第14話 絶望の音色
ダンジョンの四層──紫色の光石を埋め込んだ岩壁に囲まれたその層は異様なほど静かだった。
メアエル・アルメリアは昨日の探索で気を失った地点までやってきた。
ここに来るまでに有した時間はわずか二十分。途中一度もモンスターに出会わなかったのが幸いした結果だ。
メアエルはさらに探索を続けた。
すると、探索を初めて五分ほどで五層へ続く階段を発見した。
「今日の私はついてるわね」
メアエルは呑気にごちると、躊躇うことなく階段を下って行った。
五層に下りるとまた光石の色が変化した。
一層二層が青、三層四層が紫、そして今度の五層は赤である。
赤と言っても信号機のような鮮やかな赤ではなく、血のような黒い赤色だ。
層を下るごとにおどろおどろしさが増している。
だが、そんなことで臆するメアエルではない。
彼女はむしろ燃えていた。
──この階層で生み出されるモンスターはやはり凶暴なのだろう。
──そんな凶暴なモンスターを倒せば私は早くレベルアップ出来る。
──そうすれば世界の皆を助けられる。
──そうならなければ……私はひとりでこの世界で生きて行かなくてはならなくなる。
そこまで考えると、メアエルは背中に重たいものが圧し掛かる感覚がした。
異世界に暮らす人々を思うたびにこの幻想が現れる。
彼女の背中に乗っているのは異世界の住人の怨念だ。
彼らが耳元でそっと囁く。
──早く来い……と。
それは元の世界に戻れという意味ではない。
ひとりで生きることを許さないという意味だ。
その言葉を聞く度にメアエルは希望を殺される。
ユウセイと旅をしていたころは満ち溢れていた希望が今はたったひとつしか残っていない。
そのひとつでさえメアエルは正しく観測出来ていなかった。
自身がもっとも信頼する望遠鏡を覗いてようやく見えるくらいの小さな光の星。
そんな朧げな希望に縋ることは残念ながらメアエルには出来なかった。
縋るくらいなら自らの力で切り開いてみせよう。
例えその先に破滅が待っていようとも、自分ひとりが別の世界に取り残されるよりはずっとマシなのだから──。
「ギギャ……」
メアエルが考えごとをしていると、不意に正面の道の曲がり角から一体のゴブリンが現れた。
ゴブリンがメアエルに気が付き、武器を手に取る。
それを見てメアエルも手のひらを向けた。
「さて、五層のモンスター相手に私の力がどれだけ通用するか試してやるわ! ──【ファイアボール】!」
メアエルは挑戦的な笑みを浮かべると、手のひらから火の玉を打ち出した。
レベルが上がったことにより、魔法の速度、威力ともに強化されている。
メアエルの放った魔法はあっという間にゴブリンまで伸びると、そのまま着弾──したかに思えた。
彼女の予想に反して、ファイアボールはゴブリンに当たる直前で大きく爆ぜ飛ぶ。
「え……?」
メアエルの口から困惑の声が漏れる。
彼女は一瞬なにが起きたか理解出来なかった。
だが、爆風によって生じた土煙が晴れていくごとに記憶が鮮明になっていく。
ゴブリンに火の玉が当たる直前、通路の陰から石の大剣が飛び出したのだ。
石の大剣はゴブリンとファイアボールの間に入ると、ファイアボールを撃ち落とした。
地面に落ちたファイアボールは爆発し、激しい土煙でその場を包み込んだ。
そして、その巻きあがった土煙が今晴れる。
果たして、そこにいたのは──
「ホブ・ゴブリン……」
煙の先にいたのは四体のモンスターだった。
そのうちの三体はこれまで何度も見たゴブリンだ。
だが、ゴブリンたちの最後尾に立つモンスターは他とは違う見た目をしていた。
緑色の肌はゴブリンと同じだが、背丈はメアエルよりも高く、その体には鍛えられた筋肉がついている。
装備も普通のゴブリンよりも上等なものを付けている。
特に石の大剣など、一般ゴブリンが持つ
五層から現れるとされるゴブリンの上位種──ホブ・ゴブリンがそこにいた。
「いいじゃない。ゴブリン相手はいい加減飽きていたところよ。あんたを倒して私はさらに強くなるわ!」
メアエルがホブ・ゴブリンに向かって吠える。
しかし、彼女の直感は今すぐ逃げろと警鐘を鳴らしていた。
それほどメアエルとホブ・ゴブリンの実力はかけ離れていた。
だが、メアエルは逃げない。
強敵を倒せばレベルアップがしやすくなることを知っているからだ。
むしろ急いでレベルを上げなければいけないメアエルにとってはここは絶対に逃げられない戦いなのだ。
「さあ、行くわよ! 【ファイアアロー】!」
メアエルは手のひらをゴブリンの集団に向けると、五本の矢を生成し打ち出した。
五本の矢はそれぞれ別の個体を標的として飛来する。
しかし──
「ギギガゥ!」
ホブ・ゴブリンが石の大剣を薙ぎ払うと、火の矢はことごとく撃ち落とされた。
命中したのは一本の火の矢のみ。だが、それも通常個体のゴブリンの腕を掠めただけで、ダメージと言えるほどではない。
その結果にメアエルは僅かに顔を歪めたが、気を取り直して次の魔法を放つ。
「だったら──【火蝶】!」
メアエルが火の蝶々を五匹放つ。
ゆっくりと飛来する蝶々にはさすがのホブ・ゴブリンも油断を許したようで、すべてのゴブリンの急所に火蝶の模様を刻むことに成功する。
模様を刻まれる際の僅かな熱がゴブリンたちを激昂させる。
直後、ホブ・ゴブリンがメアエルに向かって走ってきた。
「あら? お仲間を守らなくてもいいのかしら?」
「ギガ……?」
「──【ファイアアロー】ッ!」
メアエルはホブ・ゴブリンを軽く挑発すると、再び火の矢を五本打ち出した。
ホブ・ゴブリンはその魔法に対し、先刻撃ち落とした攻撃だと嘲笑うと、同じように石の大剣を横に薙いだ。
同時にメアエルが不敵に笑う。
「ギガ……!?」
ホブ・ゴブリンの顔が驚愕に染まる。
彼が振るった石の大剣は確かにすべての火の矢を撃ち落とせる軌道を描いていた。
だが、実際に撃ち落としたのは一本のみで、他の四本は大剣の薙ぎ払いを避けるように後方へと抜けて行った。
ゴブリンが慌てて振り返ると、後方で四体のゴブリンたちが黒い靄へと変わっていた。
四つの魔石が地面に落ちる。
「ギギギギギギャアアアアアア!!!!」
仲間を殺されたホブ・ゴブリンが激昂して洞窟を揺らす程の咆哮を叫ぶ。
憤怒に満ちたホブ・ゴブリンが仲間の仇を討たんと前を向く。
「よそ見は厳禁よ!」
「──ギャッ!?」
メアエルはそう叫ぶと、手のひらから大きな火の玉を打ち出した。
振り返ったホブ・ゴブリンは咄嗟に大剣を薙ぎ払う。
火の玉は大剣をするりと避けると、ホブ・ゴブリンの胸に刻まれた火蝶の文様に吸い込まれるように緑色の肌に直撃した。
大きな爆発が起こり、ホブ・ゴブリンの胸部が爆ぜる。
「やったッ──!」
致命傷だと考えてメアエルが喜ぶ。
だが──
「ギ、ギガ、ギギギャ……!」
ホブ・ゴブリンは小さく唸ると、胸を大きく仰け反った。
すると、爆ぜて焼けただれた胸部がみるみるうちに回復していくではないか。
ほんの数十秒で先刻にメアエルが与えた傷が完全に回復する。
がくん、と大剣を支えに前かがみになるホブ・ゴブリン。
ホブ・ゴブリンがゆっくりと顔を上げると、赤い瞳から濃密な殺意が放たれた。
「────ッ」
剝き出しの殺意を浴びせられ、メアエルは息が詰まった。
逃げようとする足を必死に押しとどめると、一度深呼吸をして心を落ち着かせる。
そして、ホブ・ゴブリンに視線をぶつけた。
「【超速回復】なんていいスキルもってるじゃない。──いいわ。あんたの殺意と私の殺意。どっちが上か決めようじゃない!」
「ギギャアア!」
メアエルがホブ・ゴブリンに対して喧嘩を売ると、ホブ・ゴブリンは大剣を大きく振り上げた。
直後、メアエルの目で辛うじて捕捉可能な速度で剣が振り下ろされる。
「──っぶない!」
メアエルは大剣をぎりぎりのところで回避すると、ホブ・ゴブリンに手のひらを向ける。
「【火蝶】【ファイアアロー】」
手のひらから五匹の火蝶を打ち出し、ホブ・ゴブリンの体にマーキング。
その直後にすぐさま火の矢を放つ。
火の矢は火蝶の模様を目掛けて飛来し、着弾。
ホブ・ゴブリンの肉体を大きく抉る。
「ギギャアア!!」
だが、ホブ・ゴブリンの【超速回復】があっという間に傷を修復してしまう。
ホブ・ゴブリンが暴れるように大剣を振るう。
メアエルはそれをぎりぎりのところで回避し続ける。
ホブ・ゴブリンの攻撃は確かに強力だが、それは当たればの話だ。
ヤツの攻撃には剣術というものがなく、当然ながら駆け引きもない。ただ、闇雲に剣を振るっているだけ。
もっとも、それが一撃必殺級の威力を持つのだから技を鍛えずとも最強で居続けられるのかもしれない。
だが、知能の感じられない脳筋的な戦いが通じるのは同じく脳筋相手にだけである。
つまり高い知能を持つ人間相手には通用しないということだ。
「……」
だが、技が通じないのはメアエルも同じだ。
どれだけ攻撃したところでメアエルの火力ではホブ・ゴブリンを一撃で倒しうることは出来ない。
一撃で倒しきらない限り、ヤツは【超速回復】で再生を繰り返す。
つまり、両者ともに決め手に欠けるということだ。
「……あっ」
そのとき、不意にメアエルが躓いた。
後ろに下がろうとしたときに地面の凸凹に足を引っかけてしまったのだ。
ほんの僅かな時間、メアエルの体勢が崩れた。
その瞬間、ホブ・ゴブリンの大剣がメアエルに襲い掛かる。
「……【ファイアボール】! ──キャア!?」
メアエルは咄嗟に火の玉を打ち出すと、迫りくる大剣にぶつけた。
目の前で火の玉が爆発し、その爆風によってメアエルは後方へ吹き飛ばされる。
伸ばした右腕が僅かに火傷を負うが、爆風のおかげでホブ・ゴブリンと距離をとれた。
すっくと立ちあがったメアエルが頭を悩ませる。
「私の魔法じゃ【超速回復】を突破できない……。せめてあいつの剣があれば──ってなに考えてるのよ!」
メアエルはふとカモメのことを思い出し、即座にかぶりを振った。
──誰かに頼ろうとするなんて情けない。私はひとりなのだから、ひとりでどうにかしなくては。
そう思って、思考の中からカモメを排除する。
だが、考えてしまう。
もしこの場にカモメがいたら、と。
彼がいれば、きっとホブ・ゴブリンの大剣を弾いてくれる。
そうすれば、がら空きになった胸部にメアエルが魔法を打ち込める。
しかし、それでもまだ削り切れない。
ホブ・ゴブリンの回復が始まる。
だが、それはカモメが許さない。
彼が追撃を仕掛け、それが致命傷となり、ホブ・ゴブリンを倒すことが出来るだろう。
「……なんて、馬鹿な妄想ね」
この場にはカモメはいないのだから考えても無駄なことだ。
とはいえ、必要な情報を整理するには役立った。
今の妄想の戦闘でカモメが担っていた部分こそがメアエルに不足している能力だ。
つまり『魔法を当てやすくするためにゴブリンの大剣を弾く能力』と『回復が始まる前に追撃を仕掛ける能力』だ。
もっとも、前者の能力はメアエルの【火蝶】が補ってくれる。
問題は追撃を仕掛ける能力なのだが──
「追撃……そうだわ!」
メアエルはなにかを思い浮かべると、明るい顔を持ち上げた。
そのとき、彼女の頭上から大剣が落ちてくる。
メアエルはそれを回避すると、即座に思いついたことを実行した。
「上手くいって! ──【火蝶】!」
メアエルは五匹の火蝶を生成すると、それをホブ・ゴブリンに目掛けて発射した。
だが、いくら脳筋なホブ・ゴブリンと言えど、さすがに三度目ともなればこれが魔法の命中率を上げる魔法だということに気が付く。
大剣で三匹の火蝶が撃ち落とされた。
しかし──
「二匹もいれば十分よ」
メアエルは不敵な笑みを浮かべた。
彼女の視界には二匹の火蝶が飛んでいる。
二匹の火蝶はホブ・ゴブリンの大剣の壁を突破してホブ・ゴブリンの体に模様を刻む。──二匹とも同じ、ホブ・ゴブリンの胸の中央。
「一撃で仕留めきれないなら、連続で二度攻撃すればいいのよ! ──いけ、【ファイアアロー】!」
勝ち誇ったように叫ぶメアエルが五本の火の矢を打ち出した。
五本のうち三本の火の矢はあらぬ方向へ飛んでいく。
火蝶の模様に導かれた二本はホブ・ゴブリンの大剣をすり抜けた。
二本の矢が続けざまにホブ・ゴブリンの胸を穿つ。
「ギギャアア────!!」
一撃では絶命に至らぬ攻撃でも、二撃重ねればその限りではない。
胸に風穴を開けられたホブ・ゴブリンは轟くような断末魔を叫んで、黒い靄となって消えた。
少し大きめの紫色の魔石が落ちる。
「やったわ!!」
魔石を拾い上げ、ガッツポーズをするメアエル。
彼女の視界に突然不透明なウィンドウが出現する。
──────
名前:メアエル・アルメリア
種族:人間
レベル:10
体力:38/38
魔力:45/45
筋力:27
耐久:27
敏捷:26
器用:18
知力:36
スキル
【火魔法】(【ファイアボール】【ファイアロー】【火蝶】【フレアカノン】)
──────
メアエルの目の前に現れたのはステータスウィンドウだった。
彼女のステータスウィンドウはカモメのものとは違っていつでも自在に呼び出すことが可能だ。
また、今回のようにレベルが上がった時には自動的に出現する機能がある。
メアエルは向上したステータスを確認すると、続いて【火魔法】に新たな魔法が追加されていることに気が付いた。
新しいスキルが生えることを期待していたメアエルは少し残念がるが、魔法の効果を見て大いに喜ぶ。
「強力な火の玉を打ち出す魔法、か。【ファイアボール】の上位互換のようなものね。……これがあればさっきのモンスターは一撃で倒せてたのに──って、考えても仕方ないわね。どの道勝てたんだから」
メアエルは良くない思考を切り替えると、素直に喜んだ。
ひととおりステータスを確認し、彼女はステータスウィンドウを閉じる。
「あれ? まだゴブリン残ってるじゃない……丁度いいわ」
ステータスウィンドウを閉じると、視線の先に一体のゴブリンが映った。
武器は持っていないし、こちらを襲ってくる気配もしない。
だが、せっかくだからとメアエルは新魔法の試し打ちをすることにした。
手のひらをゴブリンに向ける。
そのとき──
「ギギャ!」
ゴブリンがどこからか法螺貝のような形をした笛を取り出した。
それを見たメアエルが目を丸くする。
「あ、あれは──!」
それは先日メアエルがトレジャーボックスから手に入れたスライムを呼び寄せる笛によく似たものだった。
色や模様は違うが、間違いない。
あれはモンスターを呼び寄せる笛だ。
「【フレア──」
笛の正体を見抜いたメアエルは即座に魔法を放とうとする。
だが、今一歩出遅れた。
「ブオオオオオオオオオオオ────!!!!」
ゴブリンは口に笛を当てると、勢いよく息を吹き込んだ。
洞窟中に腹の底に響くような低い音が響く。
絶望の音色。
メアエルの額に冷や汗が浮かぶ。
笛が鳴り止むと、一瞬の静寂が訪れた。
直後──まるで地鳴りのような足音がメアエルのいる場所に向かって徐々に大きくなっていった。
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