第5話 愛してるゲームと好物 ①
「――…アルノルさん!」
食堂近くの中庭に着くと、既にハンナがベンチに腰掛けて待っていた。
ハンナは低い位置で2つに結ばれた茶髪を揺らしながら、アルノルとラルフが見えた瞬間に走って近づいてくる。
「お久しぶりですね!前にお会いした時よりも顔色が良くて安心しました!今日は一緒にお昼食べられるんですか?」
「ああ、コイツに連れてこられてな。…それと、また昇進したと聞いた。おめでとう」
「わ!ラルフさんから聞いたんですか?えへへ、ありがとうございます。これからももっと頑張りますね!」
「…程々にな」
小動物のように和やかな笑顔で話しているが、ハンナは若くしてこの城内でトップレベルに位置するほどの博学な人間だ。
彼女のその知識欲と読書愛こそ他より優れど、アルノルの叔父に養子に迎えられた最も大きい理由として、傑出した記憶力が有名である。その驚異的な記憶力は、1度読んだ本は一言一句、ページ数や行数まで覚え、逆から読んでいくことだってできるほど。それに加えてハンナの知的好奇心が相まって、10代にして、城内の300万点以上ある全ての蔵書を、把握、管理する立場に立っているのだ。
「ハンナちゃん、俺もいるんだぞ?」
横からラルフが悲しげな表情を作って話しかける。それまではアルノルしか見えてなかったハンナも、そこでやっとラルフの存在を視界に入れた。
「あ!ら、ラルフさんも、こんにちは!…ごめんなさい、アルノルさんと一緒にご飯を食べられるのは久しぶりだったから!」
「っはは、分かってるって。…ほらアルノル、こんなにハンナちゃん寂しがってたんだぞ。仕事の虫め」
「…知っての通り俺は忙しいんだ。さっさと食べるぞ」
自分に不利な話の方向性になってきたことを察したアルノルは、すぐに会話をぶった切ってスタスタと奥のベンチまで歩いていく。
「ったくもー、サンドウィッチは逃げないぞー」
「俺の昼休憩時間が逃げてってんだよ阿呆」
「ふふふ」
冗談をいうラルフに、アルノルが額に青筋を浮かべて返答し、それを見てハンナが楽しそうに笑う。
どんなに久しぶりでも、立場が変わっても、ラルフのフラットな空気感が、在学時代の空気をすぐに戻らせた。
「せっかく久しぶりに3人揃ったんだ。最近王都で流行ってるゲームでもしようぜ」
愉快げな表情をしたラルフのそんな提案に、アルノルは嫌な予感を感じたが、続きを話すのを止めるよりも先に、ハンナが尋ねてしまう。
「ゲームですか?」
「そうそう、愛してるゲームって言うらしいんだけどな」
アルノルは予感通り、嫌なネーミングのゲームだったので、更に眉間のシワを深くした。
「…下世話なやつか、妻子持ちが何を言っている」
「おいおい、誤解するなって、これは”愛してる”って交互に言い合って、照れた方が負けってだけの遊びだぜ、断じて浮気じゃないし、何なら俺抜きでやっても構わんぞ」
ラルフの思惑が透けて見えるが、本人は隠す気さえないのか、興味をひかれてそわそわとしているハンナを横目で見て、親や兄であるかのように微笑ましげに笑っていた。
「俺はやらないぞ、観客くらいにはなってやるが」
しかしアルノルは友人の意図を汲むなどせず、先回りして断っておく。
「そんなこと言っていいのかな~?勝者には俺の分のマリアのサンドウィッチをやろうと思ってたんだけどな~、あ~あ残念残念」
アルノルの動きが再び止まり、汚いぞ、とラルフを睨むが、結局の所そう言われてしまってはアルノルの選択肢は1つだった。
「チッ、せこい手覚えやがって。どうせなら本気でやってやる。そのかわりお前も参加だ。高みの見物は許さん」
「あいあいさー、アルノル様。んじゃ、まずは俺からしますか」
おちゃらけた仕草で敬礼をして見せたラルフが、まずはアルノルに向き直る。
「愛してる…」
キリッと男前な表情を作って一言。しかし、言わずもがなアルノルは凍土の如き無表情で返した。
他の貴婦人たち相手であれば黄色い悲鳴が上がるような状況も、この二人の前ではただ虚しいだけだった。続いてラルフはハンナに向き直る。
「はー…、これ、アルノル相手はキツいわ…。次ハンナちゃんね」
「は、…はい!」
ラルフは、今度はフラットな空気感に戻して、再び愛してると口にする。
そしてこれもハンナが難なく耐え、ラルフは既に2人分の負けを手に入れた。
「まあそうだよな、予想通りだけども…。じゃ、次はハンナちゃんが俺達に言うか。アルノルはトリで」
ハンナがわかりました、と答えて、ラルフの方に体を向ける。
「…愛してます」
普段から言い慣れていないのだろう。少なからず照れを含んでいるのか、それともすぐ横で本命が見ている状況だからか、少し小さい声ながらも、ラルフ相手なので特に気後れすることもなく台詞を口に出す。
ラルフはまあ言われ慣れている事に加えて妻子持ちなので、照れることも無く流れるように次に回った。
「…では、アルノルさん」
「ああ」
ハンナが改めてアルノルに向き直ると、アルノルは一応返事をするが、やはり本当に好きな人に言うのは、ゲームでも照れるらしく、ぎこちない動きで口をパクパクと動かし、次第に頬も紅潮していった。
「…あ、……その、…あ、愛してます!」
ラルフに言った時とは明らかに温度が違う。紅潮した頬に、潤んだ瞳、恋する乙女は可愛いな、と隣でラルフがニマニマと笑っているが、アルノルは気まずい思いでいっぱいだったので、無難な反応が思いつかないまま、取り敢えず感謝で返した。
「…あ、ありがとう。…?」
「……はいっ…」
ハンナは顔から湯気を出す勢いで未だに羞恥に震えているが、アルノルの残り時間を考慮してすぐに次に進めることにした。
「んじゃ、最後。アルノル選手~」
名前を呼ばれ、ここで初めてアルノルの目に闘志が宿る。やるならば本気で。マリアのサンドウィッチを我が手に。
「おい、ラルフ」
「ん?」
「体への接触は有りか?」
「まあ度を超えない程度ならいいんじゃないか?」
ラルフのそんな間の抜けた返事が聞こえた瞬間、アルノルはラルフとの距離を一瞬で詰め、背丈のある彼に覆いかぶさる形で、その頬に手を添えた。
スイッチが入ったアルノルは、その表情を色気MAXにさせ、美麗な顔立ちを存分に活かして、計算され尽くした麗しい視線でラルフを射抜く。
「ラルフ……」
「……お、…わ…?」
噎せ返るような色気を孕んだ、蠱惑的な美声でその名を呼ぶと、流石のラルフも戸惑いがちに下からアルノルを支えるが、口角が既にピクピクと動いてしまっている。
もう一押し。ラルフのそんな反応を合図に、アルノルは薄く色づく唇をゆっくりと舐め、高級な大華が咲くような、極上の笑みを浮かべて、一言。
「…愛してる」
瞬間、ラルフが自身の顔を両の手のひらで覆って、後ろにのけぞった。
上に覆い被さっていたアルノルが一緒にバランスを崩してラルフの上に重なるが、ラルフは立派な騎士なので、その強靭な肉体と体幹によってアルノルに大きな衝撃はない。
「…おい?」
驚きと少量の怒りを含めて、アルノルが様子を訊くように声をかけるが、尚も一言も発さないラルフに首をかしげて、横のハンナに目を向けた。
すると、ただ横で見ていただけのハンナまで、顔を真っ赤にさせて口をパクパクとさせながら、顔を覆った掌を目の部分だけ開けてこちらをガン見していた。
「ハンナ…?」
「………は、…背後に薔薇が咲いて見えました……。私はなんて罪深いものを…」
罪深いとは失礼な。アルノルはもちろん本気でやったのだが、正直既知のコイツらからこのように大げさな反応が返ってくるとも思っていなかったので、ただただ訝しげな表情を浮かべた。
「うがぁーーー…」
数十秒経って少しは回復したのか、仰け反ったまま何やら呻いているラルフに、アルノルはいい加減にしろ、とその腹をペチペチと叩く。
「よくその体勢のままでいられるな」
これは自分の勝ちでいいということだろうか、とアルノルはラルフの上を退きながら感心する。
「……俺は、…俺は恐ろしい者を世に解き放ってしまったのかもしれない…」
「は?」
「…同意です」
「は?」
2人は未だに顔を手で覆ったまま動かない。流石に物言いが失礼すぎやしないか、とアルノルが眉を上げて疑問の声をあげた。
「おい、本当に時間がないんだぞ?ハンナの分はやらないんなら、俺の勝ちということでもういいだろ?」
懐から時計を取り出し、マリアのサンドウィッチ(追加分)を食べ損ねるわけにはいかない、と2人を急かす。
ちなみに、自分の分のサンドウィッチはもう、ラルフとハンナのターンの時にペロリと平らげている。
「あ、おい、無いことにすんな。一番大事な大トリだろ!な、ハンナちゃん」
「はい!やりましょう!やってくださいお願いします!」
焦った様子のラルフに、少しは魂胆を隠せよ…、と呆れるものの、アルノルとしてはマリアのサンドウィッチが食せる希少な機会なので、もうどうでもいいという心境だ。
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