㊥:起動/ラトナハヴィス
三方に宇宙空間が見える艦橋は、小型船にしてはやや広い作りをしており、数名のオペレーターを用いることを前提としたモニターが並んでいるが、今は一人も座っていなかった。艦橋には、筋骨隆々のベアフッドと、ゆったりとした白い衣裳を着たシェシュナディヤの二名だけが、独特の緊張感の中で佇んでいる。
「いつまでも舐めた態度を取るんだったら、おれにも考えがあるぜ、お姫様」
機械の目をしきりに動かしながらベアフッドは言う。
彼が宇宙から振り向くと、シュナはあいかわらずの無表情で佇み、あたかも状況は掌握しているかのような雰囲気をほとばしらせていた。それがまたベアフッドを苛立たせる。圧倒的不利な状況にあるのは彼女だ。勝ち誇った顔をする権利は、彼女には無い。
「いいか」ベアフッドはいさましく怒鳴った。「おれはラビカの場所を教えろと言ったんだ。
「ラビカに通じる唯一の道を明かしたのです。鍵であるわたくしもここに。もはや、貴殿が手にしたも同然ではありませんか。何を恐れるのです?」
ベアフッドは、壁際に立つシュナの眼前に近づいていった。自分の倍以上も上背のある大男が怒りの形相で近づいてきているというのに、彼女は怯えた様子もなく、どこか好奇心のある目で彼を見つめ返している。
「いつまで待たせるつもりだ。ラビカの門を開ける七つの手順とやらを今、ここで答えろ。それ以外に隠していることがあるなら、それもすべてだ。なんのためにあのワープスキーヤーを救ってやったと思ってる。あんたが、約束は守る、誠実な人間と見込んでのことだ! それともナヴァ・グラファの王族ってのは、どいつも裏切り者の屑野郎なのか?」
海賊に道義を説かれるという屈辱的な状況にも、シュナは動じなかった。「ならば、カリムとロクレス、それからシロー――あのワープスキーヤーの方をこの宙域から離脱させ、銀河公安部の庇護に委ねてください」彼女の声色は清涼で、震えも怯えも無く、断固としていた。「それができないのであれば、やはり答える義務はありません。わたくしの願いは、あの三人の身の安全であり、この船にいる限りそれが達成されたものとは見做せません」
「脱出艇はすべて投棄した。もうこの宙域から出す手段が無い」
「随行するもう一機にはあるでしょう」
ベアフッドは舌打ちを堪えた。「いざというときにあんたも逃げ出せなくなっちまうぞ」
「ならば、わたくしは依然として、契約の履行を待つ身でありつづけます。他に何か良い方法を思いついたのでしたら、また教えてくださいますよう」
ベアフッドは拳を振り上げて壁を殴った。シュナはぴくりと体を震わせたが、顔をしかめただけでやはり怯えた様子は見せなかった。ベアフッドはゆっくりと、ブラスターに手を伸ばした。脚を焼いてやる。必要な情報を聞くためではない。虚仮にされて黙ったままでいるのは、あらゆる損得勘定を超えて絶対に許せない事だった。
そのとき、ベアフッドの視界に内線を要求するコールサインが浮かび上がってきた。船内で何か不都合があったらしい――。彼はブラスターから手を離し、通信に集中した。シュナはほっとため息を吐いた。
ベアフッドは、にやりと大きな歯をむき出して笑う。
「あんたのお気に入りの鼠が一匹、馬鹿げたことをしでかしたようだな」
シュナは眉をひそめた。「何が言いたいのです?」
「ワープスキーヤーの男が逃げ出した。今、船の中を走り回ってるぜ」ベアフッドはくつくつと笑った。「脱出艇が無いことも知らずにな!」
「まさか――」
「お姫様、あんたの腕か脚を一本貰おうかとも思ったが、それより鼠狩りの方が面白そうだ。ハンガーを開けて、宇宙に吐き出してやろうか? ああ?」
シュナは小さな肩を怒らせた。「それは契約違反です。三人の身の安全が保障されない限り、わたくしはラビカについて一言も――」
「馬鹿にすんなよ小娘――!」
ベアフッドはシュナの首を掴み、壁際に擦りあげて持ち上げた。革の手袋を破って現れた彼の手指は完全に機械化されており、油圧アクチュエータがギュンギュンと音を立てていた。
機械的な力で首が締まってゆき、初めて少女の顔が苦悶に歪む。
「お国同士の外交ゲームで勘違いしたのか知らねえがな、人間、我慢できることとできねえことがある。てめえは
「や――やめてください」シュナの顔はどんどん赤黒くなっていく。「どうか、早まらないで……」
「だめだ」
ベアフッドはシュナを放り投げると、踵を返してブリッジのコントロールパネルに向かった。太い指を器用に動かして、船の扉開閉制御に触れる。
「待って」壁にぶつかり、床にくずおれたシュナが、枯れかかった声で呼んだ。「七つの手順を言います。だから……」
「ウハハハハッ! だめだ、だめだ。お前が悪いんだぜ、お姫様」
意外にも——、男はハンガーに拘らず、機関室に逃げ込んでいるようだった。下手に弄られると船の動力が停止してしまう。そういう意味でも、もはや排除するしかない。ベアフッドは機関室のロックを解除し、クルーに伝達した。〔危険だからブラスターは使うな。白兵装備で対応しろ。男は半殺しにしてブリッジに連れて来い。おれが直々になぶり殺してやる〕
「だ、第一の手順は、六航行単位での十二分間の停止で――」
ベアフッドは堪え切れずに大笑いした。やはり暴力。温室育ちのガキが、海賊相手になめた真似をするから、すべてを台無しにされてしまうのだ。半べそを掻きながら、今さらになって必要な情報を話しはじめたことも愉快でならなかった。知性で上回っていることがなんだというのか。どうせ、誰も力の前には逆らえない。圧倒的な力を持つものだけが幸福を手にするのだ。
ベアフッドは、ワープスキーヤーの男がどうなっているのかを確認すべく、機関室の監視カメラにアクセスしようとした。彼がリンチを受けて生命を呪っている様をサラウンドで投影したくてたまらなかったのだ。
だが、そのとき、不思議な事が起こった。
宇宙空間を投影していたモニターが突如として暗転し――そして、あらゆる機器の接続が切断されたのだ。予備バッテリーに切り替わる気配もない。何が起こったのかを疑問に思う間も無く、非常灯の赤いランプが光り出した。
そして、真っ暗なモニターいっぱいを、丸型に体をえぐられた鳥のような、不気味な図形が埋め尽くす。
「なんだこりゃ」ベアフッドは舌打ちをし、電源の通っていないコンソールに拳を落とす。うんともすんとも言わない。「グラファリンのおんぼろ艦船が! マルウェアに感染していやがったのか?」
シュナはしばらく茫然とモニターを見つめていたが、はっと目を見開き、襟元に手を伸ばした。すると、シュッと音が鳴って、彼女の長髪が一瞬にしてヘッドドレスに絡めとられて団子状になった。
次の瞬間、船がぐらぐらと揺れ出した。
「敵襲だと、どうやって」ベアフッドの脳内に様々な可能性が去来する。銀河公安部の機動部隊との接触――ありえない。依頼主の裏切り――それこそありえない!
この揺れ方は覚えがあった。エンジンの強制停止による、
あの男、どうにかしてエンジンを止めたのか――?
ベアフッドがコンソール台を支えにして立ち上がろうとしたその時。
ドカンと大きな音が鳴って、ブリッジを巨大な何かが突き破った。
「――な、なんだこりゃ……⁉」
それは。
「あ――頭?」
頭だった。
ビガン、と、兜のスリットに似た両眼の奥に光が灯る。
頭が突き破ったところから空気が急速に抜けていき、船のアラートが鳴り響きだした。非常灯が素早く点滅する中、頭は穴の中に引っ込んだ。
間髪入れずに、ブリッジの側面が突き破られた。壁が砕けて舞い、モニターが破砕されて結晶が飛び散り、ケーブルが火を噴いて焦げる。思わず銃を抜いたベアフッドは、突如現れた巨大な拳に殴りつけられて吹き飛んでしまった。
小型船全体がばらばらになっていった。むりやりに継ぎ足されていたものが、その縫合面から割れていくようだった。宇宙空間にさまざまなパーツが飛散し、二度と戻ってはこなかった。巻き付いていたチューブをねじ切り、エネルギーを供給するコネクタを千切りながら、その巨大な騎士は姿を現してゆく。
逃亡船の主機に成り果てていた、古代グラファリンの巨大外骨格――【ラトナハヴィス】。
その数
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます