第7話◇どう声をかける?【アルウィン視点】

「うっわ、やっばあ。見た?今の。彼女が登場した途端に急に山小屋が出現して、帰って行ったら消えたよ、だんちょー」


 そう口走り、ヒュウと口笛を吹いてみせた男は口先こそ軽めだったが、そのタレ目の瞳をらんらんと輝かせて、とても興味深そうな顔つきになっていた。


この男、イリスが現れるまで「もうやだ、帰りたい、張り込みめんどくさい」などとグチグチ呟いていたのだが、あっという間に態度を翻している。


「ああ、確かに見た」


 タレ目男に「だんちょー」と呼ばれた彼もまた、少し興奮気味の様子で応えて頷いた。


二人ともが冒険者風の服を着こなしているが、どう見ても冒険者としてはあまりにも小奇麗だった。

「だんちょー」の方はきっちりと隙がなく着こなしすぎていて、「タレ目」の方はあえて襟元を乱しているものの、それが妙にこなれているせいで、かえっておしゃれに見えてしまっている。

それだけで彼らの「育ちの良さ」は明白だった。


たとえ認識阻害の魔道具で印象に残らない顔に見えるようにした上で、平民らしい口調を意識していても、着こなしと立ち居振る舞いが妙に高貴なのだ。


そんな少年たちは現在、ある任務をもって少女を監視していた。

イリス・フロレンティナ・ストレリチア、南ストレリチアの前当主の一人娘である。


本来なら公爵令嬢の立場であり跡取りとして大切に育てられているべき彼女が、侍女も護衛もなくたったひとりでフラフラと外、しかも森を出歩けるはずはない。

それが家庭の事情のためであるとは彼らも既に捜査済みのために知ってはいたが、それでも「いくら領内とはいえ、公爵令嬢の一人歩きなんて大丈夫なのか」とソワソワしていた。


しかし、いざ尾行をしてみると何故か「絶対に女性に手を出しそうなガラが悪そうな乱暴な風体の男たち」は彼女に全く近づくことなく自然と反対側の街に向かい、トラブルは起こらず。


やがて森の入り口まで差し掛かると森の方から自ら彼女を「快く出迎える」かのように、ポンとそこにあったはずの立派な栗の木を消して山小屋一軒に入れ替えて出してくるありさまをその目で見てしまうと、彼らの驚きはさらに膨れ上がったのだった。


何人かいたはずの他の領民たちも、イリスが現れた途端に入れ替わるようにいつの間にか森から去ってしまった。

まるで何者かが人払いをしたかのように。


「初めて見た~。こんな、わけがわからない現象の数々」


 ほえぇ、などと感嘆するタレ目男の視線は、だんちょーの顔に対して注がれている。

その「わけのわからなさ」への同意を彼に求めるように。


「まったく、その通りだな」


 本当に、わけがわからないほどにたやすく、イリスにとって都合がいい状況が着々と積み上がっていたのだ。

そしてイリス本人も特にそれに驚くなどの反応をすることもなく、自然と受け入れているようにも思える。


なので、だんちょーも大きく頷いて返すしかなかった。


「ただ、もう団長とは呼ばないでほしいかな。ここ、南ストレリチアにいる間は、絶対に。何のためにこうしてわざわざ平民らしく変装してると思ってるの?」


 この間、驚きのあまり、自然とその表情を和らげてしまっていた彼だったが、すぐにハッと意識した表情になってタレ目男をけん制する。


だんちょーの彼は「ここはきっちり平民らしく振る舞いたい」と考えているため、タレ目男を少し叱るように言う。


ただ、言われたタレ目男の方は「認識疎外のおかげで顔バレはしないだろうし、貴族かもってことはもうバレてるかもだけど、もしそっちがバレたとしてもさして問題ないんじゃない?」など軽めにと考えているようだ。

あえて茶化して頭を下げて見せた。


「は。極秘潜入という闇のお仕事のためですね。当然分かっておりますとも。イデア、ってお呼びするんでしたっけ?」


 悪びれず敬語で続けられて、目が全く笑っていない笑い顔を、意識的に濃くするだんちょー。


「分かっているのにあえてそこで近衛騎士丸出しの礼なんてして見せるのは、ひょっとして怒られ待ちなのかい?」

「いえいえ、滅相もない。ただちょっと臣下の礼を取りたいなぁ、って気分になっただけ~」


 言い合いながらも、お互いニコニコと笑い合う二人。


「……はぁ。まあ、いいよ。すぐに彼女を追って。そのまま夜まで屋敷で張り込んでおいて」


だんちょーの方が早々に諦めて、話を変える形で今後の指示を出す。

引き続きイリス嬢の監視を続けるために。彼女をその命の危険から守るために。


「ん、了解~」


タレ目男はヒラヒラと手を振り返して了承した。


途端、ざわりとタレ目男の背後から闇があふれ出す。

それがこの男に与えられている、闇魔法の力だった。

ひどく隠密に適したそれのために、彼はこの一連の任務において「だんちょーとの同行」が、早いうちに決まっていた。


しばらくざわりざわりと蠢く闇にその身を任せていたタレ目男だったが、ふとだんちょーに視線をやって口走る。


「思ったんだけどさぁ。だんちょー、ここ数日話しかけもせずに影からあの子をずーっと過保護に見守ってるけど、それってものすっごく、変質者みたいだよね!いい加減に話しかけてみてもいいんじゃないの~?」

「な、っ」


 明らかな「そういうからかい」交じりの声色にだんちょーの側は少々免疫が足りなかったようで、カッと頬が赤くなっている。

その顔色をあえてニヤニヤと眺めてから、男はそのタレた目尻をさらに下げて煽った。


「可愛いもんね?イリス嬢。ひょっとして、惚れちゃった?」

「――は、や、く、行、け!!」

「ぶっは、あははは、ふはっ、は、はあ~い、行きまぁ~す」


闇が男を包み隠したかと思うと、瞬時にその黒色は霧散してしまう。

一瞬にしてタレ目男はその場から消えた。


「……ったく、あいつは、そういうことばっかり……」


 すっかりおもちゃにされてしまった事実にため息をつきつつも、だんちょーな彼本人も、さすがに今現在の、「ただ執拗に見ているだけ」の自分は不審者じみていると、いくらか自覚してはいた。


しかし。

自分がこれほどに彼女に声をかけることをためらっているのは、奴が考えているような――例えば「淡い恋心」などといったような、甘い理由ではないのだ。


……いや、イリス嬢が非常に魅力的な令嬢であることは紛れもなく事実だし、逆にそういう浮かれた気持ちがあった方が、実はまだ声をかけやすかったのかもしれないが……。


ついついそんなことを思いかけてしまい、彼は意識的に頭を振る。

「あいつの言葉につられてこれ以上余計なことを考えてしまわないように」と。


「慎重に、いかなければ……慎重に」


あえて自らに繰り返して言い聞かせてしまうほどに、もっと深刻なところで、彼はためらっていた。


彼には自分が声をかけてもいいのかという、ひどい気後れがある。

「あんなこと」があったから。


それはまだ誰にも吐露できていない、血塗られた記憶だった。

頭の中、まるで昨日のことのように思い出せる「残虐で悲しく悔しいそれ」があって、不幸にもその被害者となってしまった彼女に、今の自分の立場で一体何と声をかけるべきなのかと深く考え込んでしまうのだ。


今回、ことは「まだ起こっていない」というのに――


もし彼女が自分と同じように「あの未来を覚えている」のだとしたら、記憶の印象が強く残っている今は、まだ少し顔を合わせるには早いのではないか。

そう感じるし、「覚えていない」としても、やはりためらってしまう……。


それともこんなふうに「彼女とどう出会いたいか」と深く考えて逡巡してしまっている時点で、既に好意を抱いてしまっている、ということなのだろうか。


これまで出会ってきたどの令嬢に対してもさしたる興味は抱かなかった。

その分、そつなく王子らしく平等に声をかけてきている。

あの子に対してだけここまで考え込んでいる時点で、既に特別視し始めているということではないのか。


先ほどからかわれてむきになって言い返したのも、結局は図星を突かれてしまったからでは……?


自分の胸に手を当て、普段よりわずかに鼓動が早くなっている事実に、否応なしに気付いてしまう。


……きっとそう遠くない時期に、イリス嬢と直接話す機会が来るだろう。

その時はもう躊躇わない。しかし、今は。


改めてこう心に決めて、彼はあえて今日という機会を見送ることにしたのだった。

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