第6話 大きなタマゴ


 学校を出ると、空はすっかり夜の色に染まっていた。

 午後九時だ。当たり前かもしれない。

 一鷗かもめの家は学校まで徒歩で通える距離にある。ゆっくり歩いて帰っても九時半までには帰宅できるだろう。


「ところで、お前はいつまでついてくる気だ?」


 一鷗が少し後ろをついて歩くメアエルに言う。

 一鷗が振り返ると、メアエルは小さく首を傾げた。


「いつまでとは?」

「そのままの意味だ。もう少しで俺の家につくわけだが、お前の家はどこにあるんだ?」

「異世界から来たのよ。家なんてあるわけないでしょ」

「じゃあ、ホテルだ。どこのホテルだ?」

「お金がないのよ。宿屋なんて使えるわけないでしょ」

「……じゃあ、お前は今日どこに泊まるつもりなんだ」


 一鷗が恐る恐る尋ねると、メアエルが不思議そうな目で一鷗を見つめ返す。


「これからずっとあんたの家に泊まるのよ」

「はあ……」


 予想される答えの中で最悪を引いた一鷗が大きくため息をつく。

 禍福は糾える縄の如しとはよく言ったもので、運が良いほうに傾いた次は悪いほうに傾くのだ。


「却下だ。第一どうして俺がお前を泊めてやらなきゃならんのだ」

「却下を却下するわ。どことも知れない街で私がひとりで生きていけると思っているの? 断言するわ。無理よ! 一週間で野垂れ死ぬと思う!」

「威張って言うな!」

「それに万が一私が死ねばあんたは異世界に行けなくなるのよ。ユウセイ様やウカを救えなくてもいいの?」

「うっ……」


 幼馴染ふたりを人質にとるとは卑怯な奴め。

 だが、もしほんとうに異世界に行けなくなっては困る。


「……分かった。お前を泊めてやる」

「最初からそういえばいいのよ」

「……」


 どこか上から目線なお姫様に少し、いや大いに怒りを覚えた一鷗であるが大きく息を吸い込むとともに黒い感情を吞み下す。

 息を吐き、心を平常にすると、家へ向けて歩き出す。

 学校を出てから三十分ほどで家についた。

 玄関を開けて、メアエルを中へ入れる。


「それで? 私の部屋はどこかしら? さっさと案内して」

「一応両親が不在で空いてる部屋がいくつかある。どれでもいいから適当に使え。あ、俺の部屋は二階の一番奥だからそこ以外な」

「それじゃあ一番手前の部屋にするわ。今からそこは私の部屋だから、なにがあっても入ってこないでね」

「分かってるよ」


 早速部屋を決めたメアエルが荷物を持って二階へ上がる。

 それを見送った一鷗はもう一度ため息を吐くと、メアエルの居候を素直に認め、晩飯の準備を始めた。

 今日から食事は毎回ふたり分用意すると考えると、食費がかさむ。いや、ドランを含めたら三人分か?


「なあ、お前はご飯食べるのか?」

『我はエネルギーがなければ動けぬ。故に食事は必要だ。だが、人間の食べ物ではなく、魔石で行う』

「へえ、お前って魔石のエネルギーで動いてるのか」


 魔石のエネルギーがどんなものか興味があったが、今は食事の準備が先だ。腹が減った。

 ドランの食事が魔石で済むというのなら用意するのはふたり分。

 一鷗は適当にハンバーグをメインに、その他付け合せを二品ほど作った。


「おい、居候! 晩飯が出来たぞ! 下りてこい!」


 テーブルに料理を並べてメアエルを呼び出す。

 彼女の部屋からどたばたと大きな音が聞こえてきた。荷物が崩れる音だろうか。

 家に来て初日で部屋をとっちらかすとはさすがの才能だ。

 部屋から出てきたメアエルが食卓に着く。


「いただきます」

「い、いただきます」


 異世界の料理に緊張しているのか、あるいは一鷗の料理だから警戒しているのか、メアエルは手を合わせたまま動かない。

 一鷗が食べ始めると、ようやく安心したような顔で料理に手をつけた。どうやら後者のほうだったようだ。

 料理を一口食べて、メアエルの目の色が変わる。

 彼女はぱくぱくとあっという間に完食してしまう。


「凄く美味しいわね。さすがは料理スキル持ち」

「どういたしまして」


 居候のくせにやはりどこか上から目線なメアエルの誉め言葉に一鷗はぶっきらぼうに言葉を返した。

 だが、その顔はどこかにやけているように見えた。

 その後はふたりして黙々とご飯を食べ進める。


 ご飯を食べ終えると、メアエルはテレビに興味を示した。

 芸人が司会を務めるバラエティ番組だ。面白がるというより、興味深そうに眺めている。

 メアエルがテレビに夢中になっている間に食器を洗い、風呂にお湯を張り始める。


 時刻は十時半。

 ようやくほっと一息ついた一鷗はメアエルと一緒になってテレビを眺めた。

 浴槽にお湯が溜まった合図が給湯器から流れる。

 その音にメアエルがびくっと反応した。


「な、なんの音?」

「風呂が沸いた合図だよ。先に入るか?」

「後で良いわ。今この『てれび』とやらがいいところだから」


 メアエルはそういうと再びテレビに夢中になる。

 一鷗は彼女をほっといて風呂に入ることにした。


「っああ~! 生き返る~……!」


 湯船に浸かると、ついおっさんのような声が出てしまう。

 だが、仕方のないことだ。

 今日一日で色々なことがあった。

 学校から帰ってきた途端、異世界からお姫様が尋ねてきて、いきなり異世界を救ってくれと頼まれた。

 その後はダンジョンに合計九時間潜りっぱなし。

 モンスターと戦い続けて、ようやく外に出たと思えば今度はお姫様のためにご飯を作らされる始末。

 一日で溜まった疲れが湯に溶けるように消えていく。

 これが気持ちよくないはずがない。

 あまりに気持ち良すぎてうっかりそのまま眠ってしまいそうになるほどだ。

 すんでのところで持ちこたえた一鷗は名残惜しくも湯船を後にし、風呂から上がる。


 風呂を出ると、バラエティ番組が終わったのか、メアエルが退屈そうにニュースを見ていた。

 一鷗が風呂から上がったのを見ると、嬉しそうに脱衣所へ入っていく。


「シャワーの使い方とか、シャンプーとかの意味は分かるか?」

「見くびらないで。それくらい、むこうでユウセイ様たちに教わったわよ」

「そうか。まあ、分からないことがあれば言ってくれ。俺は自分の部屋にいるから」

「あんたに聞くくらいならドランさまに聞くわよ」

「さいですか」


 なにがあって一鷗には頼らないというメアエルの意志を尊重して、一鷗は颯爽とその場を立ち去った。

 そういえば、晩飯のあとからドランの姿を見ていないような気がするが、メアエルの部屋にでもいるのだろうか。

 まあ、入るなと言われているから確認のしようはないが。

 一鷗はタオルで髪を拭きながら、自分の部屋に入って行った。


「ん? なんだあれ……?」


 私室に入った一鷗が首を傾げる。

 彼の机の上に奇妙なものが載っているのだ。

 タマゴ……だろうか。バスケットボールほどの大きさのピンク色のタマゴである。

 タマゴの下には鳥の巣のようなクッションが置いてあり、どこか物々しい。


「これ、異世界のタマゴじゃないだろうな……」

『──触るな!』


 一鷗がピンク色のタマゴに触れようとすると、背後から大きな声で怒鳴られた。

 慌てて手を引っこめて振り返ると、そこにはドランが浮いていた。

 ドランがタマゴの近くに移動し、割れていないか確認する。

 タマゴの無事が確認されると、ドランはほっと息を吐いた。

 それから一鷗に謝罪する。


『いきなり大声を上げて申し訳ない』

「いや、構わないよ。そのタマゴは……ドランの子供か?」

『我が産んだものではない。だが、我が主様より授かった大事なタマゴだ』

「我が主……って悠誠ゆうせいのことか。あいつがわざわざこの世界に送ってきたタマゴ。気になるな」


 メアエルに一鷗を紹介し、彼女の旅にドランを預け、そのドランにこのタマゴを持たせたのはすべて悠誠の仕業である。

 そのすべての行動になんらかの意図があるように思う。

 例えば、メアエルは今日の様子を見るにひとりでダンジョンに潜らせたら危ないことをしそうな気配があった。そのお目付け役として一鷗は最適かもしれない。

 ドランは一鷗のステータスを表示する機能を持ち、便利な荷物持ちとしてダンジョン攻略に必須だ。

 そうなると、このタマゴにもなにかしらの意図が隠されていても不思議ではない。


「ドランはこれがなんのタマゴか知っているのか?」

『我はなにも知らぬ。ただ、このタマゴを護りぬき、無事に孵すのが我の役目だ』

「お前の役目は姫様の護衛兼サポートだろ?」

『ふたつの役目を持つのだ。姫様の護衛兼サポートと、このタマゴの守護』


 ドランはそういうと、どこか困った様子で尻尾を下げる。


『だが、我ひとりではタマゴを孵すことは出来ぬのだ』

「なんでだ?」

『タマゴを孵すには魔力が必要だ。しかし、我には魔力はない。故にタマゴを孵せない』

「魔石を取り込んでいるのに魔力はないのか」

『正確にはある。だが、魔石から得た魔力を体外へ放出することは不可能。故にタマゴに魔力を与えることが出来ないのだ』


 それは確かに問題だ。

 魔力がないとタマゴが孵せないのなら、ドランは悠誠の命令に背くことになる。人口生命体としてそれは許容しかねる案件だろう。

 だが、そんなドランにわざわざタマゴを託した悠誠が守護だけならまだしも孵化まで命令するだろうか。

 もし本当にドランが悠誠からその命令を受け取っているのだとすれば、悠誠の狙いは──。


「分かった。俺の魔力でよければ貸してやるよ」

『良いのか?』

「どうせ悠誠もそれが狙いだろうからな。それに俺は魔力使うスキル持ってないから、タマゴに全部喰わせても戦闘に支障は出ないしな。まあ、総量が少ないって問題はあるけど」

『構わない。塵も積もれば山となると主様も言っていた。カモメ殿、是非頼む』


 ドランが恭しく頭を下げる。

 人の恩を恩とも思わないメアエルと比べると、ドランはずいぶん礼儀正しい。

 一鷗としてはメアエルより断然ドランのほうが好きだった。

 だからこそ、困っている姿を見ると手を貸したくなるのだろう。


「おう、んじゃ早速魔力をやってみるわ。どうすればいいんだ?」

『タマゴに手を触れるだけでよい。触れている限り魔力を吸われる。我でステータスを確認しながらやるとよい』

「吸われなくなったらやめればいいだけでは?」

『人間もまた我と同じように生きるために魔力を使っている。それはステータスには表示されない魔力だ。吸われ過ぎれば命が危ない。故にステータスを確認し、魔力が0になったところで手を放せ』

「りょ、了解した」


 鬼気迫る口調で言われた一鷗はついドランの口調を真似してしまう。

 こほんと咳ばらいをして気を整えると、ドランにステータスを表示してもらいながらタマゴに手を触れた。

 手の平からなにかが吸い出されるような感覚がある。


「お、やっと1減った」


 一分が経ったところでようやく一鷗の魔力に変化がみられる。

 一鷗の魔力総量はレベル5になったことで8まで上がっている。このままのペースで行けばあと七分で魔力が0になる計算だ。


「おっと、ここで0っと」


 八分経ち、ステータスの魔力が0になったのを確認して、タマゴから手を放す。

 すると、一鷗は大きく息を吐いた。


「タマゴに魔力をやっただけなのにすげー疲れた。こりゃ確かに生きるのに魔力を使ってると言われても納得だ。これ以上吸われたら命が危ない」

『うむ。故に我のいないところでは絶対にタマゴに触れてはならぬ』

「ああ、肝に銘じておくよ」


 死因がタマゴの触りすぎというのは不格好だ。

 そんなことで異世界の住人たちから恨まれるのはごめんだ。


「そういえば、どうして俺の部屋にタマゴがあったんだ?」

『ああ、それは──』


 と、ドランがなにかを言おうとしたそのとき、部屋のドアが勢いよく開いた。


「ドランさま、ここにいるのー?」

「んなっ!?」

『はあ……』


 扉を開けて姿を現したのはメアエルだった。

 どうやらドランを探しに来たようだが、その姿がまずかった。

 風呂から上がってそのままであろう濡れた髪に、タオルを一枚巻いただけの濡れた肌。

 あまりに無防備な姿に一鷗が顔を赤くさせ、ドランがため息をついた。

 そこでようやくメアエルが一鷗に気が付く。


「な、なんであんたがここにいるのよ!」

「ここは俺の部屋だからだ!」

「言い訳なんていらないわ! この変態!!」

「──ぶへッ!?」


 一鷗の言葉には一切聞く耳を持たないメアエルは、一方的に一鷗を罵ると、手近にあったデジタル時計を手に取り、一鷗目掛けて全力投球。

 凄い速度で飛来した時計は一鷗の顔面に直撃し、彼を倒した。

 ふんと鼻を鳴らしたメアエルが扉を閉めてどこかへ行く。

 鼻血を垂らした一鷗の頭上にドランが浮かび上がった。


『見ての通り、姫様はそそっかしくて危なっかしい。姫様の部屋にタマゴを置けば一日と経たずに割れてしまうことだろう』

「……んなことより……ぽー、しょ…………」


 ドランがさきほど一鷗がした質問に対する答えを述べる。

 だが、今更そんなことはどうでもよくなっていた。

 一鷗はポーションを求めてドランに手を伸ばしたが、あと少しのところで意識を刈り取られて気絶した。

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