第1話 異世界からの訪ね人
C組消失事件があったときはさすがに我が子が心配になったのか旅行を中断し、家に帰ってきた。
しかし、一鷗が平気に振舞ったのもあって、一鷗が二年に進級すると再び飛行機に乗ってどこぞの国へと行ってしまった。
故に、帰宅したところで「おかえり」の声は聞こえない。
だが、一鷗はそれを悲しいとは思わない。むしろ広い家をひとりで使えることを喜んでいるくらいだ。
自室で制服から部屋着に着替えた一鷗はゲーム機を持ち出してリビングでプレイする。
「くそっ、早く消えてくれよ……」
アクションゲームで『game over』の文字を画面に映した一鷗はゲーム機を放り投げて天井を見上げた。
例の事件を思い出すことは日常茶飯事であるが、今日みたいに最初から最後まで思い出すのは稀だった。
こういうときは大抵ゲームで気を紛らわすのだが、どうやら今日の衝動はよっぽど頑固なようだ。
中々頭から消えない赤と黄色と黒の色彩にうんざりしながら、一鷗が唸る。
そのとき、『ピンポン』とチャイムが鳴る。
滅多に鳴らないチャイムにびっくりして、一鷗が起き上がる。
一鷗の家のチャイムは今にしては珍しくカメラが付いていないタイプだ。だから、玄関を開けるまでは来客の姿は確認できない。
とはいえこの時間帯に訪ねてくる輩は限られる。
だいたいテレビ局か新聞局の集金に違いない。
一鷗は気怠げに立ち上がると、リビングを出ていく。
「集金ならお断りですよ」
玄関の扉を開くなり、開口一番そう告げる。
すると、来訪者はポカンとした顔をした。
その顔を見て、一鷗もポカンとする。
「えっと……どちら様?」
来訪者はいかにも日本人離れした顔立ちの少女だった。
同い年くらいだろうか。
亜麻色の髪に、桃色の瞳と明らかに日本人ではない。
整った目鼻立ちをしており、その堂々たる表情からはどこか高貴な印象を受ける。
その印象は服装からも読み取れる。
時代を間違えたどこかの国のお姫様のようなドレスを身に纏った彼女は不思議と堂に入っている。
本物のお姫様のような見事なコスプレだ。
あるいは本物のお姫様なのかもしれない。──が、それは一鷗には関係ないことだ。
彼女がプロのコスプレイヤーだろうが、本物のお姫様だろうが、それらは一切問題にはならない。
問題なのはどうして彼女が一鷗の家を訪ねてきたか。それだけだ。
「あ、アーユー、オーケー……?」
「──こんにちは。あなたはカモメ・トガワさまで間違いないですか?」
少女が日本語を知らない可能性を考慮して英語で尋ねると、滑らかな日本語で返される。
日本語喋れるのかと安堵するのと同時に、彼女の来訪が人間違いではないことに驚く。
「確かに俺は十川一鷗だけど、キミは誰? どこかであったことあるっけ?」
「質問は後にしましょう。ひとまず、お家に上げていただけますか?」
「あ、うん。どうぞ……」
「お邪魔します」
有無を言わせぬ彼女の言葉に押し切られ、一鷗は見ず知らずの少女を家に上げてしまった。
お姫様風の少女をリビングに案内すると、テーブルから椅子を引いて、そこに座るように言う。
少女は素直に従うと、手に持っていた大きめのバッグをその椅子に載せ、自分は隣の椅子に腰かけた。
一鷗が客向けのお菓子と飲み物を持って少女の対面の席に座る。飲み物は一鷗が紅茶や珈琲を飲まない質なので冷蔵庫に入っていたメロンソーダである。
少女は初めメロンソーダを警戒している様子だったが、一鷗が一口飲んで見せると安心した様子で一口飲む。
すると、よほど美味しかったようで一気にコップを空にした。
メロンソーダのない国から来た設定か。キャラ付けがしっかりしているな。などと考えながら空のコップにおかわりを注ぐ。
「えっと……それで? キミはどうしてウチに来たんだ? そもそもキミは何者? 親父か母さんの知り合いか?」
「失礼しました。私はメアエル・アルメリア。アルメリア皇国の第二皇女でございます」
そう言って少女──メアエルは恭しく頭を下げた。
その所作は確かに皇女と言われても納得出来るものである。
だが、如何せんアルメリア皇国という国名は聞いたことがない。やはりコスプレイヤーかヤバい人か。
あまりよくない人を家に上げてしまったな、などと考えながら一鷗はメアエルに先を促す。
「私はあなたのご両親と面識はありません。当然、あなたと会うのも今日が初めてです。ですが、あなたのことはある方々からよく聞いて知っています。そして、今日ここへ来た目的は──あなたに私たちの世界を救ってほしいからです」
「……はい?」
世界を救ってほしい? はて、いきなり訪ねてきてこのコスプレイヤーはなにを言っているのだろう。
もちろんなんらかの設定に基づいた妄言なのだろうが、それにしては顔が真剣過ぎる。宝石のように綺麗な桃色の瞳にも演技をしていたり、嘘を言っている感じはない。
ならば本気で世界を救ってほしいと思っているのか。いや、それこそないだろう。
「世界ってのは、この地球のこと? 地球を救ってほしいと?」
「いえ、助けを求めているのは私たちの世界です。この世界から見ると『異世界』ということになります」
「へえ、異世界。そりゃ凄い。それで俺はどうすればいいんだ? 異世界へ行ってちょちょいと魔王様を倒せばいいのか?」
異世界へ行った勇者がやることと言えば魔王討伐くらいなものだ。
一鷗が鼻で笑いながらそういうと、馬鹿にされていると感じたのかメアエルがムッとした顔で一鷗を睨む。
「あの、もしかして信じていないのですか?」
「そりゃそうだろ。いきなりやってきた異世界のお姫様に世界を救ってほしいと頼まれるだ? どんな夢だよ。馬鹿馬鹿しい」
「なっ! 馬鹿馬鹿しいとはなによ!」
「言葉通りの意味だよ。誰に俺のことを聞いたか知らないけどさ、茶化しにきたなら帰ってくれる?」
少し冷たく当たり過ぎな気もするが、今日は気分が優れないのだ。そんなときに知らない女に弄ばれて上機嫌になるほど一鷗はチョロい人間ではない。
一鷗が雑にあしらうように言うと、メアエルはわなわなと肩を震わせる。
「なによ。ユウセイ様が言ってたのとまるで違うじゃない」
メアエルが小さな声でそう吐き捨てた。
消え入るような小さな囁き声だった。当人としては心で愚痴った言葉がつい口をついてしまったくらいのものだろう。
だが、それを聞いた一鷗は思わず席を立ちあがった。
「なあ、お前。今なんて言った? ユウセイって言ったのか? そいつはもしかして
「ええ、そうよ。私はユウセイ様とウカにあなたのことを聞いてここにきたのよ」
ウカというのは間違いなく
そして、彼女と一緒に出たユウセイという男。こいつは恐らく樋山悠誠だ。一鷗のもうひとりの幼馴染にして、C組消失事件に巻き込まれた生徒のうちのひとり。
まさか──
「まさか、雨花と悠誠は異世界にいるのか……?」
「ええ、そう。今から五年前。こっちの世界では半年前にユウセイ様たちは召喚術によって私たちの世界にやってきたわ」
「召喚術だって? てことはあんたたち異世界人がふたりを攫ったってことか?」
「確かに結果だけ見ればそうかもしれないわ。でも仕方なかったのよ! 異世界から力ある勇者様を召喚しないと魔神を止めることは出来なかったの!」
「仕方なかっただ? ふざけんな。お前らが勝手なことをしたせいで雨花や悠誠の家族がどれだけ悲しい思いをしたと思ってやがる!!」
幼馴染であるせいで一鷗はふたりの家族と深い面識がある。
事件当時の彼らの様子は見てられなくなるほど悲惨なものだった。
いきなり家族が姿を消し、その行方は知れず。警察は早々に捜査を打ち切った。
幼馴染の一鷗でさえ一週間は塞ぎ込んだ。それが家族となれば喪失感は計り知れないだろう。
雨花や悠誠の家族にそんな思いをさせた犯人のひとりが目の前にいる。それでどうして平静を保っていられようか。
一鷗が声を荒げると、メアエルはそれを真っ向から受け止め、真っ直ぐな眼差しで一鷗を見つめる。
「私たちが召喚者の皆さまのご家族にしたことは本当に申し訳ないと思っているわ。いつかその償いをしたいとも思っている。でも、今のままではそれは絶対に出来ない」
「被害者の家族に頭ひとつ下げられないってのか?」
「私ひとりの頭でいいならいくらでも下げてあげるわよ! でもそれじゃあ納得はしてくれないでしょ。少なくとも召喚者さまたちを家族の元に帰してあげないと……」
「待てよ。待ってくれ……まさか、雨花たちになにかあったのか?」
深刻な表情で俯くメアエルを見て、ようやく一鷗はそこに思い至るまでに冷静になった。
冷静になった傍から不安と焦燥がこみ上げてくる。
メアエルが言い難そうな表情をして顔を上げる。
「ユウセイ様たちは魔神討伐を目前に、お仲間に裏切られてしまったのよ。それで、魔神と戦う力をほとんど失ってしまった。このままだと異世界は魔神の手によって滅ぼされ、同時に召喚者さまたちも殺されてしまうわ」
「なんだよそれ……。どうにかする方法はないのかよ!」
「ひとつだけ。方法があるわ」
「あるのか!?」
メアエルの言葉に一鷗が喰いつく。
メアエルの期待の眼差しが一鷗に向き、そこで一鷗もその方法に気が付いた。
「──あなたが異世界に行って、魔神を倒すのよ」
「あ……な……ど、どうして……? どうして俺なんだ? この世界に俺より強い奴なんてごまんといるのに……どうして……?」
「ユウセイ様とウカがいつも言っていたわ。カモメならこんなときこうするとか。カモメならここで諦めたりしないとか。──もし、魔神を倒せる人間がほかにいるとしたらそれはカモメしかいないって。だから私はふたりの期待を信じてここまでやってきのよ。あなたが私たちの最後の希望なんだから!」
「期待と希望……」
小中高と、一鷗はふたりの幼馴染と同じ学校に通っていたが同じ舞台に立っていると思ったことは一度もなかった。
雨花は学年中の男子が惚れるほどかわいい子だったし、悠誠はなにをやらせても一鷗より上を行く天才だった。
小学校まではそんなことを気にしていなかったけれど、中学に上がって一鷗はふたりとの身分の差に愕然とした。
気が付いてからは勝手に少しずつ遠ざかって行って、高校に入るころには完全に疎遠になっていた。
ふたりとももう一鷗のことは覚えていないと思っていた。
だというのにふたりは一鷗に強い期待を抱いてくれていた。敵わないと思っていた人たちが知らないところで自分を頼りにしてくれていた。
それがどれだけ嬉しいことか。
「っ────」
気が付けば一鷗は涙を流していた。
後ろめたさや、己を卑下する感情が涙とともに流れ落ちる。
それらが抜け落ちた心の隙間に今度は大きな期待が詰め込まれる。
「ああ、分かった。やるよ。異世界の救世主。俺がふたりを異世界ごと救ってみせるよ!」
「ありがとう!」
一鷗がメアエルの頼みを引き受けると、彼女は満面の笑みで頭を下げた。
机の下でガッツポーズをしているのが丸見えだ。
とはいえ、浮かれてばかりもいられない。
悠誠でも敵わない相手に一鷗が勝たなければならないのだ。
その道のりは果てしなく、艱難辛苦にまみれているのだろう。
だが、どうしてだろう。怖くない。
きっと大きな期待を背負っているからだ。
この世で最も大切なふたりの友の期待があれば、どんな困難も打ち破れる。
そんな根拠のない自身がこのときの一鷗にはあったのである。
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