第18話 死闘の結末


 気が付くと一鷗は真っ白な世界にいた。

 空も地面も真っ白で、地平線の境界が曖昧だ。

 ずっと昔から知っている場所のようで、今初めて知り合った場所のような気もする。

 遥か昔からここにいるようで、あるいはこの瞬間に初めて来たような気もする。

 どうにも不思議な感覚だ。


 一鷗の正面にはモニターがある。真っ白な世界に不釣り合いなカラフルな映像が流れている。

 映像はバグベアと一鷗の戦いの一部始終が延々と繰り返されている。

 それを一鷗とその隣に座る黒い炎が眺めていた。


『力も弱く、碌なスキルも持たず、技術は未熟で、武器防具は裾物ばかり。これでよくあの怪物と戦おうと思ったな』

「仕方ないだろ。仲間を助けるためだったんだ。それにアイツは十五階層のモンスターだぞ。やっと五階層に下りた新人が敵う相手じゃねえだろ」

『つらつらと言い訳を並べることだけは立派だな。情けない』

「言いすぎだろ。キレるぞ。……だいたいお前は誰なんだ? つか、ここはどこだ?」

『ほう、スキルで衝撃を殺したか。この戦闘で唯一評価できるポイントだな』

「無視かよ」


 一鷗が喋る黒い炎に尋ねると、黒い炎は清々しいまでに一鷗の言葉を無視し、勝手に他人の戦闘を批評する。

 映像の中では一鷗がバグベアの攻撃の衝撃を【ロケットスタート】で相殺したシーンが流れている。

 しかし、次のシーンでは一鷗はあっさりとバグベアに重傷を負わされる。


『何度見ても滑稽な戦いだ。お前はこの体たらくでこの怪物に勝てると思っていたのか?』

「滑稽で悪かったな。でもこれが俺の全力だ。全力で斬り結んで負けた。もちろん、負けるつもりで戦ってたわけじゃない。ただ……確かに勝つ気はなかったかもしれないな」

『何故だ? 勝てないと知りながら、なぜお前はこの怪物に戦いを挑んだ?』

「またその質問か? それにはさっき答えただろ。仲間のためだって──」

『本当にそうか?』

「え……?」


 黒い炎が突然声の調子を低くして一鷗に問い詰める。

 すると映像はストップし、ゆっくりと巻き戻されていく。


『確かに初めは仲間のためを思ってあの場に駆け付けただろう。だが、その先でお前は本当に仲間のためだけに戦ったのか?』

「そりゃあ確かにそれだけじゃないだろうさ。俺には異世界を救うって言う目的があるから絶対に死んじゃならねえと思って──」

『嘘は止めろ。最後の瞬間、お前はそんなことをひと欠けらも思ってはいなかったはずだ』

「……だったら悠誠や雨花の期待に応えようと──」

『嘘だ』

「アイツとの勝負に勝ちたくて──」

『嘘だ』

「ただ強くなりたくて──」

『嘘だ』

「…………」


 あげつらった目的を片っ端から否定され、一鷗は俯き、押し黙った。

 その状態が続くと、黒い炎がため息を吐く。


『ならばお前はあの怪物に殺意をぶつけられた瞬間なにも感じなかったというのか?』


 黒い炎がそういうと、巻き戻った映像が再生される。

 するとすぐに怪物から強烈な殺意が放たれた。

 一鷗の視点で再生される映像を見て、一鷗はそのときに抱いた感情を思い出す。


「感じた。あのとき、確かに俺はそれを感じた」

『それとはなんだ? お前はそのときなにを感じた?』

「俺はただひたすらにあの大熊野郎を──『ぶち殺してやる』──と、そう感じた」


 一鷗がそういうと、映像がいきなり変化し、今まで流れなかった光景が映し出される。

 映像の中の一鷗は血だらけで、剣を支えにして立つのがやっとだった。

 だが、その目はまだバグベアを殺そうと燃えている。


『ふむ。よい殺意だ。よく燃えている』


 黒い炎は映像を見て満足気に笑うと、一鷗のほうを見た。

 そして、手を差し伸ばすように炎の一部を一鷗に伸ばす。


『今のお前ではどれだけ知恵を絞ろうと、力を捻ろうと、あの怪物には敵わないだろう。だから、俺がお前に力を貸してやる。もっとも、お前が望むのならばだがな』

「力……」


 このシチュエーションはマンガなどでよく見る「力が欲しいか?」という奴だろう。

 その提案を持ちかけてきたのが得体の知れない黒い炎であることは疑わしいことだが、一鷗は迷うことなく炎の手を握り返した。


「頼む。お前の力を俺に寄こせ」

『貸せではなく、寄こせと来たか。傲慢な奴だ。だが、気に入った。本当は少しだけ分けてやるつもりだったが、おまけをつけてやる』

「おまけ……? って、おわア!?」


 一鷗が首を傾げた直後、黒い炎が一鷗の胸に目掛けて黒い火の玉を打ち出す。

 火の玉はそのまま一鷗の胸に当たると、すうっと内側に入っていく。

 直後、燃えるような激痛が体内から襲い掛かる。


「な、なんだ、これは……」

『俺の力を取り込もうというのだ。それくらいの痛みは我慢しろ。……それよりも、最後になにか聞きたいことはないのか? 今ならひとつだけお前の質問に答えてやるぞ』

「今、それ、どころじゃ……」

『質問はないということか。ならば、これで離別だ』


 黒い炎が──どうやっているのかは分からないが──指で音を鳴らした。

 すると、一鷗の痛みが倍増し、同時に白い世界も崩壊を始める。

 一拍遅れて一鷗の体も崩壊を始めた。


『さようならだ、英雄のタマゴ。また会える日があるといいな』

「待て!」


 捨て台詞のようなものを吐き、消えていこうとする黒い炎。

 そこに一鷗が手を伸ばして待ったをかけた。

 伸ばした手が指の先から崩れていく。

 完全な崩壊まであと十秒もないだろう。


「最後にあんたの名前を聞かせてくれ!」

『ふっ』


 一鷗が黒い炎の名を尋ねると、黒い炎は嬉しそうに笑った。


『俺の名前は【    】だ。覚えておけ我が──』


 黒い炎が名を名乗り、続けてなにかを言おうとしたそのとき──一鷗の体が完全に崩壊した。

 それと同時に白い世界も崩れ去り、一鷗の意識は現実へと繋がれた。



 炎の熱とはまた別の焼けるような痛みが全身に流れる。

 瞬きをひとつすると、景色が変化し、自分は現実に帰還したのだと理解する。

 一鷗はふと、さきほどのことを思い出した。


「あれは夢だったのか……?」


 気を失っている間、一鷗は別の世界にいた。

 その世界で別の誰かと会話をしていた気がするのだが、あまりよくは思い出せない。


『カモメ殿! 大丈夫か?』


 一鷗が首を傾げていると、ドランが視界に入ってきて話しかける。

 一鷗はドランを認識し、ついでにその奥に見える毛むくじゃらの怪物を見やると、戦闘中であることを思い出した。

 ドランに視線を戻し、小さく頷く。


「ああ、平気だ。まだ戦える」

『しかし、その体では──』

「ポーションを一本もらえるか。それだけあれば多分大丈夫だ」

『う、うむ……』


 どこか自信ありげな様子の一鷗に困惑しながら、ドランはポーションを一鷗に渡した。

 一鷗はそれを一口で飲むと、瓶をドランに預け、バグベアに目を向けた。

 バグベアの赤い双眸と目が合う。


「よう、待たせたな。さっきのリベンジをさせてもらいに来たぜ」

「グルルア……」


 一鷗が不敵な笑みを浮かべると、バグベアもまた笑う。

 先刻は一鷗に殺意をぶつけられ、飛び退いたバグベアであるが、あれはなにかの間違いだと解釈したのだろう。

 今のバグベアの目には一鷗を嘲る様子しか見えない。


「その余裕の面ムカつくな。そっこうで引っぺがしてやるよ」

「グオオ!」


 こちらを侮る様子のバグベアにカチンときた一鷗は敵意を剝き出しにし、バグベアに剣を向けた。

 よもや一度叩きのめした弱者が再び牙を向いてこようとは夢にも思っていなかったバグベアは煩わしそうに一鷗に対して戦闘姿勢を取る。

 互いの視線が熱くぶつかる。


「カモメさま……」

「──大丈夫だ。今度は俺も勝つ気で戦うからよ」


 心配そうにこちらを見るメアエルに、一瞬バグベアから視線を外した一鷗が呟く。

 直後、隙だらけの一鷗を目掛けてバグベアが爪を振り下ろした。


「グオオオオ!!」

「────」


 バグベアの爪が迫る中、一鷗はゆったりとした動きで剣を構えるとバグベアの攻撃を受け流した。


「グルォ!?」


 攻撃がいなされ驚くバグベア。

 それによりバグベアは頭に血を昇らせると、まぐれでは受け流せないほどの連続攻撃を一鷗に浴びせた。


「はあ!!」


 バグベアの攻撃を躱しながら、ここぞというタイミングで一鷗が剣を振り上げる。

 すると、バグベアの爪を弾き上げ、同時にヤツの腹部を無防備にした。

 そこに一鷗が鉄剣を横に薙ぎ払う。

 スパン──と、これまでまともな傷ひとつ付けられなかったバグベアの体に確かな切り傷が刻まれる。


「グルア──!」


 傷を負ったバグベアは後ろに飛んで一鷗と距離を取る。

 それを見て一鷗は小さく笑った。


「はは。さっきとはまるで逆だな。どうした? かかってこないのか?」

「……」

「だったら今度は俺から攻めるぞ!」


 一鷗を警戒して襲ってこないバグベアを見て、今度は一鷗が飛び出した。

 【ロケットスタート】を使ってあっという間に敵の懐に入り込む。

 そのまま斬り上げる──というフェイントを加えて、バグベアの背後に回り込む。

 そして──


「グルアアア!!」


 一鷗がバグベアの首を後ろから斬り落とそうと剣を振り下ろす。

 すると、バグベアが真後ろに爪を薙いた。


「──ぶねッ!?」


 攻撃軌道上にいた一鷗は咄嗟に鉄剣の腹でガードをするが、肩口を軽く切り裂かれる。

 今度は一鷗が距離を取る番だ。


「くっ……やっぱり一筋縄ではいかねえか……」


 傷口を見ながら、ぼやく。

 一鷗は自分の手のひらに目を落とすと、体の内側から何かを探るように意識を集中させる。

 しかし、目的のものは見つからない。


 一鷗がなにかを探しているうちにバグベアが迫ってきた。

 無数に繰り出される攻撃を一鷗が回避する。


「クソっ。約束が違うじゃねえか!」


 一鷗はバグベアの攻撃を躱しながら、愚痴をつく。

 彼は夢の中で何者かから力を授かった。

 それはバグベアを倒せるだけの力だと言われたのだが、その力が見つからないのだ。

 もしや、先程の夢は本当に夢だったのでは──と疑念が浮かぶ。


「いいや、違う!!」


 一鷗は浮かび上がった疑念を消し去ると共に、バグベアの攻撃を弾き返す。

 そして、今度は一鷗が無数の斬撃で攻め立てる。

 攻撃を仕掛けながら、思考する。


 ──力は確かに受け取った。だが、それの正体が分からないことが問題だ。

 ──スキルなのか、武器なのか。あるいは形のないなにかかもしれない。

 ──いいや、それらは今はどうでもいいことだ。力の正体を探ったところでなにも出ない。

 ──必要なのはどうやって力を使うか。

 ──ヒントは多分、夢の住人との会話の中にある。


「グラアアア!!」


 一鷗が思考を深めようとすると、バグベアが一鷗の攻撃を弾いた。

 しかし、弾きが甘い。

 一鷗が再び攻撃体勢に入ると、バグベアもまた攻撃姿勢をとった。

 両者同時に攻撃の嵐を敵に浴びせる。

 どちらも防御のことなど考えていない超好戦的な戦い方だ。


「ぶち殺す!!」

「グオオオ!!」


 無数の斬り合いの末にふたりは大振りの攻撃をぶつけ合う。

 攻撃は互いに弾かれて、ふたりの間に距離が出来た。

 そして、動きが止まると一鷗が片膝をついた。


「カモメさま!」


 メアエルが心配そうな声をかける。

 しかし、一鷗は地面をじっと見つめるばかりで立ち上がる気配はない。


「そうか……そういうことか!」


 一鷗はハッと顔を上げると、なにかに気づいたような晴れやかな笑みを浮かべた。

 立ち上がり、バグベアに剣先を向ける。


「この一撃でお前を殺す──!」

「グルルァ──!」


 一鷗がすべての力を一本の鉄剣に込める。

 バグベアもまた、すべての力を両腕に込めた。


 一瞬の静寂。


 刹那──天井から落ちた小石が地面を打つ音が洞窟に小さく響いた。


「グオオオオオオオ!!」

「はあああああああ!!」


 バグベアと一鷗が同時に動き出す。

 両者は丁度中間の地点でぶつかると、互いの全力を込めた一撃を相手に見舞う。


 ──ぶち殺す!!


 攻撃がぶつかる瞬間──一鷗はこの戦闘中、ただ純粋に思い続けたその感情を剣に載せた。

 一鷗の握る鉄剣の柄から火花が散り、白い炎が剣身を走った。

 白い炎に包まれた鉄剣がバグベアの爪とぶつかる。


「はああああああああああああああああ!!!!」

「グオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」


 力と力のぶつかり合い。

 激しい衝撃波が洞窟を揺らす。

 だが、決着はほんの一瞬だった。


「──ああああッ!!」


 一鷗が歯を食いしばると、白い炎に包まれた鉄剣がバグベアの爪を穿った。

 そのまま剣を振り抜く。

 鉄剣はバグベアの腕を走ると、そのまま胸をバッサリと断ち斬った。


「グオオオ……──」


 短い断末魔がバグベアの口から零れ落ちる。

 直後──バグベアの体は黒い靄へと変化し、霧散した。

 激しい戦いを共にした怪物はかくもあっさりと戦場から姿を消した。

 後には小さな青色の魔石がころりと転がるばかりである。


「……安らかに眠れ。バグベア」


 一鷗は覚束ない足取りでバグベアの落とした魔石を拾い上げると、天井を見上げ、小さく呟いた。

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