第15話 異階の怪物
火の矢が緑の肉を貫き、焼き焦がす。
積み重なった死体は下から順に黒い靄となって消え、魔石の山を築く。
積み上がった魔石の山は緑の裸足に蹴散らされ、地面に散らばったあとは数多の足に踏みつけられ、粉々になる。
次々と現れる緑の小鬼たち。
しかし、ある一点から飛来する火の矢が小鬼たちを焼き殺す。
焼き殺して、次の小鬼が現れて、また焼き殺す。
延々とこれの繰り返し。
かれこれ、二十分はそうしている。
すでに二百体ほど緑の小鬼を殺したことだろう。
「はあ……はあ……いい加減にしなさいよねっ──【ファイアアロー】」
メアエルは息を切らして、魔法を打ち出した。
すると、彼女の腕につけた腕輪が光り、宝石のひとつが色を失う。
これでふたつ目。
腕輪には宝石が三つ嵌っており、ひとつを消費するごとに30点の魔力を回復することが出来る。
つまり、今ので腕輪の魔力を60点も使用したということだ。
残る魔力が30点。
メアエル自身の魔力と合わせると60点だ。
そして、それがメアエルの持つ魔力の残量だった。
打ち出した五本の火の矢が四体のゴブリンを焼き殺す。
初めのうちは一本の矢で一体のゴブリンを殺せていたのだが、ここに来て集中力が切れ始めた。
だが、四体のゴブリンを倒したところで、メアエルの眼前に半透明のウィンドが現れた。
──────
名前:メアエル・アルメリア
種族:人間
レベル:11
体力:41/41
魔力:30/50
筋力:30
耐久:29
敏捷:30
器用:20
知力:39
スキル
【火魔法】(【ファイアボール】【ファイアロー】【火蝶】【フレアカノン】)
──────
レベルが上がったことでステータスウィンドが表示されたのだ。
ステータスを確認すると、レベルが上がった影響で魔力が5点増えていることに気が付く。
【ファイアアロー】一回分の魔力ということだ。
雀の涙程度ではあるが、今の状況からすればそれだけでもありがたい。
メアエルはステータスウィンドを閉じると、周囲の状況を確認する。
前方には二十体のゴブリンがいる。
後方にはその倍の数の四十体だ。
合計で六十体。
それがこの階層に残る最後のゴブリンの数だ。
すべてを倒すには残存する魔力をすべて【ファイアアロー】に消費し、すべての矢をゴブリンに当てる必要がある。
一本でも外せば魔力が空になったメアエルはゴブリンに蹂躙されるのをただ待つだけになる。
命を掛ける覚悟と、途切れることのない集中力が必要だ。
だが、今のメアエルは集中力が途切れかけている。
気力を振り絞ればまた極限の集中状態へと至れるが、それで果たして最後まで集中の糸を切らさずにいられるかは定かではない。
「──でも、やらなきゃ今ここで死ぬだけ……。そんな死に方は絶対に嫌。どうせ死ぬなら、全力を出し切って、笑って死んでやるわ」
メアエルは覚悟を決めた顔を上げると、全身からかき集めた集中力を発揮する。
右手のひらを前方へ向ける。
「【ファイア──」
【アロー】と詠唱を続けようとしたそのとき──。
メアエルの背後で轟音が轟いた。
衝撃波がメアエルを背後から突き飛ばす。
彼女はなんとか空中で姿勢を整えると、ゴブリンたちの手前で着地した。
ゴブリンからの攻撃を警戒するが、彼らもまた衝撃波に吹き飛ばされ、地面に倒れていた。
「なんなのよ、いったい……?」
メアエルが首を傾げる。
彼女の眼前には大量の土煙が舞っており、先の状況が見えなくなっている。
だが、時間が経つに連れ、土煙が晴れていく。
「────ッ!?」
最初に目に映ったのは土煙を押し返す勢いで舞い上がる黒い靄だ。
その量は尋常ではなく、メアエルの後方に陣取っていた四十体のゴブリンが全滅したのだと分かる量だ。魔石がじゃらじゃらと音を立てて、地面に落ちる。
続いて、メアエルの視界に飛び込んできたのは落ちた魔石を踏みつける大きな足。
ホブ・ゴブリンの足よりも何倍も大きなそれは、黒い毛に覆われている。
「……うそ」
土煙が完全に晴れると、大きな足の主の姿が露となる。
その姿にメアエルはただ震えることしか出来なかった。
ぎゅっと小さくなった彼女の瞳にヤツの全身が映る。
ソレは三メートルはある天井に頭が付くほど大きな体をしていた。
大柄で、筋肉質で、全身が黒い毛で覆われている。
深い毛の奥から赤い眼光が覗く。
牙の飛び出した口からは涎が絶えず流れ出し、緑色の舌がそれを舐めとる。
全体的に見れば大きな熊のようなモンスターだ。
だが、その立ち居振る舞いはどこかゴブリンに似ていた。
「……うそ。嘘嘘嘘よ……! だって……どうして……どうしてあんたがここに──!?」
怯えるメアエルが、震える声でそう叫ぶ。
メアエルの脳内は先刻から疑問に満ちていた。
なにせ、眼前で絶対にあり得ないことが起きているのだから。
メアエルはこの熊のようなモンスターを知っている。
ヤツはゴブリンが突然変異して生まれたモンスターだ。
どうして突然変異が起こったのかは分からない。ドランに聞けば分かるかもしれないが、彼は今ここにはいない。
メアエルが知っているのはヤツの名前と特徴だけ。
ヤツの名前は『バグベア』。
ゴブリンの突然変異種で、ゴブリンのような知性を持たぬ代わりに強い殺意と強い野生を有したモンスター。
その名が示す通り、ゴブリンと熊が融合したようなモンスター。
それがバグベアというモンスターだ。
そして、そのバグベアがこの場にいること──それこそがメアエルの体験しているあり得ないことだ。
本来、ダンジョンに現れるモンスターは上だろうと下だろうと、他の階層へ移動することが禁じられている。
普通、モンスターになにかを強要することは不可能なのだが、魔道具であるダンジョンが生み出すモンスターにはいくつかの制約を課すことが可能なのだ。
そして、モンスターは制約によって階層の移動が出来ない──はずだった。
だが、メアエルの眼前にいるバグベアというモンスターはその制約に縛られることなくこの場にいる。
それは本来であれば絶対にあり得ないことだ。
しかし、魔道具のバグによってあり得ないことが起こってしまっているのだ。
とはいえ、そんなことは今のメアエルにはどうでもいいことだ。
問題なのは制約を破って階層を移動したモンスターがバグベアであるということだ。
このモンスターが例えばスライムであれば──五層より上の階層のモンスターであれば問題はなかった。
あるいは、五層より下の階層の階層のモンスターでも六層や七層のモンスターであれば、まだ小さな問題に過ぎなかった。
しかし、バグベアが現れてしまった。
これは大きな問題だ。
なにせ、ヤツが棲むのは五層よりもずっと下の階層──第十五階層なのだから。
「グオオオオオオオオオオ!!」
本来轟くはずのない咆哮が五層に響く。
それを聞き、生き残ったゴブリンたちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
笛が鳴ったときとは対称的に地鳴りがメアエルを中心に遠くへ向かう。
音が徐々に小さくなっていき、静寂がその場を包んだ。
場にはバグベアとメアエルのみが残された。
「グアウ……」
「────」
殺意の怪物は残った獲物に目を向けると、ジュルリと舌なめずりをした。
それに悪寒を感じたメアエルは遅れて逃げる準備をする。
しかし、彼女のその判断はあまりに遅きに失していた。
バグベアが鋭い爪を持った毛むくじゃらの腕を振り上げる。
「【ファイアボール】!」
メアエルが振り向きざまに火の玉を打ち出す。
バグベアが火の玉を爪で引き裂くと、その場で大きな爆発が起こり、土煙が舞う。
煙幕に紛れたメアエルはそのまま遠くへと走り去る。
出来るだけ遠く、バグベアから離れた場所を求めて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます