第7話 道に迷うと精霊が現れる



 アルノルという男と初めて出会ったのは、まだ成人する前の在学時代のことだった。


 王侯貴族が多く在籍する学園の中では、「学業の前では皆平等」という精神の元、身分の開示や姓を名乗ることが禁止されていたこともあり、生徒たちは社交界に出てからの軋轢を避けるため、相手関係無く礼儀を大切にするという伝統が生まれてからは、雰囲気が良好だというのが学園の特徴だった。

 ライナス自身、自らを皇族であると明かさない付き合いというものに憧れがあったため、気軽な生活というものを楽しむ事ができる貴重な時間だったと感謝している。


 しかし、まあ貴族の付き合いとは幼少の頃から築くもの。校則によってあからさまな態度は無くとも、殆どの生徒が上級以上の貴族であるため、皇族の顔くらいは把握されているのだ。

 空気感は良くとも一息つくための静かな空間は少ない。ライナスは暫くご無沙汰だった楽な空間を求めて学内の図書館へと向かった。


 図書館には、所謂「読書スペース」、「勉強スペース」というものがある。完全な個室とまではいかないが、私語は厳禁であることに加え、勉強のためにとそれなりに広いスペースに机やソファーがあり、間にはしっかりとした作りのパーテーションが備え付けられていた。

 休憩時間や昼食に当てられている時間が多いこの学園では、ライナスにとって密かな安息の地だった。


 しかしその日はどうにも混雑していたようで、スペースに空きがないと司書に告げられたライナスは、まあそういう日もあるか、と諦めて立ち読みでもしようかと背の高い本棚に囲まれた空間に足を進めた。


 何となしに分類が書かれた古い張り紙を目で追いながら歩いていると、まだ一度も来たことがない奥まったエリアに立っていた。周りを見ればいつの間にか人の気配も無くなっていたようだ。

 迷路のような構造の館内では奥に入れば入るほど道も複雑になっていく。


(参ったな…)


 生徒たちはそれ故に迷うことを懸念して奥までは入っていかない。

 そしてただ何も考えずに足を進めてきたライナスもまた帰り道の通路の把握など考えていなかった。


 結論を言うと迷った。


(迂闊だったな…人を探すか、壁伝いに歩いて回るか)


 対処法を考えるも、前者の方は人の少ないこのエリアでは現実的ではないと思ったので、すぐに壁を探すため勘を頼りに歩き出す。


 それから数分間歩いていると、陽の光が入ってきているのか、全体的に明るくなっている場所を見つけた。


(窓か?)


 図書室内は基本的に直射日光を避けるために窓は少ない造りになっている筈だ。ならば出口も近いのかもしれないと考える。

 そして考察通り、そちらに近づくにつれて本棚の数も減っていき、段々と視界も晴れてきた。


 よく見ると、光が差し込む大きなガラスの窓の下には、一人掛け用のソファーと、人1人が横たわるにも十分な広さのソファー、小さな丸テーブルが置かれていた。


(こんな場所があったのか…)


 静かで、柔らかく、温かい空間。どこもかしこも人で溢れかえっているこの学園では珍しい光景で、思わず吸い込まれるように近づいていくと、大きな方のソファーの上で横になっている人影が目に飛び込んだ。


 思いがけず ”人と壁を探す” という当初の目標を同時に達成したライナスは、しかし今の時間を懐に仕舞っていた時計を出して確認し、黙考する。


 次の授業が始まるまであと15分と少し。先程まで歩いてきた道を思えば、そろそろこの場所を出なければ次の授業に間に合わないだろう。


 要らぬお節介である可能性も承知の上で、一応は声をかけておいた方がいいだろうと判断し、近寄ってその人物の様子を覗き込む。


 まず目に入ってきたのは制服。一先ず学園の生徒であることが判明し、次いで胸元のバッジに目をすべらせる。

 色は緑。


(先輩だな…)


 どうやら一つ上の学年の生徒であるらしい。そこまで確認した後、ライナスは初めてその人物の容姿に目を向けた。


 きめ細やかなシルクの如き白い肌、日の光に照らされて金色に光るクセのない亜麻色の髪、ゆるく閉じられた瞼からは長い睫毛が影を落とし、小さく上下する細っそりとした体が官能的な欲望を刺激する。


 ーーーー精霊か…?


 思わずそんな思考が浮かぶほどに、目の前の少年は美しかった。


 少年。そう少年だ。一目で男性だとわかるほどに骨格もしっかりとしていて、決して女性のようだとか、中性的な印象は受けない容姿。

 ライナスは、王族としてそれなりに見目の整った人間を見慣れてきたつもりだ。噂の舞姫から隣国で有名な傾国の美女まで多数の美人と顔を合わせた経験がある。


 しかし、今ばかりはこの存在以外が頭から抜け落ちるようにただただ視線を奪われ、閉じ込めてこの者を抱きすくめないといけないような妙な焦燥にかられた。


 初めて抱いた印象は「精霊」、人間には見えなかったのだ。もちろん頭では理解している。目、鼻、口と揃っており、胴体に四肢もしっかりとくっついている。蝶のような羽もついていなければ、角や尻尾だって存在しない。目の前にいるのは正真正銘の人間だ。


 だが何故こうも蜃気楼のように目の前の存在が儚いもののように映るのだろうか。消えないでほしい。行かないでほしい。意味のわからない思考だけが脳内を埋め尽くす。


 …そこまで考えて、はたと我に返った。


 この人を起こすという当初の目的を思い出す。幸い、この空間の奥には外へと繋がりそうな扉を見つけた。


 1つ息を吸って、深く吐き出す。


 今度はちゃんと人間の先輩に見えている。


 後から思えば、この時が自分の初恋ってやつだったのだと思う。

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