第7話 委員長のお手伝い


 朝。目を覚ました一鷗は床に寝ていた。

 顔面にじくじくと痛みを感じる。

 すぐに昨夜のことを思い出し、地面に転がるデジタル時計を拾い上げた。


「あの馬鹿姫が……勝手にひとの部屋に入ってきてなにが変態だよ」


 一鷗は愚痴を呟くと、部屋を出る。

 リビングに下り、キッチンに入る。

 冷蔵庫を開け、朝食の準備を始める。

 一瞬、昨夜の意趣返しにメアエルの朝食を抜いてやろうかと考えたが、そんなことをしたら今度はなにをされるか分かったものではない。

 一鷗に出来ることはせいぜい目玉焼きに合うのはサラダドレッシングだと嘘を吐くくらいだ。


「おい! 朝だぞ! 起きてこい!!」


 朝食が出来上がると、メアエルの部屋の前で叫ぶ。

 すると、まず初めにドランが顔を覗かせた。


『すぐに起こす故、カモメ殿は先に食べ始めておいてくれ』

「おう。分かった」

『それと、出来ればタマゴにも食事をさせたい。時間はあるか?』

「分かった。俺がご飯食べ終わってからでいいか?」

『よろしく頼む』


 ドランと別れて一階に戻ると、ひとりで先に朝食を食べ始める。

 少しすると、寝ぼけ眼のメアエルが下りてきて、一鷗の言うとおり目玉焼きにサラダドレッシングをかけて食べる。

 美味しいと言って食べる彼女の姿に一鷗は少しだけ胸が痛くなった。


 メアエルに先んじて朝食を食べ終えた一鷗はドランを連れて、自室に戻る。

 ステータスを表示してもらいつつ、タマゴに魔力を注いでいく。

 五分経ち、魔力が5点タマゴに吸われる。

 すると、昨日の焼き直しのように部屋の扉が開き、メアエルが姿を現した。


「今度はなにを投げつける気だ?」

「なにもしないわよ! だいたいアレはあんたが私の裸を見たから──」

「はいはい、それで? 俺になにか用か? それともドランに? 生憎と今は忙しいんだ」

『申し訳ない姫様。我も今だけはここを離れるわけには……』


 一鷗に続いてドランが申し訳なさそうにいう。

 タマゴに魔力を注ぐ作業はドランが一鷗についていないと命の危険があるため、ここを離れられないのだ。


「別にいいわよ。私はただ今日の予定を聞きにきただけだから」

「予定って?」

「決まってるでしょ。ダンジョンよ。いつ行くの? 一時間後? それとも三十分後かしら?」

「ダンジョン攻略は午後からだ」

「なんでよ!」


 メアエルは余程早くダンジョンを攻略したいのか、いつもどこか急いでいる感じがする。

 故郷を早く救い出したいという気持ちは分からなくもないが、少しはこちらの事情も考慮してもらいたい」


「あのな、俺は学生なんだよ。午前は授業があるに決まってんだろ」

「授業と世界を救うことどっちが大事なのよ!」

「そりゃ授業だよ。俺が授業を休み続けたらいつか退学になるんだぞ。学校にダンジョンがある以上、それは絶対に避けなきゃならねえだろ。じゃないと今度こそ完璧に不法侵入だからな」

「うぐ……」


 そう言い返されると言葉がないのか、メアエルは呻き声を上げて黙った。

 不服そうな表情で一鷗を睨む。


「じゃあ、私はそれまでなにしてればいいのよ?」

「テレビでも見てろよ。好きだろ? テレビ」

「朝のテレビは面白くなかったわ。番組表とやらを見たけど、昼もつまらなそうだったわ」


 まあ、ゴールデンタイムと呼ばれるのは午後七時からだからな。

 それ以外の時間がつまらなくても仕方ない。


「そうだな……じゃあ、ゲームでもやってろよ」

「げーむ?」


 首を傾げるメアエル。

 一鷗はタマゴへの魔力供給を一時中断すると、リビングに置きっぱなしにしていたゲーム機を持ってきて、それをメアエルに渡した。

 ゲーム機の中にはソフトがいくつかあるが、親しみやすいようにロールプレイングゲームを遊ばせる。剣と魔法がある世界観だ。

 メアエルにゲームの説明をしながら、タマゴへの魔力供給を再開する。


「──つまり、魔物を倒してレベルを上げて物語を進めて行けばいいのね?」

「ああ。最後に魔王がいるからそいつを倒せばクリアだ。簡単だろ?」

「そうね。世界を救う冒険の予行演習みたいでワクワクするわ」


 ゲームの説明を聞いて、目をキラキラとさせるメアエル。

 これで暇つぶしは完璧だろう。

 一鷗がほくそ笑むと、丁度ステータスの魔力が0になった。


「それじゃあ俺は学校に行くけど、俺が帰って来るまで絶対に外に出るんじゃないぞ。分かったな?」

「分かったわよ。あんたこそ早く帰ってきなさいよね」


 会話だけ聞くと、夫婦の会話に聞こえなくもない。

 その場合一鷗は妻を監禁しているわけだが……考えるまい。

 そもそもメアエルと結婚する可能性は万にひとつもないのだ。

 一鷗は雨花に好意があるし、メアエルは悠誠に好意があるらしい言動をしている。

 とはいえ、雨花と悠誠が両思いなのは傍から見ても分かるわけで、そうなると、余り物のふたりがくっつく可能性はなきにしもあらずだ。


「いや、ないな」


 ゲームの中でスライムを倒して高笑いしているメアエルを見て、一鷗はかぶりを振った。

 デジタル時計に目をやると、すでにいい時間になっている。

 遅刻する! と慌てて家を飛び出した一鷗は急いで学校へ向かうのだった。



 午前の授業が終了する。

 一鷗は昼休み開始のチャイムで目を覚ました。

 大きなあくびを披露する。

 睡眠時間は申し分ないはずだが、それでも昨日の疲労が回復していないのだ。

 九時間死ぬかもしれないダンジョンを走り回ったあげく、寝たのは床の上。疲れが取れないのも当たり前だ。


「学校終わったあとにダンジョン行くのってやっぱり疲れるな……この生活がこれから続くのかと思うと絶望的だ」


 一鷗は中学一年までは運動部に所属していたが、同じ部活に入った悠誠との力量差に絶望して部活を辞めてからは大した運動をしてこなかった。

 故に体力があまりない。

 悠誠のような体力バカならこの生活も楽しめるのだろうが、体力のない一鷗にはいささか厳しいものがあった。


「まあ、明後日から夏休みだ。今日と明日を凌げば疲労で死ぬことはないだろう……」


 カレンダーを見た一鷗はほっと息を吐き出した。

 夏休みになれば学校が休みのため、時間に余裕が生まれるはずだ。

 メアエルがその分ダンジョンに潜ろうと言い出す可能性はあるが、それは一鷗の交渉次第でどうとでもなる。


 問題があるとすれば、夏休みまで一鷗の体力が持つのかどうか。

 まあ、こちらも学校や家で疲れを癒せば問題ないだろう。

 昨日は不慮の事故で床で寝ることになったが、これは一鷗が気をつければ防げる事故だ。

 最悪事故を防げなかったとしても学校がある。

 休息の邪魔をするものがいないという意味で、学校は今の一鷗にとって唯一の安全地帯なのである。


「さてと、放課後のために寝て体を休めよう」


 一鷗はそうごちると、ぐっと伸びをして、机に突っ伏そうとした。

 そのとき、不意に一鷗の机の前にひとりの少女が立ち止まった。

 黒い長髪に、黒い瞳をした長身の女子生徒だ。

 冷たい氷のような無感情の瞳が一鷗を見下ろす。


「おはよう、十川くん。授業中にあれだけ寝たのにまた寝るの?」

「お、おはよう、委員長。まあね、ちょっと疲れてるんだ」

「体調は平気?」

「ああ、全然平気だよ」

「そう、それは良かった」


 良かったといいつつ、表情に一切の変化が見られない委員長。

 そんな彼女と対峙して、一鷗は少し緊張していた。

 一鷗は委員長のことがあまり得意ではない。

 いつも無表情でなにを考えているのか分からないところが少し不気味に感じてしまうのだ。

 とはいえ、今は一鷗の心配をしてくれているようで、意外に優しいところがあるのかもしれない。


「ところで、十川くんは帰宅部だったよね?」

「そうだね」

「じゃあ、放課後は暇だよね」

「え? いや、放課後は──」

「お願いがあるの」

「……お願い?」


 こちらの話に聞く耳をもってくれない委員長はお願いがあると言って、一鷗に顔を近づけた。

 美人な顔が間近に迫りドキリとする。

 いや、これは感情のない顔が近づいてきたことに対する恐怖心だろうか。

 一鷗が苦笑いを浮かべてお願いとやらについて尋ねる。


「放課後に少しお手伝いをしてほしいの。教師に体育倉庫の整理を頼まれたのだけど、ひとりではとても終わりそうになくて……」

「体育倉庫の整理なら体育委員に頼めばよいのでは……?」

「今日は体育委員のふたりが休みなの。それで私に白羽の矢が立ったのよ。でもやっぱりひとりでは難しい仕事なの。十川くん、手伝ってくれる?」

「いや、でも……」


 委員長に迫られ、一鷗は言葉に詰まった。

 放課後はダンジョン攻略があるから委員長の手伝いをしている暇はない。

 だが、それをどうやって説明すればよいだろうか。

 ダンジョンに行くから無理ですなどとはとても言えるはずがない。言ったところで信じてもらえないだろうし、最悪中二病だと引かれる恐れがある。

 ならば、用事があると言って断るか。だが、なんの用事かと聞かれたらお終いだ。

 委員長に嘘を言うわけにもいかないし、そうなるとやはり用事の内容を言えずに詰む。

 ならばここはひとつ──。


「悪いけど、俺、今凄い疲れててさ。委員長の手伝いをする元気はないかな~……なんて」

「でも体調が悪いわけじゃないんでしょ? さっき全然平気だって言ったよね」

「そうだけど……疲れてる人を無理やり手伝わせるほど委員長は鬼畜じゃないだろ?」

「ええ、もちろん。ほんとうに疲れているのなら無理にとは言わないわ」

「だったら──」

「けれど、午前の授業すべてぐっすり寝ておいて、まだ疲れているなんて言わせないから」


 冷え切った鋭い眼光が一鷗をギンと睨みつける。

 蛇に睨まれた蛙のように一鷗は動けなくなってしまう。


「もう一度聞くわ。手伝ってくれるよね?」

「……分かったよ。手伝う。手伝うから、睨むのやめて」

「……睨んでなんかない」


 一鷗の言葉を聞いて、どこか不満そうな顔をした委員長はゆっくりと一鷗から顔を離した。

 初めて委員長の感情がある顔を見た一鷗はこの人機械じゃなかったのかと、失礼なことを思った。

 そして、やっぱり優しくないと前言を撤回する。


「それじゃあ、放課後よろしくね」


 委員長は最後にそういうと、踵を返して自分の席に戻っていく。

 その背中を見ながら、一鷗は帰ったらメアエルになんて言い訳しようかと考える。

 だが、疲れた頭では良い言い訳が思いつくわけもなく、一鷗はひとまず疲れを癒すために眠ることにした。

 メアエルへの言い訳と、委員長の手伝いのことは起きてから考えることとする。

 近い未来の自分にすべてを託した一鷗はほどなくして夢の世界へと旅立った。

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