第29話 解析完了


 夏休み四日目。

 一鷗とメアエルは朝も早い時間からダンジョンの硬い地面を踏みしめた。

 一行は現在攻略を進めている九層へ向けて歩き出す。

 道中、戦闘を歩くメアエルが黒いオーラを放ちだす。


「鼠コロス……鼠コロス……鼠コロス──」


 譫言の同じ言葉を繰り返すメアエル。彼女の頭の中にはいかにして鼠を狩ろうかということしかなかった。

 昨日ダンジョンを出てからずっと同じ調子の彼女に、一鷗は同情の目を向けた。


「気持ちは分かるけどさ、いい加減もとに戻れよ。モナカだって昨日あげたにゅ~るで喜んでただろ? あれはきっと最高級のにゅ~るだな」


 一鷗はメアエルを元気づけようと、昨晩の出来事を彼女に思い出させた。

 昨晩、三つ目のラッキーボックスから出たにゅ~るは鈴を失くしたメアエルが謝罪とともに泣きながらモナカに献上した。

 メアエルの事情を知らないモナカは首を傾げながらもにゅ~るを舐め、一鷗似の顔からは想像もつかないほど必死な顔でにゅ~るにしゃぶりついていた。

 これにはさすがのメアエルも意気消沈を忘れ驚いていた。


「……確かにあのおやつでも喜んではくれたけど、鈴があったらもっと喜んでくれていたはずよ! それはもう嬉しくて粗相をしてしまうくらい!」

「いやあ、むしろにゅ~るだけだったからこそのあの喜びようだったと思うけどな……」


 確かに鈴をつければモナカの可愛さは何倍にも増すだろうが、それはあくまで人間のエゴだ。

 モナカの喜びという点においては現金おやつを与えるのが一番で、かざりはどう頑張っても蛇足にしかならなかったような気もする。

 一鷗が余計なことを口走ると、メアエルの鋭い視線が飛んできた。

 一鷗はなんでもないという風にそっぽを向く。

 今の彼女は狂犬病にかかった野犬よりも恐ろしい存在なのだ。下手に刺激せず、静観するのが正解だ。


「……」

「……」


 一鷗が口にチャックをしたことで、道中は静かなものになった。

 時折些細なやりとりがある程度で雑談にまでは発展しない。

 そんな状態で二時間ダンジョンの中を移動し、一行は九層へとたどり着いた。


「さてと、それじゃあ早速鼠狩りといくわよ!」

「お、おう……」


 昨日別れを告げた九層の大地に戻って来るなり、メアエルの目に闘志の炎が宿る。

 そのあまりの熱気にあてられ、一鷗は少し気圧された。

 とはいえ、ここはダンジョン。少しの油断が命取りになる。

 メアエルほどではないが、闘志に火を灯した一鷗は気を引き締めて武器を構えた。


「チュチュ」


 不意に階段正面に見える五つの分かれ道の右端の道から黄色い頭巾を被った鼠──ヌスラットが顔を覗かせる。

 鼠の鳴き声が聞こえ、一鷗が遅れて気づく。

 刹那、彼の隣で熱い炎が実体化した。


「──【ファイアボール】ッ!!」


 メアエルが拳より少し大きい火の玉を鼠目掛けて射出する。

 間髪入れずに打ち込まれた魔法に対し、鼠が驚く。

 しかし、少し距離が開いていたのもあって鼠は火の玉を回避した。

 頭巾を被った鼠が通路の奥へ逃げていく。


「チィッ! 逃げ足の速い……」

「追いかけなくてもいいのか?」

「追いかけてもすぐに見失うのがオチだもの、時間を無駄には出来ないわ。それにアイツはモナカの鈴を奪ったのとは別個体だったから」

「へ、へえ……」


 モンスターなんて全部同じに見える一鷗は、前回も今回も一瞬しか見ていないモンスターを個体単位で判別できるメアエルは素直にすごいと感心した。

 同時に、そこまでさせる彼女の執念に恐れを抱いた。

 感心と恐怖。ふたつの意味を孕んだ鳥肌が一鷗の腕に立った。


「なに?」

「あ、いやあ……。──それよりアイツを捕まえるのはちょいと骨が折れそうだ」

「そうね。私の魔法じゃあの速さには追い付けないだろうし。カモメさまはなにかいい考えあるかしら?」

「そうだな……ひとつ試してみたいことがある。ドラン、モンスターのいる場所に案内頼めるか?」

『了解』


 一鷗に頼まれたドランがモンスターの気配を探り、その場所へ案内する。

 九層に出るモンスターはヌスラットの他にも数種類おり、ドランはそれらを気配から判別することは出来ない。

 万が一異なるモンスターが出た場合はヌスラットが出るまでモンスターを狩り続けなければならない。

 それは少し大変だと思いながら、一鷗はヌスラットが出るよう祈りながら移動した。

 幸いなことに祈りは天に届いたようで移動した先にいたのは黄色い頭巾を被った鼠だった。


「それじゃあメアエルはここで見ててくれ」

「絶対に仕留めなさいよ」

「絶対とは言い切れないけど……まあ、善処してみるよ」


 一鷗は通路の陰の淵に立つと、腰に吊るした鞘から長剣を引き抜いた。

 陰から少し顔を出し、ヌスラットの様子を窺う。

 ヌスラットがこちら側に背中を向けたところで、一鷗が通路の陰から飛び出した。


「【ロケットスタート】!」


 スキルを使って初速から最高速度で疾駆する。

 すると、一拍遅れてヌスラットが一鷗に気づいた。鼠は一瞬どこへ逃げようか迷う素振りを見せたが直進してくる一鷗を見て真横に逃げる選択をした。

 その選択は実に正しい。なぜなら未だに【ロケットスタート】の感覚に慣れていない一鷗は直線的な動きしか出来ないからだ。


「カモメさま、横に逃げたわよ!」

「分かってるよ……ッ! ──【ロケットスタート】!」


 一鷗は鼠が元居た場所を通り過ぎると、不意に体を大きく捩じった。態勢が崩れ、倒れそうになる。

 瞬間──タイミングを合わせて再度スキルを発動させた。

 一鷗の体が起き上がり、鼠が逃げた方向へと舵を切る。

 【ロケットスタート】は直線的な動きしか出来ないが、重ねることで方向転換も可能なのである。


「ハアッ!」


 二度の加速により瞬く間に鼠の懐に入った一鷗は鼠が回避するよりも早くヤツの胴体に刃を徹した。

 ヌスラットの短い断末魔が響き、黒い靄が天井に立ち上る。一鷗が地面に転がった紫色の魔石を拾い上げた。

 遠くで見守っていたメアエルが駆け寄ってくる。


「さすがカモメさま! これであのネズミどもを皆殺しに出来るわね!」

「皆殺しは物騒すぎるから却下として、鼠を殺れるって分かったのは大きいよな」

『うむ。この調子で鼠狩りを続けていこう』

「おー!」


 ドランの言葉に一鷗とメアエルが口を合わせて頷いた。

 一同はドランの気配探知を使い、次の獲物を探し始めた。



 九層の探索を開始してから八時間が経過した。

 本来であればここで昼休憩のために地上へ戻らなければいけないのだが、九層から地上へは往復で四時間もかかってしまう。

 そのため時間を短縮するべくダンジョン内で昼休憩をとることになった。

 九層の袋小路になっている通路の奥でブルーシートを広げて座る。

 すると、片手にサンドイッチを持ったメアエルが突然立ち上がった。


「もう! どうして倒せないのよっ!!」


 額に青筋を浮かべて憤慨する彼女は九層のそこかしこにいるヌスラットを思い浮かべている。

 九層で八時間もの間探索とモンスター狩りを行ってきた一行であるが、その中で討伐できたヌスラットは数える程度。

 一鷗がヌスラット狩りの攻略法を見つけたかに思えたが、魔力の関係でそう何回も使用できるものではないし、失敗する確率もなかなかに高く、あまり良い成果を出すことは出来なかったのだ。

 結局ヌスラットの素早さに翻弄されただけで、なんの成果もない八時間であった。


「なあ、いい加減鈴のことは諦めるってのは──」

「それは嫌ッ!」

「じゃあどうするんだ? このまま不毛なヌスラット狩りを続けていたら俺たちの最終目標は達成出来なくなるかもしれないぞ」

「それは……」


 ヌスラット狩りは魔力や体力を無駄に消費するだけで大量の経験値が得られるわけではない。

 ダンジョンを完全攻略して異世界を救うという最終目標を掲げる一鷗たちにとって、レベルを上げられないまま時間ばかり浪費するというこの行為は致命的であった。

 一鷗の言葉は己の故郷を救わんとする姫の耳に重く響いた。

 しかし、それでもモナカにあげる鈴のことが忘れられないのか彼女は深く俯いた。

 静寂が重く圧し掛かる。


 そのとき、不意に一鷗の視界の端で発光するものがあった。

 ドランの瞳が赤々と輝いているのだ。

 俯くメアエルには見えていないようだが、一鷗はなにごとかと目を白黒させた。


「ど、どうしたドラン!?」

『──解析が完了した』

「解析?」

『姫様から預かっていた魔道具の解析が終わったのだ』

「おお! マジか!」


 ドランは先日からメアエルが引き当てた魔道具の片割れ──ハンドベルの形をした魔道具の解析を続けていた。

 その魔道具の解析が今ようやく終わったのである。

 一鷗とドランが騒ぎ立てると、俯き悩むメアエルが怪訝そうに顔を上げる。

 彼女の胡乱な瞳にドランが赤く輝く瞳を見合わせた。


『姫様、朗報だ。これでヌスラットやつのコロニーを見つけることが出来るはずだ』


 ドランの言葉にメアエルがゆっくりと目を見開く。

 彼女の桃色の瞳にははっきりとした希望が宿っていた。

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