ捨てるほどの価値が、宇宙を漂う根なし草の一本にあるはずがない。そんな簡単な勘定もできない人間に、優しさ一つで救われたというのがショックだった。どうせ、おれもこの二人も、海賊にとって用済みになったら
たしかに、ロクレスの言うとおりだったわけだ。あのまま死んでいれば――。
おれは頭を抱えた。こんなことの原因になっているなんて思いたくない。いますぐ煙のように消えたい。
どの口が「出会いを祝福」だ。冗談のつもりか。
あるいは――彼女はやはり本気でしかなかったのか。
「それで……」おれは低い声で言った。「さっき、〝生き残り〟って言ったよな?」
「ああ」カリムが応える。
「何があったんだ?」
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