第19話 四箇条の約束事

十九話(四箇条の約束事)


 激しい戦いが終わり、戦場となった袋小路には傷だらけの勝者が佇んでいた。

 一鷗はふらりと体を揺らすと、その場に膝から崩れ落ちた。

 尻もちをつき、大きく息を吐く。


「お、終わったあ~……!!」


 心の底から安堵した様子でぼやく。

 つい先ほどまで怖い顔をして怪物と命を掛けた戦闘をしていた人物とは思えない変わり身だ。


「俺、あいつに勝ったんだな……」


 ひとしきり安堵感を堪能し、手にしている魔石に目を落とす。

 青い光を放つ小さな魔石だ。

 それを見て、ようやく「勝った」という実感を感じる。

 胸の奥に熱いものが湧き出る感覚だ。


「──バカ!!」

「どわあ!?」


 一鷗が勝利の余韻に浸っていると、突然メアエルが抱き着いてきた。

 全身ボロボロの一鷗は抱き着かれた衝撃で気絶しそうになるが、なんとか我慢してメアエルを受け止める。

 すると、メアエルが一鷗の胸の中で鼻を啜った。


「なんだよ。泣いてるのか?」

「泣いてないわよ!」

「痛ッ! マジで死ぬから殴るのは勘弁してくれ」


 一鷗が茶化すと、メアエルが一鷗の腹部に拳を殴りつけた。

 なかなか力の籠った一撃で一鷗は危うく意識を刈り取られそうになる。

 気力のみで痛みに耐えていると、メアエルが頭を一鷗の胸に押し当てた。


「生きてて良かった。……それと、助けに来てくれて……ありがとう」

「……おう」


 顔を合わせれば嫌味を言われ、会話をすれば喧嘩になる。

 そんな関係性のメアエルに素直に礼を言われ、一鷗は少し照れくさい気持ちになった。

 照れ隠しに頬を掻く。一鷗の癖だ。

 しかし、頬を掻くのに手はひとつで十分だ。

 空いたもう片方の手は所在なさげにうろうろしている。

 一鷗は意を決すると、泣きじゃくるメアエルを宥めるようにその手を彼女の頭へと持っていった。


「なーんて、嘘よ!」

「──はあ!?」


 不意に一鷗の懐から離れたメアエルが立ち上がり、見下すように一鷗を見る。

 彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべながら舌を出した。


「私があんたに感謝するわけないでしょ! だいたい『助けてほしい』なんてひと言も言ってないわ! 勝手に邪魔されて迷惑してるくらいよ!」

「お前、ふざけんなよ! 俺はこの耳でちゃんと聞いたんだぞ! お前が『助けて』っていう声をな!」

「あれはあんたに言った言葉じゃないわよ! 勘違いで人の夢を穢さないで! この勘違い変態男!」

「誰が勘違い変態男だ! この自分勝手馬鹿姫が!」

「なんですって!?」

「なんだよ!?」


 ほんの数秒前までは静かだった洞窟がふたりの言い合いによって破壊される。

 ふたりの喧嘩は徐々にヒートアップしていき、ともすれば殴り合いへと発展しそうにまでなった。

 そこへドランが仲裁に入る。


『姫様もカモメ殿もそこまでだ。両者とも大人げない喧嘩は止めるがよい』

「だって、そいつが私のこと自分勝手馬鹿姫って言ったんだもん……」

『姫様』

「……はーい」


 未練がましく小言をいうメアエルをドランが睨む。

 メアエルは不承不承といった様子でドランのいうことを聞くと、ふいっと顔を横に逸らした。

 ドランが呆れた様子でため息を吐き、一鷗のほうを見る。


『カモメ殿。此度の件、姫様に代わって礼を申し上げる。カモメ殿の助けがなければ姫様は今ここにいないだろう。故に、感謝を』

「いや、いいよ。今回のことは俺にも責任があるし、あいつにも少し助けられた。──ふたりともありがとな」

『うむ』

「……なんのことだか」


 一鷗が気絶したときにメアエルがバグベアの注意を引き、ドランがポーションを飲ませてくれたときの礼を言う。

 すると、ドランは素直に礼を受け取ったが、メアエルはとぼけた様子で首を傾げた。

 どうやら一鷗を助けた件をなかったことにすることで、一鷗に助けられた件をチャラにするつもりのようだ。

 若干不公平な取引のような気がしないでもないが、一鷗は素直に受け入れた。


 一鷗は小さく苦笑すると、ドランの手を借りて立ち上がる。

 両手を頭上で重ね、ぐっと伸びをした。


「さてと、馬鹿姫もとっ捕まえたところで説教を──と行きたいところだが、とりあえず地上に戻るか」

「説教ってなによ?」

「あ? 助けてくれた件はチャラにしてやるが、お前が自分勝手な行動をした件は許してねえだろ。だから、その説教だ。こればっかりは知らぬ存ぜぬで誤魔化されねえからな」

「うぐ……」


 さすがに自分の身勝手な行動のせいで一鷗を巻き込んだという自覚があるからか、メアエルは口答えはしてこなかった。

 ただし、せめてもの反抗のつもりか、帰ろうとする一鷗たちに反して彼女はその場に留まっていた。


「待ちなさい。地上に帰る前にまだやるべきことがあるわ」

「やるべきこと?」


 メアエルに引き留められ、一鷗は首を傾げる。

 どうやら反抗のつもりで留まっていたわけではないらしい。

 メアエルは背負っていた鞄を下ろすと、中から大量の魔石を取り出した。

 無限に集まって来るゴブリンを倒して手に入れた魔石たちである。

 彼女は足元にちょっとした小山を築くと、自慢げに胸を張る。


「どう? これで第二の勝負は私の勝ちね!」

「は? 勝負? お前、なに言ってるんだ?」

「昨日の勝負のことよ! 二回目の勝負の決着はまだついてないでしょ?」


 メアエルにそう言われ、一鷗は昨日の探索中に集めた魔石の数で勝敗を決める勝負をしていたことを思い出した。


「いや、あれは昨日の話だろ? もう終わってるはずだ!」

「私が気絶した時点で一時中断よ! 中断された時間は次回の探索に繰り越されるものでしょ? サッカーでいうところのアディショナルタイムみたいなものよ!」

「なんでお前サッカー知ってるんだよ……?」

「ユウセイ様たちが教えてくれたわ。私たちの世界でちょっとした流行になっているわ」

「現代知識無双じゃねえか……」


 悠誠たち召喚者が異世界でやりたい放題していることが分かり、少し呆れる。

 だが、今はそんなことはどうでもいい。問題は目の前の魔石だ。

 メアエルの言い分を呑み込むと、彼女の集めた魔石の数は圧倒的に一鷗の数を越えてしまう。

 しかし、彼女の言い分を無視するとさらに機嫌を悪くさせそうで面倒くさい。

 一鷗が難しい顔で頭を悩ませる。


「その様子だと私の勝ちみたいね。さてと、ご褒美になにをもらおうかしら」

「ご褒美? 賞品があるのか?」

「勝負なんだから当たり前でしょ。ちなみに勝者へのご褒美は敗者から贈られるから、覚悟しておきなさい」

「異議あり! お前が賞品をもらえるなら俺にももらう権利があるはずだ! なにせ俺は最初の勝負でお前に勝っているからな!」

「二回目の勝負は一回目の結果も合わせてるんだから私のひとり勝ちよ!」

「いいや、許さねえ。俺にも賞品を与えない限り、お前の言うことは絶対に聞かねえ」

「……分かったわよ。あんたにもご褒美をあげればいいんでしょ」


 一鷗が頑として譲らない態度を示すと、メアエルは渋々といった様子で折れた。

 メアエルが顎に指を当てて考える。


「それじゃあ、あんたのご褒美として私を『メアエル』と呼ぶことを許可してあげるわ」

「いや、いらないが? そんな権利。大体なんで俺の賞品をお前が決めてるんだよ」

「『馬鹿姫、馬鹿姫』呼ばれるとムカつくのよ。いいから、素直にそう呼びなさいよ。──その代わり、私もあんたのこと『カモメさま』って呼ぶことにするから。それが二回の勝負のご褒美ってことで……」


 後半にいくにつれて声が小さくなり、メアエルの頬が赤くなる。

 これが噂に聞くデレ期というやつだろうか。

 となると、さきほどの感謝もほんとうは嘘では無かったのでは?

 いや、しかし──と、一鷗が勝手に思考を飛躍させていく。

 すると、返事がもらえずに焦れたメアエルが鋭い目で一鷗を睨む。


「ねえ、私の話聞いてるの?」

「あ、ああ。聞いてるよ──メアエル」

「……っ。……そ、そう。なら、いいのよ。……カモメさま」


 お互いに照れながら相手の名前を口にする。

 すると、互いの照れが相手にも伝わってしまい、それがさらにふたりの顔を赤くさせる。

 今時小学生でも名前を呼ぶだけでここまで初々しい反応はしないだろう。

 このままいくとずっと照れ続けていそうなふたりを見て、ドランが咳ばらいをひとつする。


『ふたりとも、イチャつくのはダンジョンを出てからにしてもらいたい』

「「イチャついてない!!」」


 ドランの言葉に一鷗とメアエルは同時にツッコミを入れた。

 タイミングが被ったふたりは、互いに睨みあい、火花を散らす。

 そうしてようやくいつもの調子に戻ったふたりだが、ここから更に喧嘩が始まり、結局地上へ向けて動き出したのは三十分後のことであった。



 その夜、一鷗とメアエルはダンジョン攻略におけるいくつかの約束事を決めた。


 ひとつ、ダンジョンへ潜る際は必ずふたり一緒であること。ただし、緊急時は相方にダンジョンに入ることを報せた状態でのみひとりでの入場を許可する。

 ひとつ、ダンジョン攻略は一日十時間まで。ただし、双方の合意があれば延長は可能。

 ひとつ、ダンジョン攻略は五日に一度必ず休息日を設けること。また、連続で四日以上の探索を禁ずる。

 ひとつ、以上の約束事を破った場合はダンジョンはドランの【アイテムボックス】に永久封印するものとする。


 以上四つの約束事が今回の話し合いで決定したものである。

 こう見ると四つ目の約束事が少しだけ異様に思える。

 ダンジョンをドランの口内に封じてしまうとレベル上げが出来なくなり、異世界を救うという基本目標が達成されなくなるからだ。

 しかし、これにはメアエルの死に急ぎを抑制する効果がある。

 異世界の住人を見殺しにしたくないメアエルにとってダンジョンの封印は致命的だ。

 約束を破ってダンジョンが封印されれば、『モンスターに殺されたから』とか『時間が足りなくて』といった言い訳が通じない。正真正銘彼女の意志での見殺しになるのだ。

 それは彼女のもっとも恐れること。

 この約束事がある限り、彼女は絶対に約束を守ることだろう。


 そして、一鷗にも約束事を遵守させようと目を見張るはずだ。

 万が一、一鷗が暴走しそうになってもメアエルが止め役となってくれるに違いない。


 そう信じて一鷗はそれ以上細かな約束事を作らなかった。

 この四つの約束事があればメアエルと一鷗は暴走しない。

 そう強く信じて。


 話し合いを終えたふたりは夕食を食べ、風呂に入ると、早々に床に就いた。

 今日はよく疲れた。

 ふたりは泥のように眠ると、夢を見ることもなく翌朝を迎えた。

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