食らい



「お茶を淹れるので、少々お待ちください」


 疲れた様子の女に対し、店主はそう告げつつ椅子に掛けるよう勧めました。


 女は直ぐにでも取引を済ませたい様子でしたが――何度か店であった事のある――自称用心棒に手招きされ、ヨタヨタと歩いてその隣に座りました。


 用心棒は少しフラついている女が転ばないよう手を添え、彼女が座ると「相変わらずか?」と聞きました。


 女は無理して笑みを浮かべ、「相変わらずダメダメです」と言いました。


 彼女は絵の仕事をこなし暮らしていました。描いた絵をSNSにアップするとチラホラと反応はあり、絵の仕事もあるにはあるのですが「絵で生計を立てている」とは言いがたい状態でした。


 それでも彼女は「好きな絵で生きていきたい」「もっと良い絵を描きたい」と考え、質屋で寿命を質にいれて生活費を補填していました。


 寿命で稼いだ金で生活しつつ、「皆に認めてもらえる絵を描こう」と努力してきました。が、その努力は報われたとは言いがたい状況でした。


 努力は報われずとも、ツケは支払う事になりました。


 彼女には「寿命を切り崩す生活に無茶がある」という自覚もありました。だから寿命で手に入れた生活費を切り詰めて生活していたのですが、無理がたたってしばらく病で倒れてしまっていました。


 そうこうしているうちに数少ない絵の仕事も失っていました。


 再起できたとしても、寿命を切り崩す日々が続くだけと考えた彼女は「好きな絵で生きていく」という願望を捨てたいと考えるようになりました。


「もう、こんな生活をやめたいんです。……諦める理由が欲しい」


「……腕はさすがにやめておけよ?」


「ええ、もちろん。さすがにそこまで自暴自棄にはなってません」


 用心棒の言葉に苦笑を返した女は、「技術を売りにきました」と言いました。


「30年間の全てを、絵の技術を全部手放してこの地獄から抜け出したいんです。ずっと芽が出ず、腐っちゃった技術ですけど……」


「そういう事を言うな」


 用心棒は女の価値を落とさせまいとそう告げ、背中を撫でました。


 撫でつつ、「お前の人生と同じ厚みのある技術を卑下しなくていい」と言いました。それが大した慰めにならない事を考えつつ――。


 お茶を出した店主は女に対し、「取引するモノは理解しました」と言いつつ、さらに提案をしました。


「逆に技術を買うおつもりは?」


「おい、お前」


「当店では絵を描くための技術も取り扱っております。その他、セルフプロデュースに必要な話術やSNS活用技術、さらには多方へのコネクションも販売しておりますよ」


 用心棒は店主を止めようとしましたが、店主はペラペラと喋り続けました。


 この店では技術も取り扱っている。30年間追い求めて手に入れられなかった技術ですら、一瞬で手に入れられますよ――と勧めました。


 ただ、女は首を横に振って答えました。


「そんなズルをして手に入れた力なんて、何の意味もありません。私は……自分の技術で勝負をして、世界に……皆に認められたかったんです……」


 そう言った時の女の瞳は澄んだものでしたが、直ぐに淀んでいきました。


 店主達に「認められなかったんですけどね」とこぼし、心に積もった雪を掻きだし始めました。


「学校の後輩にね、すごく才能のある子がいるんです。個展開いて、SNSのフォロワー数も世界的なもので……あの子は皆に認められているんです」


「…………」


「しかもまだ未成年なんですよ。私の方がずっと長く絵に打ち込んできたはずなのに、私は彼女の……サンの足下にも及ばないんです」


 女は頭を垂れ、「だから諦めさせてほしい」と懇願しました。


 自分の築いてきた技術を全て奪い、諦めさせてほしいと言ってきました。


 店主はそれ以上は提案せず、静かに女の言葉を受け入れました。女の査定結果を紙に印字し、それを見せました。女はそれをろくに見ず、「返してもらえるだけ寿命を返してください」と言いました。


 女と店主は握手を交わし、店主の手を介して女の身体に失われた寿命が戻ってきました。ただ、今まで支払った全てが戻ってきたわけではありませんでした。


 それどころか――。


「楽になれましたか?」


「ま…………まだ、ダメ。まだ、諦め切れない気持ちがある」


 女は目を見開き、自分の胸に爪を立てました。


 このままだと、またペンを取ってしまう。今まで磨いてきた技術はなくなったのに、「良い絵を描きたい」「認められたい」という気持ちだけが暴走してしまう。


 女は苦しそうに表情を歪め、「全部持って行って」と言いました。


「この気持ちも、絵に打ち込んできた記憶も全部売りたい。全部手放さないと、なくしたものに焦がれ続けてしまう。焼かれて死んじゃう……!」


「では――」


「全部失わないと、私は救われないの!」


 女は自分のそれを「穢らわしいもの」と称しました。


 それを店主に押しつける事を謝罪しました。


「店主さんは買い取ったもの、全部自分の中に取り込んでいるんですよね? 私の記憶や感情で振り回してしまったら、ごめんなさい。許してください」


「大丈夫ですよ。私の自我は数多の記憶の影響も撥ねのけていますから」


 店主は明るく否定しました。


 彼に悪気はなかったものの、女は泣きました。


 泣きながら大事にしてきたものを、自分を苦しめ続けてきたものを全て手放しました。それと共にいま流していた涙すら手放してしまいました。


 30年間、自分を構成してきた大部分の記憶と感情を質草に入れる。それによってやっと、女は手放した寿命を全て取り戻しました。


 お釣りとして半年分の生活費も手に入れました。それを手にした女は憑きものの落ちたような顔で帰っていきました。


 店に来た時より、楽になった様子でしたが――。


「失った寿命を買い戻せたとはいえ……スタートに戻れたとは言いがたいね」


「また頑張っていけばいいんですよ」


 悲観的な用心棒に対し、楽観的な店主はそう言いました。


 しかし用心棒は首を横に振り、「寿命は戻ってきても、時間は買い戻せなかったんだからね」とこぼしました。


「30年かけた技術を捨てて、30年の歳月だけが残った子に対して『また頑張ればいい』はあまりにも酷だと思うよ」


 絵に打ち込んできた30年間が消え、30年の時だけが過ぎた。


 多くの技術を失った彼女に残されたものは少ない。不摂生によって荒れた髪と肌。たるんだ腹の肉。絵に熱中するあまり築かれなかった他者との関係。


 本人が忘れたとはいえ、他者は彼女の職歴を覚えている。ただ、それを履歴書に書いたところでその技術を証明することすら困難になった。


 その事を用心棒は哀れに思いましたが、店主は変わらず明るい調子で「必要なものはウチで揃えていただけばいいのですよ」と言いました。


「ウチを利用していただければ、赤ん坊からやり直す事すら可能です。それに関しては貴女様だってよくご存知でしょう?」


「それはそれが出来るだけの質草を用意できた場合だろうに……」


 用心棒が「気楽に言ってくれるよ」とボヤいた瞬間、再びドアベルが鳴りました。用心棒は先程の彼女が戻って来たのかと思い、顔を上げましたが――。


「やほっ! サン様が来たよ~ん! 店主さんいる? いるよね~っ!?」


 やってきたのはサイバーパンクファッションに身を包んだ黒髪の少女でした。


 彼女は騒ぎつつ、店主に向かって駆け寄ってきました。


 店主は常連客である彼女に対し、他の客と同じく丁重に応対し始めました。そして彼女の言葉に対し、あっけらかんとした様子で言葉を返しました。


「何か良い感じのアートスキル、入荷してる!?」


「はい。つい先程入荷したところです」


 彼女は店主の言葉に飛び跳ねて喜び、新作のファッションを楽しむようにそれがどのようなものか紹介してもらいました。


 店主が先程買い取った技術を手早く披露すると、彼女は表情をさらに明るいものにし、「メタタマ先生のスキルじゃぁんっ!!」と叫びました。


「ウチ、先生の大ファンなんだよね!! 新作がアップされたら裏アカで真っ先にコメントしてる!! 最近、コメ欄封鎖してるから出来てなかったけど、先生が関わってる作品はメッチャ買ってるよ~~~~! てか先生引退したの!?」


「全ての技術を手放したので、そうなりますね」


「もったいな! まあいいや、神絵師の腕を食える方が得だもんね♪」


 彼女は仕事で稼いだ金で新しい技術を即座に買い、持ち歩いてきたスケッチブックでさっそくそれを試し始めました。


 彼女は店主以上の速度と技巧で新しい技術を使いこなしました。「あら、こんなもんか。そこまで学びないな」と少しガッカリした様子で「もういいや」と直ぐに質草に戻してしまいました。


「あ、そうそう! そろそろ新しいジャンルを開拓していこうと思っててさ」


「絵でも配信でもなく?」


「うんっ! さらに新規開拓したいんだ! AI関連で良い物を――」


「お前さん、自分で研鑽を積んで力を手に入れようと思わないのかい?」


「うん? 自己研鑽なら積んでるよ?」


 用心棒の言葉に対し、絵描きの彼女は手元を見もせずペンをスケッチブックに走らせました。先程買って直ぐ手放した技術で描いた絵の要素をいれつつ、昇華させた絵を描いてみせて「自分でも努力してるよん」と言いました。


「あぁ、この店を使うのがズルって話? 法的に問題ないのに?」


「法的に問題はなくても、矜持ってものはないのか?」


「お姉さん、それは枷だよ。鎖だよ。そんなもの、無い方がいいでしょ?」


 絵描きの彼女はやんわりとした笑顔を浮かべつつ、「もちろん大衆に叩かれない程度に体面を取り繕うのは大事だけどさ」と言いながら言葉を続けました。


「地道に努力してきたことをSNSに書き込めば多少は『いいね』を集められるかもね。でも、無料の『いいね』に何の価値があるの?」


「…………」


「私が欲しい『いいね』は同情じゃなくて驚嘆なんですよ。より多くの人を狂わせ、ドバドバ金を使わせるほどの劇薬がほしいんですよ」


 店主が絵描きの彼女に拍手を送る中、用心棒は黙って彼女を見つめました。


 彼女の方も用心棒の方を見つめていましたが、直ぐに興味をなくした様子で店主と楽しく話し込み始めました。


 一方、技術も想いも手放した元画家は部屋に戻っていました。


 部屋の片隅に投げ捨てられていたペンタブレットを手にし、使い方のわからないそれをボンヤリと眺め続けました。


 日が沈んで月が昇っても、ずっとそれを眺め続けていました。



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