第6話 愛してるゲームと好物 ②
「じゃ、手、握っていい?」
「はいっ!……はいっ!?…わ、え………わ!?」
アルノルの確認に、勢いよく返事をしてから、質問の内容に理解が追いついたハンナは、驚きつつも咄嗟に手をスカートで拭おうとするが、手を引っ込めるより前に、アルノルの靭やかな手がハンナの手を優しく掴んだ。
「…ハンナ」
ラルフの時と同様、アルノルがハンナの名を呼ぶ。
しかし先ほどとは打って変わって、色気や美しさというよりも、切実で必死な雰囲気を演出する。
握った手を、親指だけ動かして、骨筋をなぞるように優しく触れると、ハンナは声にならない声を発した。
「…………ッ、…~~~~っ」
アルノルの長い睫毛が潤んだ瞳に影を落とし、疲れで荒れているはずの肌が、いかにも捨てられた子犬のような気配を作らせる。
愛を伝え慣れた魔性の男というよりは、まるで1人の惚れた女を必死に引き止める少年のように。
透明な瞳が目の前の少女を真っ直ぐ見つめて。
「…愛してる」
瞬間、またもやハンナが後ろに仰け反った。
しかし今度は、彼女に筋肉も体幹もないので、そのまま芝生に倒れていく。
「…あ?…え、おい?」
アルノルは、大げさすぎるだろうと疑問に首を傾げながらハンナを助けようと立ち上がるが、それよりも前に、予想していたかのようにベンチの後ろに移動していたラルフによって、さもありなん、と助け起こされていた。
「…今触るのは勘弁してやってくれ」
「その言い草は非道くないか?」
「…………らるふさ…ん、…ありがとうございます…」
アルノルとしては釈然としないが、ハンナも礼を言っているのでこれ以上は言えないし、この様子だとサンドウィッチはアルノルの物だと思っても良さそうなので、もう何でも良かった。
「大丈夫か」
「…はい、とーぶんはこの夢を見そうですねぇ…」
「……………そうか」
一応体調や怪我等を尋ねるが、何とも幸せそうな、悟ったような顔をしているので、大丈夫なのだろうと頷いた。
「じゃあラルフ、望み通りにしてやっただろう。さっさと差し出せ」
「…あいあい」
未だ半分放心状態のハンナをベンチに座り直させ、ラルフが目的は達した、という顔で自身の分のサンドウィッチを取りに立ち上がる。
「……あ、…ラルフさん…待ってください」
そんなラルフを、座って少々落ち着いたハンナが引き止めた。
「ん?」
ラルフが疑問の声を挙げ、アルノルもサンドウィッチの危機か、と怪訝な表情を向ける。
「ラルフさんは騎士ですし、午後も身体を動かすでしょう?お腹が空いていては力も発揮できないので、私の分をアルノルさんに差し上げますよ」
それを聞いて、ラルフはなんて良い子なんだ、と感動したような涙ぐむ反応をし、アルノルは元の冷たいままの表情でラルフの背中をバンバンと叩いた。
「…気にするな、騎士団本部の方にはここよりも大量に食事が用意されている。そもそもコイツが言い出したことだしな、騎士に二言はないんだろう?…ハンナはそのまま食べると良い」
「…そうですか?」
「そうだぜハンナちゃん、遠慮せず食べな」
「…じゃあ、分かりました。…いただきますね」
遠慮がちに微笑んだハンナが、サンドウィッチの包みを広げて小さい口で頬張る。
「ぁ…、おいしぃ」
先程までの決壊しきった表情とは打って変わって、片手で口元を隠しながら、優しげに口元を綻ばせるハンナは、こうして見れば、アルノルの親戚の贔屓目を抜きにしても、結構可愛い範囲に入ると思う。実際、学生時代から何かと話題に上り易いハンナは、遠くから慕われることはもちろん、直接求婚を受けている場面も何度か見てきた。
態度も悪く、アピールも響かないアルノルに長い間思いを寄せるより、婚期を逃す前に、早く条件の良い男を見つけてしまえば幸せになれるだろうに、と顔を見合わせるたびに心配していた。
そんなことを考えながらアルノルがハンナの顔を見つめていると、ハンナも視線に気づき、先程のこともあってか、気まずそうに少しばかり頬を赤らめた。
「…な、何かついてますか?」
「…………いや」
アルノルがぼうっと考え事をしながら否定を返すと、アルノルの視線の先、ハンナとラルフが座っている更に奥から、こちらへと歩いて来る人影が見えた。
書類の処理で疲れた目を凝らして、その人物の正体を特定しようと見る。アルノル、ラルフ、ハンナと、身分の高い異質な組み合わせが集っていると、大抵の者は近づき難いと感じるらしいのだが、その人物は迷いのない足取りでこちらに向かってきていた。
「………殿下?」
皇族がこのような所に来るだろうか、と内心首を傾げつつ、木々の影で暗くなって見えなかった人影が、光が当たると共に、深い青の髪と、麗しい美貌を形どった。
アルノルの口から溢れた”殿下”というワードに、ラルフとハンナが首が折れそうな勢いで振り向き、急いで立ち上がって皇族に対する礼をする。
「「帝国の小さき太陽、ライナス第3皇子殿下にお目にかかります」」
アルノルも次いで立ち上がり、軽く礼をする。
「…ああ、いい。楽にしてくれ。休憩中にすまないな」
「「いえ、とんでもございません」」
手を上げて、頭を上げるように合図したライナスの視線が、真っ直ぐアルノルに向く。休憩時間はまだ残っているはずだが、とアルノルが訝りながらライナスに尋ねた。
「何か御用でしょうか?」
ライナスの目的がアルノルにあると判断したラルフとハンナは、立ったまま数歩下がり、その場で気配を消すように控えた。
「随分と楽しそうな様子が見えたものでな。…何をしていたのかと聞きに来た」
ライナスはそう言って、ベンチ横の建物の、2階のバルコニーを指さした。
どうやら先程までのゲームが見られていたらしい。この距離だと十分に会話内容も聞こえていたであろうし、羞恥やら後悔やらが込み上げてきて、アルノルは苦虫を噛み潰したような表情になった。
「…王都で流行しているゲームだそうです。詳しいルールなどはそこのラルフ副隊長にお聞きになられると良いかと」
「ふむ?」
急に話を振られたラルフは、内心慌てつつも説明する。
「”愛してるゲーム”という呼称の遊びで、数人でお互いに”愛してる”と言い合い、表情を崩したり、心を乱されたりした者が負けとなる、忍耐力や演技力が試される遊びでございます」
しかし、皇族に説明するような内容の物でもないので、内心ラルフとハンナは冷や汗がすごい。
「なるほど、面白そうだな。…アルノル、俺にもやってみてくれ」
「……御冗談を」
ライナスが興味を惹かれたように目を輝かせるが、アルノルは絶対にやるものか、と鼻で笑って一蹴した。そんな無礼な態度に、横で見ているラルフとハンナは更に冷や汗が止まらなくなるが、ライナスに怒っている様子は全く見られないので、これがいつものことなのだろうかと考える。
「やはり、お前はそう言うと思った。…でも、先程までは特に嫌がるでもなくやっていたよな?…珍しいこともあるんだな」
アルノルにとって、それほどこの2人が近しい存在なのか、とライナスがハンナたちに視線を向けると、ラルフが、愛してるゲームの説明の意趣返しか、サンドイッチの件を説明する。
「…アルノル殿の好物を賞品にしていましたので」
「む?…この男に好物などあるのか?」
その言い草は酷すぎやしないか。確かにアルノルは普段の食事に関して、味や見た目よりも手軽に栄養を接種できることを求めるが、食に楽しみを見出していないわけではない。
普段仕事ばかりの冷血男だと思われているのかもしれないが、アルノルにだってそれなりに趣味などもあるのだ。
「マリアのサンドウィッチという物で、騎士舎横の食堂の1番人気の料理です。先着順で数量も限られるので、なかなか普段は手に入らないものでして…。このサンドウィッチを出せば、アルノルは大抵のことはやってくれますよ」
「…それは良いことを聞いたな」
「おい、余計な事まで言うな」
構図としては、純粋な子供に、大人が悪い遊びを教えているようなものだろう。
アルノルにとっては弱点のような物。何故無意味に広めてしまうのか。アルノルは、ラルフは本当に性格が悪いと睨みつけた。
「…殿下、ここは日が当たります。用事が済んだのでしたら、早く屋根がある場所に入ることをおすすめします」
でも取り敢えずは、ライナスをここから引き離すことが先決だ。
ライナスの身体を気遣うような台詞を吐きつつ、暗に帰れと伝える。普段通りの塩対応なので、ライナスはいつも通り怒ることもせず、しかし表情だけ、む、と唇を尖らせるが、横で見ているラルフとハンナは再び冷や汗がぶり返して来るし、心臓に悪いので心底やめてほしい。
「元あった用事は済んだが、今訊きたいことが増えた。2人共、このままアルノルを借りても構わないか?」
「はい!」
「お構いなく、どうぞ連れてってください」
アルノルは、ライナスの予想外の返答に固まる。何故か更に面倒くさい状況が続くことになってしまった。しかし、ラルフとライナスを引き離すことには成功したので本来の目的は達したのだが、躊躇いもなくアルノルを差し出した2人に視線を向けて渋い顔をつくった。
「アルノルも、構わないか?」
笑みを浮かべてこちらに尋ねてくる顔がいつも通りの輝いた美貌で、アルノルは逆らう気も、逆らう理由もないので、ため息を吐いて頷く。
「……残りのサンドウィッチを食べるので、少々お待ち下さい」
そう言ってアルノルは、ラルフに近づいて賞品のサンドウィッチを受け取る。
平気な顔で皇族を待たせるどころか、待たせている間に横で食事をする鉄の心臓を持ち合わせた側近など、歴史上を探しても滅多にお目にかかれないだろう。
大口を開けてサンドウィッチを頬張るアルノルを、ライナスがじっと観察する。
「…何です?」
「ん?…いや、本当に好きなんだなと思ったんだ。…お前にも好きな食べ物があったのが意外でな」
「私にも味覚くらいあります」
「ははっ、それはそうだな」
すぐに食べ終わったアルノルが手を払っていると、愉快そうに笑ったライナスが繊細な刺繍の入ったハンカチを取り出す。
「使うか?」
「…いえ、自分の物がありますので」
アルノルがすげなく断るとまた笑ったライナスが、ハンナとラルフに美しい笑みを向ける。
「休憩中に邪魔したな。今後ともアルノルと仲良くしてやってくれ」
「「はい」」
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