第2話◇私、どうやら死に戻ったみたいです

「ひ……っ!?」


 刃が迫ってくる、その恐怖心に息を詰まらせながら、私は突然、覚醒した。

 ここは、部屋……?


 すっかり「森」にいる、と思い込んでいたけれど、今私が寝そべっているのは血にまみれた落ち葉の上ではなくて、いつも通りの私の部屋の硬いベッドの感触だった。

 あてがわれている、古びてしまったせいで布のハリが消え切って穴が開きかけたシーツ。

 これこそがその証拠だ。


 シーツに手をついてゆっくりと体を起こすと、私はぐるりと周囲を見回した。


 そう。とても広いとも綺麗とも言えない、屋敷の中で一番日当たりが悪い一日中薄暗いこの一室は、紛れもなくアストラル王国の南ストレリチア家の私の部屋だ。


「これは……一体、何が起こったの?」


 私、まだ生きているの……?


 森の中で男たちに追われ、殺されたはずだった。

 それなのに、いつの間にか自分の部屋に寝ていた。


 まさか、全部が全部、夢だったとでもいうの……?


 のろのろとベッドから下りてドレッサーへと向かおうとして、指輪が右手の薬指にはめられていることに気付く。

 光に透かすと美しく虹色に輝く宝石がついた、特別な指輪だ。


 思い出せるのは、女神様の優しいまなざしと手つき。


「あなたに加護を与えます」


 そのお言葉と同時に女神様の指先から溢れた光の帯が私の右手を包み込むようにすると、この指輪がどこからともなく現れたのだ。

 外そうと引っ張ってみたけれど、不思議と外れない。

 通常の指輪のようにはいかなかった。


 今はそのままにしておこう……。


 元々の目的通り、私は鏡を求めてベッドを降りる。

 ベッドからドレッサーへの道、しっかりと足が動いている事実に気付いて、つい右足首を手探りで確認してしまう。


 やはり、そこに刀傷も痛みもなかった。

 だというのに、不思議と一日中走り回ったかのような重い疲労感が全身にあった。


 鏡に映る自分の上半身も、よく見知った姿だった。

 疲れが完全に顔に出てはいるけれど。


「私はちゃんと私だ」と、ようやく少し安心して、確認するみたいに心の中で繰り返す。


 私……私の名前は、イリス・フロレンティナ・ストレリチア。

 五歳の頃に南ストレリチア家の当主だった父・ドラセナと母・ダリアを亡くして、父の弟であるモルヒ叔父様が新当主になって以来、まるで使用人のように扱われている。

 ずっとそういう扱いだった。


 ……死ぬ前もそうだった。


 この世のあらゆる精霊を統べると伝えられる精霊女王「ストレリチア」、今から何百年もの昔、彼女が人族の男と交わり生まれたその子こそが、私たちの一族であるストレリチア家の始祖だそうだ。


 人族としての基本的な生体機能や見た目を引き継ぎながらも、一般的な人族には絶対にあり得ない「精霊女王由来の特有の強い魔力」を併せ持つ一族。

 この特殊な家系は便宜上「精霊族」と呼ばれ、通常の人族とは区別されることになった。


 やがて周辺国同士の争いや一族内の抗争など、時代の流れに翻弄された結果、ヒューラ大陸の南部に位置するアストラル王国についた南ストレリチア、北部のミストラルト帝国についた北ストレリチアの二つの派閥に分裂するも、両国それぞれから南北双方の当主には公爵という高い地位が与えられている――。


 一族の起源をあえて詳細に頭の中に思い起こして、私は改めて自分の記憶を確認してしまった。


 さっきから自分が自分じゃないみたいな、まるで違う世界に迷い込んだみたいな、おかしな感覚が続いている。

 まだ少し混乱しているみたいね、私……。


「そうだ、日記……」


 私は日記をつけている。

 その日の夜、寝る前に必ず書くことにしているのだ。


 日記はドレッサーの左下、鍵がかかる引き出しの中に隠している。鍵は服の右ポケットの中……。

 記憶の通り、ポケットを探ると確かに見覚えがある鍵が入っていて、更なる覚醒を促そうと試みた私は引き出しから取り出した日記帳をパラリとめくってみた。


 九の月の十一日の日記が最後の記述だった。

 それなら今日は十二日のはず。


 記憶の中の「殺された日」は確か……十の月の二十二日だった。

 そうだ、ちょうど一か月後に一族の精霊契約者だけのパーティがあるとかっていう話で……。


 私の脳裏に、涼やかな女性の声が蘇る。

 それこそ、女神さまの啓示のように。改めて知らしめる意思が作用したように。


「運命のいたずらによりわたくしの元にその足を踏み入れることになったあなたは、しかし再び本来の道へと戻らなければなりません。あなたに加護を与えます。今度こそ、正しき道を選びなさい」


 あれは夢や幻じゃなく、本当に女神様だった?

 私は確かに命を救われて、そしてもう一度の機会を頂いた?


 時が巻き戻った?

 今度こそ正しい道を選ぶために?


 だとしたら。

 約一カ月後、再び誤った場合、私はまたあの森で追われて、あの男に殺されるのかもしれない……?


 赤いトカゲのような入れ墨を足首に入れた男。

 確かに、その入れ墨が足首にあったのを見た。


 切られた足の痛みに暴れた時、私はとっさに男の足元に手を伸ばしてズボンのすそを引っ張ったのだ。

 単なる偶然、ただ痛みに暴れていただけだったけれど、おかげで確かな証拠を手に入れることになった。


 でも、証拠を見られたからこそ、あの男は迷うことなく瞬時に私を刺し殺す判断をしたのかもしれない……。


 ゾッと背筋を凍らせながらも、私はあの「私自身とたくさんの人々の死の夢」をよくよく思い起こしてみることにする。


 十の月の二十二日。

 その日の私は午前中にモルヒ叔父様に執務室へと呼び出されて「国宝を渡せ。お前が持っているあの宝玉だ」と強く迫られた。


 叔父様がアストラル王家側から伝えられた話によると、「精霊女王の宝玉」は、精霊族の長の証であり、同時に精霊女王と王国建国の始祖王・アストルとの友情の証、民族協和の象徴でもある国の宝でもあり、王城のとある施設の仕掛けを動かす鍵のひとつでもあるらしい。


 国宝なんて知らないと伝えたけれど、叔父様は私がポケットに持っているものこそがそうだと言った。


 けれど、それはずっと昔に誕生日プレゼントとして亡くなった両親から贈られたものだ。

 その時、両親は「それがそうだ」とは言っていなかった。

 王家にまつわるなんて話題も全く出てこなかった。

 ただ単に「お守り」だって。


 大切な思い出が残るそれを、権力が欲しいだけの強欲な叔父様にはとても渡せなかった。

 断って逃げるように屋敷を飛び出したら叔父様の部下に追われて、そこを幼なじみのアルムに助けられて。

 そのまま馬車で何とか逃げようとしていたわけだけども、馬車の御者は叔父様の手の者で、森――南ストレリチア領の端にある「宵闇の森」に連れ去られた。

 そして森では暗殺者らしき男たちに追われた。


 両親はとても優秀な精霊魔法使い・領主だったと聞いている。

 そんな両親が、国宝とも伝えられる宝玉を無断で娘の誕生日プレゼントにするのかな?と思うと、やっぱり叔父様は思い違いをしていたんじゃないのかな?と思ってしまう。


「きっと宝玉違い」なのでは、って。


 でも、もし別物だったというなら、なおさら、巻き込まれて亡くなったアルウィン王子殿下とアルムに申し訳なくてたまらないかも……。

 これもきっと私のせいなのだ……。


 私はあの時命を落としてしまった王子様と護衛の方々、そして優しい幼なじみに思いをはせた。


 そもそも、アルウィン殿下は何のためにストレリチア領までいらしたのだろうか。

 もし叔父様主導でのお越しだったのなら、お誘いが成功した時点で、もっと叔母様やその娘のアネモネも含めての大騒ぎをしていたはずだ。


 それに、以前にお父様の執務室で見た姿絵に描かれていた華々しいお姿よりも、ずっと地味な衣装を召されていて。あれはお忍びの旅姿だったのかもしれない。

 護衛も最低限だった気がする。


 考えられるとしたら……もしあの時、国宝が確かに南ストレリチアにあったというのなら、王子殿下はきっとそれを探しに訪れていたのだろう。

 噂を聞いて、宝玉と逃げた私の行方を追ってきたのかもしれない。


 それなのに「それに実際に入っていたもの」が、宝どころか、あれほどに狂暴で瞬く間に大量の人々を殺戮してしまうような恐ろしい存在だったなんて……。


 あの時、アルウィン殿下は「間に合わなかった」とも言っていた。

 一体何に?

 精霊女王が怒り出す前に到着してなだめることが間に合わなかった、ということだろうか。


 きっとそうなのだろう。

 だって、王家をも根絶やしにする、なんて恐ろしいことを女王・ストレリチアの意思は言ったのだ……。


 両親の「お守り」が真実なら、あの宝玉の中に入っていたもの、まるで鳥型の魔物のようなあれこそが、きっと「ストレリチア」……。


 美しい女性の姿と、荒々しい神の鳥としての姿。

 ふたつの姿を精霊女王・ストレリチアは使い分けるのだと、一族には伝えられている。


 あれはきっと最大限に攻撃的な「敵を打ち払う時の姿」だったのね……。


 私は再度、今度は鍵が入っていたのとは逆、左ポケットの中に手を入れる。

 取り出された手のひらサイズの球状の宝玉は、今はただランプの光に照らされていて、滑らかな表面がつやりと光沢を放っているばかりだ。


 本当に、あの恐ろしい鳥の姿の一面を持つ神が、今もこの宝玉の中に入っているのかしら?


 お父様、お母様。

 あれは「本物のストレリチア」だったの?


「ねぇ、今も、この中に、いるの……?いつか、私の前に出てくるの?私が死にそうになったら、出てくるのかな?それとも叔父様が言った通り、本当は国宝だったりする?」


 私は静かに語りかけてみる。

 けれど、特に反応はなく、ただつやつやと宝玉は輝き続けていた。

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