第2章「宵闇の森の探偵さんは」
第6話◇宵闇の森の謎
明くる日もまた似たような雑用を言い渡されて、一見いつも通りの朝が始まる。
「本日の連絡事項」によると、叔父様は隣の領主との会合のため朝食後すぐに出発するとか。
叔母様とアネモネも伯爵夫人主催のお茶会があるとかで、朝から準備に忙しい。
運良く私のことに構う余裕はなさそうだ。
外でやりたいことがあったから、助かるわ。
「さて、まずは……」
呟いて、私はひとまず森の方に向かうことにする。
言いつけられた分の仕事はさっさと終わらせているので、今日から本格的に精霊魔法の特訓のために動くことにしたのだ。
いつもと違うことをするのは、新鮮で嬉しいわね。
近所でこっそり魔法の特訓できるところ、となると、屋敷から少し離れた場所にある「宵闇の森」、そこへと繋がる道沿いが「悪くない」感じだと思う。
領地で一番にぎわう中心街とは逆方向のため、万が一、失敗した魔法が変な感じで暴走したとしても、被害が少なくて済む。
まぁ、人目につくところでやっているとアネモネに邪魔されてしまうかもしれないし。
今後も隙を見て仕事部屋から抜け出してこっそり外での特訓を続ける予定だから、うまいこと集中できる場所が見つかるといいんだけど……。
徒歩で三十分程度歩くと、森の入り口に到着した。
ここまでは軽い散歩感覚で子供でも来られる。
薪を拾ったり山の幸を狩ったりと、今もちらほらと領民たちが行き交っている。
けれど、「宵闇の森」の本領はその奥だ。
この森には迷いの魔法がかけられているらしく、ある程度進むと入り口近くまで自然と戻されてしまうらしい。
そのため、この森の詳細は誰にも分からない。
ストレリチアの領主以外は、知らないこと、らしい。
そして聞くところでは、私の両親はこの森の奥で亡くなったという。
亡骸は森の中に葬られているそうだ。
叔父様の許可が出なかったため、私はそのお墓を見たことがない。
実はふたりの亡骸も確認できていない。
幼い私をばあやに預けて森へと出かけた、お父様とお母様と、そして叔父様。
三人で出かけたはずが、叔父様だけが傷だらけの姿で帰ってきた。
叔父様は「森の奥で魔物に襲われて自分は兄上と義姉上に逃がされたが、ふたりは負傷しながらも揃って敵を食い止めると残った」と言っていたと。
叔父様が当主の座を狙って殺したのかもしれない。
そう両親を慕っていたメイドが噂するのを聞いたことがある。
その彼女も暇を出されてしまってもういない。
告発しようにも、動機はあっても叔父様に両親を手にかけた証拠自体はない。
当時のことを調べようにも、情報を遮断されて幼い私には何もできず。
調べに行こうにも、精霊魔法も使えない身で森に入っても迷子になるだけ。
だから、私はいつも森の入り口でただお父様とお母様を思うことしかできなかった。
精霊との契約もろくにできない自分を悔やみながら。
そして――私も、一周目のあの時に、両親と同じくこの森で死んだのだ。
何とか奥へと逃げようとして、でも結局は辿り着けなかった。
とにかくがむしゃらに逃げていたのだけれど、今思うと、やっぱり私も追手も魔法によって何度も戻されていたのだと思う。
私は見覚えがあるモミの木に視線を投げる。
確か、この辺り……ここだ。
左手にモミの木があって、右手に大きな栗の木が……。
けれど、そこにモミの木はあったけれど、栗の木はなかった。
栗の木があったはずのそこには、見覚えがない山小屋が建っていた。
以前からそこにあったかのような自然さで。
……ううん、こんな山小屋、なかった。
なかったけれど……でも、確かに、この位置のはず。
この辺りまで来るたびに、必ず森の入り口まで戻されていた。
だからこそ、私はここで死んだのだ。
その時と同じ場所に立つと、自然と肩が震えた。
体感的にはつい昨日、私が殺された場所。
そして近いうちに、また殺されるかもしれない場所……。
血痕はまだ落ち葉を赤く染めてはいない。
風に煽られてカサカサと足元で音を鳴らすだけ。
だって、そうなるのはこれから一か月後のことだ。
激しい呼吸と乾ききった口の中の感覚、血のむせ返るような臭いと特有のぬめる感触、斬られた時のとんでもない痛み、複数の断末魔、目を閉じると完璧に思い出せてしまって、息苦しくなる。
動悸が早くなる。こ
こにいたくない、と逃げ出したくなる。
けれども、逆に私が魔法の特訓をするには、ここはどこよりも最適な場所とも言えるのだった。
この森は私にとっては、一番魔法を自由に使うのに向いていて、一番両親の亡骸に近くて、一番謎が深くて、一番私の死因に近くて、一番襲撃者を避けられる場所でもあるのだ。
奥に入れさえすれば。
精霊魔法が手に入れば、また殺されかけても奥に逃げられるかもしれない。
奥に入れたら、お父様とお母様の亡骸に会えるかもしれない。
奥に入れるのが当主だけなら、行けると証明できれば南ストレリチアの跡継ぎ候補としても認めてもらえるかもしれない。
一族の当主にしか知らされていない秘匿事項も知れるかもしれない。
そもそも私が狙われる理由になった、例の国宝の宝玉のことも分かるかもしれない。
……恐怖と同じくらい、この森には希望がある気がする。
何もせずにいたらまた死ぬ。よっぽどのことをしないと運命は変えられない気がする。
そう思うと、逃げられない、多少無茶に思えることでもやってみるしかない、とも感じる。
「女神様、どうかお願いします。私をお導き下さい……」
作法通りに両手の指を互い違いに組んで祈ってから、勇気を振り絞るようにして私は足を出した。
そうして、私はしばらくその辺り、山小屋やモミの木の方に近づいてぐるぐる歩き回った。
魔法の影響が及んで転移させられる場所を意識して体に覚え込ませるようにして。
そのうち、山小屋とモミの木を結んだラインを踏み越えると自動的に道の手前に戻されることが判明した。
と同時に、そのライン上に到達するとブウン……と小さな振動音のようなものが聞こえて体にもその震えが伝わってくることに気が付いて「これが転移の魔法か」と理解することができた。
パニックを起こしながら逃げ回っていた時には全く気付けなかった。
そうやって何度も転移を試した結果、私は完全に「どこまで転移されることなく踏み込めるのか」をようやく理解することができた。
要件を済ませると、その日は叔父様たちが戻る夕食の時間までには間に合うようにと気を付けて帰宅することにした。
そして最後に、私は例の謎の山小屋について確認しようとして、ドアに触れてみる。
その瞬間、キラキラと指輪の石の輝きが増した。
すると、カチッ、という小さな音が響く。
まるで、指輪に反応して鍵が開いたみたい?
私はドアノブに手をかけて、注意深く確かめてみる。
そうして、確かに鍵が開いていることを理解した。
もう一度指輪をドアに近づけると、またカチッとさっきと同じ音がする。
そうしてドアノブは回らなくなった。
「こうやってこの指輪を近づけることで鍵をかけられる、ということかしら?」
把握した私は、再び同じ動きを繰り返して改めて鍵を開けてみる。
そうしてドアを開けて山小屋の中に入って、細かく部屋の状況を観察してみることにした。
中には汚れひとつない白いテーブルクロスが引かれたテーブルがあった。
その上には白地に金のアイリスの花の模様入りという同じデザインで統一されたティポット、ケーキスタンドにもなるカップラック、カップとソーサーとスプーンとプレートがそれぞれ二セットと、砂糖がたっぷり入った砂糖壺がまとめて置いてある。
銅製のケトルも。
椅子は二脚あり、それぞれの椅子の背には柔らかく暖かそうな白のブランケットが「使っていいですよ」とばかりに丁寧に畳まれた状態で掛けられていた。
これにも金糸でアイリスの模様があった。
そして小さいけれど飾り棚がついた暖炉と、一晩分の薪とがあることも確認した。
火ばさみや火かき棒なども。
それらにもティセットと同じ、アイリスのモチーフがついている。
これは……南ストレリチアの屋敷の私の部屋よりも、ずっと美しく洗練されているわね。
鍵のおかげか、ここ最近、この山小屋の中に人が入った形跡もないようだった。
床やテーブルクロスや椅子の上には埃もなく、踏み荒らされたり使ったりした汚れの跡も一切なかった。
暖炉には灰ばかりで、新しい燃えカスも残っていない。
不思議と、外見はまるで新築のまま、何年も放置されたみたいだったけれど、中身は専属のメイドが日々掃除や片付けをしてくれていたみたいに整っていて。
今すぐにでもお茶会が始められそうだわ。
「すてき……アイリスの印なんて、本当に私のために用意されたみたい。これも加護のひとつということ?」
もしかして、これら全部をひっくるめた全てが「女神様に頂いたお慈悲」ということなのかしら。
呟きに、肯定の返事をするように、また指輪は瞬いた。
これはきっと、女神様が「そうですよ」ってお返事して下さっている、と考えてもいいのよね……?
「私だけのお部屋……。他の人が簡単に入ってこれないのなら、私には本当にありがたい状況だわ」
明日以降は、余裕があればお弁当を持ってきてもいいかもしれない。
いつもはアネモネに奪われないように隠しているとっておきのお茶の葉と、それと、簡単な掃除用具も。
本格的に魔法特訓のための拠点にしちゃおうかしら。
そうだわ、いっそ叔父様に頼まれる書類の仕事も、ここでできるなら助かるかも。
静かだし、はかどりそう。
――なんてことを考えながら、少しウキウキした気持ちで早歩きで屋敷に戻ったのだけれど。
そんな私の行動の全てを木陰からじっとうかがっている人がいたなんて、思いもよらなかった。
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