㊦:逃走

「ぐ――」緩衝装置の劣化によって、口の中を切りそうな振動がコックピットを襲っていた。「船の中に外骨格を埋めてやがったのか! なんて無茶をしやがる」

「おどろいた」でんたくが言った。「間違いない! これは、旋星グラファリンの古代戦士だよ!」

 でんたくと違って、そのロマンに歓喜する余裕はおれにはなかった。ラトナハヴィスの内部では、真っ赤な警告表示とともにアラームが今も鳴り続けている。機体のあらゆる部分が問題を訴えており、数分以内に整備が必要で、もしそうしないならなんの保証もしないとわめきたてていた。間接はごちごちで直線的にしか動かず、下手に動かし過ぎればそれだけで破断しそうなほどだ。

 小型船の殻を破り、羽化をする蝶の如く、底面から背筋を伸ばして真空に上体を現す。身体を左右に振って纏わりついているゴミを取り除き、軽く脚で船を蹴って、宇宙空間に飛び出す。15メートル級の外骨格が、まさか丸まま残っているとは。

 でんたくがアラームを次々に停止させていき、必要な機能をサルベージしていく。センサの識別機能は死んでいるが、隕石やデブリとそれ以外の区別は目視で可能だ。おれはなんとか操縦桿のキーを駆使して、拡大と縮小を繰り返し――

「――やべっ!」

 手を伸ばして、ブリッジから吹き飛ばされていたシュナをキャッチした。

 あぶない。見殺しにしてしまうところだった。

 相対速度はマイナス一センチ毎秒に調整する。危険なので、掌で握ろうとはしない。そのままゆっくりと胸元に引きつけて、ハッチを開ける。

「うおっ⁉」

 EVAスーツ着てないの忘れてた。

 真空に向けて急速に空気が抜けていくが、ハッチの入り口に掌を押し付けてなんとか流出を抑える。シュナが転がり込んできたのを確認してから、改めてハッチを閉じた。

「シロー、この外骨格、給気系が取り外されてる!」でんたくが焦ったように告げた。

 また酸欠かよ⁉ もうこりごりだって!

 おれが固まって考えていたところ、シュナが起き上ったかと思うと、ふらりとよろめくようにして、おれの胸元に寄りかかってきた。彼女はそのままフェイスシールドを解除し、滑らかな陶器のように白い肌をした端正な顔を、惜しげもなく露わにする。彼女はほんの数センチという距離まで顔を近づけてきて

「また会えましたね」

 と、微かに目を細め、誇らしげに言った。

 シュナの服の中からはシュウシュウと音が鳴っている。おれはたっぷり深呼吸をした。

 まったく良いアイデアだ。船外活動モードでフェイスシールドを降ろすと、EVAスーツはセンサが正常と見做すまで呼吸ガスを放出しつづける。被災時の密室などで多用される手段だが、即座に状況を見抜いて実行する判断の素早さと胆力には脱帽だ。なんかちょっと、良い匂いもするし。

 それはそれとして、だ。

「聞いたぞ」おれは顔を近づけて言った。シュナは驚いたように瞬きをする。「よくもおれを助けてくれたな」

「はい?」目を丸くされる。「それはつまり……『ありがとう』という意味ですか?」

「逆だ。あんた、自分が脱出できるってタイミングで引き返してまで、おれの命を救ったらしいな。仲間二人の命を危険にさらしてまで」

 彼女はおずおずと頷いた。何が悪いのだかわからないといった顔で。

「そういうのは――」おれは言葉を探った。「……こう言って失礼にあたらないといいんだが。おまえ、頭おかしいのか?」

「……でも、死んでいれば――」

「怒りを感じることもなかった。そうだよ、だからムカついてるんだろ。なにか論理的におかしいか?」

 シュナは眉をひそめた。「お言葉ですが――」

「どうぞ」

「すべての巡り会わせにはかならず意味があります。わたくしが自分とその友人の命かわいさに、見ず知らずの一人を見捨てるか、否か――これもまた天の采配。そこであなたを見捨てたその瞬間、わたくしは大いなる恵みを捨てることになる。おわかりですか?」

 おれはぽかんとした。

「ごめん、わからなかった」

「天は正しい選択を見届けられた。だから、あなたは……。いえ、お互いの価値観が異なっているということを、ことさら克明にする必要はないでしょう」シュナはよろよろしながら、やがて肩を掴むことでおれの膝上に安定した。「これがラトナハヴィス……一体、どうやって動かし方を知ったのですか?」

「ア、どうも、でんたくっていいます」でんたくが愛想よく答えた。「ボクがやりました」

「こんにちは」シュナはきょろきょろとした。どこから声が出ているのかわからないのだろう。「でんたくさん」

「おれの作業補助知能だ。システムの復旧はこいつの仕事で、おれはただ操縦桿を握ってるだけさ」つまり何も考えちゃいない。昔の人が直感的インターフェースに拘ってくれていることを信じるばかりだ。「まあ、航路開通前のグラファリンが外骨格文明だったことは本で読んだからな。もしかしたらと思わなくはなかった」

 最後のは完全なる虚言だが、見栄を張るためには言っておいて損はない。実際おれは、なにも知らなかった割には相当上手くやれている。

「本で読んだだけで、機関部に隠された秘密の通路を」その声色は暗に、私には見つけられなかったと言っているようだった。「どこにあったのですか?」

 おれは胸でシュナのふとももを挟むようにして軽く前傾し、統合制御パネルを叩きはじめた。でんたくだけでは処理できない駆動系のエラーを修正していく。

「どこにあったのかって――緩衝液の冷却プールの中だ」

「か、緩衝液⁉」でんたくが悲鳴に近い声で言った。「初耳なんだけど⁉」

 シュナはうろんな声で言う。「星輪機関の放射線で、汚染されているのでは」

「そこが大きな間違いだ」そうであってくれと思いながら、おれは判明したことを告げる。「あの船の主機は星輪機関じゃない――それがあるべき場所には、このコックピットがあったわけだから」

 エラー修正終わりっと。個人船所有者なめんなよ!

 おれは視界に映る情報を精査しながら、状況の推移に思いを巡らせた。

「船はもう一隻ある。そこのドックをぶち割れば脱出艇が出て来るはずだ。そうだろ?」

「カリムとロクレスは――」

「ふたりの通信コードを」

 シュナが腕パネルを操作すると、ラトナハヴィスの論理アドレス宛にコードが送られてきた。機体の通信機は――頭部にあるようで、なぜか外されていなかった。もしかするとブリッジの通信機としても使われていたのかもしれない。

〔こ、これは――⁉ なぜ、王家の守護者がここに――〕通信が繋がると、驚愕の声がスピーカーを通ってきた。声色からすると、それはあの激情家の青年、ロクレスだ。〔ああ、神が救いを差し向けてくださったのだ! これですべて上手く行く!〕

「よう、神の使いに挨拶はねえのかい」

〔す――、すみませんっ‼ ラトナハヴィス様でいらっしゃいますか? ん? いやその声……〕

「シローさん?」シュナはやや呆れ気味に囁いた。

「悪いな」おれは操縦桿のキーを弄りまわしながら、ごほんと咳をする。

〔シローか〕カリムが静かに言った。〔どうやら上手くやったようだな。いや、すこし上手く行きすぎだ……まさか、秘密の通路を発見してしまうとは〕

 彼の呆れたような声色には、おまえの考えなどお見通しだったのだぞというようなムードが言外に含まれているようだった。

「詳細はすっ飛ばすぞ」おれは応じた。「今、ラトナハヴィスという戦闘体に、シュナと共に搭乗している」

「カリム、ロクレス、無事ですか? ふたりはまだ倉庫に?」

〔ひ、姫様? 姫様、ご無事でしたか!〕カリムが慌てたように言った。〔姫様、私たちはまだ船倉におります。扉は開いているが外は真空です。モジュールごと分離したようです。二人ともスーツは着用していますが、酸素パックを抜かれていて……。正直言って十分保つかわからない状況です〕

「了解した」おれは言った。「すぐに脱出艇を向かわせるから、なんとかそこで耐えていろ」

 無駄に心労をかけないために通信を終了させる。ところで、通信中に推進器スラスターの具合を確認していたのだが、かなりピーキーな状態のようだ。もともとこのラトナハヴィスの両脚、それから背中側、肘部分推進器スラスターは船にそのまま流用されていたらしく、完璧に整備されている。想像してみると面白いのだが、大の字になっているラトナハヴィスの両腕が船のウイングバーニア、両脚がサブ推進器スラスター、背中がやや船体に埋まる形でメイン推進器スラスターになっていたようだ。まさにフィギュアの上から紙粘土を塗りたくったような船だったわけである。

 しかし、巨大ヒト型外骨格の宇宙遊泳において、これだけでは不足というほかない。出力はともかく姿勢制御器バーニアの数が足りなすぎる。給気系が丸ごと欠損しているせいで、せっかくの排気ノズルも無用の長物と化していた。

(だが、脚をやや前めに傾けて、片腕を折り畳んで、もう片方を真っ直ぐ伸ばせば、なんとか直進できるか。うお、気がつけばなんとも漫画チックな姿勢に)

 やや回転しつつ、併進していたもう一隻に接近する。逃亡船が突如減速してばらばらになったことに驚いて、様子を見ているようだ。「あの船に武装はついてるか?」おれが訊くと、シュナがこわごわと答えた。「破砕槌のみのはずですが、もしかするとレーザー兵器を積んでいるかもしれません」

 砲塔が向けられる前に済ませるしかない。逃亡船から巨大外骨格が出てきたという珍事に、まだ対応できていないはずだ。

 おれはラトナハヴィスを全速力で動かし(彼我の差は二千クリックほどだったが、船舶級推進器は容易にその距離を詰めた。慣性打消インハビターは肩部ミサイルラックらしき場所にぴったり安置されており、これがまた重心を偏重させてたまらないのだが、これ無しだとおバカな遠景になってしまう。ほら、コックピットで集中線ましましでウワーッ! って叫んでるのに、遠くから見たらちょびっとしか動いてない、みたいな)、ものの十秒で到着。衝突の寸前で肘を立てて反転し、つま先で思いっきり蹴りを入れてやった。ドォンと船体が揺れて、わずかな穴が開く。

 航路生成器スターライナーでぶつかった時もそうだったが――、なぜ秒速二百クリックの超エネルギーキックがこんなしょうもない結果に終わるのかというと、起動中の慣性打消インハビターが、粒子間の粘性を弱めて外側に滑らせようとするからだ。

 巨人騎士のヒールっぽいつま先を抜いて、おれは指先を船内に突き入れる。「ちょっと失礼するよ~」内壁はアンチヒッグス化されていないから容易に掴むことができる。おれはラトナハヴィスの疑似筋肉に力を込めて、ハンガーに降りていたシャッターを引き剥がした。すると、中で待ち構えていたクルーがブラスターを撃ちまくってきた。強い黄色の照明を背に、赤紫の光線が飛来する。

 本来なら無傷で済むものだろうが、さすがに経年劣化があるとみえ、ラトナハヴィスの装甲は瞬く間に焦げ付き、損耗している様子だった。「機体損傷率40%――42%」でんたくがカウントアップする。まだ正常に動作するうちに、おれは問答無用とばかりにドックに腕を突き入れて脱出艇を掴んだ。

「シュナ」おれは呼びかける。「小型機を操縦できるか? 腕前は?」

「銀河航空法の基準はクリアしています」

 おれは逡巡した。脱出艇を抱えたままラトナハヴィスを反転させ、砕け散った船の方向に向ける。「今からハッチを開ける。きみはコックピットから降りて脱出艇に乗れ。ロクレスとカリムを捕まえたら、きみの家族の亡命先に向かうんだ」

「シローさん、あなたもです。あなたも共に……」

 おれは首を左右に振った。「見ての通り素っ裸だ。ライフスーツじゃ十秒も真空に耐えられない。それに、万一にも脱出艇が追跡されないように、カバーする必要がある」

「ですが」シュナはおとがいを上げて、おれの顔を下から見つめた。「われわれが脱出した後、あなたはどうするのですか?」

 のんきに話している時間はない。おれは再三の酸素不足も構わずにハッチを開けた。暴風が吹き荒れて、シュナの身体を弾き飛ばそうとする。おれは手を握り、彼女の命綱になった。視線を通わせて、ゆっくりと口を開く。

「安全な場所に着いたら、救助隊を呼んでくれ……!」

 彼女のフェイスシールドが自動的に降りる。滑り落ちるように手が離れる。

 おれはハッチを閉じて、一息ついた。モニターには、脱出艇のコックピットを解錠しているシュナが見えた。したたかな娘だ。結局、ひとつも泣きごとを言わなかったな。

「なんだか情けない台詞だったね」でんたくが感想を呟いた。

「うるさい」

 彼女は脱出艇に乗りこむと、エンジンを起動した。慣性打消インハビターの緑色が一瞬船体を覆ったのを確認してから、ラトナハヴィスで艇を抱え込み、全速で船の残骸に向かう。「少々堪えると思うが、そっちもエンジンを噴かしてくれ。一応、相対距離が一万クリックを切ったら減速に入ったほうが良い。船の破片がそこまでいっていないとも限らない」

「感謝します」彼女は言った。「シローさん、このご恩は忘れません」

「こっちの台詞だ――ここはお互い、忘れようぜ」

 そう言ってから、おれは思い切り脱出艇を放り投げた。それは青い光の矢になって、残像を残しながら遠ざかっていった。素晴らしきかな、宇宙時代の超高速。おれは彼女がどうなったのかを確認しようとはせず、ただちに翻った。

 ドックからは脱出艇が二機、新たに発進しようとしていた。ラトナハヴィスに掻き分けられて引き倒されていたのをなんとか立て直して、しかもエンジンに粘着する機能停止ミサイルを搭載しようとしている。おれはドックの中にラトナハヴィスの肘を突き入れて、「おい、海賊ども。死にたくなかったら気閘エアロックまで逃げろ!」と全域通信オープンチャンネルで叫んだ。しばらく待ってから、姿勢制御器バーニアを噴射する。予想通り爆発が起こった。

肩部けんぶ大破!」爆発の衝撃で腕が肩から外れてしまう。人間のように間接がずれたのではなく、シャーシが歪んで割れてしまったのだ。ケーブルだけでぶらんと繋がった憐れな腕をなんとか引き抜くと、今度はドックの中に頭を突き入れる。焼死体なんてあってくれるなと思いながら。緑色の機能停止液があたりに散らばってボコボコと膨らんでいる様は、まるでコズミックホラーの新展開だ。おれはドックの中を改めて見回し、室の端っこに緊急用の赤いボックスを発見した。

 ああ、銀河航空法様様だ! おれたちは銀河航空法に護られている!

 赤いボックスを左手で引きちぎり、ラトナハヴィスの胸元まで持ってくる。息を大きく吸ってから――ハッチを解放。これで何度目かになる強烈な暴風を背に受けながら、ボックスに手を伸ばし、戸を開ける。中には数着のEVAスーツが酸素パックと共に吊り下げられている。おれは掴めるものを掴めるだけ掴むと、それを中に引きいれて、ハッチを閉じた。排気タンクを堰き止めて貯めていたガスがほとんど流れ出てしまったが、EVAスーツの背部に酸素パックを詰めて腕部端末を操作すれば、瞬く間にシュナのしたことを再現できる。

 さて、ここからどうしたものか――。

〔全体通信〕EVAスーツの襟元から声がする。〔本船はこれより現宙域を離脱する。総員、耐ショック姿勢〕

 おれは一瞬固まってしまう。

 逃げるのか。シュナを無視して?

 それとも――、国宝を優先したのか?

 通信が繰り返されながら、艦の前方に大きな光の幕が現れる。航路生成器スターライナーが航路確定したのだ。

 船の先端が光の幕に沈んでいく。

 おれはしばらく考えてから、ラトナハヴィスの手をゆっくりと離した。このままついていっても、おれにできることは何も無いし、状況を悪くするだけだ。

 排気タンクの分配器を再稼働させ、ゆらゆらと宙を舞う酸素パックを手でどかしながら、深いため息を吐く。船がゆっくりと遠ざかっていくのをどこか恨めしいような気持で見つめながら、今度は酸欠になる前に救助が来るだろうかと、そんなことばかり考えてしまっていた。

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