戦争の価値



「さあ、お兄様! 起きてくださいな。今日はお出かけする約束でしょう?」


「……我はまだ眠い」


「朝食を食べていたら眠気もどこかに行きますわ。さあ起きて!」


「うぅむ……」


 戦争が始まった時、王は妹と遠乗りをしていました。


 盲目の王は妹の先導と愛馬に身を任せ、すっかり豊かになった国土を吹き抜けていく心地よい風に包まれていました。


 彼は先導する妹が走る音に耳を傾け、微笑んでいました。妹の4本の脚が躍動し、蹄が大地を蹴っていく音を聞きながら久方ぶりの休暇を楽しんでいました。


「お兄様、ここにいて。向こうの畑を見てくるから」


「あまり遠くに行ってはならんぞ」


 王は妹に導いてもらった木陰に座り、妹が翼を使って飛んで行く音に力強さを感じつつ待っていました。しばし待っていると、妹は柑橘の匂いを纏い、農家から貰ってきた果物を差し出してきました。


「昔を思い出すな」


 王族でありながらひもじい思いをしていた頃の事。


 王となった男は、やっとの事で手に入れた食料を妹に全て渡そうとしました。しかし妹はそれを2つに割り、笑顔を浮かべて2人で食べようと言ってきました。


 その乏しい食料すら餓えた者に奪われた事もありましたが、今はそんな心配などありませんでした。2人は瑞々しい果実に口づけ、ゆっくりとそれを味わっていました。その後、戦争が始まったのです。


 王達が暮らす世界は滅ぼされる事になりました。


 その世界を作り、人類の種を撒いた神の決定により滅びが決まったのです。


 発展しすぎた文明の収穫が始まったのです。


「始まったか……」


 眼帯白髪の用心棒は、1つの世界の滅びを見に来ました。


 共にやってきた質屋の店主と共に、神の使い達を遠巻きに見ていました。


 <救世神>あるいは<源の魔神>と呼ばれる神は、世界を滅ぼすために天使の軍勢を派遣しました。軍勢といっても10数人程度の部隊でした。


 然れど遣わされた天使達は一騎当千の猛者達。ようやく火器を手に入れた程度の人類程度ではまったく相手になりませんでした。


 質屋との取引で異能を手に入れたコーラル王国の軍勢ですら、1体の天使も仕留められませんでした。人々は次々と刈り取られていきました。


 王は真っ先に狙われました。


 何とか一命は取り留めたものの、重傷を負う事となりました。


「怯むな! 進めっ! 王さえ無事なら、コーラルは何度でも立ち上がる!」


 神の使い達との戦いには、王の妹も参戦しました。


 彼女は白馬の下半身で疾走し、白鳥の翼で飛翔し、負傷した王に代わって先陣を切りました。天使達相手にも怯まず挑みかかりました。


 王の忠臣達も神がもたらした滅びに抗いました。皆が奮戦した結果、何とか天使達を退ける事に成功しました。


 ただ、あくまで一時撤退に追い込んだだけ。


 どちらが勝利したかは誰の目にも明らかでした。


 重傷を負った王は何とか目覚めました。


 彼は妹を呼びました。忠臣達を呼びました。


 一部の忠臣は何とか王の呼びかけに応えました。しかし、妹の声は聞こえてきませんでした。軽快な蹄の音も、力強い羽ばたきの音も聞こえてきませんでした。


 王は怒り狂いました。


 声を荒らげ、自ら天使の討伐に向かおうとしました。


 忠臣達は荒れ狂う異形の王を何とかなだめ、「あの羽付き共は『また来る』と言っていました」と告げました。


「我らを嘲り笑い、必ず滅ぼしてやると言っておりました」


「いま、奴らがどこにいるかはわかりません。……まずは軍を整えましょう」


「此度の困難も、我らは必ず乗り越えられます。必ず……」


 忠臣達は初めて、王に嘘の報告を聞かせました。


 天使達が嘲り笑っていたのは真実。圧倒的な権能ちからを持つ彼らは、創造主たる源の魔神が出陣せずとも自分達で勝てると驕っていました。


 天使達がどこにいるか知らないのも真実。いま飛び出ていったところで死にかけの王の身体がさらに傷つくだけでした。


 此度の困難も乗り越えられる。


 その報告ことばは嘘でした。


 誰も彼も心の奥底では勝利を信じていませんでした。


 それほどまでに天使達の力は圧倒的でした。コーラルの軍勢がどれだけ死体の山を築いても、ほんの数体の天使に僅かに血を流させただけでした。


 それでも、彼らは立ち向かう事を決めました。


「…………」


 王は忠臣達が嘘をついた事に気づきました。


 その嘘についてよく考えた後、彼は痛む身体を引きずって質屋に向かいました。


「取引を……」


「はい。天使達に立ち向かう力ですね?」


 店主は揉み手しつつ、「そのようなものもありますよ」と言いました。


 必要な対価はとても重いものでした。それだけ強大な相手でした。


「奴らを……鏖殺したい」


「ええ、ええ。御客様の気持ちはよくわかります」


「奴らは我から妹を、忠臣を、国民を奪った。天から我らにツバを吐いた」


「ええ、ええ。勝つためには力が必要ですよね?」


「情報をくれ。我は質草に、我自身の『怒り』を捧げる」


 店主は驚き戸惑い、空気を撫でながら黙りました。


 しばし黙った後、「よろしいので?」と問いかけました。


 王は憮然とした様子で「我の怒りに価値がないと申すか?」と返しました。


「そのような事はありません。ですが、御客様はそれを大事にしていらっしゃる」


「大事だとも。妹も臣下も国民も大事だったからこそ、酷く憎いのだ」


 王は拳を握りしめました。その拳から血がこぼれるほど怒りました。


「然れど、王として判断するために邪魔な感情ものだ。今の我には不要なものだ。いや、未来永劫必要ではないのかもしれん」


「…………」


「我は王だ。時には大事な血を流す判断をせねばならん。然れど、血を流すのは生きるためだ。対価を支払うのは生かすためだ」


 我が眼を曇らせる怒りは不要。


 王はそう断じ、その感情を切り離しました。


 店主は困惑するのをやめ、いつも以上に丁寧に応対しました。


 王の言うがままに取引をし、王の敵である魔神と天使達の情報を用意しました。王はその情報を精査した後、ため息と共に結論づけました。


「今の我らでは勝てんな。如何なる対価を支払っても……」


「はっ……。このまま戦えば御客様達は敗北するでしょう。如何なる代償を支払っても」


「我は決断せねばならん。ただ、この決断は我だけで出来るものではない」


 王は店を出て、国民達に語りかけました。


 多くの国民が悲しむ以上に怒り狂っていました。


 家族を奪い、国を穢した天の使いに対して憤っていました。


「聞け。我が臣民よ」


 王が言葉を発すると、怒り狂っていた国民の声がフッと止みました。


 静寂の中、王は言葉を続けました。


「我は死者のための闘争ではなく、生者のための逃走を望む」


 共に逃げよう。


 王はそう言いました。


「この世界から逃げだそう」


 世界は1つではなく、無数に存在していました。


 殆どの世界を源の魔神が支配していました。


 だが逃げる事は不可能ではない。王は店主から得た情報でそう判断しました。


「逃げるために、我らの意志で国土を売ろう」


 それは大きな恐怖を伴うものでした。


 姿形や生き方どころか、生まれ育った故郷を捨てる。


 多くを捨てて知らない世界に旅立つ。その事に国民は大きな恐怖を抱きました。


 恐ろしいからこそ、国土それの価値は大いに高まりました。


「…………」


 怒り狂っていた国民は王の言葉で凍り付きました。


 しかし、1人、また1人と王に言葉を返してきました。


 彼らは王の決断を支持しました。


 彼らの決断を聞いた店主は恭しく礼をし、取引に応じました。


 王と国民達からコーラルの領土を質草として受け取りました。


 こうして1つの国が跡形もなく消えてしまいました。王と生者達は質屋の手引きで長い長い旅へと旅立ちました。


 驕り高ぶっていた天使達は、誰もいない空白を見て絶句しました。


 主たる源の魔神の天命オーダーは、<訣別の魔神>と取引をした世界の住民の抹殺。1人たりとも逃がすな――というものでした。


 彼らは自分達の力を過信しすぎた結果、天命を果たせなかった事に慌てふためきました。急ぎコーラル王国の民を探し始めましたが、誰1人見つける事が叶いませんでした。


 天命は絶対。


 果たせなければ自分達の身が危うくなる。


 天使達は共謀し、神に偽りの報告を行いました。


 滅ぼすべきものは皆滅ぼしました。天命を果たしました。


 そう報告し、誤魔化そうとしましたが――。


『天よ、聞こえるか』


 どこかから通信こえが届きました。


 それは故郷を売ってでも生きることを選んだ者の声でした。


 源の魔神は怒り狂いました。


 偽りを述べた天使達を一睨みで挽肉にし、しばらく癇癪を起こし続けました。



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